昭和18年に発見された弥生時代の農耕文化を伝える
特別史跡「登呂遺跡」
復元された住居、高床倉庫、祭殿、水田などが見学できる。
隣接には弥生人になった気分で、ウスやキネを使った脱穀や火おこし
などの模擬体験ができる登呂博物館があるが
残念ながら年末年始休館だった
平成11年再発掘調査により、新たに発見された
大型の堀立柱建物「祭殿」
登呂ムラ全体の儀式(豊作などの祈願やその占い)などに
使われたものと考えられる
高床倉庫の柱には角丸方形の「ネズミ返し」が
備え付けられている。
穀物類の保管がネズミ等から守る為の生活の知恵だ
登呂遺跡の中に足を踏み入れると時の流れが
止まってしまったような錯覚に落ち入る
ここでは瞬時に1900年間のタイムトリップが
味わうことができる。
登呂の食事情のポスターを発見
これを見ると意外と食生活は豊かだ
鯛の塩焼き、イワシ等の魚類。スッポン
貝類、などを食べていた様だ
又、この登呂遺跡の隣には静岡市の名誉市民で
人間国宝の梁色家、芹沢介の美術館がある。
この建物は神部神社・浅間神社本殿(重文)と大拝殿(重文)
神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三社を
総称して静岡浅間神社という
鎮座は2000年以上前といわれ、この地方最古の神社
静岡浅間神社境内の案内図。境内には
26棟の国重要文化財に指定された社殿があり
古くから東海の日光と言われている。
浅間神社は幾つもの神社が集まっているので
複雑で初めて来た人間には理解できるまで時間が必要だ。
こちらは大歳御神社につながる参道の商店街と鳥居
そして本殿
ここから入ったのでここが静岡浅間神社と思ったが
ここからどこまでも広がっていたのには驚いた
他の神社に行く途中には、日本全国どこの神社にも
でている屋台通り
もう20年近く正月に全国を旅して初詣をしていると
この屋台を見ると日本のお正月のにおいを感じてしまう。
この光景、このにおいはもう完璧に
DNAに入ってしまった。
この一枚も正月らしい写真だ
だるま売り場を通り過ぎると八千戈神社(重文)
に出てきた。ここは武神として信仰され
一般には勝負事の祈願所として広く信仰を集めている。
巫女が福矢を持って開運招福の速神楽を舞い奉仕する
七社全てをお参りすると万願叶うと云われている
静岡浅間神社の七社参り
徳川家康公が愛した駿府城
400年前に大火でほとんどの建物を焼失し、現在は城跡公園となっている。
駿府城は天正13年(1585年)に徳川家康が築城し
2代将軍秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から
駿府に隠居したところ
元和2年(1616年)に駿府城で家康が没するまで
大御所政治時代として駿府は江戸と並ぶ政治、経済の中心地として
大いに繁栄した
この櫓は2014年
二の丸御門跡に坤櫓を復元したもの
静岡県庁前の二の丸橋から見た駿府城公園
公園内には明治時代に陸軍を誘致した際に埋められた
内堀が一部発掘されているほか、家康公の像
家康公お手植えみかんなどがあり、2001年
秋に紅葉山庭園もできた
昭和48年に建立された家康公の銅像
家康公は鷹狩りが好きだった為か
腕の上に鷹が乗っている
あまりにも有名な東照宮(家康公)の御遺訓
「人の一生は重荷を負て遠き道を行くか如く
急ぐべからず。・・・・・・己を責て人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり」
今を生きる人にもズッシリと響く人生訓だと読んで
新ためて痛感する
1989年に市政100周年の記念事業として二の丸南束の巽櫓が
1996年には東御門(櫓内)と続多間櫓が日本古来の
伝統的在来工法によって復元された
葵区常盤町にある浄土宗の「宝台院」
ここは江戸城開城後、徳川最後の将軍徳川慶喜が
水戸弘道館からこの寺に移り、謹慎していた所だ
静岡の人々からは「ケイキ様」と
呼ばれて親しまれた。
又、天正17年(1589年)徳川家康の側室で第2代将軍となった
徳川秀忠の生母、西郷局(お愛の方)がこの寺に葬られている
静岡駅北口広場では静岡の歴史を感じる家康公の彫刻が2つある
1つは「竹千代君像」
竹千代は8歳から19歳まで、多感な少年時代を今川氏の
人質としてこの駿府ですごし、武将としての資質がこのころ
培われ、のちの名将徳川家康公の出発点となった
もう一つが「徳川家康公像」
家康公にとって駿府は少年期、「五か国時代」といわれれる
壮年期、「大御所時代」の老年期と生涯で三度
最長約25年間を過ごした地だ
像台座の題字は徳川宗家第18代当主、徳川恒孝氏による
さくらももこによる日本の漫画「ちびまる子ちゃん」は
作者が少女時代を過ごした静岡市清水区を舞台にしている
静岡市の街づくりにちびまる子ちゃんは一役買っているようだ
静岡という所は東京圏と名古屋圏が混じっているとも聞いた
静岡市清水区は日本でも有数のサッカーどころ
そして今年、J2に降格した「清水エスパルス」の本拠所
しかし、旧静岡市ではエスパルスはあまり盛り上がっていない様だった
浦和レッズと大宮アルディージャのさいたま市とは
ちょっと勝手が違う感じを受けた
街を走っていると、やたら「富士山」ナンバーの車が
多いのでビックリ。思わず撮ってしまった。