スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

東急ハーベストクラブ京都鷹峯

2022-12-28 09:31:54 | ホテル・旅館

東急ハーベストクラブは1988年に蓼科に誕生し、現在では約26,000人の会員が利用している。

別荘を持つ歓びとホテルならではの手軽さを同時に手に入れることができる会員制リゾートクラブだ。

現在、ここ京都鷹峯&VIALAを含めて全国25ヶ所に施設を有している。

尚経営母体の東急グループは今年100周年を迎えたそうだ。

この地図を見ると概ね、京都での位置がわかると思うが、江戸時代の初め、本阿弥光悦が鷹ヶ峰の髙原に一族をあげて移り住み、空気と水の清らかな静寂の地で鷹ヶ峰芸術村をひらいた。

また光悦がこよなく愛した三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰)のふもとの谷を流れる紙屋川の谷にある豊かな自然の中にしょうざんリゾート京都があり、その中にハーベストクラブはある。

ここの施設は土地の傾斜地に建てられ正面玄関の本館と山の下にある南館の2棟に大きく分かれている。

今回知人の紹介で2泊お世話に成ったが、初めは紅葉のトップシーズンということもあって予約満室で断られてしまった。

しかし、後日アップしますが、隣の町亀岡への特別日帰りツアーに参加すれば予約が取れるとのことで即お願いした。

ご当地は紅葉で有名な源光庵、光悦寺、常照寺がすぐ近くにあり、どうしてもここには今回行きたいという想いが強く、ようやくハーヴェスト京都鷹峯滞在が実現した。

この1枚がよく当ホテルのイメージ写真で出てくる玄関正面の大きな窓から見た鷹ヶ峰の自然の一部。

そして鷹ヶ峰の紅葉が目の前でひとりじめできる。

本館のフロントデスクとロビーフロアとラウンジの全景。

広々としてて明るくとても気持ちの良い空間が拡がっている。

ロビーフロアは白とグレーベース模様の石材がストライプ状に貼られとてもシックな雰囲気を醸し出している。

ベージュ系で鶴の柄が画かれた屏風の情報告知版もとてもお洒落だ。

長い長い椅子や木の存在感のある椅子。

カウンターに使かわれている一枚板もさりげなくお金をかけて素晴しい。

こちらはフロントの前にあったおみあげコーナー。

ベルボーイデスクもここにあり、旅の相談にのってくれる。

本館と南館の移動はこのケーブルゴンドラで行なう。

この決断をするには相当議論があったと思うが、とても新鮮で童心に帰ってしまう。

子供は遊園地に来たみたいでさぞ喜ぶことでしょう。

ケーブルカーに乗って宿泊する南館に出ると丁度よい広さのくつろげるロビー、そしてデスクまである。

その奥には足湯。

さらに進むとライブラリー、キッズコーナー、ランドリーまである。

この地に上質な寛ぎとゆとりを求めた本物の価値を知る旅人の心をワンランク上のおもてなしがゆったりと満たしてくれる。

温泉大浴場「明の湯」は地(kuni)と宙(sora)の趣きの違う二種類のお風呂を日替わりで楽しむことができる。

写真の丸い玉子のお化けのような中は浴槽に成っているのにはビックリした。

又、それぞれの露天風呂は鷹峯の自然が感じられる素敵な造りになっていて心身ともにリラックスができる。

マッサージチェアがあるのも言う事無しだ。

こちらが2日間お世話になったゲストルーム。

ゆったりとしたベッドルームの先に琉球畳の広々とした和室コーナーがあり、ホットできる。

京都らしい風情を感じるインテリアが落ち着いた雰囲気を演出している。

ゲストルームから見た外の景色がまた素晴しい。

今紅葉が真盛りのしょうざんリゾート。

すぐ目の前のこんもりした鷹ヶ峯もやさしく旅人を包んでくれる。

ここも京都、京都は本当に奥深い所だ。

こちらがしょうざん庭園に行ける南館の建物。

南館玄関を入るとすぐ左側がおみあげ物を中心に京都名産の品物が販売されている染織工芸館がある。

それでは一泊目の朝食をご紹介しましょう。

日中は京料理となっている「紙屋川」が朝食会場、ここはビュッフェスタイルです。

いかにも京都らしい湯豆腐も用意されてある。

リンゴとハチミツのお子さまカレーは大人でも食べたくなる。

京都といったら漬物。

100年の歴史を誇るとり市老舗の旬な漬物が並んでいる。

デザートにわらび餅があるのは京都らしい。

そしてこれがてんこ盛りのスミダマンの朝食。

食べるだけ食べて今日も歩こう。

2日目は夜になると本格的なコース料理がいただける「ORTIVO」で洋食のオーダービュッフェ。

こちらがそのレストランの朝食光景。

ここでも大きなガラス窓から鷹ヶ峯の紅葉を堪能しながらの朝食とリッチな時間を楽しむことができた。

厨房もオープンキッチン風になっていて開放的。

シャッターを押すのに盗み撮りの気分なく堂々と押せた。

これが朝食メニュー。

スープはコーンスープかミネストローネスープの選択

卵料理はオムレツ(トマトソースorデミグラスソース)、スクランブルエッグ(トマトソースorデミグラスソース)、目玉焼きの3つから選ぶ。

それにサラダ、パン、フルーツ、ヨーグルトが付いている。

ソフトドリンク・コーヒー・紅茶はフリー。

紅茶、緑茶は10種類から自分の好みで選ぶことができる。

そしてこれがスミダマンのチョイスしたブレックファースト。

残念ながらスープのオーダーは取り忘れた為、終った後、オーダーした。

これは絵ではありません。

京の雅を意識した建具の枠の中に窓ごしで撮れた美しい紅葉。

 

