スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

2019 新春の鎌倉風情

2019-01-31 06:40:47 | 旅 ~国内

3年連続で新春を鎌倉で迎えると、さすがにブログネタも重複してしまう。

今回はパッと目についた一コマを切り取ってアトランダムにアップしてみた。

ある風情の詳細は2017年1月にアップしたものが

ありますので参照してみて下さい。

(2017-1-25付ブログ参照)

長谷の浄土宗寺院「高徳院」のご本尊が鎌倉の大仏。

原型作者は不明だが、今から750年程前の13世紀

鎌倉時代に造立されたとされている。造立当初とほぼ同じ姿を

今に残す大変に貴重な遺産で、鎌倉にある仏像で唯一国宝に指定されている。

かの有名な歌人、与謝野晶子は「美男におわす」と詠み

その端正な顔立ちがイケメンと評されることが多いとか。

相変わらず鎌倉大仏には外国人の観光客が多い。一枚目の

外国人女性は一生懸命手の中に大仏を抱く様にしているのか

幾度もポーズをとり、トライしていた姿が印象的であった。

二枚目の着物を着たシルバーの髪の毛の女性は

多くの外国人女性の中でも特別目立った存在だった。

大変穏やかな陽気だったので鎌倉文学館からブラブラと江ノ電

「由比ヶ浜」駅まで歩いて来た。ご覧の様にこの駅は単線の駅で

のんびりした情緒がある。江ノ電の駅にはナンバーが付いていて

当駅は「EN13」車内放送される。鎌倉駅から2つ目の駅。

時刻表を見ると12分に一本、1時間に5本、上り下り(?)走っている。

いかにも江ノ電らしい注意事項として「水着・半裸姿で乗車禁止」

「サーフボードは専用の袋に」「自転車は専用の袋に」

「ペットは専用のケースに」先頭の車輌案内をよーく見ると

「あけましておめでとうございます」と書かれてある。

江ノ電には他の鉄道と違ってメルヘンチックなエンターテイメント性がある。

このカップルの写真にも物語性を感じてしまう。

(2017-1-20付ブログ参照)

終点鎌倉駅に到着。3番線の車止め上には親子カエルが

鎮座している。この親子カエルはゲーム「電車でGo!旅情編」でも

鎌倉駅の車止めの上のオブジェとして登場する。

これは利用客が無事「カエル」ことを祈って職員が設置したのが

キッカケとか。年6回程カエルの模様替えも行なっているらしい。

行き先「藤沢」に変えるとそこには門松の絵が!江ノ電サスガ!ヤルネー!!

新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で

最後の執権・北条高時をはじめ北条一族八百七十余名が

自害したと伝えられている。滅亡した北条氏の霊を弔うため

また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ

北条氏の屋敷があったとされるこの地に「宝戒寺」を建立させた。

実は鎌倉駅に近づくと大変な人出で、コンビニのトイレも

列が出来ている程。丁度宝戒寺にトイレの表示を見つけ

200円払って緊急トイレタイムに成ったのが実情でした(笑)

今回の旅でも鎌倉町青年会の建立した石碑2基と遭遇した。

1つは北条執権邸旧跡と若宮大路幕府旧跡。

ともに大正7年3月建之と成っていて、それから既に100年の

歳月が終過していてその石碑そのものが歴史的遺産に見えてくる。

碑文には旧漢字とカタカナ。大正時代から戦前にかけて

4つの団体が78箇所建てた。主に鎌倉時代の史跡、遺産、

出来事に関するもの。尚鎌倉町青年会は明治44年3月12日に

発足したという。(2017-1-23付、2017-1-28付ブログ参照)

