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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

さいたま市立中央図書館

2023-09-21 06:07:12 | ご近所情報

浦和駅東口駅前の浦和パルコ コムナーレ8階に平成19年11月29日開館したさいたま市立中央図書館。

この中央図書館が開館したことにより、さいたま市の図書館事業はより体系化高度化された。

この中央図書館は市民の課題解決に役立ち、地域の発展を支える情報センターであるとともに、

さいたま市の図書館ネットワークの中枢として各区の地域図書館を支援する役割を担っている。

当図書館の利用時間は

月~金 午前9時~午後9時

第1、第3日曜日 休館日

土、日、祝 午前9時~午後6時

12月29日~1月4日 年末年始休館

TEL 048-871-2100

駐車場は地下に835台ある。

これが本図書館のフロアマップ。

これを見るだけでもいかに広い図書館かがわかってもらえると思います。

当図書館は延べ約358万点の資料蔵書があり、蔵書数としては横浜市立図書館、大阪市立図書に次いで国内第3位だそうだ。

又、さいたま市立図書館全体としては一人当たりの図書館貸出数は政令指定都市の中で最も多いとの事。

このアールの棚はさいたま専科コーナー。

因みにさいたま市内には浦和エリアに7カ所、大宮エリアに11カ所、与野エリア3カ所、岩槻エリアに3カ所図書館がある。

広い館内には8種類の閲覧席がある。こちらは資料閲覧専用席で63席ある。

本を読む為の席でパソコン電卓の使用は禁止となっている。

ちょっとアップして撮った為わからないが、全国の新聞などあらゆる新聞が用意され閲覧することができる。

これだけあると各業界紙も用意されているのではないか?

実はこの図書館はスミダマンの会社ととても縁があったのでその歴史を綴ってみたいと思います。

1976年10月16日当中央図書館の前身中央分館(後の北浦和図書館東高砂分館)が、第1スミダビル別館でスタートした。

2001年5月1日浦和・大宮・与野市が合併してさいたま市が誕生した。

3市の図書館はさいたま市立図書館として再編され、北浦和図書館が本館となった。

2007年9月2日東高砂分館が閉館となり、11月29日市立中央図書館(本館)が開館され北浦和から本館機能が当図書館に移転した。

この歴史を振り返るととても懐かしい思いがふつふつと湧いて来た。

こちらは「文庫本」コーナー

こちらが「CD」コーナー

こちらは「日本の小説」コーナー

この図書館には屋上庭園までもがある。この庭園の芝生では本が読めちゃう。

開放感抜群でとても気持が良い。

学生の方など勉強するならこちらの自由閲覧席。受付なしで席が空いていれば利用できる。

休日は席が空いていないことが多い激戦区だとか。全部で135席ある。

こちらはブースで仕切られた書斎席で21席ある。この席は社会人用で学生は利用できない。

この席は社会人専用の社会人席で49席ある。

座っている方は見事に1つおきで思わず京都鴨川の等間隔原則を思い出してしまう。

窓の先に見えるのが浦和駅のホームです。

無線LAN フリーWiFiエリアで20席ある。ここは社会人学生使用はOK

他にも36席ある児童コーナーもあるそうだ。


浦和駅開業140周年

2023-08-25 06:04:49 | ご近所情報

JR浦和駅は今年開業140年を迎えた。この駅舎は2013年3月湘南新宿ラインが浦和駅停車開始により完成した。

浦和駅新駅舎のプロジェクトとは東西市街地の一体化のための高架化、さらには東北貨物線へのホーム新設という

長期プロジェクトの上に完成した。

街と駅との一体感を意図した透明感ある防風スクリーン、天井髙に比して広いコンコースに自由な動線を意識させ

る菱形の照明配置など新たな高架下駅にふさわしいデザインを目指したという。

今年7月29日にここのコンコースにおいて記念式典が盛大に開催された。

1883年(明治16年)7月28日、日本鉄道会社が上野ー熊谷駅間を開業した時に浦和駅は開設され現在では1日平均約

8万4000人が利用している。

この記念を期に駅内、駅近辺では多くの記念イベントが開催された。

「みなさまとこれからも~」(2013-3-22 祝浦和駅高架化完成(その5)参照)

