スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

鳴門の渦潮

2017-10-31 05:20:45 | 自然

大鳴門橋を渡っていよいよ四国徳島県鳴門市へ。この大鳴門橋は

兵庫県南あわじ市福良丙(淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦

(大毛島孫崎)間の最狭部を結ぶ吊り橋で1985年(昭和60年)6月8日に

開通した。着工は1976年(昭和51年)。橋の形式は3径間2ヒンジ補剛トラス

吊橋で全長は1629mケーブル2本(直径84㎝)塔の高さ144m(海面上)

鋼材は約7万tも使われた。

世界遺産候補、世界三大潮流の1つ、鳴門の渦潮を見る為に

鳴門観潮船が出ている亀浦港へ。大きい船が我々が乗った

ワンダーなると。小さい方の船は小型水中観潮船アクアエディ。

ワンダーなるとは1日12回潮目を意識して出航している。

これが航路図。渦潮の位置。渦潮は潮の干満により、瀬戸内海側と紀伊水道側との

潮位の差が生じ、それが早い潮流となり複雑な海底の地形と相俟って渦潮ができる。

鳴門海峡の渦潮を世界遺産へするキャンペーンをしているようだ。

世界三大潮流とは、イタリアのメッシーナ海峡、

カナダのセイモア海峡とここ鳴門海峡で、渦潮の大きさは直径20mにも

達し世界一だ。その為か鳴門市のマスコットキャラクターは

うずひめちゃんとうずしおくんだとか。

この日の渦潮最強の見頃は北流で10:50、南流で17:40。

前後1時間半位までが見頃だ。干満の差は1日4回。

瀬戸内海から太平洋へ、又反対に太平洋から瀬戸内海へ約6時間毎に反転する。

鳴門海峡は約1300mと狭い。鳴門大橋は上下2層式となっており、

上部は片側3車線の道路(現在は計6車線の内、中央4車線を使用)

下部は将来的に鉄道を通すことが出来る構造となっている。

渦潮の流れの速度は通常13㎞~15㎞。大潮の最速時は10ノット以上

(約20㎞/h)。激しい潮流が轟音をあげて逆巻き、千変万化する

壮観さは正に自然の驚異だ。4枚目の写真を見ると白波が

立っている所と全く凪っている所とはっきり分かれていて潮の流れがわかる。

潮の流れの速い所に小型水中観潮船アクアエディや帆船風観潮船が

数回入って行った。

甲板で渦潮が渦を巻いているのを見つけると歓声が起きた。

「アレアレ、大きい渦だ。」

鳴門大橋から船着場に向かう途中、大塚国際美術館を発見。

この美術館はオロナミンCで有名な大塚製薬のグループが、

平成10年創立75周年記念事業として鳴門市に設立した

日本最大級の常設展示スペース(延9000坪弱)を有する

陶板名画美術館だ。世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する

至宝の西洋名画1000余点を大塚オーミ陶業㈱の特殊技術によって

オリジナル作品と同じ大きさに複製している。所蔵作品として

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、ボッティチェッリの「ヴィーナス誕生」

ミレーの「落ち穂拾い」、マネの「笛を吹く少年」、ドラリロワの「民衆を導く自由の女神」

ゴッホの「ヒマワリ」、ピカソの「ゲルニカ」そしてポスターの

「システィーナ礼拝堂の壁画」、ミケランジェロなど。

尚入館料は3,240円だ。

 

 


夢海游 淡路島

2017-10-30 06:42:43 | ホテル・旅館

淡路島洲本温泉にある夢海游。神戸ベイシェラトンホテル&タワーを

はじめ7つのホテル、旅館を運営しているホテルニューアワジグループがやっている。

目の前に大浜海岸が広がる海辺のスパリゾートで

客室が101室、収容人員434名という結構大きな温泉ホテルだ。

比較的最近リニューアルしたのか全体的にとても綺麗な印象を持った。

http://www.yumekaiyu.com/

到着するなり当グループは売店へ一目散。それは淡路島の名物、

玉ねぎを買う為だ。右側のジャンボフルーツ玉ねぎが1個270円(税込)