帰路、裏道を歩いていたら偶然に旧大佛次郎茶亭を発見。

この小さな鎌倉ではこんな出会いがしょっちゅう起きる町なのだろう。

この建物は市内では稀少な関東大震災前に建てられたもの。

広い庭園内の樹木と一体となった空間は、古都鎌倉の原風景ともいえる

貴重な存在だ。又趣きある門と板塀の続く路地は、

かまくら景観百選に選定されている。この建物は一時期、

鎌倉文士であり、古都保存法の成立に寄与した

大沸次郎が茶亭として使用していた。

因みにこの表札「おさらぎ」は作家里見弴が書いた。

若宮大路沿いに鎌倉と言えば・・・鎌倉生まれ鎌倉育ちの「鳩サブレー」を

製造、販売している豊島屋(としまや)本店がある。

名前が示す通り、鳩を模した形が特徴のお菓子。

主に鎌倉鶴岡八幡宮に参詣した人の土産として有名で、

現在では神奈川県を代表する銘菓と成っている。

鳩サブレーは明治末初代店主久保田久次郎が店に来た

外国人からもらったビスケットが原点となっている。

鳩の形になったのは、久次郎が鶴岡八幡宮を崇敬しており

本宮の掲額の「八」が鳩の向き合せであることと、宮鳩が多数いる

ところから着想を得たためと言われている。

当店を出て裏手にある豊島屋が経営している「八十小路」で

又々寄ってお茶をした。少々疲れたので甘い物と思い小倉おしるこを戴いた。

(2017-1-27付ブログ参照)


杉本寺

2019-01-30 07:19:10 | 旅 ~国内

731年、天台宗の大蔵山杉本寺は鎌倉幕府が成立する500年も前に

建立された鎌倉最古の寺だ。開山は行基、開基が高明皇居。

坂東33観音霊場の第一番の由緒ある寺だ。

金沢街道から石段を上った先に仁王門が建っている。

この門は切妻造り、茅葺の八脚門。左右に金剛力士(仁王)像を

安置している。江戸時代、18世紀半ば頃の建立の門だ。

仁王門から本造へ上る正面の鎌倉石の石段はすり減っていて

通行禁止に成っている。その為、石段には苔が生え、

趣き深き美しい寺になっている。境内には夥しい数の白い奉納旗が

荘厳な雰囲気を醸し出している。

左側の新しい階段を上るとそこは本堂のある境内にたどり着く。

本堂の観音堂は萱葺きの屋根が特徴的で雰囲気のあるお堂だ。

このお堂は光明皇居の寄進によって建てられたと言われている。

本尊の十一面観音像三体は国又は市指定の重要文化財に指定され

内一体は行基の作と言われている。この観音像はお堂の中にあがって

拝観することができたが、なぜかその時は魔がさして見ることを忘れてしまった。

七地蔵尊は一番風化の激しい地蔵で杉本義宗の守り本尊と言われている。

見応えのある鐘楼脇の五輪塔群は南北朝時代戦いの軌跡らしい。

本堂からあまりにも美しかった苔の階段を一一生懸命カメラに

納めていた女性カメラマン。本来はこの階段は下から見上げるのが

正しい見方らしいが、このカメラマンの撮りたい気持ちは

よく分かる程、苔むす石段は魅力的だった。


報国寺

2019-01-29 06:42:38 | 旅 ~国内

報国寺の建立は建武元年(1334年)。臨済宗建長寺派で

山号は功臣山。鎌倉三十三観音霊場の第十番。

開基は足利家時で足利、上杉両氏の菩薩寺として栄えた。

開山は五山文学を代表する仏乗禅師の天岸慧広(えこう)で

中国より招聘された円覚寺の無学祖元に師事し、

のちに中国へ渡って修行した高僧だ。

又、報国寺は孟宗林の竹林で有名で竹の寺と言われている。

その数は約1000本、(休耕庵という塔頭の跡に孟宗竹が生え、

現在の竹の庭になった。)竹の庭の拝観料は200円で

9時から16時まで観ることができる。

竹林には散策路が巡らされ、休耕庵という茶席では抹茶を

いただくこともできる。この竹の庭は、ミシュラン・グリーンガイドで

鎌倉で2ヶ所しかない三ツ星(わざわざ旅行する価値がある)の

評価を得ている。実際に行ってみてその素晴らしさを実感した。

 

