スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

記憶に残る2019 BEST 5

2019-12-28 07:14:13 | コラム

みなさ~ん 

 

今年もブログなんだかんだ言って頑張っちゃいましたが(自画自賛しちゃおーかなー)、

これが令和元年の最終号ですヨ!

最近goo Blogで「いいね」「応援」「続き希望」「役立った」が

できるようになったので最後のご褒美でいっぱ押してネ!

多ければ多い程、来年頑張っちゃうから!

 

 

今やスミダマンの恒例ブログ「記憶に残ったBEST5」

今年もイロイロあったネ~。

 

 

 

第5位

「小泉進次郎・滝川クリステル電撃結婚発表」

8月10日このニュースを聞いた時「何それ?嘘!」といった感じ。

世の中には想定外の出会い、組み合わせがあるんですねー。

しかも子供までできちゃって、すごいすごい。

超有名人同士がこの日を迎えるまですごい苦労があったんでしょうねー。

進次郎さん、クリステルさんを未来のファーストレディに是非してください。

とにかく、おめでとうございます。

お幸せに!

 

 

 

第4位

「世界文化遺産焼失」

(4月16日)

(10月31日)

今年、海外と国内で大きな心のロスが起きた大火災があって、

本当にショックを受けましたネ。

一つは4月16日、フランス・パリのノートルダム大聖堂の大火災。

パリっ子がこの火災を見て茫然自失な表情になっていたのをニュースで見ました。

そうこうしているうちに10月31日、沖縄の首里城が全焼。

とても信じられない光景で正視できない程でした。

沖縄の人々にとってどれ程のショックがあったことでしょう。

心の支えとなっていた人類の文化遺産の喪失に心からお悔やみ申し上げます。

 

 

第3位

「台風15号・19号の大被害」

(台風15号)

(台風19号)

台風では今迄あまり被害の出ない関東地区で立て続けに大被害がでましたネ。

特に千葉県の人々は踏んだり蹴ったり。

さぞ、嫌になったでしょうネ。

災害が少ないと言われている埼玉県でも河川が決壊して大きな被害が出ました。

この両台風についてはブログ(2019-10-19 三浦半島の旅、

2019-11-26 台風19号の爪痕)アップもしたけど、

読者の皆さんは読んだ記憶ありますか?

特に台風15号にはひどい目に遭っちゃったなー。

来年はこんな台風が来ないことを祈るのみですよネ!

 

 

第2位

「ラグビーW杯 日本代表チーム大活躍」

(9月20日~11月2日)

日本で開催されたラグビーW杯。

超大盛り上がりですごかったですよネ。

赤と白のストライプジャージは他国より目立ってカッコよかった。

今までマイナーなスポーツだったのが、一挙にメジャーになって

すっかりサッカーの影が薄くなったって感じ。

終わってみれば流行語大賞に5つもノミネート。

その内の一つ「ONE TEAM」が今年の流行語大賞を獲得してしまったとは・・・。

他に「にわかファン」「ジャッカル」「笑わない男」

そして「4年に一度じゃない 一生に一度だ」

これはすごいキャッチコピーだったネ。

 

 

第1位

「新年号は令和」

今年は「平成」よサヨウナラ、ようこそ「令和」ヨロシクといった

新年号に変わって時代の節目の年でした。

4月1日に政府発表された時の状況は2019-4-2付ブログを是非見てネ。

そして草津での令和のスタート風景は2019-5-14付で記録に残したつもり。

「スミダマンのほのぼの奮戦記」が続く限り、

このブログが記憶をより戻す重要なキッカケに成れば最高です。

新年号「令和」の時代も平和で繁栄が続く日本であってほしいと

日本人は皆願っていると思うヨ。

 

 

番外編

映画「翔んで埼玉」思わぬヒット

こんな超ローカル、しかも埼玉の悪口(デスル)が並んだ映画がヒットするなんて

埼玉県人の心は優しくて深い。

自分も2回も観てしまった。人に会うと「あの映画観た?」なんて

一時期は挨拶代わりに成ったっけ。

この映画を作った竹内英樹監督の話(2019-6-8付ブログ)も聞いたっけナー。

封切られた時の埼玉県知事・上田清司が言った言葉は名言だ。

「悪名は無名に勝る」

 

 

読者の皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

来年はオリンピックイヤー。

きっと記憶に残るドラマが沢山生まれるにちがいない。

 

では、よいお年を!!

