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走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

春の異動に係る話題

2014年03月09日 10時58分27秒 | 職場22年度~(成田)
2月19日に人事異動の話題を投稿しましたが、今回はその続編です。4月1日付けの大異動の直前までは、一応ですけど公務員の端くれなので異動の内容は、守秘義務によりお伝えできません。ですが、現在の心境や職場の状況についてを、ちょっとだけ述べさせて頂きます。人事異動の内示は、1月中に課長以上の幹部クラスの職員について、1次発表、続いて2次発表がありました。2月に入って、3月1日付けの異動者に続き、3月20日付けの異動者について発表。その後、2月下旬には関東甲信越ブロックより遠方への異動者の発表。そして、残りの職員について、3月5日に最終発表があり、4月からの新年度の体制が明らかになりました。

私の場合、前任者がたった3ヶ月で異動させられていたことを踏まえ、いつ異動を命じられても良いように、日頃から業務引継に係る書類の準備は進めてきました。統計の数字が変われば、その都度入力し直したり、新たな特異事案が発生すれば、参考として追加したり、推敲に推敲を重ねました。それを今回実際に使うかどうかは、残念ながらお話しできません。とりあえず、1年間は同じ部署で働き続けることができましたので、良しとしましょう。残留できれば、1年前に比べ経験があるので、スムーズに新年度のスタートが切れると思いたいのですが、実は12人の職員の半数が入れ替わることになり、けっこう大変なことになりそうなのです。

3月20日付けで、引越しを伴う遠方への異動が決まった職員は、中途半端な時期のうえ、消費税が4月に8%に上がる直前とあって、運送業者を見つけるのも一苦労だったと聞いています。新しい勤務地での公務員宿舎も空いていないそうで、色々手を打ったのですが、結局は民間のアパートを探すことになったとか。まるっきり経験のない業務を、見知らぬ土地でスタートせざるを得ないのが、とっても気の毒です。もう少し、異動者の面倒を職場でみてあげられないのかな?そんな事を望むことさえ「甘い!」と思われたら、ちょっと悲しくなってきます。さて、忘れなかったら、3月末か4月初めに続報を投稿したいと思います。




まな板の上の鯉?

2014年02月19日 20時38分56秒 | 職場22年度~(成田)
公務員の端くれとして、そろそろ白羽の矢が胸か背中に刺されるかもしれないと、ビクビクしながら毎日を送っています。と、言うのは真っ赤な嘘。早ければ24日(月)、遅くても28日(金)には春の人事異動の内示が出るはずです。昨年4月に異動して現在の部署に来たばかりですから、もう1年くらいは残留出来たら有難いと願っています。

4月で4年目を迎える2名のベテランは、異動の可能性が高いと思いますので、そうなると頼りになる戦力がいなくなり、かなり全体としてはパワーダウンです。そんな状態で、管理職の私まで異動してしまったら現在の部署の一大事です。ちなみに、私の前任者は3ヶ月で異動でした。人事の話は下駄を履くまで分かりませんから、待つしかないです。

かつて、ある地方局の次長が異動を拒んだことで、多くの方の異動が最初からやり直しになり、その時は新年度の体制がはっきりするまで、かなり遅れて、かなり深刻な影響が出たのを覚えています。52歳にもなると、同期だけでなく後輩たちも単身赴任を強いられています。定年を迎えるまでには、いずれ単身赴任があるのは覚悟しています。

それが、いつになるか?それが問題です。昨年4月に二人の息子が就職しましたが、現在の職場で続けていけるのか不安な状況です。長女は、4月から大学4年生となり、勝負の1年となります。もし可能ならば、あと1年は自宅から通勤できる範囲の異動で済ませて欲しいものです。公務員は、人事が決まったら、その結果に従うだけ。嫌なら辞めざるを得ません。

頑張れ!何処であろうが、我々は使命を果たすのみ!

