子どもたちの変化を心から喜べる自分にするには修行が必要なんだと最近思う。子どもたちの姿が願いからはずれていたり、自分の思い通りにならないと腹が立ったり、悔しい思いをしたりすることがある。それは、我が出ているからだ。
「時間がないから。」、「面倒だから。」、「次に進めないから。」、「これをしないことが許せないから。」、「こうすることが当たり前だから。」などと思うのは我であり、相手の立場に立っているわけではない。子どもは失敗をしながらでも這い上がろうと頑張っている。その頑張っている姿を見ないで、我を通そうとしている自分はないだろうか。相手を生かすためには我慢することがとても重要になる。
時間通りに行かないことに我慢して子どもを見ていると
・自ら動こうとする子どもの存在が見えてくる。
・仲間に働きかける子どもの存在が見えてくる。
することを指示しないで何をし始めるか我慢して子どもを見ていると
・遊んでいないで何かをし始める子どもの存在が見えてくる。
・人に声をかける子どもの存在が見えてくる。
当たり前のことだからできないことが問題だと思っていても、言うのを我慢して子どもを見ていると当たり前にしている子どもの存在が見えてくる。子どもが見えてきたら、子どもを認め励ますことができる。子どもを生かすことができるのだ。
これは、まさに自分との戦いである。3学期のこの時期だから、今まで子どもたちに教えてきたことがきっと姿として見えてくるはず。ぐーっと我慢して子どもの姿を見る自分を作りたい。
「時間がないから。」、「面倒だから。」、「次に進めないから。」、「これをしないことが許せないから。」、「こうすることが当たり前だから。」などと思うのは我であり、相手の立場に立っているわけではない。子どもは失敗をしながらでも這い上がろうと頑張っている。その頑張っている姿を見ないで、我を通そうとしている自分はないだろうか。相手を生かすためには我慢することがとても重要になる。
時間通りに行かないことに我慢して子どもを見ていると
・自ら動こうとする子どもの存在が見えてくる。
・仲間に働きかける子どもの存在が見えてくる。
することを指示しないで何をし始めるか我慢して子どもを見ていると
・遊んでいないで何かをし始める子どもの存在が見えてくる。
・人に声をかける子どもの存在が見えてくる。
当たり前のことだからできないことが問題だと思っていても、言うのを我慢して子どもを見ていると当たり前にしている子どもの存在が見えてくる。子どもが見えてきたら、子どもを認め励ますことができる。子どもを生かすことができるのだ。
これは、まさに自分との戦いである。3学期のこの時期だから、今まで子どもたちに教えてきたことがきっと姿として見えてくるはず。ぐーっと我慢して子どもの姿を見る自分を作りたい。