観音様を描きました。
これは、5年前のことです。
上里町の安盛寺というお寺さんが建てられて400年に当たるということで、その企画として、襖絵を頼まれました。
私は頼まれたとき、「自分は洋画家なので、観音様は描けません」とお断りしていたのですが、本当に何度も頼まれて、こう言っては申し訳ないですが、しかたなく描くことになりました。
というのは、頼まれた住職さんが、私の学校の元校長先生だったので、やりもしないでできないというのは、いけないかなと思い、とりあえず、やってみてできませんでしたという方がいいのかなと判断し、始めてみました。
同僚の先生も、無理なお願いをされたのだから、断ればいいじゃないですかと言ってくれる人もいました。
ーーーーーーーーー
しかし、一枚やってみたら、これでいいと言われてしまったのです。
それで、やらざるを得なくなりました。
ーーーーーーーーーー
初めての墨絵、初めての観音様、私は描いていて、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井壁画のことを考えていました。
ミケランジェロも初め断ったのです。自分は彫刻家だから絵は描けないと。
だから、フレスコ画の技法を学ぶためにテクニックを習得するまで、専門家を呼んで学びながら描いたと言われています。(ノアの洪水の部分はその人たちとの共同制作です)
宗教は違いますがお寺さんから頼まれて描いたという点では同じことかと思い、ミケランジェロの気持もわかるなあなんて、考えながら描きました。
ミケランジェロの大変さと比べたら、私の大変さなんて何百分の一かもしれません。なにしろあちらは天井ですからね。そして、規模がまるで違う。
ーーーーーーーーーーーー
ただ、私の大変さは、足の障害でした。
もう、足がかなり悪くなっていましたので、たかが、160センチの画面が全てに手が届きません。
下の方を描くときは、床に座り込んで、中間を描くときは椅子に座って、上の方を描くときは、椅子を3つ積んで、その上にやっとの思いで、上がり込んでという具合です。
墨絵は、立てて描くと、すぐに紙に染み込まないので、すこし垂れます。
塗ったところの一番下に墨が溜まります。それを注意して筆で取り除かないとそこだけ濃くなってしまします。
だから、絵を床に置いて、寝かせて描けばいいかなと考えましたが、そうすると筆の着地点まで行きつく間に、垂れる心配があります。水彩や油絵なら垂れても修正は簡単ですが、墨は消えません。しかたなく立てて描き続けることにしました。
私にとって、これは泣くような辛さでした。上がったり降りたり、離れて見ないと全体の状態が確認できないから、その動くことがなんとも大変で、---
しかし、ミケランジェロはどうやって全体をみたのでしょう??
そんなことを考えていました。
墨は黒くした後は、明るく戻せません。木炭の石膏デッサンなら暗くしてから練ゴムで抜けば白くなるし明るく戻せますが、墨はだめなのです。ということは、薄く塗って重ねていくしかありません。
しかし、塗れているときと乾いた時で感じが違います。それで塗るたびに乾いたらどうなるかを調べ、状況を見ながら確認して進めるという作業になりました。
ーーーーーーーーーーーーーーー
私の観音様の絵は、いろいろなお寺さんにある観音像の写真を見て描いたものです。普通、観音像というのは線描きで、平面的なものが多いようです。インドや中国へ行くとお土産に売っているのが、一般的な観音像ですが、見せてもらったら、そのようになっていました。
しかし、私は洋画家なので、石膏デッサンをするように観音像を描きました。このように立体感のある観音像は、少ないと聞きました。
実は、最初に描いたものは、線描きでした。しかし、どうも詰らないので、自分なりに石膏デッサンをするように描いて、二つを持って行ったら、この方が良いと住職さんがおっしゃったのです。それで、このパターンになりました。
ーーーーーーーー
完成まで、4か月くらいだったと思います。(ミケランジェロは4年です)
描いていて、思ったのは、進める内に自分が上手くなっていくことでした。やり方がわかると、上手になるのです。
そこで、思ったのは、この作品は8点でセットなのだから、上手さも統一されなくてはならないということでした。だから、あまり上手くなってはいけないということで、他の下手さに統一する必要を感じました。変な考えです。
また、描いているうちに、もっと工夫したくなるんですね。観音様を一枚に一つではなく、複数描いてみたいとか、造形的に工夫して、画面一杯にいろいろな向きの顔を描いたり、構成したりと ーーーーー やってみたくなったのです。しかし、相談したところ、一枚に一つというパターンでやってほしいと言われました。
そのため、そのような工夫も断念して、とにかくセットでみせるパターンで完成させました。