2013年12月06日 20時54分18秒 | 職場22年度~(成田)
全国行脚が始まる前の準備段階では、研修の担当者となる各地の総務係長と、何度も電話やメールで連絡を取り合いました。今まで全く面識がなかった方とも、研修実施に向けて様々なやりとりをした結果、予想外に親しみを感じられるようになりました。実際に、最初の沖縄では、那覇事務所の係長が庁用者で那覇空港まで出迎えてくれたり、ホテルまでの送迎、夜の懇親会の開催、最終日には空港までの見送りまでして下さいました。次の北海道では、総務課に所属する同期生が、札幌駅まで迎えて下さり、ホテルまで地下鉄で案内してくれたり、夜に懇親会の開催など、本当に有難かったです。

もし、私が逆の立場でしたら、やはり最大限に配慮したと思います。業務に役立つ特殊な知識を得たい職員が、わざわざ成田空港まで行かなくても、成田空港の担当者が自分たちのもとに来てくれるのですから、当然ながら、多少はもてなしてくれてもよいはずだと思っています。逆に、講師の私たちは、なんとか自分たちが日本の表玄関で経験した知識を、全国の事務所で働く仲間たちに一人でも多く情報を共有したいと思っています。つまり、経緯はどうでも良く、実際に研修が実施できれば、すぐに研修参加者からは、素晴らしい効果が出てくるはずです。地域性も影響しますが、基本は変わりません。

自分の仕事に就いてお話し出来ないのは、大変に悔しくてたまらないのですが、公務員の守秘義務であり、日本の治安を守るためには、仕方ありません。自衛隊と違って、自らの身体をはって国を守るわけではないのですが、私の仕事は立派に現代の防人(さきもり)を務めていると自負しております。日本の治安を守る多くの関係機関とも、常日頃から綿密な連絡を取り合い、外国からの脅威を少しでも取り除けるよう、頑張りましょう、全国の同胞たちよ!

全国行脚スタート

2013年12月02日 05時45分26秒 | 職場22年度~(成田)
12月2日(月)今朝は4:20起床で、女房に車で送ってもらい、京成酒々井5:35発の羽田空港行きに乗りました。これから3週間かけて、日本各地の主要都市にある事務所を周り、ある特殊な業務に関する講演をしてきます。

最初は沖縄ということで、羽田から航空機で那覇に向かい、1泊して2回の講演をこなす予定です。人生初の沖縄だというのに、観光やマラソン参加でなく、まさか出張で仕事だけの旅とは、全くの想定外な出来事です。

公務員の出張をご承知の方も多いと思いますが、事前に会計担当者から出張の承認をもらうため、事細かな日程や経路を作成したプランを提示します。何時何分には、何処で何をするか、どんな移動手段を使うのかなど。

そんな訳で、気を許せるのは、移動中の電車や航空機内、勤務時間の終わる17時15分以降くらいです。折角のチャンスですから、車窓からは居眠りせずに、質素な観光をしてこようと考えています。健康に注意し、頑張ってきます。

現在の部署に異動して良かった!

2013年06月08日 16時03分55秒 | 職場22年度~(成田)

3月末まで長い間続けてきた曜日関係なしの3交替制夜勤と、現在の月~金の日勤では、単純に比較できませんが、様々な面で日勤の方が助かってきます。最もありがたいのは、土・日が完全休養ということ。次は、殆ど残業がなく定時退社できて、生活のリズムが一定であるということ、いつも我が家で寝れることです。

消防団の活動は、災害が発生すれば別ですが、通常は日曜に行事が予定されています。また、現在夢中で行っている小型ポンプ操法訓練ですが、土・日が中心であり、平日も19時集合なので毎回参加できています。また、今春就職できた18歳の次男は、基本的に土・日が休みなので、毎回一緒にサッカー教室へ行けます。

夜勤の頃は、航空機の発着に左右され、時には深夜1時過ぎまで残業して、翌朝は通常通り5時に起きて5時半から業務ということもありました。仮眠時間は4時間と規定されていますが、徹夜に近い状況も発生し、かなり心身ともに疲労困憊となったものです。でも、空港で乗員・乗客をはじめ、多くの人との交流は楽しかったです。

健康の観点からも、異動して正解だったと思います。私より年上の管理職の皆さんも、夜勤をされていますが、しばらく私は日勤に戻してもらい、心身ともにリフレッシュさせていただこうと思います。人事異動が激しい職場ですので、与えられた職場環境・生活環境に順応する速さは、自信がもてるようになりました。


新年度が始まる

2013年04月05日 19時23分00秒 | 職場22年度~(成田)
今週は、新年度の最初が月曜でしたが、人事異動による勤務調整で休みとなりました。そのため通常の方より1日短いのですが、やっと金曜日まで頑張れたって感じです。夜勤の3交替制が3年続いた私には、こんなに続けて出勤するのがとても久し振りな気がします。

