社会科学上の不満

政治・経済上の不満のハケ口(左翼出入り禁止)
外交と防衛、歴史と現状についての不満のハケ口。(観念論の方は出入り禁止)

環境問題が安全保障に発展しそうだ

2013-01-31 00:01:59 | 外交と防衛
旧ソ連や旧東欧諸国が環境問題に無頓着だったことは明白な事実だ。中国がやっとこれ等の国に産業面で追い付いたと言うことだ、北京の大気汚染は。
共産党の国で環境問題に興味があった国は過去にない。共産党は見栄っ張りの政権だから環境に関する法律の数値だけは高い、しかし誰も遵守しない。それが現在の中国の姿だ。
日本でも民主党政権時代は、情報公開を叫ぶが情報を隠蔽した。尖閣ビデオや福島の放射性物質の飛散状況を。左翼政権は意外と露骨に情報を隠蔽する。
問題は西隣りに中国があると言うことだ。「巨大な越前クラゲも上海沿岸の海洋汚染が原因だ」と言う学者もいる。天気(空気:大気汚染)は西から移動してくる。
環境問題が安全保障問題へと発展しそうだ。
中国がイナゴのようだと例える国は多い。環境問題など考えずに資源の開発を行ない、食い荒らしよそへと移動するさまを指しているのだろう。以前スーダンの在日本大使から聞いた話だ。
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アメリカの脅し

2013-01-30 01:10:17 | 外交と防衛
アメリカがグアムに戦略爆撃機Bー2を2機配備した。北朝鮮の核実験に対して圧力をかけるためだ。明らかな「砲艦外交」である。それに北朝鮮が噛みついた。しかしグアムはアメリカ領土である。文句を言えた義理ではない。本来、アメリカが北朝鮮を爆撃機で攻撃するならばアラスカでも良い。地球は丸いのだから、距離的にはそれ程違わないハズだ。
しかしアラスカではロシアを刺激する、グアムならばロシアを刺激しない。北朝鮮の核実験への圧力と同時に、中国への圧力にもなる。尖閣に対する圧力である。
これが外交である。ビスマルクが言う「外交とは右手で握手、左手にダガー(両刃の剣)」。
湾岸戦争以降、アメリカは軍事作戦も教科書に忠実だ。また、それが実行可能な国である。教科書に忠実と言うことは自国民の犠牲が少ないと言うことだ。しかしその為には力(能力と金)と準備が必要だ。
単に攻撃するだけなら、艦船からのトマホークやICBMやSLBM(潜水艦発射ミサイル)でも良い。アメリカには攻撃オプションが多数ある。しかしあえて戦略爆撃機にした所が外交上のミソだ。
それもレーダーで探知が難しいステルス爆撃機だ。攻撃だけならばワザワザ「ここにありますよ」と言う愚は犯さない。
日本は軍事オプションが使えない。如何なるモノを「剣」の代わりとするか、智恵を絞らねばならない。マスコミや左翼の言う「平和、平和」など国際社会では寝言にしかならない。
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なぜ野党にコメントを求めないのか?

2013-01-29 03:31:30 | マスコミ批判
アルジェリアのテロについて野党のコメントをなぜマスコミは求めないのか?
意味がないからだけではないだろう?社民党のHPのコメントが酷い。「自衛隊をアフリカに展開」させないように憲法を護るといったニアンスだ。これでは現有の6議席も守れないだろう。邦人救助を反対と受け取れる。自国民を護る意思が感じられない。「現憲法下で如何にできるか」の提案もない。流石にマスコミも報道出来なかったのだろう。救助部隊の派遣はできる能力はあっても、アフリカに戦争としての部隊の展開能力は自衛隊にはない。社民党のコメントはマスコミが無視するほど酷い。
この様なマスコミの報道姿勢に大いに問題がある。政党である以上、寝言でも野党の意見として報道すへきだ。かばい合っている様にしか見えない。
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なぜ背景を報道しないのか?

2013-01-28 19:30:08 | マスコミ批判
オスプレイについて都内で沖縄県の市町村の代表約4000人がデモしたそうだ。しかし私の地元企業の旗が映っていた。沖縄県ではないぞ。この報道にナゼ沖縄に基地が集中するのかの説明がない。しかも空軍基地が。優秀であるはずのマスコミがなぜ背景を説明しないのか?
軍事行動は距離の制限を受けるという基本的なことをナゼマスコミは無視するのか?派手な爆撃しか頭にないかのようだ。冷戦時代の米ソの常套手段だった斬頭作戦(クーデター)を無視するのか?
もし本当に知らないとするならば安全保障関係についての報道は、特にコメントは控えるべきだ。
アルジェリアのテロの報道もアタフタした印象だった。
少なくともオスプレイのトラブル率はボーイング787より低くなったハズだ。
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日教組よ今こそ行動すべき時ではないか?

