ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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依存か自立か

2016-03-13 | 育児
 子育てには、信頼関係が必要不可欠だということは、誰もがわかっています。

 関係ですから、育てる側と子どもの両者が同じ思いでなければなりません。

育てる側が子どもに心を開いて信頼関係を築こうとしても、子どもにその気がなければ、育ちません。

また、子どもが心を開いて信頼関係を築こうとしても、育てる側にその気がなければ、これも育ちません。

 ただし、子どもが心を開くのは、信頼だけではありません。依存している場合も心を開きます。

 目指すのは、子どもの自立です。依存している子どもは、いつまで経っても自立できません。
 育てる側が自分の意に沿って子どもが動く姿を見て、育ったと思っても、それが依存関係で成り立っていたとすると、その姿は持続せず、消えてしまう可能性が高くなります。

 依存に基づく子どもの思いは、
 ・褒められたい。
 ・認めてほしい。
 ・わかってもらいたい。
 ・見ていてほしい。 など
という気持ちになります。その気持ちが行動となって現れます。

 これらの思いがあるから、意に沿って子どもが行動しているのか、自立して子どもが行動しているのか、どちらなのかを見極めなければなりません。

 自立している姿だと錯覚していれば、その後の指導の手を打つことができません。

 例えば、

 褒めるのをやめても、できているだろうか。
 見ていなくても、できているだろうか。
 顔色を気にする姿はないだろうか。
 自分で考えられるはずなのに、相談したり、確認したりすることはないだろうか。

 など、自立を疑うための問いかけ、子どもの姿を観察します。

 もし、子どもが自立していなければ、次のような行動になって現れます。

 褒めるのをやめると取組が停滞したり、鈍化したりします。
 いないところでは、別の姿を見せます。
 目線が、必ず育てる側に移ります。
 話を聞かないと、何とか聞いてもらおうとする行動をします。
 (泣いたり、反発したり、わざと失敗したり、行動は様々です。)


 ただ、依存している子どもが、いきなり自立ができるわけではありません。
 頼りたいという子どもの気持ちを徐々に自立へと向けていく指導が必要になります。
 
 「大丈夫だよ。」
 「一人でもできるよ。」
 「見ていなくても、できるね。」 
 「自分で考えて、できたね。」
 「自分で決めたね。」

 などと自立することの素晴らしさを伝え続けることで、次第に自立に対する目が育っていきます。

 また、これとは別に育てる側に依存はないだろうか。疑うことも必要になります。

 ・「子どもに任せてもできるかな。」と心配する
 ・子どもから離れがたい

 そんな感覚があると依存につながります。

 「大丈夫だ。きっとあの子ならば、できるはずだ。」
 「失敗しても、必ず立ち上がるはずだ。」
 「様子を見守ろう。」

などと冷静に判断できれば、自立を応援する育てる側になります。

 さて、目の前の子どもの育ちは、本当に自立している姿だろうか。それとも自立していると錯覚している姿だろうか。どちらなのでしょう?