ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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伝える事は自分を生かす事

2008-01-20 | 育児
 「伝える」・・・・この言葉をこの場でかなり多く使っている自分に気づく。授業の中でも子どもたちにも課題解決のためにノートに書いたことは発表するようにと話す。そこで、自分の考えを人に伝えるということをじっくりと考えてみたい。
 授業の中で子どもたちは、時間をかけて情報を集め、自分なりに考えをまとめる。それがノートに現れている。このノートに書くまでの追求の時間は、自分の今までの学習で得た力を駆使し、知恵を働かせている時間だ。それがノートへの書き込みとなって形に現れている。精一杯生きた証だ。それを生かさないことは、自分を大事にしていないことではないだろうか。少なくとも、恥ずかがることではない。わからなくても精一杯考えた自分がそこにいるはずだ。書けないことは人よりも多くの苦しみを感じながら、精一杯取り組んだ自分がそこにいる。このことは恥ずかしいことではない。その苦しみを吐露できることはとても素晴らしいことだ。そして、糸口が見つからず悩み続け苦しんで吐露した仲間を放っておく仲間ではいけない。自分で助けることはないかと考え、できる限りの努力をする仲間でいたい。
 「伝える」ことは「伝える内容」を問題にすることではない。自分の生き様が出る大事なところ。だから、どの子でも自分を生かすために自分の考えを人に伝えてほしい。これは素晴らしいことなのだから。
 教師の都合で伝えたことは内容で整理される。子どもの精一杯の「伝え」をあっさりと整理する。「この考えは今日の学習で大事なことだ。」「この考えは、今日は関係ない。」などと・・・・。
 これでは、子どもの考え作りの営みが見えてこない。子どもが表現したことを精一杯受け止め、その子の生きた証を大事に生かそうと努力することがその子を大切にすることになる。「本時と無関係に見える内容でさえ、何とかできないか。」と、もがき苦しむ教師でいたい。子どもがわかるためには、その子どものわかっていくまでの苦しみを教師も歩まなければならない。何か足りないことはないだろうか、どこかで見落としていることはないだろうか。そんな歩みをしながら発見することがあれば、これば子どもを理解した喜びにもなる。「子どもから学ぶ」とよく言われるが、これは苦しむ子どもの歩みを一緒に生きた教師にしかわからない。
 一方的にこちらの思いを伝えることは簡単。しかし、それを受け止める側に立って、思いが思った通りに伝わるかどうか、わからないことを一つ一つ解決しながら共に歩む教師でいたい。