知的障害者・精神障害者について考えよう

知的障害者施設、作業所やA型B型事業所の経験からの投稿にて、この業界に対する世間の理解を深めていきたいと思います。

友人の裁判公判の傍聴、7回目かな?

2016年08月29日 | Weblog
今回で、おそらく7回目になりますね。昨年から続いている友人の無実の裁判・・・の傍聴に行ってきました。


自宅から裁判所までは、約1時間半・・・、今日は特に台風の影響もあるのか、朝から結構雨が降っていたこともあり、到着まで時間を要しました。到着後(時間ぎりぎりで)公判はすぐに始まりました。

いつも通り、20から30名ほどの傍聴人・・・。今日は新たな証人が・・・と思いきや、いつもと雰囲気は違い、この日は「鑑定官」の指名と承認だけ・・・。そのため、公判事態の実質時間は15分ほど・・・。「え!もう終わり・・・?」という感じです。
頑張って1時間半かけて来たのに・・・とは言いませんが、周りの方も同じ意見で、当の被告人である友人も、拍子抜け・・・。

後は、いつもの感覚で、友人以下のメンバーで隣の弁護士会館へ行き、今後の状況を話し合い。
しかし、今回の「鑑定官」の任命により、裁判自体の期間もさらに伸びました。おそらく、鑑定官の鑑定書が出来るのが、年明けになるだろう・・・との予測。つまり、次の公判は年明け・・・。(もうすでに裁判が始まり1年経過)

その間、友人も自宅待機状態が続く訳ですが・・・、現在の状況として、現在職場は休職中状態。つまり、全くの収入ゼロなんですね。
ましてや、裁判費用(勝てばいいけど)やら、毎日の生活費等(これが一番大きく、税金やら年金やら健康保険料等)、収入がなくても、毎日生きているだけで、結構のお金がかかります。(私も早期退職してから、それを実感しました。)

その間にも、どんどん出費だけは大きくなっていきます。
そのため、現在の立場を考えると、現状打破が必要になります。まず、お金を得る(収入)には、現在の職場を退職した方がメリットがあるなあ・・・という話になりました。休職状態では、収入はなくとも、各住民税・年金・健康保険料等、様々の出費が在籍する職場との折半で結構必要です。在籍状態では、他の職に就くことも出来ません(アルバイト等も許可が必要になります)。
まだ、本人は決断には至っていませんが、おそらくその方が無難でしょう。


まあ、その後の経過は本人に任せるとして・・・
現在の裁判の進行状況ですが、よい方向には向かっていると思います。

つまり、当事者である児童の状況が、徐々に明らかにされてきたこと、私が最初に言っていた、「虚言癖」があるのか?「この京都の施設に来なければならない事情は?」、今までの職員の話の「つじつま」は・・・?等です。

こういってはなんですが、裁判長も当然、人として生きておられます。心情的な部分や裁判の流れ等、不自然に感じられることも多いと思います。私もこの裁判を継続して傍聴してきましたが、明らかに裁判長等の、表情が変わってきたなあ・・・と感じる転機がありました。
それは、職員の話の「つじつま」の合わない事、担当医の証言、児童の担当者の証言、証拠品と話の違和感、証言者の違和感のある行動(被告人に被害に合わされるかも等の理由から、一切顔を出さなかったこと)等、この裁判が最初から作られたものを感じるには、十分な状況です。

被告人である友人を昔から知っている人ならば、そんな事件を起こす(そういう事象がない)人であることは、分かります。
むしろ、児童をかばう人であることは、過去に世話になっている保護者なら知っています。

作られた事件、大きくなりすぎた事件、一番の問題点は何なのか?が、分かってきます。
マスコミも、今回の事件がどういう方向性を持ったのか?現在、暴力事件を盛んに職員が悪い視点で報道していますが、その事実が間違っていても、一切報道内容を訂正することもなく、スルー状態です。こういう事件(裁判)の結末を報道することも、マスコミが現在社会の間違った方向性を正す、いい機会でもあると思うのですが・・・。


