goo blog サービス終了のお知らせ 

スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

道場六三郎の料理について

2023-09-12 06:02:10 | コラム

カテゴリー「料理」を新たに設けてから約2年半が経った。

現在その数も62レシピまで増えた。その中で道場六三郎のレシピは約30%18件を占めている。

そこで今回道場六三郎について、その料理について若干綴ってみたいと思います。

以前にも紹介したが、この本がある意味スミダマンの料理趣味に決定的影響を与えたレシピ本です。

1995年発刊の「料理の達人365日道場六三郎・レシピ」別冊・週刊女性。

この本との出会いは全く偶然。

それは草津温泉からの帰り、渋川駅の近くのセブンイレブンでトイレを借りた時、本棚に偶然この本を見つけ購入

したのである。

道場六三郎氏は1931年(昭和6年)、石川県山中温泉に生まれる。現在92才である。

家業が茶道具の漆器の製造販売をしていたので、生まれながらにして「食」との関連が深い。

1950年(昭和25年)に上京し、「銀座くろかべ」を皮切りにして神戸「六甲花壇」、金沢「白雲楼」、東京「芝浦

ぼたん」「赤坂常盤家」「銀座とんぼ」「新とんぼ」を経た後、1971年(昭和46年)銀座に「ろくさん亭」を開店した。

道場の名を不動のものにした人気TV番組、「料理の鉄人」でも披露された和食の固定概念を破る自由な姿勢は料理

界の驚嘆の的となった。

趣味はゴルフ、小唄。なかなかのオシャレとしても有名だ。それにしてもこの写真は若い。なにしろ28年前の発刊

の本だからネ。

これがこの本の目次。魚を春・夏・秋・冬の旬に分けたもの

肉は牛肉、豚肉、とり肉、野菜も春夏秋冬の旬食材を使かったレシピ、果物、

ご飯・麺、豆腐 乳製品に大雑把に分けて95のレシピを紹介している。

このページを見ると多くの書き込みがされてあり、熱心にトライした時の足跡が残って懐かしい。

このメモを見ると95レシピの内85レシピに挑戦したことが記されている。

その内自己評価で合格点の星印が16レシピあるのがわかった。

その自己評価の高いレシピの中で今でも食べたくなる代表的レシピが「

とうもろこしとえびのつくね揚げ夏」95点のハイスコアをつけている。(2021-9-20付ブログ参照)

このレシピを見てもわかるように通常の料理レシピ本には

材料の分量が書かれているが、この本に限っては分量表示がされていない。

おかげさまで料理に大事な感ピューターが初心レベルから必要となり、結果、料理感がかなり働くように成った。

これはすっかり道場の料理にはまって客人を招いて手料理を振る舞った時のお品書き。

記日が平成14年2月10日と記されている。これを見ると一応和食の会席風コースを意識している。

自分で自分を褒めるのも照れるが、「やるじゃないか!」

道場六三郎の料理を85作造った印象はまずその独創性、創造性のすごさだ。

具体的には幾重にも下味を付ける丁寧さ。そして道場流の多彩なソースの見事さ。

スミダマンが作ったソースだけでも26種もあった。その例をいくつかアップしてみましょう。

・ケチャップポン酢 ・からし酢みそ ・みそバターソース ・ごまからし調味料 

・煮つめ ・南蛮酢 ・まぐろドレッシング ・ヨーグルトソース など

本物の道場料理が食べたくて銀座の「ろくさん亭」にも行きました。

これが平成15年正月吉日のお品書きです。

道場六三郎の料理は型にとらわれない自由な発想の料理といわれています。

和食の伝統を踏まえながら、食材の本当の味と向き合う独創的な料理に取り組む中で、

和食の伝統と新しい料理に挑戦する姿勢が本当に素晴しい。


南極の氷

2023-07-25 06:02:06 | コラム

ある金融機関の会合で会議室を提供していた企業のオーナーから

「とても珍しい貴重なものが手に入ったから後ほど皆さんにお出しします」と言われた。

一体それは何?