西口と東口との間にはこのような高低差がある。なぜか?以前相川前市長から以下の話を聞いたのを思い出した。

「明治の頃、鉄道路線を引くのに谷の縁に線路を敷いた。それは蒸気機関車の煙の火が近隣の家の茅葺き屋根に引

火して火災が起きるのを防ぐ為」と。

浦和駅構内の高低差はその名残りにちがいない。


さいたま市立病院解体工事

2023-08-01 06:03:02 | ご近所情報

薬を処方してもらうため定期的に行っている

さいたま市立病院も新病棟が2020年に完成し(2020-1-30付ブログ参照)

旧病棟の解体工事が始まり2023年4月17日頃には解体が完了した。

ちょうど定点観測しているように立駐の同じ場所から

その工事の進み具合を撮り続けたのでご紹介したいと思います。

2022年11月29日付、朝8時50分。

施工は鹿島建設と地元ゼネコン2社のJV。

ユンボの重機がまるで恐竜のように見えてしまった。

2022年12月5付、朝8時40分。

旧病院2期目の病棟の解体がだいぶ進み、解体にともなう鉄筋がまとめられている。

通常この鉄筋のスクラップは中古鉄筋として売却される。

この金額は現在の鉄市況高騰の中で馬鹿にならない。

解体工事では粉塵防止のため必ず散水する。

2023年1月12付、9時頃と10時30分頃。

躯体の解体工事はほぼ完了。

一部掘削工事が始まっている。

何のために?

隣りに見える大きな建物が新築された新病棟だ。

2023年1月24日付、9時頃。

基礎部分から土間部分の解体工事が進んでいる。

当然、解体工事は騒音が出るため、また、CO2削減量もその時のデータが逐次表示されている。

2023年2月15日付、9時過ぎ。

解体工事も最終段階に入ってきた。

このスペースは将来平面駐車場(360台)になると聞いている。

現在の立体駐車場(268台)を含めて620台以上の大駐車スペースが誕生する。

この解体計画が実行に入る前に新型コロナの感染が猛烈だった時に

この病棟をコロナ対応専門の病棟に改修し対応することが話題になり、

一時期スケジュールがストップしたことがあった。

 


浦和駅西口再開発解体工事

2022-10-06 06:23:38 | ご近所情報

いよいよ浦和駅西口南高砂地区の再開発工事が具体的に進み始めてきた。

この再開発工事は第一種市街地再開発事業で、施工業者は2転3転して、

最終的に前田建設工業と地元業者の斎藤工業2社のJV(共同企業体)で行われることになった。

現場の仮囲いには当開発の事業計画の内容が張り出されている。

事業区域の面積は約1.8ha、計画敷地面積は約10.565㎡(約3,200坪)と

駅前の再開発としてはかなりの大規模開発だ。

建物の用途は共同住宅、店舗、公共公益施設、駐車場等で、

住戸数525戸の分譲マンションで大型マンションだ。

(デベロッパーは野村不動産と三菱地所レジデンスが担当する。)

商業施設は大和ハウス工業が担当し、

公共公益施設としてはさいたま市民会館が移転してくる。

構造はRC造、鉄骨造、一部SRC造で地上27階、地下2階、塔屋3。

建築面積約8,449㎡(約2,560坪)、延べ面積約99.700㎡(30.212坪)。

工期 解体工事 ~令和5年3月下旬

新築工事 令和5年1月初旬~令和8年6月末

約3年半の工期だ。

ちなみに設計者は(株)安井建築設計事務所だ。

すでに解体工事が行われているため、工事の騒音、振動のデータが

日々刻々と表示されていた。

広い再開発区域内には古い建物が沢山あり、

内部にアスベスト材を使用しているものが多く見受けられる。

薄いグリーンの敷地には外部アスベスト材が使われている。

この処理がお金も時間もかかり大変だ。

驚いたことに古い、あるいは飲食店の建物にはネズミの害虫拡散予防対策が必要で、

その捕獲、殺鼠、害虫駆除を3ヶ月間半かけて実施するとか。

日の出通り(県道田島大牧線)を線路第一ガードから旧中山道方面に見た写真。

8月4日段階で小さな木造の建物などはかなり解体が進んでいる。

(2021-7-24付ブログ、記録写真を参照)