 

 

 

 

 


シュエダゴォン・パゴダ

2019-12-27 06:42:53 | 旅 ~海外

ヤンゴン北部にあるミャンマー仏教の総本山がこのシュエダゴォン・パゴダだ。

釈迦および釈迦以前にこの世に現れた3人の菩薩の遺体の一部が納められていると

信じられていることから重要な聖地とされていて

ここを全てじっくり見るには1日はかかると言われている。

当パゴダの配置案内図。

東西南北の門から入り、エレベーター、エスカレーターで昇った上部にパゴダはある。

そしてそこには60余りの仏塔や廟が林立する空間が拡がっている。

ここにはお隣の国の敬虔なタイ人仏教徒がお礼参りに多く来るという。

それだけヤンゴンのパゴダは信仰深い人々の聖地となっているのだろう。

お釈迦さまにゆかりのある木は仏教の三大聖木と言われ、

無憂樹と沙羅双樹とこの菩提樹を指す。

特に菩提樹はお釈迦さまお悟りの木で、苦行により衰弱した体を尼蓮禅河の流れで清め、

村の娘スジャータから供養を受け元気を回復し、

ブッダガヤで悟りを開かれた時に座った木だ。

北門から入っていくとそこにはきらびやかな霊廟、パゴダ、仏塔が目の前に迫ってきた。

ここはスーレー・パゴダなどと違って規模、スケール、存在感など圧倒するものがある。

廟の壁には2枚の大きなお釈迦さまの絵が。

そして仏像も白い肌に金の衣をまとってアピール度がすごい。

天井の細工も立派だ。

これが中心にある黄金の塔で高さ約100m。

建物全体に金箔が施され、上部には6,000を超える宝石が装飾に使われている。

なかでもダイヤやルビーは信者による寄進されたものもある。

シュエダゴォン・パゴダは伝説によると約2,500年前に建てられたとされているが、

考古学の研究によると6~10世紀の間に建立されたと考えられる。

又、地震によって幾度も破壊されており、

現在の仏塔の原型は15世紀頃成立したと考えられている。

ここを満喫する3つのポイントとは、まず近代的エスカレーターに裸足で乗る。

日本ではなかなか味わえない体験だ。

次にスーレー・パゴダのブログで記した八曜日のお参り。

そして最後に感動の夜景スポット。

必見の美しさだそうだ。

今回は日中の参拝で残念ながら夜景体験はできなかった。

ミャンマーに来ていくつかの心打つ光景の一つに仏様に対して向かう敬虔な姿だ。

この姿は文化の違いとはいえ、日本では見ることができない。

パゴダを巡りながらいくつか目に止まった仏の化身を撮ってみた。

どれもが歴史のある寺院なのに真新しく鮮やかな姿で迎えてくれる。

このことも日本との仏教文化の違いを感じる。

当寺院で唯一見た涅槃仏像と大中小の多くの仏像。

涅槃像の光背にもLEDが光っていた。

メインのパゴダを囲んで東西南北4つある大きな堂のうち1つのBuddha Image。

ここの前では多くの信者が祈りを捧げていた。

この建物は他の塔とちがって赤味を帯びた建物で異彩を放っていた。

スーレー・パゴダのブログに詳細をアップしましたが、

ミャンマーで伝統的な暦・八曜日があり占いとして使われている。

私の誕生曜日は金曜なのでモグラを中心に撮ってみた。

各守護動物の社には生誕曜日の同じ人々が熱心にお参りをしていた。

又々一風変わった仏塔が出現。

よく見ると壁面にお釈迦さまの物語が描かれた絵がはめ込まれた塔だ。

この寺院の規模がいかに大きいかを俯瞰する二枚だ。

これで全体の各々四分の一しか写っていない。

新旧の鐘。

特に古い鐘は歴史的に重要な文化財らしい。

広い寺院内を一周して気に成った人をパチリ。

一番上の写真は老人僧なのかゆっくり歩いている姿にオーラを感じた。

二枚目は大勢の人が居る中で真剣に祈っている姿が感銘的ですらあった。

最後はロンジーを腰に巻いて歩いている外国人女性が一人異彩を放っていた。


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編287~

2019-12-26 07:28:02 | 食~番外編(海外)