それは南極の氷で割った氷水でした。

「えー本当?!」出席者は皆、感嘆の声を上げた。

南極観測船「しらせ」が持ち帰る南極の氷は何のために?

それは南極のお土産として今回のように広報事業や研究に活用される。

南極の氷は降り積もった雪が圧縮され氷結したものだ。

内部には雪が降った当時の大気や物質が含まれるため、

当時の気候や南極で起こった現象を読み解くタイムカプセルのような存在だ。

そして南極の石とともに一般の人に見て触ってもらうのが南極の氷の役割だという。

しかし、それ以上にもっと重要で現実的な理由があった。

観測船「しらせ」が南極に向かって出発する時は越冬隊が1年間に使用する

食料や燃料といった消耗品を満載していく。

帰りは廃棄物や食料など搭載物資はあまり多くない。

これが南極からの脱出を困難にさせてしまう。

船の重量が軽いとその分、砕氷能力が低下する。

そこで南極の氷を約500t積み込み「しらせ」を重くして出発するのである。

その氷が私達の口の中に入った次第ということでした。

 


祇園 一力亭の夜

2023-07-19 05:59:35 | コラム

祇園花見小路入口の角、ここだけ弁柄色の建物が強烈に訴えてくる一見さんお断りを今でも通しているお茶屋「一力亭」

歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも登場する歴史的なお茶屋で、元の屋号は万亭でしたが、この芝居が大当りし、世に知られるようになると実在の屋号までが芝居の中で使われる一力と言う名で呼ばれるようになった。