ネットに入った普通の大きさのフルーツ玉ねぎが750円。

ここの玉ねぎはフルーツと言うだけにとにかく甘い。

やわらかい、みずみずしいと全国的に有名だ。淡路島産玉ねぎは

早生(わせ)、中生(なかて)、晩生(おくて)の3種類がある。

早生は新玉ねぎと呼ばれ生で食べるのが最適、

中生も新玉ねぎと呼ばれ水分量は少なくなるが、早生とほとんど同じ。

今回買った晩生は最もポピュラーで手に入りやすい種類。

玉ねぎ小屋で吊り下げられ自然の風でゆっくり乾燥されたもの。

加熱して食べると甘みが強くなるので料理に適している。

それ以外にたまねぎポタージュ、たまねぎコンソメ、

フルーツ玉ねぎスープ、オニオンスープなど多彩な粉末スープも売っていた。

このスープは地元信用金庫の協力で特別ディスカウントをしてくれた。

本館からしばらく館内を歩いて行く離れスパ「海音の森」。このスパは

最高に素晴らしかった。大浜海岸を望むオープンエアの浴槽をはじめ

開放感のある露天風呂(白砂の湯)。夜早朝の海音の森スパへ行く

エントランスアプローチの雰囲気がロマンチックで素敵だ。入ると森のベンチと

称した休憩コーナーに出る。ずーっとベンチに成っていて一番奥に

ブランコ状態の椅子が空間を引き締めるアクセントになっている。

脱衣場も窓際が小上がりの座敷になっていて贅沢な作りだ。

お風呂は窓を開けたオープンな半露天風呂状態、

窓越しに大浜海岸の松並木が見える。こういう借景の露天風呂は

あまり無い。湯の肌ざわりはサラッとして気持ちが良く最高。

洗い場も風呂とは別室に分離されていて落ち着いた雰囲気であった。

こんなスパに行った時は誰もおらず一人独占してしまうという王様状態。

こんな心が豊かになる贅沢はそうは無い。最高最高だった。

朝風呂を浴びて湯冷ましに本館屋上にあるテラスに行ってみた。

テラスの奥に見えるのは関西国際空港方面の大阪湾。

空が丁度朝焼けで赤味を増してきた。朝6時30分頃。

テラスの隣りに室内プールがあった。天井壁がガラス張りで

なかなか洒落た空間だ。奥にはサンルームがあり、バリチックな籐の椅子が

大人の雰囲気を出している。ここもとてもいいエリアだった。

これがこの日の夕食。万葉の昔より「御食向かふ(みけむかう)」を

枕詩に詠まれた淡路島は多くの食材に恵まれた宝庫と言われてきた。

この地元食材をふんだんに用いた会席料理。当然海の幸、

淡路牛も旨かったが、一番印象に残ったのが宝楽焼きとしゃぶしゃぶ鍋に

添えられた玉葱の甘み、旨味であった。

早朝散歩の習性で大浜公園をブラブラ、ブラハンチャン。

大浜海岸は洲本市にある白砂青松の砂浜海岸で淡路島を代表する

景勝海岸。一帯は瀬戸内海国立公園に属している。ここは環境省の

「快水浴場百選」にも選ばれている。防波堤の先端に漁協からの

お願い書きがあった。ここはアオリイカの産卵場で

7~9月、胴長15㎝以下のアオリイカはリリースするように。

早朝散歩でお腹が空いた所で朝食。ここのあじの干物は

ちょっと関東と違う感じだった。ここには写っていないがこの後ドンブリで

玉ネギスライスが食べ放題で出てきて感激。

やはり甘い、どんどん食べられてしまう。今回の淡路島の食は

玉ねぎで脳が占領されてしまった。

ホテル最上階から見た洲本市の朝。人口約4万3000人で

想像していたよりも大きな街だ。淡路島には他に淡路市と南あわじ市がある。

 