 

こんな豊かな時を過ごすことができたことに、苦労して予約を取っていただいた知人Iさんに感謝です。


しょうざん庭園

2022-12-25 06:34:02 | 自然

https://www.shozan.co.jp/index.html

京都洛北・鷹峯のふもと、約35,000坪にもおよぶ「しょうざんリゾート京都」の

広大な敷地の中にある庭園が「しょうざん庭園」だ。

今年も例年の秋の紅葉ライトアップが行われていた。

この写真の左側がチケット売場。

真ん中奥が庭園の入口の門だ。

入園料は700円で11月11日(金)~12月4日(日)、PM5:30~PM8:00(閉門)まで紅葉を思い切り堪能できる。

こちらが正門の福徳門。

なんと立派な門なのでしょう。

お庭に入るといきなり北山杉の秘園の中、

樹齢450年の台杉がライトで浮き出されて目の前に迫ってきた。

楓の紅葉もそれに負けじとばかり魅力的な姿で迎えてくれた。

まさにこの光景は言葉では語り尽くせない妖艶な世界であった。

四季折々に表情を変える北庭園には紙屋川が流れ、

しょうざんの迎賓館をはじめ、日本の粋を集めた茶屋や屋敷が点在している。

そして特別にライトアップされた空間は紅葉に包まれた風雅で幻想的で息を呑むようだ。

もともと北山杉は600年以上の歴史を持ち、

仙洞御所、桂離宮、修学院離宮などに用いられた朝廷御用木。

現在は「京都府の木」に指定されている。

台杉とは1本の親杉から幾本もの垂木がとれるもの。

しょうざんにある3,000本の北山杉はすべて北山から移殖された台杉。

いずれも350年から500年の歴史を持つ。

今回の秋の紅葉の京都で極めつけの紅葉がこの迎賓館「峰玉亭」の前の

池に映った恐ろしいほど妖艶な紅葉の姿でした。

実際はこの写真では十分に伝えられないほどの素晴らしさです。

まさに百閒は一見にしかず。

読者の皆さん、この興奮を味わいたいならば是非一度来て見て下さい。

本当にすごいですから。

しょうざん庭園

なんとか皆さんに池に映った紅葉の樹木の深さを、

底なし沼のような深さを伝えたいと動画も撮ってみました。

この深遠な風景は関係者に聞いたところによると、

照明技術の進化によってなせた技だそうです。

本当にすごかった!!

池もそうだが闇夜の空に登っていく北山杉の雄姿も感動的であった。

 

 

以上、幻想的なライトアップされたしょうざんリゾートの庭園であったが

翌日昼間の庭園を訪ねて夜の池の恐ろしさの仕掛けの裏側を見にまた行ってきました。

これが「しょうざんリゾート京都」全体の案内図。

約35,000坪もあるそうだ。

この案内図の右側に最近オープンしたヒルトンのラグジュアリーリゾートホテル「ROKU KYOTO」。

LXRHotels&Resortがある。

コンセプトは「Dive into Kyoto」だそうでぜひ一度見に行ってみたい。

一夜明けた朝6:45頃のしょうざん庭園チケット売場と正門「福徳門」。

真紅に紅葉した樹々と奥にそびえ立つ北山杉。

素晴らしい。

これが昼間(16:30)のしょうざん庭園の正門と台杉の北山杉と紅葉と敷きもみじ。

ライトアップされた夜の姿と随分違うでしょう!?

これが空にそびえ立っていた北山杉。

素敵ですけど夜の姿と比べるとちょっとネ?

庭園内をぞろぞろ歩いた中で目に留まった美しい風景、

見事な紅葉をカメラで切り取ってみました。

こちらは真っすぐのびた北山台杉と紀州石を贅沢に使ったお庭。

きれいに敷かれた敷紅葉の中を流れる小川のせせらぎ。

あまりの美しさに思わず一句生まれそうだ。

木の樽を生かした茅葺きの茶室。

ここでお茶を一服したら最高でしょう。

そして昨夜、感嘆の声を思わず上げてしまった池に来ました。

そこには夜気付かなかった錦鯉が何匹も泳いでいました。

何よりも驚いたのは池の深さが1mも無いほどの浅さだということ。

昨夜は数十メートルもの深さに腰が引いてしまったのに。

照明技術のすごさ、人間の目の錯覚とは恐ろしいものだと改めて思ってしまった次第です。

最後に手入れの行き届いた苔と真っ赤に紅葉したもみじの葉1枚。

絵になりますネー。

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編423~

2022-12-23 11:22:29 | 食~番外編(京都)

