かつて、我が家でも大々的に農業をしていました。私の記憶では、昭和40年代ころまでは、干潟という村から数名のおばあさんがやってきて、我が家に寝泊まりしながら、田植えと稲刈りを手伝ってくれました。所謂、季節労働者を我が家の長が雇っていたわけです。時代の流れで、たくさんあった田圃は、総合公園や小学校のグランドなどになってしまいました。
隣りのA家が、我が家の田圃の一部を購入し、今でも米を作っています。そのため、新米ができると、A家の方が毎年欠かさず、新米30㎏分を届けてくれています。また、隣町で専業農家をしている親戚のB家からも、同じように新米が届きます。我が家では、AB両家にお礼として、最近では地元の梨生産農家から梨を直送してもらっています。
隣りのA家が、我が家の田圃の一部を購入し、今でも米を作っています。そのため、新米ができると、A家の方が毎年欠かさず、新米30㎏分を届けてくれています。また、隣町で専業農家をしている親戚のB家からも、同じように新米が届きます。我が家では、AB両家にお礼として、最近では地元の梨生産農家から梨を直送してもらっています。