たこせんべいの里

2017-10-28 06:38:23 | 地元企業

淡雅なる食の歴史が生きる町淡路島に平成13年オープンした

「たこせんべいの里」。瀬戸内海をはさんで対岸の明石は弥生時代の遺跡から

出土したタコ壺が発見され、タコ壺発祥の地といわれる位、明石のタコは有名だ。

兵庫県淡路市中田4155-1

TEL 0799-60-2248

㈱多幸A http://www.takosato.co.jp

綺麗で広々とした店内直売コーナー。ワゴンに山盛りに置かれた

様々なたこせんべい。それぞれ試食ができる。少しずつ食べて味の

比較ができ、それだけで結構楽しめる。

入口を入った所に商品見本が並べられてある。300円台から

1000円位のたこせんべいが40種類位ある。うっかりすると

商品見本なのか販売商品なのか分からない置き方だ。

展示方法はもっとお客に分かりやすく考えた方が良いのではないか。

最新設備を誇る生産工場を硝子越から無料で見学できる。

原料をミンチにし、練り上げた練りをロータリー焼成機でしっかり焼き上げ

味付け、乾燥、選別を終えて包装される。来店した時は

午後4時半を過ぎていた為生産ラインは終了して

一部の人が働いているのみであった。

休憩コーナーでは無料コーヒーマシンが置いてあり、ゆっくりと

コーヒーが飲める。頭上にはフクシア、ポトス、オアシスなどの

観葉植物が飾られ、心が落ち着く演出をしている。

身近に見られる4つのタコの種類が表示されたあった。

ミズダコ、シマダコ、イイダコ。そして一番一般的なマダコ。

変わった所では毒性のあるヒョウモンダコ、珍しいサメハダテナガダコ、

可愛い浮遊性のクラゲダコ、小型のスナダコなど。

帰りにお土産として配られたもの。食べるとこれが後を引く。

たこせんべいの袋を見てあまりにかさばるし、

まだ旅の一日目だけに買うのをやめていたが、後でバスの中で

食べてみると少し買ってくればよかったと後悔した。


明石海峡大橋

2017-10-27 06:29:02 | ドライブ

神戸市垂水区東舞子町を淡路市岩屋を結ぶ明石海峡を

横断して架けられた世界最長の吊り橋が明石海峡大橋。

パールブリッジの愛称があるらしいが、あまり定着していない。

1988年(昭和63年)5月に着工し、約10年間の歳月を要して

1998年(平成10年)4月5日に開通した。工費は約5000億といわれている。

全長は3911m、中央支間は1991m。なんと1995年(平成7年)の

阪神淡路大震災によって地盤のずれがおこり、全長が1m伸長したという。

構造形式は3径間2ヒンジ補剛トラスト吊橋で、ケーブル架設の

第1歩であるパイロットロープ(ポリアラミド繊維製)の渡海には

世界で初めてヘリコプターを使用した。本州と四国を結ぶ3本の

本四架橋ルートの中では交通量が最も多い橋だ。

基礎工事は瀬戸大橋で開発したケーソン基工法を採用。

主塔の基礎は海面下50m以上の大水深、主塔2基は高さ海面上298.3m。

横浜ランドマークタワー(296.3m)より高い。

なんと施工期間中は死亡事故はゼロだったそうだ。

淡路サービスエリアの中に大規模な観覧車があった。お客が1人でも

来ると動き出す方式で、ブルーのゴンドラの中の1つにドラえもんが

乗っているとか。それにしても関東エリアのS.Aの人混みを

みているだけに、パラパラしか人がいないのには驚いた。

淡路サービスエリアの売店の中にたこ焼き屋さん「たこぷん」があった。

たこ焼きは関西が本場だが、ここ明石は明石焼きが名物。

6個で420円だ。明石焼きとはたっぷりの玉子を使ってふんわりトロける

明石焼きを和風だしに浸して食べる。とてもサッパリしていて

好みの美味しさだ。本場明石では「玉子焼き」と呼ばれている。

明石海峡大橋が開通して物流に大きな変化が生まれた。

四国産の農水産物が関西市場で大きなシェアを占めるようになったという。

季節や日時に応じてライトアップがされ、光の三原色のイルミネーションランプ

1084組が彩りを変える。この照明デザイン担当は東京タワーの

イルミネーションで有名な石井幹子氏がやっている。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編169~

2017-10-26 05:58:49 | 食~番外編(県外)