チャイニーズレストラン  楼蘭

京都市北区衣笠鏡石町47

TEL 075-491-5101

無休

https://www.shozan.co.jp/restaurant/louran.html

京都鷹峯にある東急ハーベストクラブ南館よりライトアップされた石畳を数分歩いていくと北山の緑に包まれたモダンな館の本格的中華料理「楼蘭」がある。

東急ハーベストクラブの初日の晩はメンバーの知人がセットしてくれた当店でゆったりと楽しく過ごした。

入口の所には各写真で店内の様子、お部屋の大きさ、ダィナー、ランチのコースメニュー(それぞれ3種)そして料理長の

コメントが書かれたディスプレーが置かれてあった。

これが店内案内。

1階が宴会席で2階に一般席と個室が用意されてある。

これが2階の一般席の光景。

ほぼ満席状態でこの日の東急ハーベストの予約状況が伝わってくる。

当店は和とオリエンタルが融合した洒落たモダン空間で味わう本格中国料理。

春夏秋冬の移ろう景色とともに楽しいひとときが過ごすことができる。

信州サーモンと季節の前菜盛り合わせ

クコの実コース

ずわい蟹と蕪のふかひれスープ

柚子風味

豚肉と葉ニンニクの黒トリュフ炒め

大黒しめじを添えて

大根餅を詰めた烏賊の姿蒸し

湯葉といぶりがっこの餡で

甘鯛のカリカリ鱗焼き

麻辣ソースで

鰻とジェンタンの炒飯

酢橘を添えて

柔らか杏仁豆腐 季節の果物ソース

この一枚は最高の一枚と成りました。

一番奥にライトアップされた竹林。

その手前に2本の北山杉の幹。

そして紅、黄、緑のグラデーション豊かなもみじの紅葉。

そしてなんと言っても下の石垣は歴史的に重要な意義のある豊臣秀吉が築いた土塁。

天正19年(1591)秀吉が都城荒廃後の京都の整理にのり出し、洛中、洛外をわけるためにわずか5ヶ月で築いた土塁で「御土居」という。

この土塁は京の町全体を囲む大規模なものであったが、現在は西賀茂、北野、そしてここ鷹ヶ峰にその姿を残すのみである。

ここ楼蘭の手前にある京の料亭「千寿閣」

四季折々の素材を贅沢に活かした会席料理を美しい庭園を眺めながら堪能することができる。

しょうざんリゾート京都ではほかに鳥料理と和食が食べられる「わかどり」、京料理の「紙屋川」、川床会席の「渓凉床」などの食事処があり、多彩なリゾートライフを楽しむことができる。