余裕が出てきたら、途中の成田駅で下車して、仲間といっぱい飲んで帰宅なんてことも考えていますが、今のところは新しい生活環境に慣れるのが精一杯です。木曜・金曜と帰宅の際に、3キロの通勤ランも続けて出来ました。短かい距離でも、走り続けたいものです。

未だに引越しの関係で着任していない部下が1人いますが、殆んどの部下とも顔合わせが出来ました。ただ、3交替制勤務の部下が多いため、なかなか夕方に「飲みにケーション」を図るのは難しいようです。少しずつ、新しい職場環境にも慣れてきた気がします。

永年勤続表彰

2013年01月23日 17時57分23秒 | 職場22年度~(成田)
ようやく以前から待ち焦がれていた職場の永年勤続表彰(通称 30年表彰)伝達式の案内が、21日(月)に届きました。式典参加の有無を連絡するよう書類に記載がありましたので、当日の勤務日程を調べてみました。幸い夜勤明けの日でしたので、主催してくれる東京本部の職員課担当者に電話で参加の意思表示をしました。後で総務係長から、勤務調整により夜勤から日勤にして、どうやら出張という形にして頂けそうです。

昭和57年4月に採用された当時、同期生は日本全国合わせても20名余りという少なさでした。中には、数年で転職された方もいれば、昨年3月末で早期退職された方もいらっしゃいます。電話で今回の該当者数を尋ねたところ、たった18名のみだそうです。久し振りに同期生と再会できるのが楽しみなので、なるべく大勢の同期生に参加してもらいたいです。式典直後の懇親会で意気投合する相手がいれば、駅前の居酒屋に直行もありです。

一応は国家公務員ですので、現在の〇△省□▽大臣の名前で表彰されることになります。かつて、亡き祖父がシベリア抑留を経験して帰国したことから、当時の海部総理大臣から副賞の銀杯とともに表彰されたことがありますので、我が家ではそれに次ぐ名誉です。30年は長かったですが、よく続けてこられたものです。これも家族、特に女房の献身的な援助があったからこそですね。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

昭和から平成に変わった年、同じ職場ですが、分かり易く例えて言うと、技術職から営業職に変わったくらい大きな異動がありました。独身時代は、神戸・横浜・松江(島根県)など引越しを伴う転勤ばかりでした。しかし、結婚後は千葉の実家に戻れ、横浜・品川・大手町への遠距離通勤を計4年経験したものの、自宅から近い成田空港勤務が長く助かりました。定年退職した後に年金がもらえるまで、あと15年は頑張らねば!

久し振りに職場の話題

2012年10月11日 08時43分51秒 | 職場22年度~(成田)
前回、職場に関するブログをいつ投稿したか、調べてみましたら3月末でした。丁度、人事異動で成田空港の第1(旅客ターミナル)ビル勤務から、第2ビルへ移る際のものでした。今では、新しい職場に移って半年経過し、すっかり慣れてきた感じがします。先日、10月1日付けの人事異動で1名の同僚が他の事務所へ移り、その入れ替えはありませんでした。戦力減ですので、たとえ成田空港を利用する乗客が減っていても、自分の部署は業務自体まったく楽になりません。

時々ですが、二人一組で行動する際に4月採用の新人と組むことがあります。今年になって成人式を済ませたばかりというので、なんと自分の長女と同じ年齢になります。自分の子どもは、まだ大学に通う学生だというのに、彼らは頼りない経験の浅い新人とはいえ、立派に社会人として立派に働いているので、ある意味で優秀な人材なんだなと感心してしまいます。

11月からは、更に1名が東京の本部に長期応援という形でいなくなり、ますます大変な状況になります。日勤と違い3交替制勤務の夜勤は、最低限でもある一定の人数が必要です。ギリギリの人数では、もし体調を崩して休む職員が発生した場合、緊急事態となります。皆、真面目に頑張ってくれているので助かりますが、メンタル面も含めた健康には、十分注意して欲しいと思います。

異動間近の心境

2012年03月26日 17時17分27秒 | 職場22年度~(成田)
いよいよ4月1日の異動日まで、あと5日となりました。周りの皆さんからすれば、たかが内部異動・成田空港の1ビルから2ビルに移るだけじゃないかとお考えかもしれません。しかし、当事者の私としては、職場が変わることで共に働く職員や勤務時間、対応する航空会社も変わるため、様々な気苦労があります。明日は17時までの日勤なので、業務終了後もしくは多少早めの時間に2ビルへ業務引継にいく予定です。