2013-01-27 00:01:27 | 社会常識と教育
遵法精神が高いと言われる日本人が法律を無視するのが、「教育的」と言う玉虫色の言葉に覆われた学校内の状況だ。現場の教諭や自らの過去に照らし合わせると「体罰がなぜいけないのか?」と言う疑問が生じる。「現場を知らないからそんなことが言える」と言う体罰容認の教諭からの言葉が聞こえる。体罰が必要であるなら、「体罰が必要だ」と言って法律改正に持ち込まねば、何時まで経っても「体罰は禁止」である。

日教組が進めてきた「非暴力」の運動が、現場の教諭を追い込んでいる。今こそ日教組は現場の教諭のために行動すべきではないか。そのための労働組合ではないのか?

 我々が学生時代、「荒れた学校」の時代で実力行使(体罰)なしに学校の秩序は回復しなかった。この事実も反対側にある。体罰禁止ならば授業を妨害する生徒に対し如何様な方法で対処するのか?ヤクザの組員になったことを自慢する生徒も多数いた。暴走族の族員であることを自慢する生徒もいた。中学校の昼休み廊下をバイクで爆走する生徒もいた。「話し合い」でなど寝言にすぎない。一人言うこと効かねば集団に広がる。子供と言え集団化しては大変な「力」となる。

 単純に片側からのモノ見方で事を決めてはならない。体罰禁止ならば実力行使を行うため警察官の学校内への立ち入りを日常化させるなどの方策が必要ではないか。「学校内は神聖な学び舎で、警察が入るなどもっての他」などの幻想を棄てなければならいのではないか。そして生活指導面を総て警察と共に行うことで、現場の教諭をクラスに返してあげては如何か?現在の教諭は雑用が多すぎて生徒と向き合う時間が採れない。これこそ「教育的」と言う言葉が意味をなさい。

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狂信者に対して

2013-01-26 00:01:01 | 社会常識と教育

 1900年代末どなたか忘れたが「20世紀は戦争の世紀、21世紀は宗教の世紀になるだろう」と予測された方がいた。確かに世界大戦は起こり難い情勢だ。皮肉にも核兵器やその他大量破壊兵器の存在がお互いを牽制しあう状況となっている。バラスオブパワーで均衡している。しかし宗教的過激派は後を絶たない。竹の子のように出現する。現在目立つのがイスラム原理主義者のグループと言うだけで、キリスト教にもヒンドゥー教にも仏教にも原理主義者は存在する。ある意味共産主義もその一つかもしれない。まだ多神教をベースとするヒンドゥー教や仏教などの方が、「異教徒は殺せ」と言う過激な原理主義者は生み難い。

 社会的な倫理観が宗教的倫理観から独立できていないことにその原因がある。中国共産党がチベットや新疆ウィグル問題でよく口にするのが、「毛沢東の遠征がなければ、未だに原始的な拘束から開放されていないだろう」と。これはその地域その時代では正しい認識だと思う。が、先進国には適用できない理屈である。これらの国では、盗みを働けば手を切断されたり、女性が不倫を行えば手だけをミイラ化されたり、鍋をテーブルに置く位置が異なれば死刑だったりと、因習に塗れていた。これらの因習を一掃するのには宗教を認めない共産主義は都合が良かった。

 宗教的因習に塗れている地域に先進国の常識は通用しない。この地域にはソ連と言う軍事力がドッカリ乗っかっていたから、問題が表面化しなかったと言う皮肉がある。そのソ連が、共産主義が内部に抱える矛盾(性善説と労働価値主義だと私は認識している)で崩壊すると、独立した。また押さえが効かなくなった、国とも呼べない地域勢力となる。その大半が中央アジアでありムスリム(イスラム)圏であった。

 冷戦時代は空軍力や海軍力の強化が求められたが、21世紀は警察力を内包した陸軍力が有用になってくる。治安維持能力である。その証拠に戦闘機が1世代移行すると言われるこの30年間に、装甲車や兵員輸送車、戦闘ヘリ、個人装備は2世代から3世代進歩した。進歩のペースが速いのだ、それだけ需要があるということだ。