狭い市街地の解体工事と違って広い再開発エリアの解体は

一見すると大胆に施工でき、すごくやりやすいのではないか。

近隣対策もそれほどないし。

まだ解体半ばだが、長年通り見慣れた街も、なんとなくわからなくなってくる。

建物を造るのは時間がかかり大変だが壊すのは簡単だ。

当たり前といえば当たり前のことだが・・・。

ミリーのパチンコ屋、周辺の飲食店、茶色のタイルのビル内のスナック、

スペイン料理屋さんにはよく行ったっけ。

思い出がよぎる。

昔は賑わいのあった「あさひ通り」も解体工事が進み、

いよいよ通り抜けができなくなる。

ワシントンホテルの東側はかなり解体が進み、

このエリアは次に杭抜きの重機が近々に搬入されると工事関係者が言っていた。

ちなみにこのエリアは地盤が大変良く、杭の長さは約10m程しかないとも言っていた。

こちらは西口駅前(交番前)の解体光景。

ちょうど重機のユンボが懐かしい南蛮亭、かめふく辺りの解体中。

防音シートが架けられているところは油屋、花見菓子店のあたり。

永年見慣れた街並みが消えていく。

そして仮囲いのところに再開発区域内の多くの店舗の移転先情報が

住所、電話番号、移転時期など詳しく書かれていた。

これは貴重な情報だ。

 

 

 

このブログを書きながらここにアップした写真は約2ヶ月前のもので、

もっと最新なものを、ということで9月28日時点での写真を撮ってきました。

日の出通りの陵橋からコルソ・伊勢丹方面を撮ったものと

逆側のパルコ方面に向かって撮ったものです。

低層の建物はある一角を除いてほとんど解体されました。

再開発敷地内には5台ほどの重機(ユンボ)が精力的に作業を行っていました。

再開発エリアで一番高い知人所有のオフィスビルも仮囲いがされ、いよいよ解体開始か。

手前の朝日生命ビルとの間が再開発の境目。

最後に残された低層の建物群もいよいよ解体作業が始まった。

3枚目の写真には、とんかつちゃんこ市川の看板も写っている。

奥に見えるビルが伊勢丹浦和店とコルソ。

最後に残された三菱UFJ信託銀行のビルも壁に穴があけられていた。

こちらは浦和店西口交番前から撮った1枚。

ほとんどの解体が終わり高砂小学校まで見渡せるようになった。

 

 


