ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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新たな視点で

2009-10-04 | 育児
 長年教師を務めていると次第に経験が優先してしまう。
「以前にしたことがあるから、次も同じようにできる。」と考えてしまうのだ。確かにできることがある。そして、それでできたことが自信ともなっている。これは経験しなければ、わからないことだ。
 しかし、自信が過信となっては、大変だ。
 私たちは、常に一般化して物事を考えている。その方が便利で応用が利くからだ。子どもについても、授業についても、保護者や地域の方についても一般化することで、考えやすくなる。
 しかし、「すべて本当にそうか。」「いつでもそうか。」と問われるとそうではない。状況によったり、場や時によって異なることがある。あくまで、一般化でしかない。
 具体的な場に置き換えるとこの一般化が通用しないことが多くある。このことを踏まえて対応しなければ、過信につながる。
 経験が豊富になれば、なるほど、その一般化が通用しない場面をたくさん経験し、その場にあった見方や考え方、扱い方などを利用し、うまく使いこなして乗り切ってきたのだ。
 このまま経験を重ねれば、教師としてより深く自分を作り上げることになるかといえば、それほど簡単なものではない。
 若い頃ならば、そんな考えをもってもいい。それは、自分を鍛えることで自分の能力を高めることが直接子どもを育てることにつながるからだ。ただ、経験を重ねていくと自分のことだけを考えればよいという姿勢ではすまなくなる。ある程度の経験を重ねると、人に影響を及ぼす立場になっていく。その時には、自分だけのことを考えているわけにはいかなくなる。それは、学校は組織体であるから、集団で子どもを育てるという立場に立たなくてはならないことに気づき始めるからだ。
 この時になって、自分のことしか考えていない教師ならば、組織の一人として見た場合、「なんて、自分勝手は先生だろう。」「あなたはそれでいいかもしれないけれど、それだけでは困る。」などと同僚から非難される立場になってしまう。
 自分の力だけで指導する力量だけでは到底対応できなくなる。仲間と一緒に、仲間を支えて生きる教師としての顔がここには必要である。
 教師としての経験を重ねることは、自分の力を高めることだけでなく、こうした仲間の中で生かせる自分を作り出す新たな自分を作る機会が増えることになるのだ。
<同僚にどんな自分が映っているのだろう。>
・同僚から親しまれる自分だろうか。
・同僚を支える自分だろうか。
・同僚から価値ある教師として認められる自分だろうか。
・同僚を生かす自分だろうか。
 これは、教師と子どもとの関係にも似ている。
 子どもとの信頼関係を築くときの人柄がここに出てくる。
まさに生き方を問われることになるのだ。
 これは、子どもよりももっと厳しい。多くの場合、子どもは、教師から離れて育っていく。しかし、同僚は違う。教育界に身をおく限り、同僚は常について回る。教員の世界は狭い。再会もあるし、同僚の声が広がることもある。
 誰もが、教師以外の顔をもっている。しかし、教師としての顔がある以上、自分の影響がどこまで及ぶのかを考えることは、長い教員人生にとって大きな力となることは間違いない。自分だけの世界に生きようとする教師では、子どもも教師も育てられない。ちょと慣れてきて自分らしさが見え始めた頃に岐路に立つ。仲間の中で自分を生かせる自分にしたい。
「あなたと一緒に仕事ができて幸せでした。また、一緒にいい仕事がしたいね。」・・・・そんな言葉をかけられる自分でいたい。