![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c9/c4cbc2666e54e8173ab16d9fd114da37.jpg)
宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)が、震災後2年8カ月
を経た慶長使節出帆400年周年の節目に11月3日
往年の姿が再現された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/bc/d2cf67477e2dde91212b3d7083133aa9.jpg)
支倉常長らが見たイタリア広場をイメージして作られた
サン・ファン・バウティスタパーク。野外ステージを中心に
放射線状に彩られたタイルと周囲の緑が美しく
調和している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/6f/9934c315ebeff45b681fef8ce836981a.jpg)
1613年(慶長18年)、仙台藩主伊達政宗の命を受け、
ヨーロッパへ渡った支倉常長ら慶長遣欧便節が太平洋
を往復した木造洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」
の復元船
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ba/748cc214f73be4ae29b104137be642d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/5a/def74375ecba0e94d8d8ec6ffe740fc4.jpg)
日本三景の1つである景勝地・松島の景観上重要な建物
「五大堂」。伝承によれば807年、坂上田村麻呂が
奥州遠征の際に建立したと言われている。
現在の堂は慶長9年(1604年)、伊達政宗が瑞巌寺の
再興に先立って再建した東北地方最古の
桃山建築で国の重要文化財。
前日の夜から雪が降り、雪景色になった松島は
大変珍しく、絵葉書のように美しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/e2/bdbe79c9e4c24f62fc11be217a076940.jpg)
臨済宗妙心寺派青龍山 瑞巌寺の総門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/65/4be188c75d14abf7b73539bc3415bd92.jpg)
特別公開されている国宝の庫裡。禅宗寺院の台所。大屋根の上にさらに
煙出しが載っている。本来実用本位の建物に唐草や花肘木
の彫刻が施されたことに正宗公の自意識が窺える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/c6/3de04003710c7cd1e6b2f0f766b40f3a.jpg)
参道、渡り廊下には東京駅復元の屋根にも使われた
石巻市雄勝町産の雄勝石が使われている。
この石は石見にも用いられ、雄勝石見は伊達政宗にも献上
されたと言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/10/f25bf30a001a5dd28d9cb4d55d5e3a98.jpg)
仮本堂(大書院)には御本尊、聖観世音菩薩、
政宗公の位牌が安置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/71/bfd8d27a58b3cd1e73e9ba4f29e29ea4.jpg)
他にも伊達家歴代の位牌もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/e8/a908505b24aa3b18e1ff9f11311115f9.jpg)
現在瑞巌寺は平成の大修理期間中。平成20年
11月から着工し、10年間かけて平成30年3月頃
竣工予定だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/16/11b738682247939de91aa6ff0a19aef6.jpg)
総門に続く参道、雪が深々と降り、人気もなく
正に厳粛な気が流れていて、心が引き締まる
思いだ。それにしても参道右側にうっそうと生えて
いた杉林が、津波の塩害でかれてしまったのが残念だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/6c/8ab07ebaa87dab8ffbc32dcba3bd8894.jpg)
松島から塩釜への島めぐり遊覧コース。
今回の津波で松島のいくつかの島が破壊されたが
逆に天然の防波堤に成って、松島は大きな被害が
出なかったとは皮肉なことだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/bd/475502269d824bafedcf973aafa66109.jpg)
遊覧船に群がるカモメと海猫。船内で
売っているカッパ海老せんを出すと、ちょっと恐いが
上手に取って食べる。鳥の群れはどこまでも
船を追いかけてきて、観光客を楽しませる名物だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b0/49384c5cb8f8eeb695a660e5cfa3a667.jpg)
アップで撮った海猫。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f0/69b56abd6440bb3134b5cd5a852df4ad.jpg)
塩釜水産物仲卸市場。大きな倉庫みたいな建物に350余店が店を並べて
いる。毎朝、魚屋 寿司屋 旅館などが仕入れに
来る程、魚は新鮮で安い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/83/b719bae66828830111fdc65dc3e15b01.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/58/fa064db7cd35938e24f1a0406d2e2845.jpg)
