白金プラチナ通りから坂を登って
いよいよ白金エリアの豪邸地帯へ豪邸巡りに入る。
東京の坂は名前がついているものだけで800以上もあり、
なかでも江戸時代に武家屋敷の多かった
文京区・港区・新宿区・千代田区あたりに多い。
ここ「明治坂」は昔から存在していた道であるが、
明治坂と呼ばれたのは大正初年からと言われている。
豪邸とは言えないかもしれないが意匠的にとても目についた木造3階建住宅。
ピラミットのように上にいく程つぼまり、
4階部分にはラセン階段で昇れるように成っている。
木の外壁がとても生きた外観に設計されている。
坂上の丘を紅葉が美しい中国の蜀江に因んで
蜀江台と呼んだことから付けられた「蜀江坂」。
この坂の標示には坂の名とともに
その由来が書かれており、とても興味深い。
ブラタモリでも紹介されたお嬢様学校の聖心女子学院
初等科・中等科・高等科。
当女子学院は1908年(明治41年)に
語学校として開設された名門の女子学校だ。
本当に閑静な高級住宅街の中にあり、
緑が多く、ゆとりのたっぷりしたキャンパスだ。
ご覧の様に校門に至るアプローチは私道で、
なぜこのような道があるかはブラタモリの番組で詳しく放送されていた。
それによるとこの地は江戸時代、大名松平右近の抱屋敷があった所で
その当時の区割りがそのまま残ってこのアプローチに成ったとか。
又、このかわいらしい正門は建築家ヤンレツル設計によるとか。
ブラタモリでは高級住宅街の条件を5つあげていた。
①豪邸があること ②緑が多い ③高台であること
④治安が良いこと ⑤ほどよい静けさがあること
白金エリアはそのすべてがある。
この写真を撮った場所は白金4-12-1。
白金をシロガネと言っている人がいるが正解はシロカネ。
場所柄、住所表示にも英語が使われているのも白金らしい。
すごい邸宅だなぁと思ったら、よく見るとマンション。
この地価の高い場所で2階という低層マンションの
分譲価格は一体いくらだったのだろう?
高級住宅街に円盤の宇宙船が下りた様な建物だ。
こちらの豪邸は一歩抑え目だが
シンプルなラインがすっきりしていて素晴らしい。
白金エリアは電車のアクセスがあまり良くない為、
どこの家も車が必要で車庫が大きい。
ベンツ、BMW、は当たり前ベントレー、ポルシェなど外車の多い事。
又、シンボルツリーを中心に車の車路がすごい。
タモリから青春時代の思い出話が出た「三光坂」。
本来は坂下惠心寺にあった三葉の松にもとづき
三鈷(さんこ仏具)坂だったというが、
日月星の三光などともいう。
高級住宅地の中でもシンボル的な超豪邸の洋館は
時計のセイコーの創設者・服部家の邸宅跡。
上杉弾正下屋敷、抱屋敷の地に
昭和初期に建てられたとの事。
ブラタモリの番組によると現在は外資が所有しているらしい。
RC打ち放しの3階建てがツインになっている。
このシンプルモダンの意匠はまだ新しい住宅かも。
こちらの邸宅は街並みに馴染んでいて
派手さは無く、落ち着いたフォルムだ。
タモリが「クランク・クランク・クランク」と言って
笑わせた看板を偶然にも発見した。
この道路表示を見ても通り抜けたくないと思う複雑な道が、
とても開発しにくくさせ、残った原因の一つに成ったとか。
こちらも分譲マンションと思われるが、ひょっとして二世帯住宅?
このエリアは建築の規制がある為、高層の建物はなく、わかりづらい。
外壁が2種類の石張りの豪邸。
今の時代はこの種の建物はどうしても重く感じてしまう。
隈研吾氏が流れを作ったわけではないだろうが、
今は木の温かみ、優しさが主流になりつつある。
こちらはもっと石の存在感が強い豪邸だ。
鉄平石のような石を塀、壁に存分に使っている。
こちらは逆に庇の上部をスリット状に木仕立てにして
やはり優しい空間を造っている。
こちらのマンションの1階の1室はなんとリベリア大使館だ。
リベリア共和国は北にギニア、西にシオラレオネ、
東にコートジボワールと国境を接した西アフリカの国だ。