歴代茶屋店主では中興の祖で九代目杉浦治郎右衛門が名を知られている。

明治の初、祇園祭が危機に成った時初代宮本組(祇園祭を民間人で運営する団体)組長として祇園祭を復活させた人と言われている。

一力亭に入る入口と玄関

入口は威風堂々として威圧感を感じる玄関への土間も広く、お茶屋のイメージを越えている。

外に下足番が目を光らしていたのも驚ろいた。

宴会場から見えたお庭。

そして東司。

いわゆるトイレ。

草鞋と手水が風情があっていいですネー。

2階への階段も歴史を感じます。

過去に幾多の歴史上の人物がこの階段を登ったのでしょうね。 

大石内蔵助とか。

黒く磨かれた廊下と出演を待つ方々が休憩していた控え室。

この日は全館貸し切りに成っていたとか。

それでは一力亭の建物内部の目に止まった所のスナップを紹介しましょう。

床の間、そして欄間の建具 味がありますネ。

天井も高くて気持が良い。

掛軸も恐らく皆由緒あるものを掛けてあるのでしょうがよくわかりません。

とにかく京都ではこの設えが大切なポイントなのです。

この衝立、襖は年寄が入っていますネ。

一つ一つ歴史を背負った逸品なんでしょうね。

お淩い会が終った後いよいよ祇園での宴会。

今回は芸・舞妓さん10名を呼んでの夢の時が流れたが、一力亭さんでは動画撮影は禁止との事で非常に残念ながら、華やかな世界のほんの一端しかお伝えできません。

かつらの2人の芸妓さんの舞。

そして3人の舞妓さんの舞。

宴席のセットは一力亭では男衆の仕事とか。

これも又絵に成っていました。

肝心なお料理の方は芸・舞妓さんの圧倒的な華やかさに負けてこの一枚撮っただけであとは忘れてしまいました。

因みにお茶屋の料理は基本仕出し屋さんから取るというのが、ならわしとか。

お茶屋以外も晴れの料理は仕出しが京都では一番のもてなしということで京都では仕出し屋さんが繁栄している。


cafe冨月と小説の世界

2023-07-15 06:26:34 | コラム

今回の旅の最大のイベント、

祇園で超有名なお茶屋「一力亭」での邦楽同好会お浚い会。

ところがその夢のような世界に負けるとも劣らない事が起きた。

まさに夢と現実、バーチャルとリアルの偶然の出来事があった。

この話をこれからいたしましょう。

この話のスタートは今年春に遡ります。

スミダマンの知人の仕事打合せをしていた時、たまたま京都の話になった。

するとその知人は奥さんを連れてきて、志賀内泰弘著の「京都祇園もも吉庵のあまから帖」を是非読むように薦められた。

ちょうど寝る時に読む本を探していたので早速購入。

一巻を読むとすっかりハマリ六巻全て購入。

現在六巻目の第三話まで読んだ。

小説のストーリーの構成は一巻5話の短編小説でできている。

舞台は京都・祇園を中心として京都の名所旧跡、

京都人の生活・文化等が描かれている。

そして、結末は人生経験豊富な祇園甘味処の女将「もも吉」の人情の機微に通じた言葉が悩みを抱えた人々の心に響く人生ドラマが展開する。

登場人物を紹介すると「もも吉」は祇園の一見さんお断りの甘味処「もも吉庵」の女将、元芸・舞妓でお茶屋を営んでいた。

「美都子」もも吉の娘・京都の個人タクシーの美人ドライバー。

ときおり「もも也」の名で芸妓も勤める。

かつては舞も人気もNO.1だった。

「隠源」建仁寺塔頭の1つ満福院の住職。

「もも吉庵」の常連。

他に舞妓になったばかりの「奈々江」

老舗和菓子店風神堂の社長秘書「朱音」等々

そしてアメリカンショートヘアのネコ「おジァコちゃん」だ。

晴天で初夏の日差しを受けながら、安井金比羅宮からテクテクと祇園の街の裏の方から歩いて来て、この小説にちょくちょく出てくる神社を目指して来た。

これが「京都祇園もも吉庵のあまから帖」に載っている祇園エリアの地図。

宿泊しているホテルの通り八坂通り。

そして一昨日アップした安井金比羅宮。

今年春に完成して7年振りに当地で「都おどり」が戻ってきた

祇園甲部歌舞練場、京都五山の雄・建仁寺、京都五大花街のチャンピオンの祇園甲部のお茶屋がつらなる花見小路通その入口に弁柄色で目立つお茶屋のランドマーク一力亭。

そして路地に小さく鳥居を構える有楽稲荷など小説によく登場する場所の地図が記載されている。

この有楽稲荷大明神は織田信長の末弟の織田有楽斎を秖っている。

有楽斎に因み「楽しみが有る」とされ、芸能の稲荷社になり、芸妓の技芸上達、茶屋の商売繁盛の信仰を集めている。