SHAN YOE YAR レストラン

ここはヤンゴン中心部から若干離れた緑が茂る

ミャンマー料理が食べられるレストランだ。

チーク材で建てられた木造2階建でミャンマーらしい趣のある建物だ。

https://www.facebook.com/ShanYoeYar

店内は広々として開放的で明るい。

テーブルや椅子もミャンマー風の民族的家具で雰囲気がある。

どうやら見た感じはヤンゴンの地元客が来ているようで

旅先のランチといった感じがした。

ウエイターは皆若く、黄色いユニフォームを着て、

なぜか皆ニコニコして働いている。

このウエイターさんも日本人に似ていて愛嬌があった。

心あたたかいおもてなしを感じるレストランだ。

最初に出てきたのがオニオンクラッカー。

玉ねぎを揚げたチップスで結局これが一番口に合って美味しかった。

Shanスタイルの豆腐サラダ。

いかにも見た目もミャンマー風だ。

味の方は忘れた。

これが今回一番皆で話題になった、まなずの姿そのままの

「Deep Friend Fish with Tamarind Sauces」。

なまずの顔が生々しくて正面からは撮れませんでした。

スフレみたいなフワフワの卵白(?)を4つに割って中に具を入れてまた閉じる

「Eggs Special with Seafood」。

味よりも調理の仕方がショーっぽくて見て楽しめる料理だった。

料理名わからず。

「Vegetable Soup with Dried Soyabean Powder」。

Shan Dessert

ミャンマーは知られざるビール大国だそうだ。

ミャンマーのビールといえばネーミングがストレートなミャンマービールだそうだ。

さすが国を代表するビールなだけあって味も美味しい。

何度もヨーロッパ選手権で金賞を受賞しているとか。

店の入口のコーナーにはミャンマーコーヒーをはじめ、

ティーシャツなど幅広いおみやげグッズコーナーが設けられてあった。

そして写真付であったので片っ端から撮ったミャンマー料理のメニューの数々。

写真だけでもミャンマーの一端でも伝わればとアップしました。


ボージョー・アウンサン・マーケット

2019-12-25 06:48:57 | 旅 ~海外

ヤンゴン中心部バベダンにある市内最大規模の市場が

ここボージョー・アウンサン・マーケットだ。

今から93年前の1923年に開業とイギリス統治時代からの長い歴史を持つ市場だ。

植民地時代の建築と石畳の通りで知られている。

ここは観光客だけではなく、地元の買い物客向けの店舗も多数あり、

医薬品・食料品・衣服・外国製品を販売している。

これが市場の案内配置図。

区割りがメイン通りを中心に対象的でわかりやすいゾーンに分かれているが、

実際に中に入ると雑踏でゴチャゴチャしたイメージに成ってしまった。

メイン通りを両方面から撮ったマーケット内。

当マーケットは開業時にはスコット市場と呼ばれていたが、

1948年ビルマ独立後はアウンサンにちなんで改名された。

1階には小さなアンティークショップが多くあり、

メイン通りにはビルマ産のヒスイ、ルビーなどの宝石商が並んでいる。

他にビルマの民族衣装ロンデー(腰巻)などを売っている衣料品店、

少数民族の伝統工芸品も品揃えが豊富にある。

又、市場内には闇市場の両替商があることでも知られている。

ちょっと遊び心で衣料品店の看板娘をズームでパチリ。

ミャンマー人の女性の顔立ちはかなり日本人女性に似ている。

ヤンゴンではこのように物を頭に乗せて運ぶ人をたびたび見かけた。

ボージョー・アウンサン・マーケットから道路を隔てた向かい側には

近代的なショッピングセンターJUNCTION CITYがある。

その中にあるニューBOGYOKEマーケットでもお土産の買い物をした。

 


THE STRAND HOTEL

2019-12-24 06:54:51 | ホテル・旅館

ヤンゴン川岸に立つストランドホテルは1928年創業の5つ星の歴史的ホテルだ。

1901年イギリス統治下であった時代に野心家サーキーズ兄弟によって建てられた

コロニアルな佇まいを残す優雅なホテルだ。

ご覧の様に美しいロビーは過ぎし時代へ誘う素晴らしさがある。

ルドヤード・キプリングやサマセット・モームも宿泊した当ホテルは

この有名な小説家や旅行者の特別な待ち合わせ場所として長く使用されてきた。

このロビーの魅力的な吹き抜け天井とファン、

本物の時代物の家具は多くの人々に愛され続けてきた。

ロビーを過ぎて奥にあるダイニングレストランはモノトーンの重厚な造りで

ここの長い歴史の積み重ねを語りかけてくる。

なんとも上品でお洒落な空間で素敵な時が流れていた。

一番奥にあるプライベートダイニングルームでいただいたハイレベルのフルコース。

輸入された高品質の食材とミャンマーで見つかったさまざまな有機農産物が

シームレスにブレンドされた料理はエグゼクティブシェフの

パトリックペリエによるレシピだ。

食後ホテル側の計らいで空室のゲストルーム2タイプを見せてもらうことができた。

さすがヤンゴンで歴史と伝統と格式のある5つ星ホテルは素晴らしかった。

一見の価値、大ありの一流ホテルであることがよくわかった。

 

 


スーレー・パゴダ

2019-12-23 06:52:04 | 旅 ~海外

ヤンゴン中心部のランドマーク的存在のパゴダ(仏塔)の

スーレー・パゴダのゲートと黄昏時に黄金色に光るパゴダ。

このパゴダはダウンタウンのシンボルの1つだ。

パゴダ内に入ってビックリ。

壁も天井も柱も金色でピッカピカでしかも細かく細工が施されている。

塔内に入るには飛行場のチェックと同じような探知機の中を通らなくてはならない。

テロ防止策なのだろうか?