京都の街あれこれPART12

2022-12-22 06:05:25 | 旅 ~京都

京都の街を歩いて気になったとこ、気付いたことをアップする

「京都の街あれこれ」シリーズも今回で12作目になりました。

今回も気ままに京都を切り取って読者の方にお届けいたします。

「そうだ京都、行こう」でもアップしましたが、今年の紅葉の京都は大変な人出。

京都の観光にはタクシーは切っても切れない大事な足。

今回は事前にそれを予期して、タクシーをネットで呼べるアプリ

「Goタクシー」入れてきてこれが大戦力となった。

初日の観光スケジュールは「梨木神社」「蘆山寺」を見て、

それから寺町通を南にテクテク下った。

途中に気になったことが沢山あったので順次紹介していきます。

この建物は京都府立鴨沂高等学校の校舎。

とても学校の校舎とは思えない風格の漂う建物だ。

当校は日本で最初の公立女学校として1872年(明治5年)設立されたという伝統校だった。

学校(京都府尋常中学校)の前にはその歴史を誇るように明治天皇の行幸の碑が建っている。

京都御苑の隣りで下水道工事の現場があった。

そこの仮囲いには今まで見たことないような景観を意識した絵のパネルを使っていた。

和風の壁を模したもので日本瓦が乗っている。

さらに一部の壁は人工芝で壁面緑化までしている徹底ぶり。

こんなところも京都は最先端を行っている。

ここ京都市歴史資料館は京都の歴史に関する資料の保存と活用を図り、

市民の文化の向上及び発展に役立てることを目的として昭和57年11月に開館した。

この日は残念ながら閉館していたため中には入れなかった。

資料館の前のシンボルツリーは上京区民の誇りの木、ナンキンハゼ。

この建物は新島襄旧邸で同志社の創立者の自邸として建設されたもので、

明治11年(1878)に竣工した。

設計は宣教医テーラーの助言をもとに新島自身が行ったといわれている。

外観はコロニアルスタイルを基本としているが細部装飾がほとんどなく

真壁の白い壁面に配された茶褐色の木部が単純明快な美しさを見せている。

この建物は京都市指定有形文化財になっている。

こちらは新島邸と同じ敷地内にある同志社新島会館。

なかなか落ち着いて味のある建物だ。

敷地センターのシンボルツリーが効いている。

いよいよ寺町通を丸太町通を渡って次のエリアに入る。

この日はあいにくの小雨模様。

京都市街の中でスミダマンの大好きな東山連峰の風景も山頂付近に雲がかかりその迫力が半減してしまった。

突然トイレに行きたくなり下御霊神社の前にあるとてもお洒落で

センスのあるプチホテルに了解をいただいてトイレをお借りした。

そのホテルの名は「THE SCREEN」といって外国人が多く利用する4つ星のセレクタブルホテルだった。

その時の女性スタッフの対応が素晴らしく、旅の出会いの1つとして頭にインプットされた。

わずかの時間であったが、楽しい会話ができ、とても心が豊かになった。

寺町通には古書、骨董品などを扱う老舗店が多い中で、

モダンな美術を展示している画廊などもある。

次の予約時間まで余裕があったのでそのうちの1つの画廊アートスペース余花庵に飛び込んだ。

京都にて初個展の「橋本安希子展-書美を求めて」

古の文字を通じて新しい表現を模索。

江戸時代末期、京都所司代を務めた間部詮勝(まなべ あきかつ)の萬居跡。

氏は越前鯖江藩第7代藩主。

幕末に老中首座を務めた。

明治17年没。

寺町通をさらに下り、御池通りを渡るとアーケード商店街の通りに入る。

そのすぐ先は鳩居堂などに出る。

御池通を渡ってすぐ右角の古い店が、天保3年(1832年)創業の京菓子司「亀屋良永」さん。

代表銘菓は御池煎餅や小倉山をはじめとした羊羹、季節の御干菓子を取り揃えている。

以前、TVでも放映された寺町通にある歴史ある古書店「竹苞書楼」さん。

創業なんと280年で能や狂言、華や茶、浮世絵など古典芸能に関わるものを扱っている。

寺町商店街アーケードのディスプレイがまたすごい。

お寺の梵鐘を模した照明器具が3つ吊るされている。

鳩居堂には来年の干支卯のかわいらしい人形がいくつか飾られ、売られていた。

2022-10-4にアップした矢田寺のところにまたまた来てしまった。

何かの縁を感じてしまう。

前回は撮った写真の半分がボケてしまい、何かの祟りと考えてしまったが、

今回は慎重にシャッターを押したので良くは撮れていないがボケたものも1枚もなかった。

決して祟りではなくただ写真技術がなかっただけのことだった。

本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は俗に代受苦地蔵と呼ばれ、

地獄で亡者を救う地蔵として人々の信者を集めている。

また、当寺の梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、

死者の霊を迷わず冥上へ送るために撞く鐘として人々から信仰されている。

以前アップした俵屋がプロデュースしている天ぷらの「点邑」さんと

日本旅館俵屋さんの中間あたりにある「ギャラリー遊形」さん。

当店は俵屋で使っているオリジナルの商品を販売しているお店だ。

特に有名なのが香りが素晴らしいと評判のオリジナル石鹸。

値段も手頃だしおみやげに最高だ。

また、俵屋で使っているベッド寝具をはじめナイトガウンまで販売しているのには驚いた。

 

 

 

 


宝筐院(ほうきょういん)

