ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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子どもを道具にしていませんか?

2015-09-01 | 育児
いよいよ2学期が始まりました。
 子どもたちは、新しい気持ちで、意欲をもって2学期に向かおうとしていることと思います。
 1学期に培った様々な約束事を再確認し、夏休みの生活パターンを変えて、早く学校生活に馴染むように取り組む作業が始まっていることと思います。

 この時に注意しなければならないのは、再確認の仕方です。

 私たちは、形に慣れすぎてしまうと、当たり前として扱ってしまい、何故それを大切にしているのか、価値観を子どもに伝えずに形を確認してしまうことがあります。

 子どもを育てるためには、子ども自身が形に意味づけをし、それが大事だと自分自身が考えたり、感じたりして、行動させることが重要になります。

 子ども自身が大切だと思っているのか、それとも教師が大切だと思っているか、これはとても大きな違いになります。

 子ども自身が、「だって、~だから。」と形に意味づけをして、行動して初めて、育ったことになるからです。(教師が意味づけをして、行動させていることは、育ったことにはなりません。)
 

 私は、時々意図的に、授業の開始時間に遅れて教室に入ることがありました。
 「先生がいても、いなくても、始業時刻が授業の始まり」と子どもに伝えてあり、そのための具体的な取組を育てたつもりでいるので、子どもがそのように動くかどうかを確認するためです。

 「始まったら、できることはないか。」と子どもたちに問い、教科書を読んだり、国語や算数ならば、ドリル学習をしたりすることができるということを決めてあります。

 それが、行動として、できるかどうかを確かめるのです。廊下で子どもたちの様子をうかがっている時間が一番楽しい時間です。期待と不安が入り混じっていますが、子どもたちは裏切りません。

 子どもたちで授業を進めるまでには、かなり時間が必要ですが、授業の始まり程度のことならば、わりと簡単にできます。

 このように子どもが育ったかどうかは、教師のいない時の子どもの姿でわかります。
始業時刻を過ぎても、教師を待っている姿は、自ら学ぶ子どもの姿ではありません。

 子どもがどんな姿になればよいのか、きちんと子どもに伝え、その方法を身につけさせて初めて、子どもを育てたことになります。

 担任の前だけでいい姿を示す子どもでは、育ったとは言い切れません。

 自習や出張で補充の方に入ってもらう時こそ、子どもの生の姿が見えます。

 授業がしやすいようにルールを決めることがありますが、それも同じです。子どもを教師が使っているのか、それとも子どもがその姿を求めているのか、どちらかを見極めることが大切になります。

 全員挙手でも同じです。一斉に挙手する子どもの姿を見て、「よく育っている。」と感じる人もいれば、「何となくやらされている感じがする。」と感じる人もいます。

 子ども自身が価値を見出し、自らその姿を望んでいるのならば、担任がいてもいなくても、その姿を目指します。

 学期始めの今だからこそ、ルールが形だけになっていないか、見直すよい機会になります。