仏様の前には日本のお寺、神社と同じようにお賽銭箱が置かれている。

日本と違うのはそれがガラス箱で中が見えてしまう所だ。

因みにミャンマーの通貨単位は「チャット」といい、1円が約14チャット位だ。

ミャンマーは90%が仏教徒でしかも小乗仏教。

町には茶系の袈裟を着た僧侶を多く見たが、

スーレー・パゴダ内でも多くの僧侶が着ていた。

この2人の僧侶は熱心に記念写真を撮っていた光景がとてもほほえましかった。

パゴダ内には数多くの三角スペースの祈祷コーナーがあり、

敬虔な仏教信者がいつまでも祈っている姿が目に焼き付いてしまった。

どこのパゴダも素足にならなくては入れず、

肌を露出することも戒められている。

このシルエットにはなにか懐かしさを感じる。

昔、絵本かなにかでよくこのシルエット画を見たのだろう。

脳裏に焼き付いている。

改めてこれが金色に輝くスーレー・パゴダだ。

ここは夜21時まで入場できる。

場所的にも買い物帰りや所用の合間に市民が気軽に立ち寄ることができるパゴダで、

庶民的な雰囲気があった。

このパゴダは高さ約48mあり、通常は丸い形をしているが、

ここのは八角形の黄金仏塔だ。

スーレーとはパーリ語で聖髪を意味し、

パゴダはブッタの聖髪の毛を祀っている所だ。

パゴダの周りにぐるり囲んで小さな社みたいなものがある。

パゴダ内の見学を終えて外に出ると同行ガイドさんから

「生年月日はいつですか?」と聞かれた。

すると「お客さんはもぐらです。」との答え。

ミャンマーには古くから伝わる占星術の1つ「八曜日占い」

というのが今でも生活の一部になっているとか。

水曜日を午前、午後に分けて月曜日から日曜日まで8つの曜日が存在し、

ミャンマーの人たちは自分が何曜日に生まれたのか必ず知っているそうです。

各曜日には守護動物がおり、日曜はガルーダ(鳥)、月曜は虎、

火曜はライオン、水曜午前は牙のある象、水曜午後は牙のない象、

木曜はねずみ、金曜はもぐら、土曜は蛇だそうだ。

自分の生まれた日の曜日が金曜日だと初めて知った。

おみやげ売り場には僧侶の団体が買い物をしていた。

ここには仏教関係の品物が売られていた。

ミャンマーの仏像にはLEDのカラフルなライトが点滅し、

とても派手な仏像になっている。

ライトアップされた仏像を拝んでもあまりご利益はないのでは?と

日本人の感覚で思ってしまう。

これも仏様でしょう。

とにかく良く言えば華やか、悪く言えば派手だ。

小乗仏教の表現はこんな姿に成るのだろう。

キリスト教の教会にある懺悔室みたいな建物、部屋があった。

ここもLEDでピカピカだ。

本堂に戻ると又ひときわ派手な仏像がガラス張りの中で鎮座していた。

その前には正座して熱心な人々が祈りを捧げている。

ここにもLEDで光るきらびやかな後光がさしていて

しばし足を止めて見入ってしまった。


ミャンマー・ティラワ経済特区

2019-12-21 06:58:03 | 旅 ~海外

ヤンゴンを南下した所に大きな川があり、それを渡ると

日本政府とミャンマー政府が共同で開発しているティラワ経済特区がある。

確かこの橋(タンリン橋)を含め3つの橋(タケタ橋・バゴー橋)は

日本の政府援助によって完成したものだ。

橋のたもとに日本国旗とミャンマー国旗が印された案内板があったのを見た。

ヤンゴン市内では意外にもバイクの数が少ないのでガイドさんに聞いた所、

環境に配慮しての規制がある為との答え。

この開発エリアの地に入ってバイクの数が急に増えたのが逆に目についた。

ミャンマーは急激にインフラ整備が進んでいるとはいえ、

まだまだ遅れているのが実状だ。

日本の戦後もそうであったが、インフラを含む社会資本整備を進める為の

必須資材のセメント工場が最初に目に入ってきた。

次に特区に近づいて来ると、将来の需要を見込んでであろう

日本のビジネスホテル「スーパーホテル」が進出していた。

建物は完成したばかりなのだろう、真新しいものだ。

この開発特区の経緯は2011年に民政政府であるテイン・セイン政権が誕生した後、

その年の11月にバリで日緬首脳会談が行われ、

ミャンマーから日本に対しティラワ開発の協力要請があった所から始まる。

(ミャンマーを日本では緬という字で表す。)

その後2012年4月に首脳会談(東京)でマスタープラン策定に関する覚書を締結。

2013年5月に安倍総理が訪緬し、日緬民間投資会社間で開発に係わる覚書締結。

ティラワ周辺インフラの整備に対する約200億円の円借款与を決定した。

経済特区に入って最初に見えた工場は中国系の鋼鉄工場だ。

味の素の工場。

この開発・運営主体はMyanmar Japan Thilawa Development LTD。

(MJTD社 2014年1月10日設立)だ。

日本民間出資39%(丸紅、住友商事、三菱商事、

みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行)、

日本政府出資10%(JICA)。

他51%はミャンマー民間とミャンマー政府が出資している。

ヤクルトの工場。

この経済特区の開発面積はZone-A開発が405ha、

開業時期が2015年9月で賃貸期限が50年。

Zone-B開発は第1期が101haで開業時期は2018年7月、

第2期が77haで2019年8月開業予定だ。

この建物はMJTDの合同庁舎だ。

2019年9月1日現在の企業進出状況は

予約契約締結済みが109社(レンタル工場5社含む)。

本契約締結・投資認可取得済みが106社、工場着工済みが91社、

操業開始済みが73社(レンタル工場3社含む)となっている。

又、輸出志向型が43社、国内市場型65社、その他1社が開発型の形態になっている。

ミャンマー進出の魅力は主に6点ある。

(1)豊富で安価な労働力

(2)消費市場としての魅力、かつ手つかずの市場

(人口5,000万人、ヤンゴン圏約700万人)