灘菊酒造 大返しめし

兵庫県姫路市手柄1-121

TEL 079-285-3111

http://www.nadagiku.co.jp/

灘菊酒造さんは創業明治43年の老舗造り酒屋さん。

平成5年に国宝姫路城が世界遺産に登録されたのを

機縁に酒蔵見学と酒蔵の膳を始めた。

お酒と食文化のハーモニーをテーマにしている。

当社のお酒は数々の賞を受賞している。大吟醸は酒造之助、

純米酒は灘菊。純米大吟醸はきくのしずく、特別純米はMISA33を製造している。

約2700坪の敷地に創業当時からの木造酒蔵が現存している。

昭和30年代までの造り酒屋の配置を残す灘菊では表通りに面して

母屋があり、その奥に明治時代より現存する木造の蔵が立ち並ぶ、

昔ながらの佇まいを今に残している。又現在の酒造りは

RC蔵「甲蔵(きのえぐら)」で行われており、6つの木造蔵と

現在の仕込み蔵がある。とても趣きのある風情の酒蔵だ。

釜場の跡を利用したお食事処西蔵。中に入ると酒蔵だっただけに

かなり広い。酒造の人から「大返しめし」の説明を受ける。

当社はこれ以外に炭鍋と豆腐料理の「前蔵」串揚とすずき鍋の「蔵」

フランス料理「GINJYO」もやっている。

「大返しめし」とは備中高松城水攻の陣中において明智光秀の

本能寺の変の報せを知り、姫路城主羽柴秀吉天下取りの快挙

「中国大返し」の故事に因んだ料理だ。地元産の旬の食材を使った賄い料理、

酒蔵ならではの発酵食品に拘り、だしからすべて手作りの

豆腐、塩麴鍋、麦めしとろろなど藩州姫路の味の酒蔵の膳が並んでいる。

昭和30年代までの酒造りの道具を展示している中蔵。現在の

仕込み蔵の杜氏は蔵元の3女が務めている。

女性では全国3人目、西日本では初めてだそうだ。

灘菊酒造では兵庫産山田錦、兵庫夢錦を厳選し、

500㎏の小造りで丹精込めて醸している。山田錦は稲の品種の1つで

主に日本酒製造に用いられており、酒造好適米の代表と言われている。

大正12年に兵庫県明石市の農事試験場で誕生し、

昭和3年に兵庫県加東市で産地適応性の試験が行われた。

昭和11年に山田錦と名付けられ、兵庫県の奨励品種になった。

現在全国の生産量の8割を兵庫県産が占めている。

 


国宝 姫路城 PARTⅡ

2017-10-25 06:51:50 | 建物

昨年の「道東の旅」に引き続き、今年もさいしん旅の生きがい大学

第31回姫路城・こんぴらさん参拝徳島「鳴門観光船」「阿波踊り体験」

2泊3日の旅に行って来ました。旅のいきがい大学は

余暇を旅行によって生きがいあるものに、そして旅行を通じて

たくさんの方々とお知り合いになっていただこうとの目的で

31年間も実施されている。

2015-6-18付ブログ参照

世界文化遺産、国宝である姫路城はシラサギが羽を広げたような

優美な姿から白鷺城の愛称で親しまれてい入る。

1346年赤松貞範が築城、その後黒田重隆、羽柴秀吉、

池田輝政が改修をしていき、今日の城姿になった。

姫路城に西国の外様大名監視のための西国探題が設置された。

主な城主は小寺、黒田、池田、本多、松平、榊原、酒井と

多くの大名が成った。城主が幼少、病弱、無能な場合には

牽制任務を果たせない為に城主となる大名が頻繁に交替した為である。

この道路標識は日本語表示がなく、英語のみ、とても新鮮で

思わず撮ってしまった。やはり姫路城は京都からも近く

外国人観光客が多いのだろう。先日アップした京都で

あまりにも多い外国人にぴっくりしたがその流れの標識なのだろう。

右側の絵表示はしばらく見ても意味が分からない。

どういう意味の絵なのだ?