さて、ここからが本題・・・

知的障害者の支援を直接考えるときに、支援方法とは・・・?という一番の根本問題にぶち当たります。

まずは、本人の障害の詳細を知り、なぜその行動や言動、生活態度等に影響しているのかを理解するところから始まります。(いつも言っている通りです)
もちろん、保護者から今までの自宅での本人の状況や、支援学校・元在籍施設での状況を聞くことも重要です。
知的障害者も、十人十色ですべての方が、同じ方法で改善出来るわけはなく、日々本人も成長があり、意識も変わっています。例えば、自閉症の方がいれば、まずはこの方法で・・・とか、ダウン症の方は、ほとんどこういうパターンだから・・・など、古い施設程、そういった固定的な(保守的なのか?)考え方も多いと思います。

障害は様々でも、対応する職員によっても大きく変わります。(保護者も同様です)

特に知的障害を持っておられる方は、保護者以外の職員をすぐには信頼できません。(中には、保護者でも父親・母親の違いでも信頼感の差が大きい場合もあります) お互いの信頼感を確立には、相当の時間を要します。

そういう部分は、まだ数年以内の新しい職員には理解しにくい部分です。ましてや、現場を見ない管理職なら特に・・・。
「なぜ、同じ状況で、同じ言葉で言っているのに、分かってくれない、聞いてくれないの?」という質問を、若手職員から聞きます。それは当然でしょう。自分自身でも、知らない人の話を信用できるのか?と言われれば、NOでしょう。

重度の方なら、よりその傾向は強いと思います。
関わり方は、各自様々です。接触型の方もいれば、世間的会話が好きな方もいます。同じ趣味(スポーツや芸能関係等も含め)で関係を保っている方もいます。
特に重度の方は、あるパターンがあることで、それを理解した職員にしか接しない方もいます。

このように、一括りは出来ないのです。


(暴力は否定しますが)見かけの暴力的な関わり(本人どうしは、そう思っていない)、暴言的な言葉のやり取り(過去の生活の習慣からのもの?)、冗談的なプロレス的接触等・・・。他の人から見れば、すべて暴力に見えるのでしょう。
本当に暴力ならば、当の(被害者の)本人が拒否するでしょうし、逃げるでしょうし、嫌な顔をするでしょう。

それがないなら、それは見ている方の視点の問題であるわけです。


若い方は、自分が正義であると勘違いしています。それも大事な事でしょう。でも、真実はそこにはなく、もっと深い部分にあると考えなければなりません。
物の見方(視点)は、一方向だけではなく、様々な方向から見なくてはならないと思います。

経験とはそういうものですね。


施設も、人材難だと聞きます。
給与面・待遇面等、いろいろな部分で、若い方の興味・関心を引く職場ではなくなってきています。有能な人材が他の業界へ流れるのも、ある意味頷けます。そして、やってくるのは、他の業界で使い物にならない、自分の正義感を下手に持っている人・・・。冷静に考えると、何が正しいのかは、時間を置けば分かるのに、早急な結果を求めようとするため、他の方を不幸にします。

人材難に加え、役に立たないものが、この業界にやってきては、かき混ぜては、そのまま”したり顔”で存在する・・・。
より低下していく、この業界・・・。

何か改善策はないんでしょうかね。私は、今後第三者の目で見ていきたいと思います。(この業界に戻る気が、少し失せてきました。)




今日も、公判終了後、被告人である友人を、送りました(自宅近くの駅駐車場まで)。
いろいろ話もしましたが、こういった事件には、必ず得をする人間(お金が入る、自分の立場を守る等)が後ろに控えていること、最後はお金にかかわってくること(裁判をしても、常に生活は続きます)があります。
裁判は、お金持ちだけがやっている訳ではなく、毎日の生活をかかえながら行っている人がほとんどです。

裁判は必ず正義が勝つとは限りません。
真実とは違っていても、有能な弁護士がいれば、裁判に勝つかもしれません。それなりにお金もかかります。
もしかすると、名誉も地位も失うかもしれません。


今回の裁判でも、原告側にメリットがないなら、訴えを取り下げればいいのに・・・と思うこともあります。そんな理不尽な事件でもあるのです。

いろいろ考えさせられる裁判でもありますね。
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