満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

   MUDDY WATERS   『AFTER THE RAIN』

2007-09-23 | 新規投稿
     

裸になった泥水が雨上がりの泥水でどろどろになり、カエルをつかんでいる。そのまま。
このアルバムを私はいつも中古レコード店で眺めては買わなかった。ブルースの始祖、マディウォーターズはロック台頭期の60年代末に時流に合わせた『ELECTRIC MUD 』(68)と『AFTER THE RAIN』(69)というロックアルバムをリリースし、当時のブルースファン、批評家から散々の悪評を頂戴したという一般常識。私も『ELECTRIC MUD 』だけは既に聴いており、なるほどつまらないと納得していた。

しかし世界初CD化の『AFTER THE RAIN』。初めて聴いた。
何とめちゃくちゃカッコいい。アホな。LPで買っておくべきだった。『WOODSTOCK ALBUM』(75)にやや近く、ブルース度はむしろ上。ブルースロックという言葉が昔、あったが(今もある?)これは正にそれ。しかしマディのボイスの凄まじさはサウンドアレンジに左右されない不動の御神体の如きもの。このアルバムのどこが、当時の悪評を生んだのか。こんなにいい音楽なのに。分かった。当時はブルースファンとロックファンは別だったのだ。ブルースマニアはロックを子供扱いし、一段下に見ていたのだ。
サウンドはややラウド。しかしロックのアップテンポは時折現れるだけで、大半はどっしりとした重量級ブルース。ピートコージー、フィルアップチャーチ、マディの3台のギターはうるさいが許容範囲。このうるささは不協和音的なサイケデリックと言ってもいい。なかなかのもの。

音楽の革命家も時には時流に合わせる事がある。
方向性を見失っていた70年代のアストルピアソラが何を思ったかフュージョンアルバムを何枚か作って失敗し、マディは60年代末に二枚のロック寄りのアルバムをリリースし、総スカンをくらった。面白いのは後、ピアソラがキップハンラハンによって、マディはジョニーウィンターによってそれぞれが原点回帰的な作品をシリーズで制作している事だ。両者とも、自分を崇拝する次世代による継承のアプローチを受けた。

ブルースという快楽が生活にある。贅沢な時間だ。これを聴く時間が毎日一時間は欲しい。この酔わす音楽。ただ、ブルースほど、聴いていて我に戻るルーツアイデンティティの事を意識させるものもない。この濃すぎる快楽が異文化である事を嫌でも私に思い詰めさせる。果たして私は、日本人はどんな快楽原則を持ち得ているのか。生み出し得ているのか。これに代わる気持ちイイものがあるのかと問うてしまう。他の洋楽を聴いてもそのような事は考えもしない。<良い>で終わるだけだ。ブルースだけが私に対し、強く自己やオリジナルという事柄に関して能動的な喚起を促す力があるのだ。シンプルな法則故に持ち得たブルースの世界性。ブルースの快楽は世界の民に対し、それを模倣する方向性と同時に、各々の血、ルーツアイデンティティへの回帰による表現拠点を築く重要性をメッセージした筈だ。
自分の名のスペルさえ、間違うような原人マディウォーターズ。無意識と無作為の表現。純然たる心のシンプルな歌、その営み。これは人間社会の変化、進歩(?)が対抗できない最後の反抗の拠点。

2007.9.22

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