 

では竹林の中で撮った素人写真を見て下さい。

鎌倉を愛した作家川端康成は昭和10年、36歳の時に

報国寺の近くに転居し、よく報国寺を散歩していたようだ。

そして、この山あいのしじまの音なき音を「山の音」と表現していた。

石塔の奥に見えるやぐら(洞穴)には、足利家時(室町幕府開祖

足利尊氏の祖父)、足利義久(4代鎌倉公方、持家の嫡男、

10歳でこの地で自刃)の墓がある。

 

ところで、寺には山号という名称があるが、その歴史は中国から

その制度が伝来したと言われている。中国では隋、唐の時代に

仏教が普及し、同名の寺院が各地に建てられるようになった。

その区別が難儀した為、その寺院の所在する地域の名称を

付けて区別するようになった。人里離れた山中の何れかに

建立した場合はその山の名称を付与するようになった。

日本では所在地と関係のない仏教用語を山号として付けている場合もある。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編232~

2019-01-28 06:27:34 | 食~番外編(県外)

石釜ガーデンハウス

鎌倉市浄明寺3-8-50 (浄妙寺内)

TEL 0467-22-8851

定休日 月曜日 営業時間 10:00~17:00

https://www.ishigama.info/

浄妙寺境内の高台に佇む洋館の当店に入るには浄妙寺の

拝観料100円が必要となる。即ち当店は誰でも入れるレストランではない。

浄妙寺の和のテイストに浸ったあとに洋のテイストで舌鼓を打つ

なんとも不思議な感覚が味わえるのが当店の魅力だ。

この建物は大正11年にドイツ人が設計した洋館で

貴族院議員の邸宅として使われた。そこを利用して2000年に開業

2015年にリニューアルして、ますます優雅にして上品な店内に変わった。

このガーデンテラスの利用は朝の利用がすすすめだとか。

小鳥の声が聞こえる気持ちの良い空気の中で

ゆったりとしたくつろぎを楽しむことが最高らしい。

店内はイングリッシュガーデンを眺めながら食事が楽しめる様に

全面ガラス窓の明るい造りになっている。

床は洋館らしく木のフローリングを使っている。

奥の調理スペースには店内の石釜があり

そして昔のままの数本のムクの梁がむき出しに出ていて、

空間に新旧の雰囲気を演出している。

びっくりする程とてもお洒落なレストランで映画に出てきそうな感じだった。

尚、当レストランを切り盛りしているのは浄妙寺の奥様だと聞いてさらにビックリ。

昼のメインセットは4種類。ビーフシチューに本日のお魚料理

そしてパスタセットが2種類。コストパフォーマンスはかなりよい。

他にアフタヌーンティとして心地良いガーデンで楽しめる

オリジナルものも用意されている。

当店のもう一つの売りが、創業以来日々をかけて

作り続けてきたホップ種のパンだ。酵母と作り手が協調し合いながら

時間をかけて小麦の甘味とホップの酸味を引きだし、

素朴で存在感のあるパンを作り上げている。

これがそのパンです。

広島産カキと下仁田葱・鎌倉野菜のアーリオ、オーリオスパゲッティーポッタルが風味。

サラダ パン ドリンク付で2600円(税抜)

国産牛ブリスケの特製ビーフシチュー。

サラダ パン ドリンク付で3000円(税抜)

