社会科学上の不満

政治・経済上の不満のハケ口(左翼出入り禁止)
外交と防衛、歴史と現状についての不満のハケ口。(観念論の方は出入り禁止)

現場の苦労を知ろうとしない歴史

2010-11-08 00:07:31 | 社会常識と教育

 先の大戦まで満州国には関東軍が置かれていた。この関東軍と満蒙国境を挟んで敵対行為を行っていたのがソ連軍だ。1920年前後のことだ。日露戦争で帝国陸軍工兵隊を確立した上原勇作元帥が動いた。この満蒙国境におけるソ連の軍備増強に対し現場である関東軍が何度もシュミュレーション(図演)しても国境を突破される。このころのシュミュレーションはその後の帝国陸軍のものとは違い「なかったものとする」等と自分たちに都合が良い判断は行われず、客観的に行われていたようだ。

 その結果に困惑した陸軍は兵力の増強を中央に打診するが、時はワシントン軍縮会議で海軍の予算を削減できた政府には聞きたくないことだった。そこで上原元帥に泣きついたわけだ。上原元帥はそれまでの師団から1個連隊を削減し、その削減した兵力を満州に派遣しようとする案を政府に提出。しかし日本政府は削減だけ認め満州への派遣を行わなかった。

上原元帥は「国防に関する権限は陛下の専権事項である」と発言し、これが後に軍の錦の御旗となった「統帥権の独立」の正体だ。そして上原元帥は亡くなる前に「満州に人がいない」と言ったそうだ。お孫さんから直接聞いた話だ。

 現場を無視し机上でしか物事を見ようとしない現在の霞ヶ関や菅政権とその状況がダブる。その後1939年にソ連とノモンハン事件を起こした。実質的には日本のボロ負けだった。引き分けみたいになっているが、航空隊が圧勝したため陸上の被害が目立たなくなったがボロ負けだった。戦車に騎兵や歩兵で挑んでいたのだから。この敗戦の反省がなく日本は太平洋戦争に突入する。反省点は当時の軍官僚が隠蔽していた、いや認めようとはしなかった。現在の官僚体質と同じである。危機の情報を幾ら政府に上げても省みられないのでは現場は救われない。

 今回の尖閣ビデオ流出事件もこの当時と同じニオイがする。現場の抵抗である。物事は永田町や霞ヶ関で起きているのではない。現場でおきているのだ。このことが菅政権には理解できないらしい。現場の命等彼らには所詮他人事である。
コメント
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