スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

記憶に残る2017BEST5

2017-12-29 06:57:31 | コラム

 

みなさーん

今年も1年ご愛読ありがとうございました!

本日で今年の仕事納めとなります。

皆様は今年どんな1年でありましたでしょうか?

私としてはあまり良くなかった

と言うより私個人的には悪かった

(悪かった内容は割愛させていただきますが・・・・)

1年だったなあと痛感そして反省しております。

やっぱり健康が一番だと痛感した年でした。

来年は、絶対いい年にしたいなあと思っております!

 

さて、毎年恒例のブログ記事

1年間の記憶に残っているBEST5を

振り返ってみたいと思います。

 

BEST5

「小林 麻央さん死去」

6月に乳癌で他界したフリーアナウンサーの

小林 麻央さん

34歳という若さで亡くなったことは大きなショックを受けた

ブログをたまに読んでいたが

自分の状態が悪いにも関わらず

元気が出るようなブログ記事を書いていて

すごく強い女性だなーと感じた。

とても残念な出来事だった。

 

R.I.P

 

 

BEST4

「元横綱 日馬富士暴行事件」

12月はこの話題で持ちきりだった

元横綱日馬富士関が酒席で幕内貴ノ岩関を暴行した事件

同時期、神奈川座間で起こったアパート切断殺人9遺体のニュース

も衝撃的だったが

そのニュースが吹き消されたしまった

相撲界の話題。

モンゴル人力士の起こした事件だが

日本の国技として、大変恥ずかしいニュースが

師走に記憶に残る

 

BEST3

「安室奈美恵引退」

9月16日に2018年の9月16日をもって

引退を発表した安室奈美恵さん。

私よりも若干年下ですが

いきなりの引退発表に驚きました。

ある意味潔いなあと感じた。

90年代あの厚底ブーツを

流行らせた彼女。

街中の女子の誰もが履いていたような

アムラー現象は凄かった。

90年代はテレビなどにも出演していたが

2000年以降はテレビ出演もなく

ライブ一本で活動してたようだ。

ライブは見たことないが、常に第一線を走っていたように

感じる。

 

安室奈美恵 - Don't wanna cry (TK PAN PACIFIC TOUR '97 1997.05.27)

 

紅白出場も決定し、大晦日が楽しみだ!

 

BEST2

「藤井聡太最年少棋士」

若干14歳と2ヶ月でプロ棋士となった

藤井聡太四段

なんとうちの娘と同じ年

その見た目は、中学生には見えない

落ち着いた風貌と発言。

俺が中2の頃はこんなんじゃなかったなあと

ただただ感心。

将棋はやったことないが、できたら面白いんだろうなあと

思った。

藤井聡太のブームにのっかるように

一大ブレイクした

加藤一二三こと

ひふみん

その独特のキャラクターにバラエティ番組やCMに

ひっぱりだことなった。

このお方も今年の人だ! 

 

BEST1

「シャンシャン誕生」

今年6月12日に上野動物園で誕生した

ジャイアントパンダのメスのシャンシャン(香香)

やっぱり今年最後はこの話題でしょうか!

まず名前の響きがいい。

322,581件の応募の中から選ばれたようです。

シャンシャンの香は中国では「人気のある」との意味があるみたいです。

他の名前の候補にはレンレン、ヨウヨウ、マオマオ、ルールーなどが

あったみたいですが

シャンシャンで良かったんじゃないかなあと思いました。

上野の街も活気がでて賑わっている様子ですね!

私も、子どもが小さかったら見に行きたかったなあ

と思いました。

 

当ブログ愛読者の方の皆様

以前は年末最後の記事

記憶に残るシリーズは

西島ショック、堀北ショックなどのオチが

あったのですが

今年は、特にオチもなく王道のほっこりする

パンダ、シャンシャンの話題を1位としました。

みなさんは、今年1番記憶に残る出来事は

何だったのでしょうか?

来年も引き続きブログの方の

ご愛読よろしくお願いいたします!

 

良いお年を!!