昭和57年4月に就職して以降、30年の間で経験した引越しを伴う異動(転勤)を簡単に綴ってみます。千葉に生まれ育った私ですが、採用してくれた先は神戸の出張所でした。幸い1年後には関東に戻れ、横浜で3年間勤務しました。そして、ようやく成田空港となり実家に戻れたのですが、1年で島根県松江出張所に異動となりました。松江での2年目の正月に時代が平成となり、再び成田空港に戻ってこれました。

その後は東京や横浜へ数年間の異動があったものの、千葉の実家から遠距離通勤できましたので、平成元年3月末のものが最後の引越しとなっています。しかし、数年後に遠方への異動があれば、家族をおいて単身赴任となる可能性が強いです。現在の勤務地である成田空港は、通算で20年となります。日勤と夜勤、1ビルと2ビルなど、内部異動は数え切れないほど経験していますが、いつになっても慣れません。

今回は、27日に業務引継をし、29日の夜勤明けに荷物の最初の移動を予定しています。最終日の31日は日勤で20時まで業務がありますので、帰宅せずに2ビルへ荷物を最終移動し、2ビルの仮眠室に泊まり翌朝8時過ぎから始まる新しい職場での業務に備える予定です。その方が、時間的に余裕が持てるうえ、自分の身体も楽だし、新しい上司・同僚・部下にも喜ばれるベストな選択だと思いますので。

自分に「喝(カツ)!」

2012年02月26日 16時11分27秒 | 職場22年度~(成田)
子どもにも馬鹿にされてしまうのですが、24日から体調不良で4連休となってしまいました。24日の日勤は、補助的な業務のうえ職員数が十分だったので、事前に休暇を取っていました。ところが、25・26は自分たちがメインになって勤務する夜勤だというのに、朝からダウンしてしまい、PCには短時間ならなんとか向かうことができるくらいのパワーしか出ませんでした。たとえ、無理して出勤しても、まともな采配が出来ないばかりか、風邪を同僚に移してしまう可能性もあり、苦渋の決断で休むことにしました。(27日は、もともと4日に1度の休みです。)

17日の夜勤で、突発的な事故対応により、徹夜して報告書を作成したことで、相当身体に無理させたのが原因だと思います。あれから、ずっと体調が悪く、たまたま20・24と事前に休暇を取っていたので、これで回復できると思っていました。実際、一時は回復したようにみえ、前回の夜勤(22・23)には出たのですが、24日からまた具合が悪くなってきました。熱発はなく、喉の痛みと鼻水そして目まいといった症状がでてしまい、仕事を休みました。全く情けない程の「ひ弱さ」ですね。こんな調子ですから、2月の通算走行距離は90キロで立ち止まっています。

大変だった夜間業務

2012年01月25日 22時57分50秒 | 職場22年度~(成田)
1月24日正午から25日11時直前まで、成田空港での夜勤(仮眠4時間)でした。海外からの乗客の傾向は、私が勤務する第一旅客ターミナルビルだけ見ますと、中国・台湾・香港からの団体旅行客が、ここ数日で急上昇しています。中国人の世界では、旧正月で長期休暇中なのです。

中には、昔の日本の農協ツアーを彷彿させるような団体も多いです。1時間以上の遅れ便が2機発生した関係で、第三国への出発便に乗継できなくなった可愛そうな乗客もちらほら。それでも、なんとか定期便の到着客が22時頃に終わったので、事務室の片付け作業を始めました。

ようやく30分近くかけて取扱い機器や書類関係の片付けも終了したところ、サテライトから乗継に失敗したアメリカ人乗客が15名程度現れました。これには参りました。改めて片付けた機器を準備し直し、乗客の面倒をみました。もっと早く航空会社は乗客の誘導をして欲しいものです。

この想定外の業務により、最終的に片付けが済んだのは23時過ぎとなりました。一応、勤務時間は24時までなのですが、可能ならば少しでも早く楽をしたいというのは、ご理解願いたいです。そして、ようやく遅い夕食となりました。もう夜食みたいなものです。全く大変な夜間業務でした。

相手の目線になって

2012年01月22日 09時40分55秒 | 職場22年度~(成田)
私は成田空港で働いていますので、勤務の日は大勢の乗客や乗員をはじめ、航空会社の地上職員や警察、警備会社、免税店、清掃会社などの職員たちと顔を合わせる機会があります。殆どの皆さんは大人ですが、乗客の中には家族連れで小さなお子さんも時々見かけることがあります。ですから、皆さんには想像しにくいかもしれませんが、時には幼児や乳児が泣き叫ぶ保育所のような雰囲気になることもあります。