2022-12-21 06:19:47 | 旅 ~京都

ここ宝筐院の略史を綴ってみましょう。

平安時代に白河天皇(1053~1129)により建てられ、善入社と名付けられた。

南北朝時代になり、夢窓口国師の髙弟の黙庵諭禅師が入寺し、室町時代の二代将軍足利義詮の保護を得て伽藍が整備され、これ以後は臨済宗の寺となった。

ここは門の出口。

貞治6年(1367)義詮が没する(38才)と、善入寺はその菩提寺となり、義詮の院号に因み寺名は宝筐寺と改められ、

足利幕府厂代の保護もあって寺も隆盛であったが、応仁の乱以後は経済的に困窮し次第に衰退し、明治の初めには廃寺となったが、50数年をへて復興された。

門を入ると見事に紅葉した参道が続く。

前日アップした常寂光寺の紅葉も素晴しかったが、当院のは負けずとも劣らない。

いやそれ以上の紅葉の世界がどこまでも広がる。

皆門をくぐって院内に入るとその圧倒的な紅葉に思わず立ち止まってカメラマンに変身してしまう。

紅葉も素晴しいが、赤く散った敷紅葉も「侘び」「寂び」の世界を感じさせ儚ささえ伝えてくる。

それでは当院の素晴しい紅葉を順次アップしてみましょう。

やはり赤一色より黄・緑が混じった方が見栄えがして見応えがありますネー。

本堂の中もまるで撮影会の会場のようで神聖なお寺の空気が当院ではあまり感じられなかった。

そんな中、祭壇には古仏の木造十一面千手観世音菩薩立像の本尊の存在感がスミダマンには心に留まった。

さらに素晴しい紅葉写真をアップし続けましょう。

書院から本堂の周辺は白砂・青苔と多くのカエデや四季折々の花、

特に今は枝だけになったシンボルツリー的な主張をしているしだれ桜の木などの回遊式の庭園が広がり晩秋の院内に彩を添えていた。

回遊式庭園を進んでいくと突然、ヨーロッパ調の彫刻に遭遇。

和の庭園の中になぜ?といった異和感を感じた。

正平3年・貞和4年(1348)正月、河内の口の南朝の武将楠木正行は四条綴の合戦で、

北朝の大軍と戦い討ち死にし(23歳)、黙庵はその首級を生前の交誼により善入寺に葬った。

後にこの話を黙庵から聞いた義詮は、正行の人柄を褒めたたえ、自分もその傍らに葬るように耐んだ。

石の棚に囲まれて二基の石塔が立つ。

五輪塔は楠木正行の首塚(首だけを葬ったから)、三層石塔は足利義詮の墓と伝える。

本当に宝筐院の紅葉は美しかった。

昨年の夏、人力車えびす屋の俥夫に「紅葉の穴場 宝筐院に是非行ってみて下さい。」と言われたのを思い出して訪問した甲斐があったというものだ。


常寂光寺

2022-12-20 06:13:25 | 旅 ~京都

2021-8-23付の常寂光寺のブログの最後に

「秋の紅葉シーズンに是非もう一度訪れたいお寺だ」と記していたが、

今回最高の時期に常寂光寺に来ることができました。

https://jojakko-ji.or.jp/

江戸後期に作り変えられた山門。

一年中で最も華やかな季節を迎えたことあってご覧のように大変な賑わいだ。

インバウンドの外国の人々大勢秋の京都を満喫していたのも印象的だ。

前回も紹介したが、優しいイラスト付きの境内の案内図。

何となくホンワカした案内でとても味のある図になっている。

反面QRコードを付けて時代の先端を行く案内図の仕上げにもなっている。

山門のところには丁寧にも紅葉のポイントの仁王門、本堂前、庫裡前の紅葉写真が展示されており、

最低ここだけはしっかり見てくださいヨと言っているようだ。

山門を入ると皆一斉に「なんて綺麗なんでしょう!」と

呟いてシャッターを切っている、まさにそんな1枚だ。

山門から仁王門へ向かう参道の紅葉光景。

とりわけ当寺のもみじは太陽の日を受けて素晴らしい。

こちらが仁王門。

もと本図寺客殿の南門として貞和年間(1345~49)に建立されたものを

元和2年(1616)に当山に移築されたものだ。

仁王門から本堂に向かう石段の参道も素晴らしい紅葉が広がり、

足を止めてうっとりと見上げてしまいます。

また本堂から仁王門に迂回する下り坂の紅葉も赤くなったトンネルになっていました。

石段をさらに登っていくと紅葉と竹林のコラボ。

このグラデーションがいいですネ。

やはり竹林は京都が一番似合っている。

詩仙祠あたりから見た多宝塔。

その先に京都市街の風景が急に開けてきました。

この多宝塔は総高約12メートルあまりで均整のとれた美しい姿を示している。

元和6年(1620)8月に第2世通明院日韶上人代に建立されたとされている。

多宝塔は平安時代に密教とともに登場した新しい形式で、

内部には釈迦如来と多宝仏が安置されている。

真っ赤になった敷き紅葉があれば、真っ黄色の敷き紅葉もある。

それぞれ風情があって夢心地の世界へ誘う。

鐘楼の鐘をやさしく取り囲むように美しく色づいたもみじ。

もみじの下でゆっくり休む人も優雅に見えてきます。

庫裡の前の階段のところで立ち止まり何度も紅葉を見上げていた外国人女性がとても印象的でした。

庫裡のところの階段を下りてさらに末吉を下りたところの斜面に

見事な苔と枯れ落ちたもみじの葉のグラデーションの美しさは息を呑むようでした。

再度山門の陽に輝いた紅葉をアップしました。

常寂光寺の紅葉は噂には聞いていたけど実際に見るとはやりすごかったです。

最後になってしまいましたが、常寂光寺の歴史について記してみます。

当寺は右京区嵯峨小倉山にある日蓮宗の寺院。

山号は小倉山。

本尊は十界大曼荼羅。

平安時代に藤原定家の小倉山壮「時雨亭」があったと伝わる地です。

安土桃山時代末の文禄5年(1596年)に小笠原秀政の母で日野輝資の養女である

延寿院が開基となり、日蓮宗大本山本図寺第16世日禎の隠棲の地として当山を開いた。

その常寂光寺土のような風情から常寂光寺の寺号が付けられたとされる。

 


二尊院

2022-12-19 06:17:07 | 旅 ~京都

百人一首に詠われた小倉山のふもとに広がる二尊院。

紅葉の名所と名高く、千二百年の時を超えて美しい景観に包まれてきた。

開創したのは承知年間(834年~848年)のこと。

嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が建立した。

明治維新までは天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場でしたが、

明治以降は天台宗に属している。

約5万坪の境内には、本堂、勅使門(唐門)、総門、八社宮、湛空廟、鐘楼が配されている。

又二尊院と関わりのある天皇(嵯峨天皇、士御門天皇、後土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇)の御分骨を納めると伝わ