 

 

 

 

 

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編177~

2017-12-28 06:25:47 | 食~番外編(県内)

活魚料理 鮨 米忠

さいたま市中央区上峰4-8-17

TEL 048-853-4676

定休日 不明

祭日にさいたま芸術劇場で友人が出演するシャンソンコンサートを

聞きに行ったついでに芸術劇場の向かい側にある米忠さんを訪ねた。

ここは昔先輩に連れられて、白魚の踊り食いを

食べに来た印象深い鮨屋さんだ。

行った時は準備中で母親と息子さんが賄い料理を

食べている最中であったが、快く店を開けてくれた。

活魚料理店というだけに外にもカウンターの奥にも生け簀がある。

ここの女将は見た目が若く、よくしゃべる。

先輩とどうしても話がしたいという事で、携帯したら

昔が懐かしいと感激していた。

はっきり覚えていないが、ランチの値段がとびっきり安かった。

確か握りのコースで1,000円前後だったような記憶だ。

最初に出てきたこの豆腐が格別に旨かったので聞いてみたら

やはり手作り豆腐だとの事。鮨屋で豆腐まで作っているとはたいしたものだ。

寿司はレベルが相当高く、旨かった。特に右側の小鉢に

入っているいわしの酢の物は最高。これは絶品でしばらく旨味の

余韻が続いた。これを食べられただけでも来た甲斐があるというもの。

味噌汁も手作り感が満載。いわしのつみれが入っている

ランチなんてそうはお目に掛かれない。

ゆずが入っているのも料理の拘りを感じる。

今日はランチのみで終わらせるにはもったいないと思い、

さらにお好みを追加。まずいわしの握りだ。そして好物の穴子の握り、

これがまた旨いんだナー。もっと近くにあれば何度も通いたくなる味だ。

最後に鯛の昆布〆を注文。又この昆布〆の塩気が

素晴らしいバランスであった。


さいたま芸術劇場

2017-12-27 07:04:15 | 建物

さいたま市中央区にある舞台芸術施設が、1994年に完成した

さいたま芸術劇場だ。S造とRC造とSRC造を併用した複合構造で

地下2階地上4階の建物。敷地面積は18,970.3㎡(5748.6坪)、

建物延床面積は23,855.81㎡(7229坪)ある。

設計は香山寿夫氏(香山アトリエ+環境造形研究所)で

施工は間組・大成建設・八生建設JVが担当した。

1995年に第8回村野藤吾賞、第36回BCS賞(建築業協会賞No517)

そして1996年に日本建築業会員作品賞を受賞している。

この各種の賞を見ても建築的視点から大変優れた建物だ。

建物の用途は演劇、ダンス、クラシック、ピアノコンサートなど

かなり絞られた芸術を中心に使われている。ここで、

近々に演じられるものとしてシェクスピアシリーズの

「アテネのタイモン」、川口隆夫「大野一雄について」

ジェローム・ベル「Gala-ガラ」、レオニダス・カヴァコスの

ヴァイオリン・リサイタル、工藤重典フルート・リサイタルなどマニアックな企画が続く。

芸術劇場の中の配置は各ホール、稽古場、練習室、

総合インフォメーション、レストラン、カフェ、舞台芸術資料室

駐車場(155台)などに分かれている。

当劇場は埼玉県芸術文化振興団の芸術監督を務めた

蜷川幸雄が手掛けた芸術公演を数多く上演した劇場と名が知られている。

又欧米の著名なコンテンポラリー・ダンス・カンパニーの首都圏における

代表的な公演劇場として定着している。建築意匠観点から見ると

列柱と半透明のガラスブロックで取り囲まれた劇場の中央に

位置する円形広場(ロトンダ)やガラス屋根から自然の光が

入る構造になっている。沢山の写真をアップしたが、内外装に

特徴的な所が数多く見られ、撮影ポイントが宝の山のようにあってビックリした。

幅5m長さ100mにも及ぶ通路「ガレリア」。ここも素晴らしい空間で

ここ自体がもう芸術的領域にあると感じた。そんな評価もあってか

TVドラマのロケとしても使われるとか(TBS日曜劇場砂の器 フジTV行者魂など)

