ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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制限を加えて

2011-05-23 | 育児
 私たちは、常に学び続けています。学ばないでいることがないと言うほど学び続けています。

 道を歩いていても、様々な情報が目から飛び込んできます。いろいろな話し声や音が聞こえてきます。体に触れるさわやかな風を感じることもあります。嫌なにおいに出会うこともあります。
 常に五感は働いています。私たちの安心安全を確保するために働いています。

 私たちは、その情報の渦の中から意識して、選んだ情報だけが情報のように受け止め、都合のよいように利用しています。

 しかし、意識的に選んだ情報はほんのわずかです。無意識に飛び込んでくる情報の数%にしかなりません。

 最初にその道を選ぶ時には、最大限情報を得ようと必死に周囲に気を配っていたはずです。危険はないか、どうすると安全なのか、常に情報を得ながら、考えていたはずです。ここに学びがあります。
 しかし、慣れてくるとその道を選ぶに必要な情報だけを頼りにして歩くことができます。そして、道草をしたり、友達と話をしたり、安全な道を歩いていることを前提に広がりを作ります。ここにも学びがあります。

 私たちは常に学び続けているのです。その学びが言葉によって制限を加えられます。焦点が当たったことに気を向けます。

 ここには、危険はないの?と質問されるから、危険かどうかを考えます。
どちらに進むと早く目的地まで行けるの?と問われるから、時間を計ろうとします。
 どちらが楽しいことがおきそうか?と問われるから、楽しいことを考えます。

 言葉によって様々な方向に導かれていきます。これは意識の領域での学びだからです。

 子どもたちは、教師の言葉に反応して生活しています。その言葉が学びの質を決めてしまいます。ですから、十分言葉を吟味することが重要になります。
 慣れ親しんだ言葉は、使いやすいものです。しかし、それは、私たちがすでに学んできた道にあったものです。本当にそれでよいのかを十分吟味することがこれからの時代を作る子どもたちへの大きなプレゼントになります。

 誰もが本来「自ら学ぶ子ども」なのです。それに私たちが制限を加えて生きにくくしているとしたら、大変なことです。

 制限を加えたから、自ら学べなくなっていると考えるとぞっとします。

フィンランドの教育と韓国の教育の違いを知った今、日本の教育の目指す方向は何か、考えさせられました。

 他と比較したり、目標を決めたりすることが制限を加えているように思いました。

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