る三帝陵がある。

さらに鷹司家、二条家、三条西家、四条家などの公家の墓陵、そして高瀬川を開拓した角倉家、

戦後の映画スター 坂東妻三郎の墓まである。

受付の総門近くには二尊院での四季の写真集が飾られていた。






総門を抜けた先に広がる、真っすぐに伸びた参道は「紅葉の馬場」と称し、紅葉の名所として親しまれている。

約百メートルの間にモミジとサクラの木が交互に植えられており、秋には赤や黄の色彩やかな紅葉のトンネルを魅せてくれる。

これが赤や黄の色彩やかな紅葉のアップです。

実に綺麗でしょう!

紅葉の馬場を過ぎて勅使門に向かう白い漆喰壁の前の見事に紅葉したモミジと苔。

本堂へと続く門は、天皇の意志を伝えるために派遣される使いの「勅使」が出入りする際に使われていた勅使門(唐門)。

弓を横にしたような形で中央が高い「唐破風形」の尾根をしている。

二尊を安置してある本堂、六間取り方丈形式の間口の広い建物は京都市指定文化財。

室町時代の応仁の乱(1467~77)の兵火で諸堂が全焼しましたが、

永正18年(1521)に三条西実隆が諸口に寄付を求めて再建した。

寺名のもととなっている二尊は、極楽往生を目指す人を此岸から送る「発遺の釈迦」と、彼岸へと迎える「来迎の弥陀」の遺迎二尊です。

中国の唐の時代に善導大師が広めた「二河白導喩」というたとえによるもので、やがて日本に伝わり法然上人に受け継がれた。

当院の遺迎二尊像(釈迦如来と阿弥陀如来)は重要文化財で鎌倉時代中頃に春日仏師によって作られたと言われている。

法然上人による七ヶ条制誠(1204年)重要文化財。

六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)に苦しむすべての衆生を救済する六地蔵菩薩。

本堂の裏手の方にあり、2体発見。

弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神を祀るお堂。

弁財天を祀る由来は、当院の「二尊院縁起」見られる。

他に大日如来、不動明王、毘沙門天等を安置している。

「本当の静寂とは、無音ではありません。

まっすぐに伸びた参道を通り抜けた先、紅葉の木に包まれた美しい景色の中で、一度だけ耳を澄ませてください。

日常生活では聞き逃してしまう音が聴こえてきます。

木々はゆれ、鳥は鳴き、水は流れ、そして人がいる。

二尊院の静寂はいくつもの音を呼び込み、私たちに届けてくれる。

寺院の由緒に心を満たされるとともに麗らかなひとときをお過ごしください。

自然が奏でる音色に心が和むとき、それは千二百年前から響いている音かもしれません。

お寺は決して難しい場所ではありません。

小倉山のふもと二尊院で、千二百年の静寂と出会う」

二尊院より。合掌


祇王寺(Ⅱ)と滝口寺

2022-12-17 07:08:09 | 旅 ~京都

( 祇王寺Ⅰ 青もみじ 2021-8-21付ブログ参照 )

この日は晴天に恵まれ、いよいよ京都嵯峨野の紅葉狩りを祇王寺からスタートした。

祇王寺は竹林と楓に囲まれたつつましやかな草庵で、

「平家物語」にも登場し平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が

清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹ともに出家、

入寺した悲恋の尼寺として知られている。

祇王寺は昔の往生院の境内にあり、往生院は法然上人の門弟良鎮によって再建されたと伝わっている。

山上山下にわたって広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、

ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになった。

祇王寺基地の入口にある碑には「妓王妓女往生院現往民法専建之」とあって、

この碑の右側に「性如禅尼承安二(1172)年壬辰8月15日寂」と刻まれているのは祇王のことと思われる。

祇王寺は明治初年に廃寺となったが残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管された。

大覚寺門跡の楠玉諦師はこれを惜しみ再建を計画していた時に

元京都府知事北垣国道氏が祇王の話を聞き、

明治28年に嵯峨にあった別荘一棟を寄付された。

これが現在の祇王寺の建物です。

これらの関係から祇王寺は真言宗大覚寺派の寺院で、

旧嵯峨御所大覚寺の塔頭寺院となっている。

「五十年の夢とりどりの落葉かな」智照尼時雨に煙る小倉山、

特に祇王寺の時雨、深紅に包まれた草庵の路に、庭に、草屋根に

そして竹林にも散り紅葉が重なっていく、音もなく…。

本当に素晴らしい紅葉で言葉にもなりません。

最高の時に訪ねたのではないでしょうか。

ただただシャッターを押した写真をアップいたしました。

秋の京都嵯峨野の紅葉なんて素敵なのでしょう。

ここには詩人とカメラマンしかいませんでした。

仏壇には本尊大日如来、清盛公、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木像が安置されている。

祇王、祇女の像は鎌倉末期の作で、作者は不明ですが眼が水晶(玉眼)で

鎌倉時代の特徴をよく表している。

控の間の大きな窓を吉野窓といい影が紅の色に見えることから「虹の窓」とも称している。

門から見た外の参道。

ここの紅葉も黄味の色でいいですネー。

祇王寺は苔でも有名で庭内には苔のサンプルが展示してある。

心は詩人、そしてプロカメラマンになったつもりで撮った。

もみじと苔とジダ(1枚)。

絵になっていませんか?