この日は知人のシャンソン発表会がこの小ホールで開かれたので行ったが

シャンソンとこの建物2つに感激でき、大変充実した日になった。

因みにさいたま芸術劇場の収容人数は2000人。

内大ホールが776席、この小ホールは266席から346席(可変式)

音楽ホール604席、映像ホール150席、大ホール、音楽ホールの

音響設計はヤマハが担当している。

 

劇場内にはフランス料理の「ビストロやま」と姉妹店の

カフェ「ペペロカフェ」が入っていてちょっとお洒落な時を過ごすことができる。

ここはそっと覗いてみた稽古場。奥に舞台道具が置いてあり、

すぐにでも稽古が始まりそうな気配であった。生前の「世界のニナガワ」も

ここで苛烈な演技指導をしたにちがいない。

長い通路のガレリアにはこの様な飾り置物や過去当劇場で

演じられた写真、稽古風景などが展示してあり、

さらに素晴らしい空間にアクセントを与えていた。

優良ホール100選に選ばれたさいたま芸術劇場をさらに有名にさせたのが

現代日本を代表する演出家のひとり蜷川幸雄氏だ。

氏は埼玉県川口市の出身で、2006年に当劇場の芸術監督に就任。

昨年5月に亡くなるまで「さいたまゴールド・シアター」を

発足させ、この地で大活躍していた。氏は短気な気質で、

演技指導の厳しさでも知られ、「口よりも手よりも先に、物(特に靴)が

飛んでくる」と言われる程一般的にはスパルタ演出家のイメージが強い。

しかし一方で人情的で心優しく「周りだけでなく、同様に

自分に対しても厳しい」姿勢で仕事をするため、

数多くの俳優やスタッフから慕われてきた。このパネルには

「最後まで、枯れずに、過剰で創造する仕事に冒険的に挑み

疾走するジジイであり続けたい。」と記してある。

1935.10.15―2016.5.12


浦和エリア旨い店シリーズ ~その356~

2017-12-26 07:02:16 | 食~ラーメン・中華

ラーメン 柳明館 浦和店

TEL 048-863-5591

定休日 基本的に年中無休 

営業時間 11:00~24:00

駐車場  有

R17号、東京方面に向かって左側に面した創業33年の

老舗ラーメン・中華屋さんだ。姉妹店に戸田店(戸田美女木7-1-4)がある。

建物は一見すると工場か、倉庫と間違えてしまいそうで

通り過ぎてしまうかも。外壁がスレート張りでこれがかえって

新鮮に感じてしまうから不思議だ。

外観もビックリだが、内に入って又ビックリ。数ヶ所の壁には

漫画本がギッシリ。まるで本屋さんのようで

漫画好きの人にはたまらない店だ。カウンター席は

そんなに広くないが、テーブル席はご覧の様に広々。

私の後からは作業服を着た人がゾロゾロ入ってきた。ここは全面喫煙可だ。

これがお得なランチメニュー。メニューは10番まであり、

すべてが組合せに成っていて複雑だ。大きくはラーメン系、餃子、

チャーハン系(カラカラチャーハンは何?)しょうが焼 四川丼 麻婆丼、

などの丼系。そしてタンメン肉そば四川そばのソバ系。

麺とごはん物の単品メニュー。ナスの肉味噌炒めに

A、B、Cセットがあるが中味は何?

期間限定のおすすめメニュー。茄子系のメニューだが

茄子の旬の時期ってもうちょっと前ではなかったかな?

