自分の力の限り尽くそうと思って目の前の事に精一杯取り組んでいるのは、教師ばかりではありません。これは、保護者も同じです。
教師の側から保護者を見るとまだできそうだと思っても、それはあくまで教師の側からの見方です。同じことは、逆に親の側から教師を見た場合でも同じことが言えます。
相手に力を借りれば、もっと早く解決できるはずなのに自分の力で何とかしようと試行錯誤していることがとても多いように思います。
子育ては、自分の力だけでできるものではありません。
子どもが関わるすべての人々が子どもに刺激を与え、その刺激に反応しながら、子どもは成長しています。
それは、子どもの場合、自分で考えて行動するというよりも、環境に適応するためにまずは真似ることが多いからです。
ですから、いろいろな刺激を得ながら成長し続ける子どもを目の前においては、関わり人々が同じ方向を向いていると効率よく子どもを育てることができます。
関係機関が集まって行うケース会などはまさにそれに当たります。
しかし、そのような場に持ち出される問題は複雑で、あたかも糸が絡み合ってなかなかほどけない状態のようにも見えます。
もっと早く互いに手を取り合えばよかったと思うことがたくさんあります。
ただし、渦中にいると、そんなに冷静ではいられません。自分の力を精一杯出して取り組むことしか考えられないのです。これが人間なのかもしれません。
・新しいことを取り入れることへの不安
自分が精一杯取り組んできたことを否定されるのではないかと考えると、なかなか他の意見を取り入れられません。
・慣れた取り組み方の方が安心
成功体験があるから今の取り組みをしています。体験をしたこと以外はなかなか長続きしません。体験をして見通しがある分、安心していられます。
私たちの脳は常に安心・安全を求めています。ですから、渦中にいる時の最大の安心・安全は体験に基づいた行動しかありません。それが、精一杯取り組んでいるその取り組み方になります。
このように考えると、行き詰まった状態にならないと新たな解決方法を手にしようとは考えられないということになります。
つまり、私たちが問題を解決したいという時は、この行き詰まった状態から何とか這い上がりたいともがいている状態だということになります。
問題解決した時のあの充実感を感じたいという思いが問題解決に向かわせるのです。
逆に言うと、精一杯取り組んでいるから、必要な時に必要な問題が現れたと考えることができます。問題が起きるのは、偶然ではなく、必然なのです。
このように考えると、問題解決の過程で何を学ぶかがとても重要になります。学ばなければ、また同じような問題が起きます。
1つの問題解決で深く学ぶことができる人は、きっと同じ問題で苦しむことはないでしょう。しかし、浅い学びであれば、少しの条件の違いでも別の新たな問題だと勘違いして、また同じような問題で苦しむことになります。
問題が起きたということは、精一杯努力した証拠であり、同時に学びのチャンスを得たことになります。
目の前の問題は氷山の一角に過ぎず、もっと深いところに本当の問題が潜んでいることに気づくことができたら、もっと早く解決できることが増えてくるということです。
このことは、意識レベルで考えるとよくわかります。
(環境レベル→行動レベル→能力レベル→信念価値観レベル→アイデンティティレベル)
例
○この問題を起こしているのは、環境の問題だと思っていたが、実は自分自身の考え方が問題を起こしていたと気づく。
・時間がないからではなく、それは言い訳で実はやる気がなかった。
・人のせいにしていたが、実は人に頼れば何とかなると考えていた。
・場の雰囲気が悪いと思っていたが、実はその場を盛り上げるために何をすべきか考えていなかった。
○この問題は行動の問題だと思っていたが、実は自分自身のあり方が問題を起こしていたことに気づく。
・失敗しない方法を考えればよいと思っていたが、実は成功を願っていない自分に気づいた。
・相手を思いやる行動を考えればよいと思っていたが、実は相手を信頼していない自分に気づいた。
学びも、それぞれの状態によって異なるため、根深い問題に気づくことがよい訳でもありません。根深い問題は、問題解決に長い時間を要します。簡単な解決できる問題を一つ一つ丁寧に解決することが根深い問題の解決につながります。
大事なことは、この仕組みを知っているかどうかということです。氷山の一角に現れた問題に振り回され、自分を見失っては大変です。
問題を大事(おおごと)にして悩むことなく、学びの場と考え、サクサクと取り組むことがよいでしょう。余分なことにエネルギーを使うことなく、問題解決に全力を尽くすのです。問題から逃げることなく、真摯に問題に向き合う姿が重要な問題の発見につながります。
私たちは、常に全力を尽くしています。問題解決についてもその時に起こる感情に振り回されることなく、全力で問題解決に当たりたいと思います。