鎌倉野菜中心のサラダ

鎌倉ぶらり(洋風建築の名品を歩く)というテーマで

「石釜ガーデンテラス」が取り上げられた新聞記事。

それによると1999年秋、寺が借地権を買い戻し

取り壊しも検討したが、「これまで生きてきた建物を壊すのは

忍びない」との和尚の一言で存続することになった。

庭の一角にはローズガーデンや料理に使うハーブを

育てるためのハーブガーデンがある。この庭のガーデニングは

スコットランド出身のガーデンデザイナー ニコラスレナハン氏が

担当して本物の庭を目指して育てている。

歩いてみて良さがわかるのがイングリッシュガーデンだ。


浄妙寺

2019-01-27 06:52:28 | 旅 ~国内

市の中心部から横浜市の金沢に抜ける金沢街道沿いにある

浄妙寺は鎌倉五山第五位の由緒ある臨済宗建長寺派の禅寺だ。

建立は文治4年(1188年)、山号は稲荷山で鎌倉33観音の

第9番に成っている。現在でも付近一帯の地名は妙という字は

変わったが「浄明寺」という。

浄妙寺境内の案内図。浄妙寺は源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣、

足利義兼が、退耕行勇を開山として建立した。

行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧だ。

室町時代には境内に23の塔頭を持つ大寺院であったが

現在は総門、本堂、客殿、庫裡が残っているのみである。

本堂の奥にある鎌足稲荷神社は鎌倉の地名の由来になったとされている。

浄妙寺という寺名は足利貞氏の法名をとって付けられたと言われている。

この本堂は江戸時代中期の建物だが、仏壇周辺などには

室町時代の材が用いられている。

天正年間(1573~1591年)に建立された喜泉庵は平成3年に復元された。

ここでは枯山水の庭園を見ながら茶室で茶菓を楽しむことができる。

ご覧の様にお抹茶と干菓子で600円だ。

本堂の裏には鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の三男、

室町幕府初代将軍足利尊氏の同母弟、足利直義公の墓がある。

作務衣を着た女性が落ち葉を掃いている姿を見ていると

時の流れがゆっくりゆっくり流れていて、いかにもお正月ののどかな風景だと感じた。


鎌倉文学館

2019-01-26 07:22:22 | 旅 ~国内

http://www.kamakurabungaku.com

江ノ電「由比ヶ浜」駅から徒歩7分、静かな高級住宅街の奥、

山裾の麓にある鎌倉文学館は旧前田侯爵別邸の跡を利用して

昭和60年10月31日に開館した。この時期は「作家と歩く鎌倉

その3 ―北鎌倉・大船方面」の収蔵品展が行なわれていた。

入館受付から、文学館までは自然が多く残されたゆるやかな坂道を

ゆったりと登っていく。途中にはこの様なトンネルもくぐっていく。

昔の侯爵家の財力のすごさを体で感じながら。

個人の庭園としては広大な敷地だ。一番奥にはバラ園があり

シーズンになるとさらに美しい庭園となるそうだ。

そしてはるか向こうにはキラキラと輝やいた海が見える。

この瀟洒な洋館は1890年頃に侯爵前田利嗣の

鎌倉別邸として建てられたが、1910年火災によって焼失。

昭和11年に竹中工務店施工によって洋風に全面改築された。

戦後一時期はデンマーク公使や佐藤栄作元総理の別荘として使われた。

3階建てであるが、3階は非公開となっている。

鎌倉市長谷にある鎌倉ゆかりの文学、特に鎌倉文士をテーマにした

鎌倉市立の資料館がこの文学館。明治以降特に昭和に入り、

鎌倉には多くの作家・詩人・歌人・俳人・評論家たちが集い

居を構えてきた。鎌倉文士の精神は現代にも引き継がれ

新しい世代の文学者たちもここに集まっている。

そういえば鎌倉文士に浦和画家という言葉があったっけ!