最後に枝に結び付けられたおみくじとなぜか英語が書かれた絵馬がとても気になったのでアップしました。

 

 

祇王寺からさらに石段を登っていくと滝口入道と横笛の悲恋で有名な滝口寺に着く。

入口を入ったところにあるのが新田義貞の首塚と勾当内待の供養塔。

歴史文字「太平記」に出てくる。

明治の文豪高山橒牛は平家物語に出てくる滝口と横笛の悲恋物語から取材していて

歴史小説「滝口入道」を読売新聞の懸賞小説に投じ当選、

明治文学の代表として高く評価されている。

石段の横には赤く紅葉した落葉が敷き紅葉となり美しい石段に仕上げている。

隣りの苔で美しい祇王寺の庭に比べるとあまり手取れを感じない庭が広がっていた。

かえってこれが悲恋の寺のイメージを増長していて寂しい空気が流れているように感じてしまった。

当寺はもと往生院三宝院といった。

念仏房によって創建された往生院は念仏の道場として栄え

その境内地も山上から広い地域にわたって数々の坊があったと伝えられている。

その後応仁の乱等の数々の戦乱により変遷を経て、後、祇王寺と三宝院とが浄土宗の寺として残った。

明治維新、廃寺となり、祇王寺の再建に続いて当寺も再建され、

故佐々木信綱博士が小説「滝口入道」にちなんで滝口寺と命名された。

堂内には滝口入道と横笛の木像が安置されている。

滝口寺にはうら寂しい秋の落葉の庭がよく似合う。

 

 


早朝の錦市場

2022-12-16 06:09:11 | 旅 ~京都

京都の旅2日目、恒例の早朝散歩で新京極から久しぶりの錦市場まで足を伸ばしてきました。

それは早朝でしか見られない、ある光景をカメラに納めたいと思ったからです。

(2021-3-19、2021-3-20付ブログ錦小路通Ⅰ、Ⅱ参照)

これが午前6時半の錦小路の光景。

まだほとんど人通りがなく、一部鮮魚を扱うお店が準備をしていたのが市場らしい空気を醸し出していた。

皆さんもご存知の方が多いと思いますが、江戸時代中期の奇想の絵師「伊藤若冲」(1716~1800)が

京都錦の青果問屋の生まれで丁度この場所で生まれた。

絵師となる者は専門教育を受けるのがほとんどであった中で、

若冲は独学で道を開き、85歳で亡くなるまで筆は衰えませんでした。

若冲は平成になって人気が爆発したレアな絵師です。

錦市場のアーケードの天井には日章旗と同時に伊藤若冲の作品が掲げられ

今や錦市場と若冲は一体になっている。

なぜ早朝に錦市場に来たかというともう皆さん分かったと思います。

開店前のシャッターが閉じた各店には伊藤若冲の作品がシャッターに描かれているのが、

さながら美術館を彷徨うように見て歩くことができるからであります。

開店したら見ることは出来ません。

それでは各店の伊藤若冲の作品を紹介していきましょう。

群鶏図障壁画 京都国立博物館蔵

竹梅双鶴図

伏見人形図

松鷹図

有名な果蔬涅槃図 京都国立博物館蔵

釈迦の入滅を描く涅槃図を野菜と果物によって表現した大作。

釈迦は画面中央伏せた籠の上に置かれた二股大根によって表され、

8本の沙羅双樹はトウモロコシで他も野菜果物によって表現されている。

様々な濃淡の墨を使い分け「節目描き」や墨のにじみ、かすれといった技法を駆使している。

芭蕉雄鶏図

雪中雄鶏図 細見美術館

うなぎ屋の大黒屋のシャッターに描かれた虎図

竹虎図 鹿苑寺蔵

若冲の代表作の1つ樹花鳥獣図屏風 静岡県立美術館蔵

大正時代に創業した「川政」さん。

有名旅館や料亭から一般のお客さんまで幅広い層に日々新鮮な野菜果物を提供している。

鮮魚の「近新」さん。

この店の朝は早い。

朝5時頃にはもう活動が始まっているという。

創業して約70年、小売りは一切せずプロのためだけのお店です。

やはり鮮魚店の仕事は早い。

両手に持っているのは京都の魚の代名詞「鱧(ハモ)」

400年の歴史を誇る京の台所、錦市場。

活気ある市場の中に細い路地が一筋。

その奥にある京料理店の「斗米庵(とべいあん)」は

名割烹「祇園佐々木」や料亭旅館などで約30年の経験を積み重ねた料理長が切り盛りしている。

JA全農京都が作った京の伝統野菜のポスター。

京みず菜、賀茂なす、万願寺唐辛子、聖護院だいこん、京たけのこ、えびいも、

鹿ヶ谷かぼちゃ、九条ねぎ、京山科なす、伏見甘長とうがらし、

堀川ごぼう、花菜。

これらは京ブランドの京野菜だ。

錦市場の入口150周年を迎えた新京極商店街の朝6時20分頃の風景。

この時間人気が全くない。

 