姫路城には内堀・中堀・外堀と3つの堀がある。

平成4年に昭和時代から空堀になっていた東部中堀を整備し水堀に戻した。

平成10年と平成19年には北部中堀も整備。現在はポンプを

使用して約5日間で循環するようになっている。

旅をするといつも感じるのだが、平成に入って文化財のインフラ整備が

どんどん進められている。これは日本の心の豊かさを求める力が

行政を動かしているにちがいない。

徳川家康の孫娘千姫が本多忠政の嫡男忠刻に輿入れする際の

化粧料10万石で1618年(元和4年)に建てられた西の丸。

今回は姫路城の正面から記念写真を撮り、近くまで案内して

城の説明を聞いただけで、隣接する姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」を

中心に散策した。姫路城を望む日本庭園「好古園」は

姫路城を借景に、姫路市制百周年を記念して造営され、

平成4年に開園した池泉回遊式の日本庭園だ。

昭和60年以来の発掘調査で確認された西御屋敷跡・武家屋敷跡・

通路跡などの地割りを活かした9つの趣きの異なった

庭園郡で構成され、その面積は約10,000坪有る。

「好古園」の愛称は江戸時代の最後の姫路藩主酒井家によって

この庭園の入口付近に移設され、文武両道の振興を図った

藩校「好古堂」に因んでいる。

御屋敷の庭を眺めながら食事ができるレストランがある活水軒。

メニューサンプルを見ると地元食材の穴子中心のメニューが

並んでいるのはグルメサイドから見た旅のおもしろさだ。

姫路藩主の下屋敷があった御屋敷の庭は姫山原始林を借景とした

池泉回遊式庭園で本園最大の庭だ。南側の大滝は深山幽谷の

流れの趣きにあふれ、瀬戸内海をイメージした池には錦鯉が彩りを添えている。

中秋の名月を愛でるのに最良の方向に建てられた潮音斎。

そこに折り紙で飾られた内裏びなと羽子板。おそらく千姫を意識した

お人形だろう。とても可愛かったので2度パチリ。

外国人ガイドの説明を真剣に聞いていた外国人の団体。

言葉を良く聞いていたらドイツ語だった。皆イヤホーンを付けて話を聞いている。

良く整備されている土塀の長い道。とても心安らぐ空間だ。

8月26日に封切された「関ヶ原」原作は司馬遼太郎で岡田准一

有村架純、平岳人、東出昌大、役所広司と人気俳優が出演している

映画は好古園でロケされた。築地塀、屋敷門前、好古園横の堀沿いなどが

ロケ撮影に使われた様だ。機会があったら記憶が残っている間に是非見たいものだ。

ちょっといい感じの写真2枚。

ここは流れの平庭。水の流れもゆったりとした岸辺にあずまや

「流翠亭」が建つ、明るいのびやかな庭園だ。

見た目にはほとんど平らなのにスムーズに水がUターンして流れている。

流れの美しさにしばし見とれてしまった。そこに実を付けていた

紫式部の花がとても栄え、よりこの庭を美しくさせている。

浴衣と着物を着た若いカップルがここにも居た。京都でも大勢居たっけ。

着付けがいまいち馴染んでいなかったので、聞いてみたら

台湾から来たと言っていた。やっぱりネ。

幾種ものお洒落な垣根が目に止まったのでパチリ。

これだけでも日本文化の美しさを感じます。

15種類の竹類を植栽した「竹の庭」。中央に八角の和傘を

イメージしたあずまや「聞竹亭」を配している。

 

 

好古園は平成4年開園の新しい日本庭園だがゆっくり全体を

散策してみると、一言で言えば素晴らしい庭園であった。

現代の求めるものを日本古来の様式で表現しているようで

今の日本の心をしっかりつかんでしまう何かがここにはある。

是非時間に縛られないでもう一度来てみたい庭園でった。 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その351~

2017-10-24 05:49:55 | 食~イタリアン・フレンチ

イタリア料理とワインの店 OSTERIA DIANA(オステリア・ディアーナ)