浦和にもいつかこの様な施設が出来ると更に素晴らしい街に成るのだが。

館内には直筆原稿、手紙、愛用品などを収集保存し、展示している。

この文学館設計の検討には、作家里見弴、今日出海、

小林秀雄、永井龍男、清水基吉など錚々たる文化人が係わった。

又、三島由紀夫は執筆のために別邸を取材し、小説「春の雪」に

この様に描きました。「青葉に包まれた迂路を登りつくしたところ

別荘の大きな石組の門が現れる。(中略)先代が建てた

茅葺きの家は数年前に焼亡し、現侯爵は直ちにそのあとへ

和洋折衷の、十二の客室のある邸を建て、テラスから南へひらく

庭全体を西洋風の庭園に改めた。」この文学館は

静かな環境、貴重な建物の中でゆっくりとした時間が過ごせる。

そして広大な庭園と美しいバラ園は当館の大きな魅力の1つになっている。

鎌倉の地図には鎌倉にゆかりのある文学者、作家の地図が

張り出されていた。この1人1人を見るとキラ星のごとくでそのすごさに

圧倒されてしまった。300人以上いる文士の中でも特筆すべき

人々を列記してみた。川端康成、夏目漱石、芥川龍之介、

与謝野晶子、大佛次郎、小津安二郎、久米正雄、小林秀雄、

久保田万太郎、里見弴、島崎藤村、高見順、立原正秋、

永井龍男、中原中也、萩原朔太郎、三島由紀夫、

吉屋信子等々。全くビックリの文化人達だ。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編231~

2019-01-25 06:36:01 | 食~番外編(県外)