(3)国民レベルで良好な対日感情

(4)豊富な天然資源・広大で肥沃な国土・豊かな農産品

(5)地理的な重要性・優位性(大メコン経済圏、東西経済回廊)

(6)対日輸出で特恵関税の適用

逆に課題として

(1)不十分なインフラ整備(電力、通信、道路、鉄道、港湾、下水道など)。

円借款案件により急速に整備が進んでいる。

(2)査証・滞在許可上の非効率性

(3)税法上の不透明性

このようなことが掲げられている。

リョービ㈱の工場。

業種としてどのような企業が進出しているかというと

建設資材17社、包装容器11社、縫製9社、食品飲料9社、農業8社、

電力・電気8社、自動車7社、医療6社、靴2社、

他に塗料、産業用ガス、飼料、タンク、搬送機器、潤滑油、

通信施設、樹脂成型、化学品、データーサーバー、

物流倉庫(冷凍冷蔵含む)、産業廃棄物処理、職業訓練、

レンタルなど本当に多岐にわたっている。

エースコックの工場。

進出している国籍は日本55社、タイ16社、韓国8社、台湾6社、

マレーシア4社、香港3社、ミャンマー3社、シンガポール3社、スイス2社、

アメリカ、ドイツ、オランダ、フランス、オーストラリア、

ベトナム、インド、インドネシアそして中国が各1社だ。

日通の物流倉庫。

出資形態は海外独資が92社、合弁14社、

ミャンマー独資が3社の構成になっている。

ヤンゴンでは日本車、特にスズキの車を多く見かけたが、

この特区でも自動車工場の建設計画があるようだ。

担当ゼネコンは熊谷組となっている。

この経済特区全体の土木造成などの基礎工事は

五洋建設が施工したらしい。

MJTDのオフィスと警備担当会社はアルソックだ。

尚、近年改善のあった課題としてあげられるのは下記の4点だ。

(1)多重為替レートの一本化・・・2012年4月より管理変動相場制を導入

(2)2016年10月7日より米国の対ミャンマー経済制裁の全面解除

(3)外国投資法の改正(2012年11月)

これによって外資参入枠組みの明確化、外貨送金が可能となった

(4)SEZ法の改正(2014年1月23日付発動)

施行細則の公布

経済特区から1歩離れるとトタン屋根の

バラックの中での生活が現実の姿として目に映った。

又、田舎の田園風景が続き、牛を町に放牧している牧歌的光景にもお目にかかった。

 

 