メニューの数、種類の情報量がすごくてとても初めての人には

追いつかない。又、複雑なセットも多い。

メニューによると当店は餃子が自信あるようだ。写真付きで

完成までの解説をしている。次に行った時は是非食べてみたいものだ。

味噌ラーメン。半チャーハンとセットで940円。味の方は

唸るまではいかないが、なかなかのレベルでOKです。

これでも半チャーハン。思わずお店の人にもしかして残すかもと

言ってしまった程だが完食してしまった。ボリュームを求める人

そして漫画が好きな人にはたまらない店だ。


浦和の酉の市 十二日市

2017-12-25 07:05:35 | イベント

会社の忘年会の帰り道、「そうだ今日は十二日市だ」と気付き、

社員と久し振りに行ってみた。時既にPM9:30。

中仙道の屋台は店じまいが始まり、警察が道路規制解除をしだした。

通りは「蛍の光」が流れていたが、せっかく来たので急いで調神社に向かった。

ここは浦和の鎮守様 調神社。正式には「つきじんじゃ」と

言うらしいが、地元民は「つきのみやじんじゃ」という。

ここは神社なのに鳥居が無く、狛犬の代わりにウサギが神社を守っている。

酉の市も終わりの時間に近づいているのに本殿の参拝者は

長蛇の列でなかなか進まなかった。調神社の酉の市は

明治時代から続いており、毎年12月12日に開かれる為

「十二日市」と言われているかなり大きな酉の市だ。

因みに東京は11月に行われるが埼玉は12月、

10日に大宮「十日市」 15日に川口「おかめ市」と南下していく。

酉の市とは、元々11月の酉の市に行われる鷲(おおとり)神社の

祭礼を言う。古くは「酉のまち」(まちは祭りの意)といい、

「お酉様」と称して親しまれている。足立区にある大鷲神社が

江戸酉の市の発祥の神社で台東区の鷲神社は日本最大の酉の市。

西の寺長國寺(台東区)は浅草酉の市の発祥。花園神社(新宿区)と

大國魂神社(府中市)は関東三大酉の市のひとつだ。

十二日市

 多くの露店で威勢よく手締めをして「縁起熊手」を売る

祭の賑わいは年末の風物詩になっている。私は本格的な熊手を

買ったことが無いが、値切ってその分をご祝儀として出すのが習わしらしい。

熊手は鷲が獲物をわしづかみにすることになぞらえてその爪を

模したと言われている。又熊手は売り手の思惑により年々大きくしていく

ものとされている。おかめや小判など招福の縁起物を飾った

「縁起熊手」、開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた

「熊手守り」を授与している。福を「掃き込む かきこむ」との洒落に

ことよせ「かっこめ」と呼ばれているものがスタンダードな熊手だ。

サーと見て回って目に止まったひときわ大きく立派なこの熊では

20万円と言っていた。全く金額の基準が分からなかった者としては

だいたい相場みたいなものが掴めたような気がした。

浦和レッズのMF宇賀神友弥の売約済の熊手を発見。

ACL優勝と書いてあるのが嬉しい。最も本人はUAEで世界クラブ

選手権を戦っている時間なのだが。

浦和の十二日市は熊手屋さんを含めて1300の屋台が出るそうだ。

屋台の場所代は電気代を含めて12,500円位だそうで、

この日、場所代だけで計算上1,625万円入る。

このお金はお祀りを主催している世話人に払われ、

最後に神社へのお布施になるらしい。神社境内は蛍の光が流れ、

人気が減り、戦い終わって日が暮れてといった寂しさが漂っていた。

昔なつかしい夜店にピッタリのスマートボールと射的。

口癖になっているのだろうが、「お兄さん寄っていってヨ」と

声を掛けられると悪い気がしない。又、今の子供に受けそうな

ディズニーキャラクターの「ミニオンズ」のぬいぐるみを売っている屋台もあった。

子供の頃からあったお化け屋敷が今でもあって変に懐かしさを感じる。

夏ならまだしも冬のお化け屋敷に入るのはちょっとネ。

 

 