勤務中に顔を合わせる世界各国のお子さんに対すると、普段は真面目ぶっている私も、自然と表情がにこやかになるのを感じています。ご両親の元から離れて走り回るお子さんを捕まえてご両親の元に案内したり、ご両親が諸手続きをしている際に暇そうにしているお子さんたちに近づいていき声をかけてりもしています。話すときは、自然と相手の目線に会うように、膝を床につけて背を低くするよう心掛けています。

概ね、私が対応するお子さんたちは笑顔を見せてくれます。子どもと話す私を見て、ご両親も喜んでくれるので、今後もお子さんへの声かけは続けていきたいと思います。私の職場に出入りしているアルバイトの中年女性から、「篠原さんは、とてもお子さんが好きなのね。声のかけ方がお上手です。」と褒められたことがあります。自然と、相手の目線に合わせて話しかけていることが、賞賛に値するようですね。

心のこもった飾り

2011年12月12日 13時22分51秒 | 職場22年度~(成田)
我が職場は成田空港内にありますが、せいぜい世界地図やカレンダーが壁に貼られているくらいで、とても事務室内は殺風景です。クリスマスを前に、航空会社や構内に入っている各種店舗等は、煌びやかな飾り付けをしている所が多いというのに…。ところが、アルバイトで来てくれている女性のAさんは、シンプルですが心のこもった飾り付けを、時期に合わせてカウンターにして下さっています。

今の時期は、当然ながら写真のとおりです。シール式で簡単に貼ったり剥がしたりできて、カウンターに接着剤が付くわけでもないし、見る人の心を和ませてくれることから、とても喜ばれています。些細な事ですが、Aさんの行いは素晴らしいと感じています。乗客が通らず暇な時は、時々Aさんと言葉を交わすのですが、とても心の温かい方で、昭和時代のお母さんといった感じがしてなりません。

夜勤を休む

2011年08月09日 23時04分32秒 | 職場22年度~(成田)
特別休暇(夏休み)ということで、今日は夜勤の日でしたが、久し振りに休めました。前回はいつ夜勤の時に休んだか、PCで作成している日記を遡(さかのぼ)ったところ、今年の1月上旬に風邪で休んで以来ということが分かりました。職場での立場上、夜勤は原則的に休めませんし、日勤でも土休日ですと根回ししないことには休むことが難しい状況なのです。

3交替制勤務ですから、夜勤を休めるとかなり長く休んだ気になります。つまり、通常4日サイクルで勤務していますので、夜勤を休むという事は、夜勤入りの日+夜勤明けの日(非番)+休日で3連休となるのです。今回は、すうずうしくも、3日間の特別休暇に加えて有給休暇も3日間つけたことから、2サイクル休むことになり、9連休が実現しました。

9連休とはいえ、女房が病院勤務でお盆休みを取れないため、家族での旅行は不可能です。加えて、田舎に住んでいますので、近所に4軒の新盆宅があり、お盆の行事で振り回されそうです。13日に迎え盆があり、連休最終日の15日は送り盆ということで、母・女房・私がそれぞれのお宅を手分けして回ることになります。毎年、どこにも行けないお盆休みです。

心の葛藤

2011年06月19日 12時33分19秒 | 職場22年度~(成田)
昨夜は夜勤で、成田空港の第1旅客ターミナルビル北ウィングで勤務していました。偶然にも、スペシャルオリンピックス(SO)の日本代表団の一行(選手52名、コーチ・役員23名)が、同日に成田空港から出発するとあって、なんとか仕事をちょっと抜け出して見送りに行きたいと思いました。同じターミナルビル内で、SO千葉の有志が集まり、一行を見送る予定を聞いていましたので、是非とも行動を共にしたかったです。

しかし、あいにく仕事は度重なるトラブルで多忙を極めており、それどころではありませんでした。一行が搭乗する航空機の出発時間から逆算し、1時間前くらいには搭乗手続きを済ませて制限エリアに入るであろうと考え、監視カメラで映し出される映像を、時折モニター画面越しに見ていました。運良く一行を見つけ、画面越しに見送りました。いつかは、自分もコーチとして世界大会などに選手と同行したいものです。