今の時期、牡蠣は勿論のこと、メバチマグロ
ナメタカレイなどが旬だとか。金華サバが
揚がってなかったのが残念だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/a8/2569b37e28042b8f4371284fd289107c.jpg)
仙台城跡。江戸城に次いで日本で二番目に広い仙台城
は約2万坪にもなった。仙台城の雅号は「青葉城」
地名の青葉山に由来する。
基本的には天守閣は無く、平城であった。
これは周囲が広瀬川、天然の渓谷に囲まれていたからだと言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e5/61abc8ff4f2223b461e5159cd0024bcf.jpg)
本凡の伊達政宗騎馬像付近からの仙台市内のパノラマ眺望。
東北地方最大都市仙台市は人口約107万人の
政令指定都市。「杜の都」「学都仙台」「楽都仙台」
とも呼ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/7c/d21a1c3823447a7dc062c2510cb463d8.jpg)
この伊達政宗騎馬像は東京オリンピック開会日の
前日に復元除幕された。今や青葉城跡の
シンボルとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/c5/b9b746ae95f1de60b47b356b148087ff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/c4/a535aad08f2830c5098c82cdd1a05584.jpg)
1902年西南の役、京城事変、日進戦争等で
東北各地の将兵が多く戦死し慰霊の為に
建てられた昭忠碑。天辺に乗っていた青銅製の
金鵄は3.11の地震で落下、今だに復元
されていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/74/344b92780cb22b0b5926b8a307af4951.jpg)
仙台藩祖伊達政宗公をはじめ、歴代の伊達藩主が
眠る壮麗な霊家(瑞鳳殿、感仙殿、善応殿、妙霊界廟、御子様御廟)
の観覧案内図。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/6e/b1b519498c9baf513ee96dc226e3f712.jpg)
伊達政宗公の霊廟への正面門「涅槃門」樹齢数百年
の青森檜葉を用いて、焼失前と同様の豪華な飾り
彫刻が施されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/57/26bcbd98b8596292f49785a3d84c271a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d3/4a8c2f8bd6e09fb6803dafa5a7f86562.jpg)
伊達政宗公は1567(永禄10)年、米沢城に
生まれた。東北南部を中心に諸勢力を平定し、世に
「独眼竜政宗」の異名を轟かせた。江戸時代になると、
伊達62万石の藩祖として、産業、経済、文化の振興を
はかった。瑞鳳殿は1630(寛永13)年、70才で生涯を
閉じた政宗公の遺命により、その翌年、ここ経ヶ峯に
造営された霊屋(墓所)だ。桃山様式の遺風を伝える
豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に
指定されたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも
焼失した。現在の建物は1979(昭和54)年に再建
されたもの。2001(平成13)年には改修が行われ、
柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を
復元し、創建当時の姿に蘇った。
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雪が深々と降り、人気もない静寂な湟槃門
この雰囲気を感じるのは旅の醍醐味だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a1/8d0dea64391eeb6bd0cd77668187e26e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/f7/3e91cac61c339c7d0c13b536d7b62024.jpg)
SENDAI 光のページェント。都心部の定禅寺通
のケヤキ並木に60万に上る数のLEDが一勢に
点灯する。昭和61年、杜の都から光の都へを
思いに始まった。このイルミネーションは高さ約30Mの巨大な
ヒマヤラ杉に点るシンボルツリー。この木だけが
ブルーの色で国内最大級のツリーだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/09/9b49bb9549046b990823c325f055502c.jpg)
近くのビルの壁に「こころを ひとつに」の
イルミネーションを発見。東北の思いがここにも
込められていると感じた。
超惜しい!点灯の感動の瞬間を撮ろうと
雪が降るものすごい人ごみの中、じっとスタンバイ
していたが、シャッターを押すタイミングが遅れてしまい
決定的なシャッターチャンスを逃してしまった。
しかしその時の人のどよめきは入っているから
皆様、これで勘弁して下さい。それにしても
夢のようなメルヘンの世界だったナ―。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/de/f9d7d695f457b900c0c6292626097c7a.jpg)
白く点々と写っているのは雪。雪の中の光のページェント
これ以上ない、シツエーションではありませんか!