ベルモントガバナース・レジデンスホテル

2019-12-20 06:34:24 | ホテル・旅館

当ホテルはヤンゴンのダウンタウンの北西地方にあり、

周辺には多くの大使館があるエリアで、緑も多く残された隠れ家的リゾートホテルだ。

その後何回かタクシーに乗ったがタクシーの運転手もあまり知らないのには驚いた。

当ホテルは1920年代に建てられたロマンチックなコロニアル様式の豪邸を

ホテルに改造したものでミャンマー南部の州知事の

旧邸宅であった日々を彷彿とさせるホテルだ。

ホテルを囲むように広がる蓮池は幻想的な雰囲気をたたえ

ヤンゴン観光で一日過ごした後に眺める

その光景はまた格別だ。

チェックインは夜中を過ぎてしまったが、ぼんやりライトアップされた

リゾートの香りがする渡り廊下は南国の雰囲気がいっぱいだ。

チェックインカウンターとロビーもまさにリゾート的空間で

シティホテルとは全く違うテイストだ。

これがこのホテルの1階平面図。

ゲストルームは客室とスイートで49室とホテルの規模としては小さい。

彫刻をほどこしたチーク材の調度品と贅沢なシルクを組み合わせた

ゲストルームは清潔感と時代を超えた美しさが漂っている。

広々とした部屋は寝心地の良いダブルベットで

そこに天蓋カーテンが取り付けてあり、アラブの王様になったような気分だ。

実際は蚊がいるので蚊帳の役目を果たしている。

又、浴室コーナーがすごい。

小さな池に入っているような錯覚におちいる人造大理石製の

バスタブにはビックリした。

ドアの横にはチーク材で彫られた女神様のような札が掛けてあった。

よく見ると「Please Do Not Disturb」と彫られてある。

「起こさないで下さい」の木札だった。

通常、置いてあるのはスリッパだが、ここのは大小のチェック柄の

サンダルだ。スリッパは持ち帰りできるが、このサンダルは

仲間に聞いた所、持ち帰りはやめた方がよいという事になった。

とて、お洒落でほしくなったが・・・。

朝起きて中庭に出るとなんと孔雀が羽を開いて

逃げずにいるではないか。やや小さめの孔雀だが

やはり開いた姿は美しい。

他にも幾組かのつがいの孔雀がホテル内を歩いていたが、

この孔雀だけがシングルでいつも寂しそうに羽根を広げていた。

そういえばドバイのホテルにももっと立派な孔雀が居たのを思い出した。

ホテルレストランのウォークウェーの途中で

ゲストへのおもてなしとして、ビルマの竪琴(?)を

演奏して、民族的音色に異国の地にいることを強く印象付けていた。

この建物の木材はほとんど南国産のチーク材で造られており、

この階段、2階の大広間は他のホテルでは

味わえない渋く重厚な空間を造り上げている。

2階は最大150名収容できる会議用、パーティ用エリアになっている。

このバーではディナーの後、ミンドン・ラウンジでキリっと冷えた

カクテルを片手にくつろいだり、上質のワインのコレクションを

キップリング・バーでじっくり味わうのがお勧めだそうだが

グルリ見渡してシャッターを押しただけで終わってしまった。

さすが5つ星ホテルはよく整備されてある。朝にはミャンマー人が黙々と

庭掃きをしていたのが印象的光景であった。

ウォークウェーを境に左右に扇状プールと

蓮池を備えた庭園があり、よりリゾートホテルの雰囲気を

演出している。ミャンマーは一年中プールに入れる気候で

水着を持ってくるの忘れたのが悔やまれた。

ロマンテックなロケーションが魅力のマンダレイ・レストランで

昼食と朝食を摂った。ここではこの国を

「自分たちの知りうるのとは全く異なる」と

形容したラドアード・キャプリングの言った様に

エキゾチックなミャンマーを思う存分満喫できた。

これがビュッフェスタイルの朝食メニューの一部。

一部はウォーク・ウェーの一部に屋台のように食事を並べて

またまたリゾート的空間を造っていた。

塩・コショー入れもチーク材でできたパゴダ風という

こだわりよう。この品物はショップで売っていたが

買おうという気にまではならなかった。

よく教育されたボーイさんが一生懸命おもてなしサービスに

努めているのがよく伝わってくる。

所でボーイさんの服装はミャンマーの民族服ロンジー(巻きスカート)。

ミャンマーの国民の8割以上が仏教徒で普通の生活でも

男性も女性もロンジーを巻いていてサンダル履きの人が多い。

正門ゲートの所の植木もいかにも熱帯的な樹木だ。

ここバーミーズ・カリー・テーブルでは香り高い

ミャンマーのカレーや野菜料理、そしてエキゾチックな

ミャンマー料理が食べられる。

 