教師の側から保護者を見るとまだできそうだと思っても、それはあくまで教師の側からの見方です。同じことは、逆に親の側から教師を見た場合でも同じことが言えます。
相手に力を借りれば、もっと早く解決できるはずなのに自分の力で何とかしようと試行錯誤していることがとても多いように思います。
子育ては、自分の力だけでできるものではありません。
子どもが関わるすべての人々が子どもに刺激を与え、その刺激に反応しながら、子どもは成長しています。
それは、子どもの場合、自分で考えて行動するというよりも、環境に適応するためにまずは真似ることが多いからです。
ですから、いろいろな刺激を得ながら成長し続ける子どもを目の前においては、関わり人々が同じ方向を向いていると効率よく子どもを育てることができます。
関係機関が集まって行うケース会などはまさにそれに当たります。
しかし、そのような場に持ち出される問題は複雑で、あたかも糸が絡み合ってなかなかほどけない状態のようにも見えます。
もっと早く互いに手を取り合えばよかったと思うことがたくさんあります。
ただし、渦中にいると、そんなに冷静ではいられません。自分の力を精一杯出して取り組むことしか考えられないのです。これが人間なのかもしれません。
・新しいことを取り入れることへの不安
自分が精一杯取り組んできたことを否定されるのではないかと考えると、なかなか他の意見を取り入れられません。
・慣れた取り組み方の方が安心
成功体験があるから今の取り組みをしています。体験をしたこと以外はなかなか長続きしません。体験をして見通しがある分、安心していられます。
私たちの脳は常に安心・安全を求めています。ですから、渦中にいる時の最大の安心・安全は体験に基づいた行動しかありません。それが、精一杯取り組んでいるその取り組み方になります。
このように考えると、行き詰まった状態にならないと新たな解決方法を手にしようとは考えられないということになります。
つまり、私たちが問題を解決したいという時は、この行き詰まった状態から何とか這い上がりたいともがいている状態だということになります。
問題解決した時のあの充実感を感じたいという思いが問題解決に向かわせるのです。
逆に言うと、精一杯取り組んでいるから、必要な時に必要な問題が現れたと考えることができます。問題が起きるのは、偶然ではなく、必然なのです。
このように考えると、問題解決の過程で何を学ぶかがとても重要になります。学ばなければ、また同じような問題が起きます。
1つの問題解決で深く学ぶことができる人は、きっと同じ問題で苦しむことはないでしょう。しかし、浅い学びであれば、少しの条件の違いでも別の新たな問題だと勘違いして、また同じような問題で苦しむことになります。
問題が起きたということは、精一杯努力した証拠であり、同時に学びのチャンスを得たことになります。
目の前の問題は氷山の一角に過ぎず、もっと深いところに本当の問題が潜んでいることに気づくことができたら、もっと早く解決できることが増えてくるということです。
このことは、意識レベルで考えるとよくわかります。
(環境レベル→行動レベル→能力レベル→信念価値観レベル→アイデンティティレベル)
例
○この問題を起こしているのは、環境の問題だと思っていたが、実は自分自身の考え方が問題を起こしていたと気づく。
・時間がないからではなく、それは言い訳で実はやる気がなかった。
・人のせいにしていたが、実は人に頼れば何とかなると考えていた。
・場の雰囲気が悪いと思っていたが、実はその場を盛り上げるために何をすべきか考えていなかった。
○この問題は行動の問題だと思っていたが、実は自分自身のあり方が問題を起こしていたことに気づく。
・失敗しない方法を考えればよいと思っていたが、実は成功を願っていない自分に気づいた。
・相手を思いやる行動を考えればよいと思っていたが、実は相手を信頼していない自分に気づいた。
学びも、それぞれの状態によって異なるため、根深い問題に気づくことがよい訳でもありません。根深い問題は、問題解決に長い時間を要します。簡単な解決できる問題を一つ一つ丁寧に解決することが根深い問題の解決につながります。
大事なことは、この仕組みを知っているかどうかということです。氷山の一角に現れた問題に振り回され、自分を見失っては大変です。
問題を大事(おおごと)にして悩むことなく、学びの場と考え、サクサクと取り組むことがよいでしょう。余分なことにエネルギーを使うことなく、問題解決に全力を尽くすのです。問題から逃げることなく、真摯に問題に向き合う姿が重要な問題の発見につながります。
私たちは、常に全力を尽くしています。問題解決についてもその時に起こる感情に振り回されることなく、全力で問題解決に当たりたいと思います。