浦和の十二日市。浦和で生まれて育った人にはなんとも言えない

郷愁を感じる。熊手を売っている所であった議員さんが言っていたが

「十二日市は浦和の文化だ」 全く同感だ。


これも京都

2017-12-23 09:18:37 | 旅 ~京都

今年のJR東海「そうだ京都行こう」の広告キャンペーンは

南区の東寺(教王護国寺)だ。そしてコピーは「ニンゲンは、ちょっと

しゃべりすぎかな。もの言わぬ景色の、なんと雄弁なことだろう。」

このキャンペーンは京都に平安京がおかれてから1200年の節目を前に、

1993年の秋よりスタートした。最初のポスターは清水寺の写真に

「パリやロスにちょっと詳しいより京都にうんと詳しいほうがかっこいいかも

しれないな。」というコピーだった。あれから24年・・・。

にしんそばの松葉の入口に飾られてあった「ちまき」他の家でも何度も見た。

ちまきと聞くと食べ物を思い浮かべる方も多いと思うが

祇園祭の名物のひとつこの「ちまき」は厄病、災難除けの御守りだそうだ。

にしんそばの松葉に掛けられた菊水鉾は不老長寿、商売繁盛の

ご利益があるそうだ。

金閣寺で見つけた「一字写経」。これは素晴らしいアイディアだと思う。

般若心経の中の一文字をなぞって書く。そしてその下に4文字熟語

願い事を書く。願い事のサンプルは31例ある。中にはがん封じ、

世界平和、ストレス封じ。大器晩成といった普通思い浮かばない例もある。

そして最後に名前を書いて100円。

祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の1つ、京都五山送り火(8月16日)。

東山如意ヶ嶽の大文字が最もよく知られているが、この金閣寺大北山

(大文字山)の「左大文字」もその1つだ。

蹴上インクラインは左京区にあった琵琶湖疏水による舟運ルートの

一区間をなす傾斜鉄道(インクライン)。明治24年から昭和23年までの

実用に供された。現在は国の史跡として整備され、桜並木の観光スポットになっている。

鴨川沿いにあるたん熊、本家2階からみた夜の東山方面。

山の中腹からのサーチライトは清水寺から発せられているとか。

これが今回の旅の象徴的一枚。早朝の南禅寺三門前で撮ったものだが、

錦秋の京都の紅葉を撮る為に、本格的一眼レフカメラを持った人

なんと多くいたことか。

南禅寺中門の前にあった南禅寺11月の行事予定表。

この月だけで6つも行事がある。この様に京都の寺社仏閣では

それぞれが大切な行事を抱えている。地元の人はその行事を見ることを

楽しみにしている人が大勢いると聞いた。

金地院の先で見た棚。竹を組んだように見えるがプラスチックで出来ている。

京都の景観を少しでも良くしようという配慮か?