ヤンゴン新専門病院作業所視察

2019-12-19 06:44:47 | お仕事

11月にミャンマーの最大都市ヤンゴンで日本のODA

無償案件の病院(ヤンゴン新専門病院)建設現場の視察に行ってきた。

当現場は今年2月に入札が行われ、大成建設㈱が48億5,000万円で落札。

6月から着工している現場だ。

日本国内でこの病院を施工した場合、約倍の金額がかかるのでは?との事。

これがNEW YANGON SPECIALIST HOSPITALの完成バース。

敷地面積45,102㎡、建物延面積27.269㎡(8,263坪)。

設計は山下設計が担当したそうだ。

職員、作業員の出入口の建物には英語とミャンマー語と日本語で

スローガンが表示されていた。

「今日も一日安全作業でありがとう!明日も元気に頑張りましょう!」と。

建物の内壁に桜の花びらが描かれているのも印象的だ。

我々視察者グループにはビジターカードが渡され、

そこにはID番号も書かれていた。

かなり管理システムは厳格に行われているようだ。

現場内には安全やPDCAの標示がされていた。

これは協力会社の地元建設会社のものらしい。

日本の現場と同じ様に安全通路の確保もされ、安全通路の表示もされていた。

この安全面は元請の大成建設の指導によるものだろう。

ヤンゴンは地震がある為、日本と同じ47mのパイルを打つそうだ。

ミャンマー人の人件費は安いが

建設資材は海外から輸入する為、結構建設費は厳しいとか。

品質管理は悪くなく、日本と比較すると90%~95%程度と意外に高い。

逆に工程管理は日本の50%増と工期がかかる。

日本で言う建築基準法のような法律はあるが、建築の資格制度はまだ無いそうだ。

下請も専門職業者はまだ育ってないが

民間建設会社は雨後の筍のように現在増えているそうだ。

安全に関しては日本の労働基準法のレベルで、あまり安全意識は無いそうだ。

ヤンゴンの11月の日中は暑い。

日傘の下で仕事をしている作業員。

日本人と違ってミャンマー人は体が暑さに慣れているらしい。

ミャンマー人の性格の特徴は勤勉、従順だがのんびりしている。

ベトナム人のように徒党を組まない。

そのことは組織を作り活動をすることが苦手で

ビジネスにはマイナスだと大成建設の所長は言っていた。

大きな壷が置かれただけだが喫煙コーナーも用意されていた。

これがとても整理整頓され、きれいな現場事務所。

敷地に余裕がある為か、平屋の造りで機能性に富んでいる。

ヤンゴンは大部以前よりは改善されてきたが

まだ停電がしょっちゅうあるとの事。

主だった建物には自家発電が必要と言っていた。

こちらが事務所内の光景。

中はかなり広くJICAの事務所もあるらしい。

因みに大成建設の社員の方は5名だとか。

この方が大成建設のY所長。

他のゼネコンもそうだが海外畑に成るとほとんど日本に戻れなくなり、

浦島太郎状態になってしまうとか。

所長からは懇切丁寧にミャンマー事情を詳しく話していただいた。

その中でも印象的だったのはミャンマー(旧ビルマ)では戦争中、

日本軍はそんなに悪いことはしてなかった為、親日的な国だ。

又ミャンマーでの外国ゼネコンの状況は日本が勢いがあり、韓国はあまり無い。

中国は今抑えられている状態だとか。

こちらが別室で打合せをしている光景。

壁に掛けられた着物の女性と五重塔のカレンダーが印象的で

とてもわかるような気がする。

現場事務所通路にはミャンマーの国旗を模した中に各職長の顔写真が貼られてあった。

又、工程表と組織図も掲載されていた。

安全中心の朝礼のステージも日本の現場の風景を思い起こされる。

「地図に残る仕事」をキャッチコピーに

「一日ずつ、トンネルができていく。

一日ずつ、私の自信もできていく。」の女性現場監督のと

「日本を遠く離れた異国で、僕は空港と自分自身を建設している。」の

男性現場監督の後姿のイラストポスターがここでは一際輝いていた。

カッコイイぞ!!

 


旨い店閉店情報(6)

2019-12-18 06:53:13 | ご近所情報

毎年、夏にレポートしている旨い店閉店情報も今回で6回目に成ります。

アップするのが半年遅れの暮れに成ってしまいました。

今年は夏までは意外に少なく7軒で、

しかもあまりガッカリするような店もなく、

平穏な気持ちでおりました所、

秋以降に嘘でしょう?!といったガッカリするお店が出てしまいました。

又、今年は移転した名店が結構あったということも特色でした。

武蔵野うどん 澤村、  台湾食堂パイクー屋 桃園、  旬の味 みなと 等々

 

 

 

(1) ~その231~ 㐂むら

2015-8-31付

 

 

~その428~

2019-5-2付

第4回の閉店情報で紹介した姉妹店「ラウンジリノ」に続いて、

旧浦和市時代では一世を風靡した㐂むらの灯も

とうとうすべてこれで消えてしまった。(2018年7月末閉店)

女将から引き継いだ娘さんも一大決心で

飲食業から不動産賃貸業に変身したということになる。

このマンションでの隠れ家的2部屋では多くの浦和の歴史が夜作られた。

特に3市合併のプレセスは強烈な印象が残っている。

その後の1室の方をこれまた浦和で何としても残したい味。

浦和パルコ内の「立吉」の店長が独立してこの地で「豆鼓」をオープンした。

2018年10月29日開店。

なにかこの2件の閉開店には物語があり世の因縁というものを感じてしまう。

もう片方の思い出の部屋にもこの因縁が引き継がれるといいなーと思います。

 

  

 

(2) ~その199~ 繁らーめん

2015-3-6付

 

 

(グルメビレッジ グルメ館)

東浦和の住宅街に怱然と現れるグルメビレッジ「グルメ館」。

その中の4軒ある内の1軒がこの「繁らーめん」だ。

さらにこの隣にはうなぎの名店「はす沼」、イタリアンの名店「ムラーノ」がある。

この前の道は時たま通る道でテナントがカラオケバーに変わっていたのを発見。

「カラオケBAR にょほだから~」と言う。

結局このラーメン店には1回だけ行って終わった。

ということでこの店の閉店にはあまり感傷的にはならないでこのレポを書いている。

 

 

 

(3) ~その68~  そば処 㐂撰

2012-10-6付

 

 

当店は創業が昭和30年という浦和エリアでは、

そば屋さんとしては著名な老舗店だった。

旧中山道に面し、調神社の近くで、駐車場も広く、

お店も広々とした良いお店だった。

だた、そばは旨いが量が少なくCPも高め。

巷ではせいろ1枚ではお腹いっぱいにならないとの話が広まっていた。

入口の扉には今年1月31日で閉店との

手書きお知らせが張り出されているが、閉店理由はわからない。

とにかく63年の歴史をとじた有名そば店が

浦和エリアから一軒消えたことは残念だ。

 

 

 

(4) ~その32~ そば季寄せ 楽庵

2011-8-3付

 