ただ、終わってみて、感じたのは、頼まれた枚数が終わると突然かけなくなりました。実は、全部で10枚描いたのです。本当は、もっと描いて良いものから8枚を選ぼうと考えていたのです。
最初に描いたものは、紙が違うので、没にしました。それで9枚目に描いたものを採用しました。しかし、その後、10枚目が上手くいきません。疲れてしまったのか、それとも創作意欲が欠けてしまったのか、どうしても気が入らないのです。
これは、私が観音様を描くことをもうやめてもいいよと観音様が言っているのかなと思いました。(笑)
そんな状況で、この襖絵が完成しました。
いま、安盛寺へ行くと、いつでもこの絵が見られます。もし、ご覧になりたい方は、高崎線の神保原駅前の安盛寺へ、出かけてください。
尚、この襖絵の裏には、同僚の高橋先生が書いた観音経が書かれています。
ーーーーーーーーー
描いて思ったことは、そうだ、お寺さんの襖絵だから、多くの人に見てもらえるなあということです。よく考えたらこの先、何百年も見てもらえる。そう考えたら、200年先の人たちがこの絵を見てどう思うかなあなんて考えました。そうしたら、その人たちと会話をしているような気になりました。
ミケランジェロが描いて、500年くらい経っている今日、私たちが見ているのですからね。ちょっと、面白いですよね。
私は、安盛寺の住職さん(元校長先生)には、大変な恩があるので、いやいややったなんて言ったら、罰が当たります。しかし、できないと思っていたので、初めは断ったのです。
しかし、いま思うと、お願いされて良かったなあと感じています。そうでなければこれは出来ませんでした。自分の意志でこれだけの物はとてもやれません。そういう意味では、やらせていただいたことに感謝しています。
もし、少しでも、恩がえしになるならという気持ちもありました。
これは、5年前のことです。
上里町の安盛寺というお寺さんが建てられて400年に当たるということで、その企画として、襖絵を頼まれました。
私は頼まれたとき、「自分は洋画家なので、観音様は描けません」とお断りしていたのですが、本当に何度も頼まれて、こう言っては申し訳ないですが、しかたなく描くことになりました。
というのは、頼まれた住職さんが、私の学校の元校長先生だったので、やりもしないでできないというのは、いけないかなと思い、とりあえず、やってみてできませんでしたという方がいいのかなと判断し、始めてみました。
同僚の先生も、無理なお願いをされたのだから、断ればいいじゃないですかと言ってくれる人もいました。
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しかし、一枚やってみたら、これでいいと言われてしまったのです。
それで、やらざるを得なくなりました。
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初めての墨絵、初めての観音様、私は描いていて、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井壁画のことを考えていました。
ミケランジェロも初め断ったのです。自分は彫刻家だから絵は描けないと。
だから、フレスコ画の技法を学ぶためにテクニックを習得するまで、専門家を呼んで学びながら描いたと言われています。(ノアの洪水の部分はその人たちとの共同制作です)
宗教は違いますがお寺さんから頼まれて描いたという点では同じことかと思い、ミケランジェロの気持もわかるなあなんて、考えながら描きました。
ミケランジェロの大変さと比べたら、私の大変さなんて何百分の一かもしれません。なにしろあちらは天井ですからね。そして、規模がまるで違う。
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ただ、私の大変さは、足の障害でした。
もう、足がかなり悪くなっていましたので、たかが、160センチの画面が全てに手が届きません。
下の方を描くときは、床に座り込んで、中間を描くときは椅子に座って、上の方を描くときは、椅子を3つ積んで、その上にやっとの思いで、上がり込んでという具合です。
墨絵は、立てて描くと、すぐに紙に染み込まないので、すこし垂れます。
塗ったところの一番下に墨が溜まります。それを注意して筆で取り除かないとそこだけ濃くなってしまします。
だから、絵を床に置いて、寝かせて描けばいいかなと考えましたが、そうすると筆の着地点まで行きつく間に、垂れる心配があります。水彩や油絵なら垂れても修正は簡単ですが、墨は消えません。しかたなく立てて描き続けることにしました。
私にとって、これは泣くような辛さでした。上がったり降りたり、離れて見ないと全体の状態が確認できないから、その動くことがなんとも大変で、---
しかし、ミケランジェロはどうやって全体をみたのでしょう??