創建は不明で、大正期の初めにこの地に祀られたとみられる。

因みに東京有楽町の地名は有楽斎から来ているという説がある。

又7年前に大ヒットしたNHK大河ドラマ「真田丸」の中ではザ・スパイダースのメンバー井上順が有楽斎を演じていたことでも記憶に残っている。

又、建仁寺の塔頭正伝永源院は織田有楽斎が再興し、その墓所もあるという。

テクテク約1時間弱歩いて来て相方が喉が渇きお茶したくなってお店を探していたが、

なかなか見つからず、ようやく店外にメニューが置かれたお茶屋風の店の扉を開け何かに導かれるように入って行った。

「ごめん下さい。ごめん下さい」と幾度も声をかけても返事が無い。

しかしこの日に関してはどうしてもこの店に入りたいと思い呼び続けたと相方は後に言っていた。

因みに相方もこの本の読者だ。

しばらくして通されたこの部屋を見た瞬間ピーンと来た。

カウンター内の造りは違うがまさに小説内の甘味処「もも吉庵」のイメージそのものだ。

当店は昔は4代続いたお茶屋で今はcafe冨月(ふうげつ)で昼間は甘味処、夜は一見さんお断りのBARに成っている。

TEL 075-561-5937

月曜日 定休

http://gionfu-getsu.jimdo.com/

お店の造りは見た所このカウンターコーナーに続いてスミダマンが通された応援ソファーコーナー、奥には中庭が見渡せる堀ごたつテーブルの和室があった。

部屋の設えもまさにお茶屋風。

素晴しい雰囲気です。

甘味処のカフェのメニューも手作りで写真付。

すごく凝っていて、どれも目移りがしてしまう。

まるで小説もも吉庵の名物「麩もちぜんざい」が出てくるようなラインアップだ。

スミダマンがオーダーした金平糖ソーダフロート750円。

緑寿庵清水さんの金平糖を使いソーダのカラーチェンジができる。

素晴しい。

まさに祇園のお茶屋の名に恥じない力作の作品しかも良心的プライス。

これだけでも旅人の心を鷲掴みにしてしまう。

相方はお豆腐白玉御膳1200円

今月の季節あんは宇治茶を使かった抹茶あんだそうだ。

この気使いも小説に出てくるその時々の麩もちぜんざいのイメージにダフッてくる。

ビジュアル的にも一流で本当に素晴しい。

しかし、ここまでのワクワク感は心躍るドラマの序曲、プロローグであった。

この女性がcafe冨月の若女将でとてもチャーミングな女性。

頭も切れしゃべり出したら止まらない。

そして彼女の口から予期せぬ話がどんどん出て来て「エー世の中こんなことがあるのだ?」とビックリ仰天の連続であった。

話を聞いていく内に彼女が小説の主人公の娘、美都子に完全にかぶってきた。

因みに彼女の母は祇園の芸舞妓だったとは小説のもも吉とそっくりだ。

そして彼女が私の席に持って来て説明をしたのが「京都祇園もも吉庵のあまから帖」第六巻。

スミダマンも、一力亭での芸舞妓の話の種にとこの第六巻を持参して来たので若女将に見せるとお互い一瞬沈黙が続き驚ろきの目に変わった。

それからはこの小説に関する秘話が泉が湧くが如く続き感動感激すら覚えた。

・作者の志賀内泰弘氏がよくカフェ冨月に来て小説の内容の事を話しては確認、了解を取りに来る

・もも吉庵の主人公もも吉のモデルは創業100年を超えるお茶屋の「吉うた」のお女将髙安美三子さんで当店若女将の母大女将の大仲よし

・モデルのお茶屋「吉うた」さんは2019年3月火事の延焼で焼けてしまった。

このお茶屋さんは祇園小唄作詞の舞台に成った歴史的お茶屋。

・ここは生えている松は2度の火災に耐え不死身の松だ。

・建仁寺塔頭の満福院のモデルはひょっとして建仁寺塔頭両足院かも(後日アップ)

京都新聞をご覧のあなたへ

志賀内泰弘「お茶屋が焼けても女将は前向き」

火の出た日はうちの79才の誕生日でした。

燃え盛る火を見ながら思いました。

これは神様が燃やしてくださったやと。

人生は何度でもやり直せる、と人は言わはるけど、人は今まで培ったものをたくさん抱えているからゼロからのやり直しはできしません。

そやから神様が「全部燃やしてあげるさかい、ゼロから始めなさい」と燃やしてくれはったんやろう思うたんどす。」

「京都祇園もも吉庵のあまから帖」六巻巻末特別インタビュー(P313)に作者志賀内泰弘氏が「Cafe冨月」

のことを書いてくれたと最後に若女将が六巻のこの部分のページを開いて説明してくれた。

 

 

 