さいたま市浦和区常盤9-21-14 ガクヤビル2F

TEL 048-831-1866

定休日 月曜日

ここは取引先の方から紹介して頂いたイタリアンとワインが

楽しめるお店。ちょっとオシャレで落ち着いた空間のオーナーシェフが

やっているお店だ。聞いてみたらオープンして19年過ぎたと言っていた。

今まで浦和エリアのお店を書いていて気が付いたのは

この頃オープンしたオーナーシェフの店が多いことだ。

場所は北浦和西口から徒歩2分程の便利な所。R17号を渡った

前の黒ずんだガクヤビルの2階。入口がオープン階段を

登って入ったほとんど目立たない場所にある、隠れ家的レストランだ。

店内は小じんまりしていて、2人用テーブルが7席、14人も入ると

満席になってしまう。この日もほぼ満席状態でやはり女性客が多かった。

応対していたのは、シェフの奥さんか(?)シェフと2人だ。

私はこの規模の店が好きで、思わず期待をしてしまった。

今、イタリアンレストランは必ずと言っていい程、店内の壁に

黒板で定番メニューが書いてある。この内容、価格を見ると

だいたいそのお店のイメージが分かってくる。

ここはどことなく良心的なものを感じた。

ランチはピッコロランチコース1,620円とディアーランチ1,030円の

大きく2コース。シェフお任せコース2,575円もある。

本日のパスタは5種類、①なすズッキーニ、バジルトマト

②あさりとしめじと小松菜 ③秋鮭とアスパラのクリーム

④ポークとパプリカのトマトペンネ ⑤海老のトマトクリームリゾットだ。

この中の2番あさりとしめじと小松菜ペペロンチーノ系を注文1,030円。

はじめにトーストにトマトマリネをのせたパン。

新鮮な野菜と自家製ドレッシングのプチサラダ、

そしてメインのパスタ。ちょっと細目のパスタで完全にアルデンテ。

あさりが小粒だが大きさが皆揃っている。見た瞬間、シェフの

拘りを感じだ。味はかなりのレベルで旨い。デザートは

自家製ティラミスかぼちゃプリン。これもパスタ以上に旨い。

コーヒーも手作り的味がしてグッド。精算時にオーナーシェフと

ちょっと話をしたが、ご主人の人柄の良さが伝わってきた。

この人は頑張っているナーと思った。


マリモ

2017-10-23 06:28:17 | 自然

ちょうど一年前、網走市にあるオホーツク流氷館で買った

クリオネがついたマリモ3個。この時の写真を見ると

鮮やかなグリーン色だったが、一年経つと次の写真の様に黄緑色に変わってしまった。

一年間、マニュアル通り、一週間おきに水を取り換えマリモのごはんを

与えた姿がこの写真です。先の方がモアモアと延びあまり美しくはなくなった。

大きさは多少大きくなったみたいだが、どうでしょうか?

まだ触ったことがないが、見た目に柔らかそうであるが、

実際には硬い藻であり、手で触れるとチクチクした感触だそうだ。

これが同時に買った「マリモのごはん」。ネーミングがかわいいですよネ。

マリモは日本では1897年に阿寒湖で発見され、その形から

マリモ(毬藻)という和名が付けらえた。阿寒湖のマリモは

最大30㎝程度まで成長する。直径5㎝くらいに育つのに

100年以上かかるという。寿命は延々と無性生殖を繰り返すので無いに等しい。

又一年後にブログアップしたいと思うのでよろしくお願いします。


ガトーフェスタ ハラダ 

2017-10-21 06:23:27 | 地元企業

高崎市新町にあるラスクの工場(シャト-・デュ・エスポワール)と

お店(シャトー・デュ・ボヌール)の見学オープンに行って来た。

右に見えるのがシャトー・デュ・ボヌール。

ここは月~金AM10:00~PM5:00無料で見学できる。

尚団体(10名以上)は事前予約が必要だ。

こちらは2008年秋にオープンした本社工場

「シャトー・デュ・エスポワール(希望の館)」だ。

間口100m有余にギリシャ建築をデザインした70本の列柱が立ち並ぶ

壮麗にして悠久の生命力に満ちた感動のお菓子の殿堂だ。

3階と4階が工場になっているが、外から見るととてもお菓子工場には見えない。

1階エントランスを入ると全体が広いロビーになっており

フロントデスクで受付を受けるとガイドの女性の方が

イヤホンガイドで説明をしてくれる。当社は明治34年創業、

群馬県と埼玉県の県境の神流川の畔に2004年に

工場直売店(幸福の館)、2008年に本社工場(希望の館)を完成させた。

試食用に配られたガトラスク グーテ・ロワ。ガトーフェスタ ハラダが

誇る王様のおやつ。小麦の味を賞味するものと称される

芳ばしい香りのフランスパンに、上質なバターなどを使用して

丁寧に仕上げたガトーラスク。サクサクとした食感と芳醇なバターの

香りが至福の時間を届ける。

工場見学者限定のグーテ・デ・ロワプリュレ。

オーブンに入る直前のグーテ・デ・ロワ(プレーンラスク)を

バーナーであぶりキャラメリゼしている。通常のラスクの様に硬くなく、

適度な歯応えがあり、しかも味は絶品。思わず

「これはどこに売っていますか?」と聞いた位、旨かった。

あくまで試食のみということで3枚も試食してしまった。

ここが工場かと思うくらい、オフィスみたいに綺麗だったが

建物内は一切撮影禁止であったので写真はこれまで。

工場から売店へ通じる通路。ギリシャ建築の列柱が良くわかるでしょ。

工場直売店「本館シャトー・デュ・ボヌール」はアートギャラリーの

ようなスペースでとてもお洒落な店だ。

その雰囲気にのまれたせいか、皆お土産を買っていた。


少林山達磨寺

2017-10-20 05:24:03 | 旅 ~国内

高崎市内にある黄檗宗(禅宗)の少林山達磨寺は縁起だるま

発祥の寺として有名だ。当寺ではだるまさんに和尚が魂を

込める開眼を行なっている。(魂入れ)