そんなことを考えていました。
墨は黒くした後は、明るく戻せません。木炭の石膏デッサンなら暗くしてから練ゴムで抜けば白くなるし明るく戻せますが、墨はだめなのです。ということは、薄く塗って重ねていくしかありません。
しかし、塗れているときと乾いた時で感じが違います。それで塗るたびに乾いたらどうなるかを調べ、状況を見ながら確認して進めるという作業になりました。
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私の観音様の絵は、いろいろなお寺さんにある観音像の写真を見て描いたものです。普通、観音像というのは線描きで、平面的なものが多いようです。インドや中国へ行くとお土産に売っているのが、一般的な観音像ですが、見せてもらったら、そのようになっていました。
しかし、私は洋画家なので、石膏デッサンをするように観音像を描きました。このように立体感のある観音像は、少ないと聞きました。
実は、最初に描いたものは、線描きでした。しかし、どうも詰らないので、自分なりに石膏デッサンをするように描いて、二つを持って行ったら、この方が良いと住職さんがおっしゃったのです。それで、このパターンになりました。
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完成まで、4か月くらいだったと思います。(ミケランジェロは4年です)
描いていて、思ったのは、進める内に自分が上手くなっていくことでした。やり方がわかると、上手になるのです。
そこで、思ったのは、この作品は8点でセットなのだから、上手さも統一されなくてはならないということでした。だから、あまり上手くなってはいけないということで、他の下手さに統一する必要を感じました。変な考えです。
また、描いているうちに、もっと工夫したくなるんですね。観音様を一枚に一つではなく、複数描いてみたいとか、造形的に工夫して、画面一杯にいろいろな向きの顔を描いたり、構成したりと ーーーーー やってみたくなったのです。しかし、相談したところ、一枚に一つというパターンでやってほしいと言われました。
そのため、そのような工夫も断念して、とにかくセットでみせるパターンで完成させました。
ただ、終わってみて、感じたのは、頼まれた枚数が終わると突然かけなくなりました。実は、全部で10枚描いたのです。本当は、もっと描いて良いものから8枚を選ぼうと考えていたのです。
最初に描いたものは、紙が違うので、没にしました。それで9枚目に描いたものを採用しました。しかし、その後、10枚目が上手くいきません。疲れてしまったのか、それとも創作意欲が欠けてしまったのか、どうしても気が入らないのです。
これは、私が観音様を描くことをもうやめてもいいよと観音様が言っているのかなと思いました。(笑)
そんな状況で、この襖絵が完成しました。
いま、安盛寺へ行くと、いつでもこの絵が見られます。もし、ご覧になりたい方は、高崎線の神保原駅前の安盛寺へ、出かけてください。
尚、この襖絵の裏には、同僚の高橋先生が書いた観音経が書かれています。
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描いて思ったことは、そうだ、お寺さんの襖絵だから、多くの人に見てもらえるなあということです。よく考えたらこの先、何百年も見てもらえる。そう考えたら、200年先の人たちがこの絵を見てどう思うかなあなんて考えました。そうしたら、その人たちと会話をしているような気になりました。
ミケランジェロが描いて、500年くらい経っている今日、私たちが見ているのですからね。ちょっと、面白いですよね。
私は、安盛寺の住職さん(元校長先生)には、大変な恩があるので、いやいややったなんて言ったら、罰が当たります。しかし、できないと思っていたので、初めは断ったのです。
しかし、いま思うと、お願いされて良かったなあと感じています。そうでなければこれは出来ませんでした。自分の意志でこれだけの物はとてもやれません。そういう意味では、やらせていただいたことに感謝しています。
もし、少しでも、恩がえしになるならという気持ちもありました。