今回のビックリするような出会い、ご縁は単に偶然な出来事では片付けられない必然性を感じた。

この京都には1200年という歳月の積み重ねの重みが人の人生や、文化の彩を織りなしている。

新ためてこの街のすごさを知ってしまった。


カレーパングランプリ金賞獲得

2022-11-22 06:04:14 | コラム

浦和ロイヤルパインズのカレーパンがカレーパングランプリで

金賞を獲得したと聞いて早速買って食べてみた。

カレーパングランプリとは、日本カレーパン協会

(そんな協会があるの知りませんでしたネ)が主催する

「いま1番美味しいカレーパンはどれだ?」を合言葉にしたグランプリのこと。

これがカレーパングランプリ2022のバラエティ部門で

金賞を受賞した「THE カレーライス」。

価格は1個380円(税込)。

特徴は小麦粉の代わりに米粉を使っているグルテンフリーのカレーパンということ。

さらにお肉を一切使用せず、レッドキドニーやひよこ豆、レンズ豆が入った、

野菜のうまみが詰まったビーガン仕様のカレーだそうだ。

さらに油で揚げずに焼いて仕上げたという。

とってもヘルシーなカレーパンとなっている。

この「THE カレーライス」を一個一個袋に丁寧に入れ、

そこには前述の内容が書かれた簡単な説明書が貼られていた。

そしてちょっと前にホテルのロゴを一新した

ロイヤルパインズホテルのビニール袋。

ここがTHEカレーライスパンの売り場。

「本品製造厨房では、小麦・卵・乳製品を含む製品を生産しています。

食物アレルギーをお持ちの方はコンタミネーションの

恐れがありますのでご注意下さい。」の注意書きが・・・。

コンタミネーションって何?

こちらが1階中仙道サイドにある、様々なお菓子やパンを販売している

ペストリーショップの「ラ・モーラ」。

ところでグランプリ金賞を取った「THE カレーライス」のお味の方は?

菓子パンの中でカレーパンはスミダマンにとって1、2番の大好きなパンだが、

このパンがなぜグランプリに輝いたか正直言ってワカリマセン。

決して唸るほど美味しいとは思えませんでした。

 


ブログ「スミダマンのほのぼの奮戦記」の歴史

2022-10-18 06:14:34 | コラム

今年10月1日に「スミダマンのほのぼの奮戦記」を立ち上げてちょうど5000日(13年255日)を迎えました。

振り返れば2009年1月21日、たった4行でブログを開設いたしました。

スタートの頃は月2~4回のアップ。

当社総務部長の指示で営業担当社員が始めたのが当ブログスタートの由来です。

写真も小さく1枚のみのもの。

昔のブログを振り返ってみると隔世の感を感じます。

ブログの記事数は10月9日付の浦和エリア旨い店シリーズで2,800件に達しました。

これは約1.8日に1件アップした計算になります。

カテゴリー数も徐々に広がり、現在は食のカテゴリーが12、他のカテゴリーが18、

合計30カテゴリーになっています。

 

新たに増やしたカテゴリーは「料理」「建物」「ホテル旅館」「ゴルフコース」、

旅は「京都」「東京」を特別枠といたしました。

「地震」は2011年3月11日に発生した東日本大震災を機に設け、

月日が経つにつれ過去のものになりつつあります。

逆に「健康」は2020年5月から新型コロナ関連のブログが始まり、

時代の変化や流れをブログからも感じます。

gooブログでは表のブログの裏で様々なブログ情勢の分析データが表示されます。

このデータ過去1週間の日別ランキングデータ。

その日のトータル閲覧数とトータル訪問数と過去3週の週別ランキングが出ます。

参考にgooブログは現在312万件強の登録があり、

「スミダマンのほのぼの奮戦記」は最近その伸びが止まってしまって

500番台から600番台にランキングされています。

あわよくば400番を目指して頑張っているつもりですが、いまいちチョットね?