当寺の縁起を紹介します。室町時代末期より厄除け、子授け、

子育て、縁結びにご利益のある観音菩薩をお祀りしていた。

江戸時代、碓氷川の氾濫した時、川の中に光か輝く香木を

みつけ納めていた。1680年、一了居土という行者がこの霊木で

「達磨大師」の座禅像を彫刻し「達磨大師」の霊地 松林寺」として

知られるようになった。1697年水戸光圀公の帰依された心越禅師を

開山と仰ぎ水戸家から「三葉葵の御紋」と「丸に水の紋章」を

賜い永世の祈願所とされた。現在も星祭と御祈祷の関東髄一の

霊場として広く、振興されている。

総門をくぐると急勾配な大石段が待っていた。この石段は

強烈で達磨寺の参拝を終え、下山した時はこの石段のインパクトだけが体に残った。

大石段を昇りきると「招福の鐘」がある。

AM9:00からPM5:00まで撞くことができる。

禅を通じて人格教育を行う道場「大講堂」サークルでの禅研修、

新入社員研修など、寝食を共にし禅の生活を体験する

研修の場として利用されている。

昭和50年にできた瑞雲閣。毎日早朝座禅会が行われ、又結婚式、

茶会などの行事も行うことができる。

内部にはタウト展示室や仏教図書館もある。

当山最古の観音堂。近郊では唯一の茅葺のお堂として知られている。

北辰鎮宅霊符尊と初祖達磨大師・開山心越禅師をお祀りしている霊符堂(本尊)

・だるまさの願掛けの仕方

だるまさんに向かい合い、まず心を静め、願いをこめて向かって右に

墨で眼を書き入れる。そして一年間無事に過ごせた時、

願いごとが叶えられたときに、感謝の心をこめてもう一方の眼を

書き入れる。達磨大師のように、いかなる困難も克服し、

願いごとを成就して無事にだるまさんの両眼が開けられるよう

惑わされず、振り回されず、正しい心の目を見開いて精進しましょう。

本堂の隣りには売店があり、達磨グッズばかりが売られている。

絵馬もここには達磨さんだ。(縁起だるまの由来)

約220年前第9代目東嶽和尚が天明の大飢餓のあと、

苦しい農民たちを救済する復興活動として、毎年正月に禍を除く

お礼として近在の家々に配っていた。開山心越禅師の描かれた

「一筆達磨札」をもとに木型を彫り、農民の副業になるよう

張り子のだるまの作り方を伝授した。

この達磨堂は昭和61年、達磨大師の縁日、10月5日に貝堂した。

御本尊の「座禅だるま」をはじめ、信徒の皆様から寄贈いただいた

品々や、寺の宝物など、古今東西各種各様の「だるまさん」が所狭しと展示してある。

高崎というと福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三の3人の

総理大臣を輩出している。選挙で使ったのだろう

一際大きいだるまが並んで飾ってあった。

松林山は小高い山の上にあり、榛名山はじめ上州の山々が

透き通った空気の中、くっきりと見えとても気持ちが良い一時であった。

達磨寺からちょっと脇道に入った所に史蹟「洗心亭」がある。

この建物はドイツ人の世界的建築家ブルーノ・タウト氏が昭和初期に

居住された史跡だ。タウト氏はここで日本の文化、桂離宮、伊勢神宮、

白川郷の合掌造り等の日本美を再発見し、これを研究して

世界に紹介・発表し、実に偉大な功績を残した。

1920年代にタウトが設計したベルリンの住宅群4件は

世界遺産として登録されている。庭には「私は日本の文化を愛する」と

ドイツ語で書かれた記念碑がある。

最後に強烈な印象を残した大石段を上から撮ってみました。

この階段を登るのに2回太ももに来て、一瞬足が上がらなく

なったのには参った。