三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺

2022-12-15 06:02:21 | ホテル・旅館

京都の旅1泊目は知人の紹介で安く宿泊できた当ホテルにお世話になった。

当ホテルは賑わいの寺町通から一歩奥に行った

市街地(高島屋、藤井大丸、御旅所の裏)の中にある。

当ホテルは三井ガーデンホテルと浄教寺というお寺が

ある意味コラボレーションした一体型ホテルで、

お寺の経営の将来を占う画期的なモデルケースになるかもしれない。

まさに斬新な新しいスタイルのホテルだ。

2020年9月28日にオープン、167室ある。

浄土宗の浄教寺は500年以上の歴史を誇る古刹で、

ホテルの建物の1階の一角に境内を構え、

朝のお勤め体験などお寺の所作を体験できるお寺で他に類を見ないホテルステイを味わうことができる。

浄教寺には平重盛が灯籠とともに寺院周りに安置してある。

1階フロントロービーエリアは黒をベースにモノトーンカラーで仕上げられ、

寺の趣きを随所にちりばめ、深奥なる京の佇まいで寄り添う次世代に向けた寺のホテルを表現している。

寺院に触れ、穏やかな寛ぎに抱かれどこよりも京都に浸る宿泊体験ができる

類を見ないホテルシティを提供している。

こちらが1泊お世話になったモデレートツイン(24㎡)の部屋。

ちょっと狭いがコンパクトに納めようとした努力が伝わってくる。

カラーはやはり黒白のモノトーンが基調。

窓に幾何学的な障子が使われお風呂は無くシャワーブースのみ。

(風呂は大風呂でというポリシーだと思う。)

洗面スペースは外部に設けるといった新しい斬新な発想にはビックリした。

総じて落ち着きのある機能的な部屋ですっきりしたスタイルのインテリアと

寺院一体開発コンセプトならではの凛とした空気が漂う客室に仕上げられている。

当ホテルは必要なアメニティをロビーで選ぶスタイルを導入している。

これはSDGsの観点からプラスチックごみ削減に取り組んでいる姿勢の表現となっている。

他のホテルでも同じことを見かけたが、今後このスタイルが主流になってくるかもしれない。

残念ながら浴室の中はご紹介できませんが、

大風呂の壁にはロビーに書かれた墨の文字と同じような墨絵が画かれており、

お寺にいる時の寛ぎのひとときを堪能することができた。

やはり京都の宿は手足を思い切り伸ばせて体の疲れを癒せる広々とした大浴場が必要だ。

京都の旅はとにかく歩くため足が疲れるため。

どこのホテルもトップシーズンの秋の紅葉情報を提供している。

当ホテルもこの日の15ヶ所の寺社をコメント付きでロビーに掲示していた。

最近必須になっている外貨の自動両替機が金屏風の前で2台鎮座していた。

では当ホテルの寺の趣きをちりばめたインテリアを具体的に紹介しましょう。

1枚目は部屋に飾られた墨絵のような洒落た絵。

2枚目は共用廊下に飾られていた鹿の絵。

3枚目はおそらく旧寺を解体した時、

でた古木を柱の一部にデザインした時の流れを感じさせる素晴らしいアイデア。

4枚目はエントランスエリアに飾られた2匹の象の彫刻。

また、内装の仕上げも1枚目は廊下を白黒のカーペットに、

2枚目エレベーター内部の床を濃い灰色の陶板、

壁をちょっとわかりづらいが銀箔もどきの仕上げ。

そして床のタイルは黒基調のモノトーン陶器が貼られている。

寺好きのスミダマンとしてはこのコンセプト気に入りました。

当ホテルの朝食はミシュランガイドにも掲載された

福岡の僧伽小野一秀庵で2号として県外初出店した。

和の風情あふれるレストランの造りで70席設けている。

朝食のメニューは日本の伝統的な食文化を五感で味わう3種(紫雲、光明、青蓮)が用意されている。

外部の人も当店は利用できる。

ちなみに朝食御膳は2,000円だ。

こちらはお茶漬け(鯛、野菜天ぷら)が味わえる光明。

朝から京料理満載の素敵な御膳でした。

こちらは鰻と牛ぼうの玉子とじが楽しめる青連。

朝食のお椀は「湯葉と九条葱の味噌汁」か「鶏と厚揚げの粕汁」が選べる。

京都市内に4ホテルある三井ガーデングループでは

300円で各ホテルに手荷物を配送するバゲージサービスを行っている。

京都駅から3分のここ三井ガーデンホテル京都駅前で荷物を預けて

身軽に観光に行くことができとても便利なシステムだ。