 

当店は食べログそば部門で上位にランキングされていた

知る人ぞ知る名店で昔はよく通ったが、その後臨時定休日が増え、

行くと休みという時があり段々足が遠のいてしまった。

当店をアップした時は東日本大震災後で、その日も節電の為、

店が暗かったのを今でも鮮明に覚えている。

この時アップした二八そば野菜天付きが950円とはCPも素晴らしく、

今回の閉店情勢の中でも二番目に惜しまれる店だ。

当店は店主腰痛の為しばらく休業ということだが、

これで旨い店シリーズ 食~そば・うどんの部からは

「いつ井」「山茂登」に続いて3番目の古い店が

全部閉店したことに成った。

 

 

 

(5) ~その163~ とんかつ専科 清かつ

2014-7-16付

 

 

埼玉縣信用金庫南浦和支店の裏側でとんかつ専門店として

約50年間という長きにわたって営業していた「清かつ」が

前を通った時、海鮮酒場「わんす」に変わっていた。

閉店理由はわからないが、ブログ内容を読むと5年前に

老夫婦という表現をしているので、後継者もなく高齢化が閉店理由ではないか?

結局当店には1回しか来れなかったことになる。

後の店は海鮮酒場とのことで興味はあるが

夜だけの営業ということで来訪することも少ないだろう。

 

 

 

(6) ~その331~ Cafe&Bar  FOND BLANCO

2017-7-14付

 

 

2017年1月にオープンしたアルゼンチンを前面に出した

Cafe&Bar 「FOND BLANCO」さんも3年経たずに閉店してしまった。

この場所は毎日の様に車で通っている道にあり、

初めから飲食は難しい場所だナと常々思っていたが、

残念ながら予感が当たってしまった。

その時もブログにも書き込んだが、個人的にはアルゼンチンに

思い入れがある為にちょっとがっかりだ。

後の店は夜のお店MEMBERS BAR「RUN」さん。

ひょっとして岸町で長くメンバーズバーをやっていた

銀座仕込みのオールドバーテンダーさんが

移転開業したかもしれない(?)

外装の色は以前のままアルゼンチンライトブルーのままが、なんとなくうれしい。

 

 

 

(7) ~その273~ がってん寿司 南浦和店

2016-4-2付

 

 

最近は回転寿司というと会社の近くで車が置きやすい

「はま寿司」ばかり行っているので以前よく行っていた

がってん寿司南浦和店には足が遠くなった所へ閉店情勢が飛び込んできた。

今年8月31日(土)閉店ということで約20年間営業していたことになる。

当店は我が社が施工した案件で、オープン時にご招待を受け

店員が一斉に「がってん承知の助」と叫んでいたのを思い出す。

ここにのせたKさん(三女天然キャラ)は開店時から居た

愛嬌たっぷりの女性で彼女はいったいどこに行ってしまったのだろう。

現在この建物は内装を全面改装中で覗いてみると

飲食系の店に変わるのはほぼ間違いない。

最近はわからないがかなりの繁盛店だっただけに

なぜ閉店したのだろうという素朴な疑問が残る。

 

 

 

(8) ~その303~ まるたか

2016-11-25付

 

 

「まるたか」さんは2016-9-19付ブログ、

旨い店閉店情報(3)No7でお伝えした名店「よし田」の後を受け継いで

3年前の5月にオープンしたばかりなのにダメでした。

向かい側の地鶏屋「たかせん」がオーナーで

店長に任せていたらしく、やはり2足のわらじは難しい。

次に入店したのは1980年創業の居酒屋「田舎亭」さん。

トリスハイボールを扱い、立ち飲みコーナーもあるとの事。

これでランチタイムのそば・うどん系の店が1つ消えてしまった。

 

 

 

(9) ~その42~ 一品菜酒家 侠竹林

2011-11-1付、2016-5-17付

 

 

中華料理の名店、一品菜酒家 侠竹林が今年6月29日に26年間の幕を下ろしました。

という悲しい話を知ったのは秋の頃でした。

その時の思いは突然の訃報を聞いたような驚きでした。

あの繁盛店がなぜ?

それは当店のブログを見てなんとなくわかりました。

一言で乱暴に言えばハッピーリタイア!

ご夫婦がともに還暦を過ぎて今後の人生を考える時があったのでしょう。

仕事馬鹿のマスターはほとんどプライベート時間が取れない。

孫の面倒も見られない。そんな生活環境を変えよう。

こんな前向きな素敵な閉店理由はこの閉店情報を書いてきて初めてです。

マスターは人柄も良く、中華のレシピを教わったのも

今となっては懐かしい思い出です。

又、浦和エリア旨い店シリーズのパートⅡシリーズも当店が先駆けでした。

ブログには「感謝しながら辞めていったとお伝え下さい」と綴られていました。

本当にお疲れ様でした!!

侠竹林の後にはピッツァ・パスタの専門店

「ピッツェリエ ヴェノメッセ」が営業しています。