中華料理 蓬莢閣

鎌倉市長谷1-16-26

TEL 0467-22-3140

定休日 木曜日

鎌倉駅から江ノ電に乗って3つ目の駅「長谷駅」で下車。

ホテルにチェックインするにはまだ早いのでブラブラ歩きながら

高徳院の鎌倉大仏へ行ってみた。丁度時間もお昼になり

途中にあった中華屋さんに飛び込んだのが当店。

当店は創業以来50余年だそうで食べログ鎌倉エリアの

中華部門1527軒ある中で947位にランクされていた。

店内に入ると中華風のちょっと古風な感じ。クラシカルな鎌倉には

合っている雰囲気もする。テーブル席は中華の丸テーブルで30席。

どうやら奥に座敷も30席あるようだ。街の中華屋さんよりは

ちょっと高級感が漂っていた。

天井を見てビックリ。龍の絵が描かれてある。ここまでやる店は

滅多にない。これが料理の拘りにつながっていればと期待してしまった。

これが当店のメニュー。メニューの中味を見ると1つだけ除いて

特別個性的なものは無いかった。ここはあくまでオーソドックスな中華屋さんだ。

その1つ分からなくて気に成ったメニューがこのサンマーメン800円。

スープは正油味でとろみがついている。

麺が生馬麺と書いてサンマーメンと読むみたいだ。

野菜が多目の中華そばだが特別味に個性は感じなかった。

相方は五目そば900円とチャーシューメン850円を注文。

味は普通という言葉が返ってきた。

それぞれの中華麺に餃子4個480円を追加オーダー。

やや大き目の餃子で皮にちょっとパリパリ感がない。普通の餃子だった。

実は横浜中華街にあり、肉まんで有名な鎌倉の華正楼に行こうとしたが

正月休みで残念ながら方針変更して営業していた向い側の

蓬莢閣に入ったというのが当店入店の経緯でした。


祝 ブログ開設10周年

2019-01-24 06:32:16 | コラム

2009年1月21日開設した「スミダマンのほのぼの奮戦記」が

とうとう10周年を迎えました。上司から「世の中ブログというのが

広まっている様なので勉強会に行ってみたら。

そしてできそうだったらやってみよう。」という指示を受けた社員が

スタートを切ったのがこの第1号です。

それを見て私が口を挟むようになったのが、2010年11月頃から。

そして今や番外編も含めて640件を超えた浦和エリア旨い店いシリーズが

2011年1月31日からスタートしました。

このシリーズに取り組んだために、

ランチタイムの発想も全く変わってしまいました。

この節目をきっかけに肩に力を入れずに更に一つ一つを

積み重ねていきたいと思っています。

これが1月19日付のアクセス記録です。これを見るとブログ開設から

3651日と成っています。この日はアクセス数が多く

訪問者数が749人、閲覧数が2529件。現在のGooブログ

登録数2,852,827件中なんと711位にランキングされています。

「スミダマンのほのぼの奮戦記」という社員がつけた

ネーミングも気に入っています。「継続は力なり」と言いますが

今後、常時ランキング1000位を切れるまで愛読していただければ

やった甲斐があるというものです。振り返ると、あれから10年、

よくぞ続いて来たものだというのが率直な実感です。

そうこうしたら、1月23日早朝に思わぬご褒美が来てビックリしました。

早春の鎌倉シリーズを始めて2つ目の「曹洞宗大本山 総持寺」を

アップしたとたん、数分の間に90件、その後100件そして

そして40件とわずかな間に230件もアクセルが来ました。

アクセル総合ランキングもあまり見たことがない

48位と驚きのランクです。この勢いはしばらく続きました。

一体何が起きたのか?理由がいまいち分かりませんが

この数値を見てワクワクしました。


曹洞宗大本山 総持寺

2019-01-23 06:39:26 | 旅 ~国内

今年の初詣は総持寺に行くことに決めた。当寺は鶴見駅から

線路沿いを歩いて数分。昔から電車からよく見え、

一度はお参りに来なくてはと思っていた大寺院だ。

正月三が日の三日になると参拝客がずっと少なくなって

厳粛な空気が参道に戻ってくる。年のスタートにあたり

ひんやりした空気がキュッと身を引き締めさせてくれる。

宗洞宗大本山の総持寺は横浜市鶴見区にあり、明治44年に

石川県門前町から移転してきた。敷地は約50万㎡(約15万1,500坪)あり、

敷地内には鶴見大学などの学校施設もある。

参道を行くと最初に出てくるのが「三松関」。この門は総持寺の総門で、

建築様式は高麗門で禅院の総門としては特異であるそうだ。

続いて見えてくるのが大きな「三門」。昭和44年落成で

鉄筋コンクリート造り。日本一の大きさを誇っている。

金剛力士(仁王)像は元横綱北の湖15歳の姿をモデルにしているという。

平成2年に竣工した「三松門」。切妻造り鉄筋コンクリ―ト造、

広さ9,400㎡(2,848坪)、4F、B2Fの建物で、修道場、

各種セレモニー会場となっている。宿泊施設もある。

拝観、墓地、法要参拝等の総受付施設の「香積台」。

中には大きなおしゃもじとすりごまがある。

日本最大といわれる木彫りの大黒尊天が祀られている。

金鶏門の所にはご覧の様に長い百間廊下がつながっており、

総持寺が大伽羅藍であることが分かる。

本尊釈迦如来が安置されている仏殿。この仏殿をはじめ

主要建物の多くは20世紀前半(大正時代~昭和前期)の

本格的木造建築で平成17年にこの仏殿をはじめ

16件の建造物が登録有形文化財に登録された。

そもそも総持寺の創建は奈良時代まで遡り、開基は行基、

 山号は諸嶽山、寺紋は五七桐紋だ。

1615年(元和元年)徳川幕府より法度が出され永平寺と並んで大本山となった。

仏殿の入口に居た若き僧侶。総持寺には全国曹洞宗のお寺の

子息が修行僧として来ているが、この僧侶はまだ僧に成って

日が浅いのではないか。所作を見ているとそう見えてしまう。

道元、瑩山紹瑾などの歴代の祖師を祀る大祖堂。

このお堂は太平洋戦争後に建立された鉄筋コンクリート造の建物で

本尊を祀っている仏殿より大きい。中にお参りした時に

紫の法衣を着た高僧(ひょっとして管主かも?)が説教をしていた。

お正月なのでご利益があると思い、一生懸命聞いたが

マイクを通しても声が小さくよく聞こえなかったのは残念であった。

大祖堂の前にはペットの待機場があり、唐草模様の服を着た

柴犬がじっとおとなしく繋がれていた。なんとも微笑ましい風景に見えた。

 