ちなみにトータルアクセス数はトータル閲覧数は4701003PV

トータル訪問者数は1629525UUとなっています。

また、前日のアップ数ランキングベスト50も表示されます。

その内容を分析すると30件あるカテゴリーの中で「建物」カテゴリーの中の

都内エリア豪邸シリーズが圧倒的な人気を誇っています。

現在10エリアの高級住宅街をアップしましたが、

人気断トツ一番は成城学園の豪邸エリア、続いていっとき前までは青葉台エリア、

現在は松濤エリアが2番目の人気エリアになっています。

 

 

 

このように「スミダマンのほのぼの奮戦記」は

あらゆる出来事をフラッシュバックしていますが、

今後も好奇心を失わずに会社のイメージアップ、人生の絵日記、ボケ防止等々、

前向きな価値を見出して改めて頑張っていきたいと思っています。

それには何よりも健康でなくてはできないと最近つくづく思う日々であります。

愛読者の皆様、今後も熱い支援の程よろしくお願いします。


神楽坂の夜

2022-06-06 06:10:37 | コラム

今回は3年前にアップした熱海の夜に続き(2019-3-11付)、

情緒溢れる東京の花街、神楽坂の御座敷遊び、夜の雰囲気をお伝えしたいと思います。

その前に6月4日(土)3年ぶりに開催された第37回公演「神楽坂をどり」を紹介いたします。

開場は神楽坂劇場(牛込箪笱町15番地)。

3部公演になっていて全席指定5,000円。

主催は東京神楽組合。

因みに神楽坂には現在20人弱の芸者さんと1人の半玉さんがいる。

まだ午後の神楽坂兵庫横丁の風景。

前に歩いている着物姿の女性は一昨日紹介した東音会で

大変お世話になっている三味線の先生。

もうすでにモスグリーンの擁の料亭幸本の窓からは三味線の美しい音色が流れてきて

街並に素敵な彩りを与えていた。

この子が前述した神楽坂芸者で唯一の半玉(はんぎょく)の多ま希さん。

半玉とは芸者の見習いで京都でいう舞妓にあたる。

色々話を聞いてみると関西の出身で舞妓に憧れて京都上七軒に数ヶ月いたが、

おどりの方の紹介で神楽坂の門を叩いたようだ。

とても愛嬌があって愛くるしい性格でとても好感が持てる半玉だった。

一昨日の神楽坂をどりにも立方として出演すると言っていた。

多ま希さんの向こうの後ろ姿の方が置屋のおかみさん。

彼女はこの仕事が好きで百戦錬磨といった感じ。

多ま希さんがお座敷で舞ってくれたスナップ写真。

やはり半玉さんときいて仕草・振る舞いが初々しい。

そして楽しそうに芸を披露しているのがとても良かった。

もう1人来てくれたこの芸者さんもまだ若い。

源氏名は忘れた。

たまたま偶然だが、この子も京都の外大出身で

多ま希さんとほぼ同時期に上七軒にいたとの事。

京都の5大花街のことで話が盛り上がってしまった。

こちらは三味線を弾いていたリーダーの若おかみさん。

神楽坂の夜①

神楽坂の夜②

本当にこの日は東京芸大の流れを汲んだ芸術的な長唄と

お座敷の芸者さんの芸と2つの世界の日本文化に触れ、

贅沢な至福の時間を過ごすことができ、夢のような気持ちになれた。

会と宴席もあっという間に過ぎ、いよいよお開きの時間となった。

外はすっかり夜の帳につつまれ、

神楽坂の夜の顔に変化をしてさらに味わい深い街に変わっていた。

1枚の写真の右側に写っている元旅館はレトロな雰囲気いっぱいの建物で、

作家・野坂昭如氏、そして映画監督・山田洋次氏がここで

「男はつらいよ」の構想を練り滞在しながら数々の名作を誕生させたところだという。

 