 このような原理主義者(ムスリムだけではない)には、説得はムリである場合が殆どだ。殉教こそが自分が救われると思い込んでいる。そのような連中を説得とは、また多くの犠牲を出すだけである。誤解を恐れずに発言すると、狂信者は彼らの神の許に送ってやることが唯一彼らの救いなのである。

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税金を納める訳

2013-01-25 00:01:41 | 社会常識と教育

 国民がナゼ税金を国家に納めるのか?考えてみたことがあるだろうか?民主国家で自由主義の国家である現在の日本で。共産主義や絶対君主制、また封建制のなどの国家ではない日本で。民主制や自由主義の場合、国民の理解の下で納税される。なぜ国民は国家に納税するのか?基本的な事を考えてもいない方が多すぎる。国家に国民が納税する理由は「国民の生命と財産を守る」事にある。この原則を忘れている国民が多い。安全保障をないがしろにする政党に投票する訳だから。「何もしなければどこも攻め込んでこない」と豪語していた、左翼の方々いい加減責任を採って頂きたい。神戸の震災で自衛隊を追い返した兵庫県、左翼支持の方々は県民の命はあなた方の主義主張より軽かったわけだ。非常に酷な言い方だが、その政治家を選んだ選挙民が自らの命でその「投票の責任」を果したと言うことだ。

 復興で功績があったと言う事で、勲章を授与された貝原元兵庫県知事、石原慎太郎代議士が都知事選の3選目の当選時、「多くの被災者を見殺しして勲章か」みたいな発言をして問題になった。叙勲をした政府は自治省時代の仲間を庇ったようだ。

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民主主義になる条件

2013-01-24 00:01:28 | 社会常識と教育

 アルジェリアのテロが起きた背景には、民主主義は国民の知的レベルが低いとムリであると言うことだ。その事実を如実に見せつけることになった。文盲率も高いアルジェリア、裕福層は日常でもフランス語を使うそうだ。多くの貧しい人はアフリカのそれも部族単位の言葉しか使えない。読み書きは、多くのアルジェリア人はできないそうだ。アルカイダのこうした銃撃戦を伴うテロに参加する襲撃犯は、それなりに自国の故郷では優秀なのだろう。しかし我々日本人が6~8年以上習ったハズの英語を自由に使えないことと同様に、襲撃犯たちの言葉が「訛りがきつかった」と救出された被害者が言っていた。文盲率が高い世界で、多少優秀でもましてアフリカでは仕事はない。日本や欧米が想像する以上に貧しいのだ。

 そのような哲学も文化も過去に有したことがない人間が多数を占める国で、民主制とは無意味な政治形態ではないだろうか。近代政治学の祖マックス・ウェバーもJ.S.ミルも「民衆の常識の上に」また「民衆の理性的知的活動の上に」それぞれ「『民主制』と言う政治形態は成り立つ」と言っている。これは日本にも当てはまる問題である。ミーハー番組だけしか頭にない人間に、参政権は有益か?衆愚制になってはいないか?

 今一度自分を省みる必要がある。マスコミの情報操作に載せられていないか?本当にその情報は正しいのか?簡単な確認作業はネットで同じニュースを各社比較してみることであろう。出来得れば外国のマスコミも、この場合情報統制されている国の記事は余り当てにならない。民主主義が政治形態として万能と言えない。前提条件が必要なのだ。

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謝罪時の心理

2013-01-23 00:01:35 | 社会常識と教育

 仕事のトラブルや失敗で客先に謝罪に行くことは、誰もが経験することである。その時の対応がその人間の将来を決める分岐点と言っても良い。謝罪に行っているにも関わらず、理の通らない言訳ばかりしている人間は大きなチャンスさえ逃している。

また、どう考えても自分に直接非がなくとも、その契約(商店で買い物するのも契約)は自分が所属している法人(会社などの組織)が当事者である以上謝罪せねばならない。

更に対面店舗では、理不尽な客へ謝罪しなければならない。

 しかし正直言って、謝罪がストレスにならない人間はよほどの達観した方だけであろう。

コールセンターの謝罪に気分を害する方が多いのも、受け答えの人間が多数のクレームの謝罪にストレスが溜まっているためだ。

 直接、相手に謝罪に行く時は、そのストレスは並大抵のものではない。しかしそこで逃げる上役がいる。自分の失敗を部下に押し付ける輩がいる。この様な上役は部下の手柄を自分の手柄とする。組織の癌である。これを見抜けないと経営者は社員のやる気を喪失させることになる。