黒のひもで結んである所など憎い程だ。

ウェスティン都ホテルの前にある琵琶湖疏水記念館。明治2年の

東京遷都で急激に衰退した京都経済の復興策として琵琶湖から

京都に水を引いた疏水事業は日本初の水力発電所になり、

街には電灯が灯り、市電が走るなど、この疏水は京都市民と

産業人に希望と勇気を与えた歴史的大事業であった。

ウェスティン都ホテル駐車場にあったコーンの囲いをぐるり竹で

編んだ和風コーン。これもなるべく自然の美しさを出して景観に

配慮したものと感心してしまった。

木屋町通りを流れる高瀬川。もともとは江戸時代初期(1611年)に

角倉了以・素庵父子によって京都の中心部と伏見を結ぶために

物流用に開削された運河が多く、桜の名所でもある。

高瀬川と高瀬舟は森鴎外、吉川英治の小説の題材にもしばしば登場する。

ランチをした高瀬川前のモリタ屋の2軒隣で見つけた武市瑞山の

寓居の石碑とちりめん洋服発祥の記念碑。武市瑞山は日本の志士であり、

土佐勤王党の盟主であった。通称は武市半平太と呼ばれていたことが多く、

戯曲「月形半平太」のモデルともなった。

武市寓居隣りには土佐藩士で寺田屋事件で捕えられた後

天誅組を組織して大和国で倒幕の兵をあげ、戦死した「吉村寅太郎寓居址」もあった。

鍵善良房高台寺店の右隣にあったレンタル着物屋さん。

さすが夏の浴衣よりは減ったが、市内観光地には着物を着た

若い人を多く見かけた。この現象は京都の街を増々素敵にさせる1つの

ファクターにさせている。最も着物を着ている人はほとんど中国人だとか。

京都は漬物の町。京都三大漬物は千枚漬、すぐき、しば漬と言われている。

市内には数多くの漬物屋さんがあるが、人の紹介で東山区今熊野池田町にある

ニシダヤ 辻村安右エ門商店という小さな店に行って来た。

ここのしば漬風味あらがむら漬は半端なく旨かった。

明治時代の歴史を感じるレンガ造のインクラインのトンネル。

その上を1人の若き女性が歩いている。ポエムだ。

片や男子高校生が通学でトンネルをくぐっていく日常。

それぞれは同じ場所で異なる時を過ごしている。

最後にもう一度錦秋の京都の紅葉(永観堂内)をアップして

京都の旅PARTⅡを終了いたします。

「いつ行っても京都は裏切りません」

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編176~

2017-12-22 07:39:51 | 食~番外編(京都)

鍵善 良房 高台寺店

京都市東山区下河原通高台寺表門前上ル

TEL 075-525-0011

定休日 水曜日 営業時間10:00~18:00

鍵善良房の創業は江戸の享保年間。祇園の近く四条本店の他

ZEN CAFE(2012年11月オープン) 空鍵屋(ギャラリー)もある。

高台寺店は昭和58年4月にできた鍵善の2号店。清水寺から

二年坂、高台寺、八坂神社など東山散策した後のお休み処になっている。

店内は京都らしい落ち着いた雰囲気で席は26席ある。

たまたま座った席は窓際で合間から通行人が見えて飽きない。

みやげ売場のショーケース。鍵善さんは元々京都の花街祇園の

一角で京菓子を作り続けている老舗店だ。菓子のありかたは

今も昔も変わりない。吟味した素材を代々伝わる製法で

職人が手でつくる。しかも丁寧に、こまやかに。

そんな上品で高級な京菓子を販売している。

鍵善の喫茶おしな書はこの6種類だ。どれも京都らしいラインアップだ。

オーダーしたくずきりの前に可愛らしい落雁みたいなお菓子4つが出てきた。

これが鍵善の代名詞のくずきり。原材料は葛粉と水のみで

吉野大宇陀、森野吉野葛本舗の葛を使い続けているそうだ。

蜜は黒蜜と白蜜が選べる。黒蜜をお願いしたが、ここのは

沖縄の小さな島のものを使用している。鍵善の名物くずきりは

つるんとした喉ごし。弾力ある歯応えで季節を問わず賞味できる。


京都の旅 PARTⅡ ~その15~ 泉涌寺

2017-12-21 07:24:07 | 旅 ~京都

東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かに佇む泉涌寺。

これは重要文化財の大門。広く「御寺(みてら)」として親しまれている当寺は、

天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来する。

総本山御寺泉涌寺の山内図。御寺は大げさに言えば、

一山の広さを誇っている。泉涌寺以外にも7院3寺がある。

大門から見た仏殿(重要文化財)寛文8年(1668年)に徳川家綱により

再建されたもので唐様建築の代表である。この寺は法輪寺と

名付けられた後、一時仙遊寺とい改称されたが順徳天皇の御代(承久元年1219年)