桜への想い

2022-04-11 06:08:51 | コラム

今年も桜の季節が終ろうとしています。

若い頃は桜のことをあまり気にもしなかった。

歳を重ね、それなりの年齢になると桜への想いは深くなってくる。

コロナ渦の中、2年前に体調を崩して入院した時、

人生の有限さを実感として瞬間、感じてしまってから

より一層そう思うようになった。

今年もまた美しく儚ない桜を見ることができた。

歳の節目、重みに桜は応えて来る。

そんなことが、今年も京都への桜の旅に背中を押し、

昨年より一週間遅く満開の1200年の都に行ってきました。

明日から暫し「京都の桜」シリーズを書きますのでお付き合いください。

 

 

この桜の木はスミダマンの会社の前にある個人宅の門扉の所にあります。

昔は立派な桜の木だった。

それがいつ頃か忘れたが、ご覧のように幹から伐採されてしまった。

しかし新たな枝が伸び、春に成ると素晴らしい桜を咲かせる

とても逞しい桜だ。

この桜が咲く度に人生の勇気をもらう。

スミダマンにとってはどんな立派な木より素敵な桜の木になっている。

 

 

 


埼玉県芸術文化振興財団

2022-03-23 06:26:26 | コラム

埼玉県芸術文化振興財団は平成5年7月1日に

優れた舞台芸術等の提供、県民の芸術文化活動の支援等により、

芸術文化の一層の振興を図り、

真に豊かさとゆとりを実感できる県民生活の実現をする為に設立された。

こちらの理事長の話を聞く機会があったのでブログにアップしてみました。

そして当財団は平成6年4月1日に「彩の国さいたま芸術劇場」の管理を受託した。

(2017-12-27付ブログ参照)

(1)大ホール 客席数776席

・演劇、舞踊等のためのプロセニアム型のホール

・肉声が届く最適な客席規模

・国内最高レベルの舞台の広さ、高度な舞台機構・照明・音響設備を誇っている

(2)小ホール 客席数266~346席

・演劇、ダンス、音楽等の多彩な舞台表現の試みや想像力の育成に適したホール

・馬てい状の客席で舞台形式と客席数との関係を変えられる(可変式ホール)

(3)音楽ホール 客席数604席

・室内楽を中心とした音楽会のためのシューボックス型のホール

残響時間は約2.0秒(満席時)