 また直接顧客に謝罪に行く時は、自分が置かれている状況がその心理状況に大きく影響する。仕事の調子が良い時は、「謝罪に行くのは当たり前で、一刻も早く謝罪に行かなければ」と自然に考える。しかし仕事や私生活の調子が悪いと「ナゼ自分ばかり、ツイていない。謝罪に行きたくない。自分には関係ない」等と、事態から逃げる心理状態となる。

 しかし、逃げても事態は悪化するだけだ。特に日本社会では先ず「謝罪」が大切なことだ。外資の場合少し異なるようだが。誰でも逃げ出したいのである。しかしそこから逃げずに一歩前進しなければ、物事は好転しない。自分を守るために理屈をコネても意味が無い。自己満足だけだ、いやふっとした時に逃げたことが頭をもたげる。それに社会の中で自分の守るべきプライドにそれ程価値があるか見直してみたら解る。自分のプライドなど社会の中では小石程度の価値もないと気付く。

 営業の達人と呼ばれる先人たちから、「謝罪に行く時こそチャンスである」と言った講演を何度も聴いた。しかし外注先の失敗で謝罪に行った時は、経過も事情も解らないことが多く肝を冷やすことが多々あった。これは私の拙い経験からであるが。

 いずれにせよ逃げても良い結果になることは先ず無い。逃げたい時は自分が今仕事でも私生活でも上手く行っていない時と現状を再認識することだ。武道の「押忍」の心理状態こそ重要だ。

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平和主義が大戦を招いた

2013-01-22 00:01:20 | 外交と防衛

 チェンバレンの失敗を教訓として1992年の湾岸戦争は起きた。ブッシュ大統領に英国のサッチャー首相は「我々は同じ過ちを繰り返してはいけない」と電話会談で発言したことは有名な話だ。この「過ち」と言うのを起したのがチェンバレンだ。彼は英国の首相だ。

1937年から40年までチェンバレン(異母弟がオーストリアで戦後ノーベル平和賞受賞)が英国の首相だった。当時スペイン内戦の直後であり、イタリアにはムッソリーニ、ドイツにはヒットラー、ロシアにはスターリンと錚々たる個性的な指導者たちと外交交渉に明け暮れた。

内政面ではユダヤ人問題をヨーロッパ諸国は抱えていた。ユダヤ人を迫害していたのは欧米諸国総てであった。ニューヨークに留学していた知人が、ユダヤ人の内ガチガチな民族主義者(意外と多い)は他の民族など「獣としか思っていない」と言っていた。「東洋人など人と思ってもいない」そうだ。道を聞いても全く無視されるそうだ。彼らは格好を見れば直に解るそうだ。民族衣装を着ているため。この様に選民意識が強い人間が他の国に移住すればトラブルになることは容易に想像できる。

 ナチスドイツがチュエコ・スロバキア(現在分離している)を併合した時もイギリスは「平和が大事」で動かなかった。ライン・ランド(フランスとドイツにある領土問題)に侵攻した時も、それが第二次世界大戦へと発展する。

 火事をボヤで消火できなかった。延焼させてしまったのだ。ヒットラー自身回顧録でラインラントの進攻時「イギリスが介入してこないか不安だった」と書いている。この介入とは勿論軍事介入である。口先の介入はチェンバレンもしていた。日本語で言うところの「極めて遺憾」と。

しかし第二次世界大戦へとこの火事は延焼してしまう。このことをサッチャー元首相は「同じ過ち」と言ったのだ。ヒットラーを気取っていたサダム・フッセインに対して。

歴史の教訓を生かした事例である。「話し合い」だけでは解決しないのが「外交」である。歴史から学ぶと日本人に如何に寝言が蔓延しているか良くわかる。「平和・平和」と念仏を唱えても何の解決もできない。もっとも戦前強力だった日本軍を解体するために、骨抜きにするために、GHQも共産党も利害が一致した。寝言が蔓延した。いい加減目を覚まそうではないか。

 中国の古典管子に「平和主義の蔓延が国を滅ぼす」と言う意味の言葉がある。紀元前660年ごろ活躍した斉の宰相だ。中国にはこんなにすばらしい思想があるが、「現在その思想が残っているのは日本では」と知人の中国人(台湾人)学者が言っていた。共産主義による焚書が横行しているためだ、文化の継承が途切れている。

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