に当寺の開山と仰ぐ月輪大師俊芿が時の宋の法式を

取り入れてこの地に大伽藍を営むことを志し、寺地の一角より

清泉が湧き出ていた祥瑞によって寺号を泉涌寺と改め

嘉禄2年(1226年)には主要な伽藍が完成した。

この泉は今も涌きつづけている。

この舎利殿は謡曲「舎利」の舞台としても有名だ。

泉涌寺は時の皇室からも深く帰依せられ、仁和3年(1242年)に

四条天皇が当寺に葬られてからは、歴代天皇の山陵がここに営まれるようになり、

爾来皇室の御香華院(菩提所)として篤い信仰を集めている。

勅使門の向こうに霊明殿が見える。

現在の霊明殿は明治17年(1884年)に、明治天皇により再建されたものだ。

御座所の庭園写真。ここも紅葉が素晴らしいようだが、

写真を見ただけで、中には入らなかった。

この写真ではわかりにくいが、大門から仏殿までかなりの勾配の坂で、

京都の寺の中でこの坂の風景が印象的だ。

確か泉涌寺は3回目の訪問だが、いつも静かで好きなお寺の一つだ。

大門をくぐった左に行くと、楊貴妃観音堂がある。

楊貴妃は唐の玄宗皇帝の妃として。また絶世の美女として知られる。

ここに安置されている楊貴妃観音像は重要文化財だ。

観音堂の横の立派な1本のもみじの紅葉は、日に映えて本当に美しかった。

皆この木にカメラを向けて盛んにシャッターを切っていた。

真言宗泉涌寺派別格本山の雲龍院の門。

本堂は室町時代(1501年)のもので、重要文化財だ。

ここは皇室ゆかりの写経道場でもある。

http://www.unryuin.jp

蓮華の間にあるこの障子は下の解説の通りです。

左から 椿、灯篭、楓、松

座った位置がずれてしまった為、写真にはその通りに写っていない。

雲龍院の境内中庭を眺めながら静かにお茶を飲むことができる。

大きなお寺も良いが、この様な小さな塔頭もここにしかない安らぎがある。

ここの庭も美しく紅葉していたが、それよりもこの2本の枯木の方が

何かを語っている様で存在感がずっとある様に感じた。

常識的には伐採してしまう所だろうが、残してあるのは何か意味があるのだろう。

この寺はウィットに富んだ所もある。

2つの掛軸を良く見るとクイズになっている。

右のひらがなは鎌倉時代の大工さんの落書だそうだが、

何と読むのか未だにわからない。

読者の皆様、答えがわかったらコメント下さい。

霊明殿前の石庭にある石灯籠。

これは徳川慶喜寄進による石灯籠だとか。

当院は皇室と密接な関係の寺のせいか回りが菊の紋章に見えた。

書院にある障子が半開きになっていて、

その先に色づいたもみじが絵画のように浮き出ている。

片や、同じ書院悟之間の窓「悟りの窓」は

訪れる度にその風景を変化させる禅的な窓だ。

 

 

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編175~

2017-12-20 07:19:02 | 食~番外編(京都)

 すき焼き しゃぶしゃぶ オイル焼 ステーキ モリタ屋

京都市中京区本屋町通三条上ル

TEL 075-231-5188

http://www.moritaya-net.com

創業明治2年、昔ながらのゆかしい京情緒とともに京の心、

伝統と文化を味わうことができるすき焼、しゃぶしゃぶ、オリル焼、

ステーキのお店「モリタ屋」さん。

長い石畳の路地裏奥に静かに佇むいかにも京の町屋的アプローチだ。

創業の地は四条猪熊本店(中京区猪熊通四条上ル)、他に

ジェイアール京都伊勢丹店、ルクアイーレ店(大阪市北区梅田)

そして東京丸の内店(丸ビル35F)にもある。

京都で初めて牛肉屋(盛牛舎森田屋)として森田伊三郎によって

開業された。当時は卸売りが主で陸軍省に納入する牛肉が

商いの中心だった。すき焼きが食べられ始めたのもこの頃で

たちまち全国に広がる中、進取の気風に富む京都は最も早かったと言われている。

京都肉のお料理を落ち着いて小部屋の他、夏の宴には、

東山連峰の優しい稜線を遠くに鴨川のせせらぎに耳をそばだてながら

食すことができる。

これが当店のメニュー。すき焼、しゃぶしゃぶ 特選7,500、松5,800

竹4,800。前菜と肉料理(130g)野菜、玉子、ご飯、赤出し、香物、デザート付だ。

お通し 八寸

京都のすき焼きははじめに砂糖のザラメを入れてから割り下を入れる。

名古屋でもそうだった。このやり方は好きだ。なんとなくすき焼きに

コクがでるような気がする。ご覧の様に料理は仲居さんが全て

やってくれるので食べることに集中できて良い。

 