・高窓から自然光を取り入れることで、くつろいだ雰囲気の音楽会も楽しめる

(4)映像ホール 客席数150席

・芸術的映像作品の鑑賞や発表に適したホール

・国内外のフィルム映像、デジタル映像作品の上映や

各種フォーラムやシンポジウム等に利用できる

当芸術劇場は優良ホール100選に選ばれ、これだけの大きさの劇場が4つ、

平面のフロアーに配置されているのは全国でもまれな劇場で、

トータル的にはベスト10、あるいはベスト5に選ばれるのでは?と言っていた。

同じく平成6年4月1日に「埼玉会館」の管理も当振興財団は受託した。

当会館の設計監理は前川國男建築設計事務所で、

前川國男の代表作の1つと言われている。

竣工時期は昭和41年(1966年)でSRC造、地下3階・地上7階・塔屋2階、

延床面積は18414.54㎡(5580.2坪)ある。

数年前に全面リニューアル工事を終えている。

初代芸術監督および館長は諸井誠氏だ。

昭和58年(1983年)の第1回県民芸術劇場(仮称)基本構想検討委員会から氏は参画し

平成5年(1993年)の財団設立と同時に初代芸術監督に就任した。

「創造する劇場」「多彩」を理念に

広範な人脈を活かし国内外の一流アーティストを招聘した。

演劇では彩の国シェイクスピアシリーズ、

舞踊ではビナ・バウシュ&ヴッバタール舞踊団、

音楽ではピアニスト100シリーズなど素晴らしい実績を多く残した。

2代目に就任したのが川口市出身の蜷川幸雄氏だ。

氏は平成10年(1998年)彩の国シェイクスピア・シリーズの芸術監督に就任し、

その後、平成18年(2006年)財団の芸術監督に就任した。

プロフェッショナルなクオリティと高い採算性を念頭に、

また、人材育成にも尽力した。

演劇では彩の国シェイクスピア・シリーズはもちろんのこと、

さいたまゴールドシアター、1万人のゴールドシアター、

さいたまネクストシアターなど。

舞踊ではビナ・バウシュ、オハッド・ナハリン、ヤン・ファーブル等の

国際的な振付家の作品を紹介。

コンドルズや「dance today」シリーズなど

国内外で活躍する日本人アーティストの作品も上演した。

音楽では音楽では将来を嘱望される若手ピアニストによる

「ピアノ・エトワール・シリーズ」や、

3年に渡り気鋭のアーティストにスポットを当てる

「現在(いま)シリーズ」などをやった。

蜷川氏は多くの人々に惜しまれて6年前の2016年5月12日、80歳で亡くなった。

そして蜷川氏の後任として新たな事業展開に向けて

来月から近藤良平芸術監督が始動する。

氏は横浜国立大学を卒業で53歳。

1996年に自身のダンスカンパニー「コンドルズ」を旗揚げ、

これまで世界約30ヶ国で公演を実施。

TV番組出演、振付、演劇、映画出演など多数あり、

NHK連続テレビ小説「てっぱん」、NHK大河ドラマ「いだてん」などにも係わった。

選任理由としては

・日本の舞台芸術界をけん引するアーティスト

高い芸術性と大衆性の両立に期待

・幅広い分野のコネクションを生かしたジャンル・クロスによる新しい表現に期待

・創造性が人々にもたらす恩恵を深く理解、芸術による社会貢献の推進に期待

振興財団は新たな事業展開に向けて組織運営理念「Art for Life」

-すべての人生に芸術を-を策定した。

 


まん延防止キャンペーン

2022-01-28 06:30:50 | コラム

勉強会の帰路の途中、夕方の浦和駅東口駅前に多くの人が群がっているのと

報道関係のカメラが数台並んでいるのをたまたま発見。

何事かと覗き込んでみたら納得。

モスグリーンのジャンパーを着た大野元裕・埼玉県知事と

地元選出の県会議員が新型コロナウイルス感染対策徹底の

協力要請を街頭で訴えていた。

「まん延防止等重点措置」がこの日1月21日(金)から

県内全域を対象に2月13日(日)まで適用されたからだ。

大野知事は「感染状況は一度大きく下がったが、

オミクロンを前に今一度ご協力をいただきたい。」

「自分だけではなく、家族や友人など、

愛する人の命を守るための行動をぜひお願いします。」と

協力を呼びかけた。

この後、清水勇人・さいたま市長も合流。

再度の感染対策の徹底を訴えたという。

知事の後ろには協力要請している県職員がいた。

その手には「感染力の高いオミクロン株を甘くみないで!」

「不要不急の県境をまたぐ移動を極力控えましょう」

「感染に不安を感じる方はぜひ検査を」

「このステッカーの飲食店はあなたとご家族の命を守る店舗です」

など書かれたプラカードを持っていた。

この取材クルーの多さを見ても、まん延防止等重点措置の注目度がわかる。

まん延防止等重点措置は特措法31条の6第2項に基づく要請で、

営業時間短縮を要請した時間以降、飲食店を利用しない。

飲食店の営業時間の短縮を要請した時間(原則):午後8時まで。

ワクチン・検査パッケージ制度の適用を受ける認証店:午後9時まで。

特措法第24条第9項に基づく要請として

不要不急の県境をまたぐ移動を極力控える。

新たな変異株「オミクロン型」による感染急拡大によって

埼玉県でも連日2,000人を超える新規感染者数が確認されている。

このブロブがアップされる頃には

感染者が何人に広がっているのか考えるだけでも恐ろしい。

この措置の適用は飲食店の営業時間短縮や酒類提供の制限、

イベントの人数制限などにより、

医療体制の逼迫と社会機能の崩壊を防ぐ狙いがある。