ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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1年の振り返り

2011-01-28 | 育児
 子どもたちは、失敗したり、過ちを犯したりした時、何を脳裏に描いているのでしょう?
 昔は、恐い父親がいたので、きっと失敗したり、過ちを犯したりした時は、叱る父親の顔が浮かんだように思います。また、母親の悲しむ顔が浮かぶこともありました。

 しかし、大人になった今は、そんなことはありません。

 今の子どもたちの周りには、強い大人が減ってきたように思います。そして、周りには、やさしい大人が多いように思います。

 いざという時に、自分を止めてくれる誰かが必要な時期というのがあるように思います。

 失敗を重ねても、そのうちに「これではだめだ。何とかしなくては。」と思えるような体験がなければ、なかなか変われないのが私たちなのかもしれません。これが強い衝撃(インパクト)となります。

 例えば、万引きをして叱られたとしても、それが強い衝撃になっていなければ、「見つかって運が悪かった。」程度になってしまい、また繰り返すおそれがあります。
 もし、両親が涙ながらに店長に土下座をして謝る姿を見た時、子どもが、「これではだめだ。何とかしなくては。」と思うかもしれません。事の重大さを何で伝えようとするかは、保護者の姿勢になります。まして、親が「お金を払えば、いいでしょ。」などという態度で子どもの前に立てば、子どもは何を学ぶことになるのでしょう。物事をお金で解決する姿が子どもの目に入ってくるのです。
 
 優しい大人が多い時代。子どもたちがインパクトを感じるのは、一体何なのでしょう。

 自信のない姿を見せれば、自信をもつ子どもは育ちにくいと思います。
 厳しさを知らなければ、甘さだけを学びます。

 褒めることが大事だとよく言われますが、本当にそれだけでよいのでしょうか。よいはずはありません。

 叱るということは、制限を作り、方向を定めることになります。この制限を知ることで、何がよくて、何がいけないか区別ができ、より効率的に目指す方向に向かうことができます。

 制限を加えることで自由性や柔軟性は失いますが、ここで発揮する自由性や柔軟性よりも、方向が決まった上での自由性や柔軟性を発揮した方がより質の高いものになります。それこそ新しいものを生み出す創造力になります。

 暗い話題が多く、他人事にして否定し続ける評論家がとても多いように思います。

 評論家では、子どもは育ちません。実践家でなければなりません。
多少の知識で子どもを育てようとしても子どもは育つはずはありません。評論家になっているからです。教師も同じです。

 目の前の子どもを見ながら、叱ったり、褒めたりしながら、子ども自身が目指す方向が明確になるようにするのです。

 特に教師は、1年勝負になります。親のようにじっくりと構えて、子どもを育てるという訳にはいきません。

 目指す方向をできる限り早く、明確に示し、効率よく指導することを考えなければなりません。

 もうすぐ2月になります。1年間を振り返り、いかに効率的に指導の方向を示し、子どもを育ててきたのかを振り返ってみてはいかがでしょう。

 そして、次年度に向けての取り組みをある程度決め、残りのわずかな時間を利用して、練習をするのです。
 
 子どもたちに次年度に向けての夢をもたせ、その夢に向かって歩み出すための具体的な手だてを一緒に考え、実践を積み上げます。

 次年度の担任への贈り物ができる教師でいたいと思います。