京都の旅 PARTⅡ ~その14~ 永観堂

2017-12-19 06:42:10 | 旅 ~京都

浄土宗西山禅林寺派総本山永観堂禅林寺の入口、中門と

美しいもみじのトンネル。京都でも一、二を競うもみじの名所

永観堂は全国にその名を知られている。

境内を染め上げる紅葉はもちろん、お堂や回廊のすぐ目の前に

せまってくる鮮やかな岩垣紅葉はここでしか見られないものだそうだ。

禅林寺が大きく発展したのは、寺が創建されて200年あまり

過ぎた永観律師の時代です。律師は、境内に施療院を建てるなど

恵まれない人々のために奔走。永観律師を慕う人々によって

禅林寺はいつしか永観堂と呼ばれるようになった。

天皇の使いが出入りする時に使われた勅使門の唐門。

釈迦堂との間に盛り砂がつくられている。

勅使はこの盛り砂を踏んで身を清めてから、中に進んだ。

方丈である釈迦堂から御本尊「みかえり阿弥陀」が祀られる本堂の

阿弥陀堂にかけて見た境内のもみじ。丁度陽も射して

それはそれは美しい錦秋の風景であった。

紅葉とカメラマン。今回の旅の印象的な光景が美しい紅葉に

レンズを向けている人々の姿。

ウットリする風景にカメラを向けないわけにはいかない。

山の斜面にそって巧みに木を組み合わせて作られた廊下「臥龍廊」。

起伏が激しく、龍の体の中を歩いているような不思議な気分が味わえる。

臥龍廊から阿弥陀堂へ向かう途中に「三鈷の松」というのがある。

この写真には写っていないが、葉先が3つに分かれている

珍しい松の古木で、「三鈷」は「智慧」「慈悲」「まごころ」を表す。

この松の葉を持っていると3つの福が授かると言われている。

帰りがけに松の葉をお土産として頂いた。

阿弥陀堂へ登る石段の所にあるもみじの木は殊の外

美しくいつまでも見惚れてしまった。

御本尊「みかえり阿弥陀」が祀られる本尊の阿弥陀堂。

慶長12年に大阪から移築された。堂内は極彩色で、

格天井には百花が描かれている。両端の長方形の部分だけは

白く塗った「散り蓮華」となっている。

これがご本尊「みかえり阿弥陀」。永保二年(1082年)2月15日早朝、

阿弥陀堂に人影が動く。夜を徹して念仏行に励んでいる僧侶がいるらしい。

東の空がしらじらとし始めた。ふっと緊張が解けた一瞬

僧は息をのんだ。自分の前に誰かいる。それが誰か気が付いて

足が止まった。「永観遅し」ふりかえりざま、その方は

まっすぐ永観の眼を見つめられた。永観堂禅林寺の

ご本尊は首を左にかしげ、ふりむいておられます。

ほんの少し開かれたお口。お顔全体にただよう穏やかな微笑み。

それは遠い昔、永観律師を励まされた時のまま。阿弥陀様の

慈悲のかたちがこれほど具体的にあらわされている仏様の例がなく

「みかえり阿弥陀」と呼ばれ、広く知られている。

この日の永観堂もものすごい人出だ。京都のゴールデンタイムは

①が桜、②が紅葉 そして冬の京都も良いかな。

そして、もっともっともみじ・・・

永観堂は山の麓に幾つもの御堂が建ち並びこの放生池をやさしく取り囲んでいる。

永観堂の中では一番高い所にある多宝塔。上部は円形、

下部は方形の二重塔。五重塔のように屋根の上に伸びる

心柱に九輪と水煙がついているのは珍しい。ここからは京都の町並が一望できる。

放生池の前には緋毛氈を敷いた長椅子が広がる茶店がある。

ぐるり永観堂を巡ってきて、一服する沢山の善良な市民といった感じだ。

メニューは抹茶 甘酒 ぜんざい みたらし団子 茶団子 わらび餅 各600円。

ここには古来の流れを汲んだ凝縮した日本がある。

これぞ永観堂。

又スタート地点に戻ってきて、たっぷり紅葉を堪能してきたが、

最後にパノラマ写真で永観堂の紅葉を決めてみた。

そして、中門の出口へ。この先も紅葉、紅葉。

実は前日の夜、ライトアップされた永観堂の紅葉を見たいと

来てみたがご覧の様に入館待ちの人の長蛇の列。

係員の人に聞いてみると約45分待ちとの事。この日の夜他の予定も

あって諦め、後ろ髪を引かれる思いで帰った。