仏殿の横をちょっといくとほとんど参拝客が居ない

「放光堂」というお堂がある。ここに正しいお焼香の仕方が書かれていた。

私も正しいやり方は今迄知らなかったので

読者の皆様にも参考に成ればとアップしてみます。

① 合掌一礼致します。

② 左手合掌のまま右手の親指、人差し指、中指の三本で御香をつまみます。

③ つまんだお香を額の前まで持ち上げ

左手を添えて念じ、お焼香します。

④ 二回目は右手の三本指でつまみ、念じずそのまま御焼香します。

⑤ 焼香が終わりましたら合掌一礼します。

境内の奥には広大な墓地があり、あの石原裕次郎さんの

お墓もありました。裕ちゃんのお墓は一番端の方で

分かりにくく、思わず人に聞いてしまいましたが、

その人も裕ちゃんのお墓にお参りに来たとか。

お互いにここら辺だと思いますがと話をした前がそうで

一瞬導かれた様な不思議な気持ちに成りました。

同じような方々があと数組お参りに来て亡くなった後も

人の心の中に裕ちゃんは住み続けていると感じました。

石原裕次郎の墓へ行く途中に巨大で変わった形の

墓石があったので見たら「神刀流開祖天下無敵日比野雷風居土墓」と

書かれていた。他にも総持寺の墓地には芦田均元首相、

アサノ財閥の創始者、浅野総一郎。清浦奎吾元首相、

築地本願寺などを設計した建築家の伊藤忠太、

作曲家の黛敏郎などが眠っている。

境内の中では神奈川県赤十字血液センターが献血運動をやっていた。

各血液型の献血目標が書かれていたが、その横に日本人の

血液型の割合が出ていた。それによるとA型が約40%

O型が約30%、B型が約20%、AB型が約10%。

自分の認識と違っていたのでアップしてみました。

最後にいかにもお正月らしい鏡餅の写真を1枚。

今年も皆様にとって良い年になりますように。


2019 新春の富士

2019-01-22 06:24:59 | 自然

今年で3年続けて正月休みを鎌倉で過ごして来た。

毎年、新年の富士山を紹介してきたのでもういいかと思ったが、

この地から見た富士はシャッターを押さないわけにはいかない魅力がある。

そういうことで「2019 新春の富士」と題して

今年が読者にとっても良い年になりますようにという思いを込めてアップしました。

これは1月3日午後4時40分過ぎの稲村ヶ崎から見た富士山と江ノ島。

湘南海岸越しのこの風景はやはり絶景だ。

稲村ヶ崎の崖には毎年多くの人々が富士を見にやってくる。

一グループは刻々と表情を変えていく富士を撮ろうと

シャッターチャンスを待つカメラマン達。

もう一グループは唯々富士を無言で眺めている

こころは詩人に成っているグループ。

全ての人は皆、富士の方に迎い何かを感じて物思いにふけっている。

カメラマンの中には外国人の人も。我々日本人とは

また違う富士の美しさに魅了されシャッターを夢中で押しているのだろう。

その姿がまた絵になり、こちらも思わすシャッターを押してしまった。

☀が段々と落ちてきて、山並みがくっきりシルエットになってきた。

と同時に江ノ島の家々に光が灯り、辺りは夜の姿に表情を変えてくる。

丁度、午後5時、江ノ島を彩る光と色の祭典、

湘南の宝石イルミネーションが点灯された。

この日の夕方は風も出て来て、寒く身体が冷えきってきたので

帰路につこうと歩き始め、もう一度富士の姿を振り返った時の一枚。

厳粛な自然の富士の世界に半分現実の人間社会の姿が。

信号と沿岸沿い渋滞した車のライトが続く。

暗くなった由比ヶ浜を振り返るシルエットに成った稲村ヶ崎と

その崖に繁える松の木々。相模湾の海の地平線の向こうは

夕日に映えるあかね色の空。なんと美しい風景だろう。

今年の空気は殊の外澄みきっていたのか相模湾の向こうには

くっきりと伊豆大島を眺めることができた。

自転車に乗った一人の女性がその美しい風景に足を止め

じっと見入っていた姿が印象的であった。