高円寺純情商店街

2022-06-22 06:12:05 | ご近所情報

JR中央線・高円寺駅北口を出てすぐ目に入るアーチは

「高円寺純情商店街」の大きな文字。

30年程前は高円寺銀座商店街と名乗っていたが、

ある理由で名前を変えた。

それは地元商店街の出身の、ねじめ正一が1986年から1988年にかけて

小説新潮に掲載された3編に書き下ろし3編を加えた6編の連作短編

「高円寺純情商店街」がヒットし1989年に第101回・直木賞を受賞した。

その名が日本中に知れ渡り、これによって商店街の名前を変えることとなった。

なお、ねじめ正一の実家は乾物屋さんでもう無くなっている。

こちらがJR高円寺駅。

当駅の開業は大正11年7月15日。

現在の乗車人員は38,249人/日(2020年統計)だ。

発車メロディは駅周辺で「東京高円寺阿波おどり」が開催されることにちなみ、

1.2番線では2004年より阿波踊りの囃子をアレンジした発車メロディを使用している。

今もマーケットの雰囲気を残しつつ、常連さんを中心に商店街は元気に商いを続けている。

そして多彩な人達が歩く通りは純な心で満たされている。

純情商店街のメインストリートを奥に進むとT字路に突き当たり、

そこをちょっと左に行くと庚申通り商店街に出る。

この日はゴールデンウィークの入口の日で、通りには若者を中心に人出が多い。

この細い商店街へは自転車で来る人が多いのだろう。

ここは3階建ての高円寺北自転車駐輪場だ。

この下駄履きビルの1階はユータカラヤという大型八百屋さん。

商品が道路まではみ出しているのが人間的で、

いかにも住民に愛されているお店といった感じだ。

この商店街で一際賑わって長蛇の列ができている天ぷら屋さん「天すけ」と遭遇。

なんとなく見覚えがあり、しばし思い起こしていたら、

そうだ、テレビ東京の人気番組「Youは何しに日本へ?」で紹介された

ヨーロッパの航空会社のCAが日本に来ると必ず寄る天ぷら屋さんだ。

それにしても若者のすごい列で驚いたネ。

高円寺はいつもイベントをやっている街で小さなライブハウスも多く

特に休日になると若者で賑わう街だ。

このようにファッショナブルな若者があちこちで闊歩していたのが印象的であった。

また、中央線高架下のスペースには多数の各種店舗や倉庫が入居しているらしいが、

この日はご覧のようにかなりの店のシャッターが閉まっていて

人通りもガラガラで各商店街の賑わいとは対照的であった。

こちらの南口アーケード商店街は「高円寺パル商店街」。

アーケードの完成と同時期に「ともだち」「なかま」の意味を持つ

「パル」という名称にした。

アーケードの中間地点にある7色に変化するLED照明

「ジャンクションドーム」が印象的だとのこと。

今や有名になった「高円寺の阿波踊り」は、この商店街から始まったという。

この商店街の大きな特色の1つに個性的な古着屋さんが集積していることだ。

ライブハウス、楽器店、ロック好きの店主が開いた古着屋さんなども並んでいる。

ふたたびパル商店街、

そして丸ノ内線・新高円寺駅につながるルック商店街へ。

 


アメリカ橋

2022-03-02 06:40:35 | ご近所情報

知らなかったナー!!

恵比寿ガーデンプレイスへ行くスカイウォークを降りた右側に架かっている

道路橋(跨線橋)には通称「アメリカ橋」、正式には恵比寿南橋がある。

カラオケでよく歌っている山川豊のあの「アメリカ橋」の

モデルはここにあったのか!

この橋は山手線・目黒駅と恵比寿駅の間にあり鉄製で青色に塗られている。

もともとはアメリカ・セントルイスで1904年に開催された

セントルイス万国博覧会に展示されていたもので、

それを日本の鉄道作業局(当時)が買い取り、鉄製の橋のモデル橋として

1906年(明治39年)に現在地に仮設したことが通称アメリカ橋の由来となっている。

橋は1980年(昭和45年)に改築され、街路灯については、

世界的に著名な照明デザイナーの石井幹子さんによってデザインされた。

橋の景観の向上については東京恵比寿ロータリークラブより

提言・協力をいただいたとの事。

このアメリカ橋は前述したように歌のテーマになって有名だ。

昭和54年のヒット曲「アメリカ橋」。

歌:狩人、作詞:奥山侊伸、作曲:信楽順三

平成10年のヒット曲「アメリカ橋」。

歌:山川豊、作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃

この歌はアメリカ橋の風景とかつての恋人との再会と別れを歌った曲で

山川豊はこの曲で第49回、第50回、紅白歌合戦に出場した。

一見すると何の変哲もない橋があのロマンチックな橋かと思うと

ある意味ビックリ、ある意味ガッカリ。

そんな偶然の出会いであった。

アメリカ橋を渡るとすぐ左側に細長い公園がある。

この公園を「アメリカ橋公園」という。

公園名はセントルイス万博に出展された橋(アメリカ橋)に由来している。

モニュメントのデザインはアメリカ国旗のスター&ストライプをモチーフにして

石井幹子がデザインした。

この光のモニュメント「星のアンサンブル」は

大きな星には未来を明るく照らし出す意味が込められている。

大小の星がキラキラと輝く光演出を行っている。

この光のモニュメントは周辺景観との調和を図るため、

平成27年に20周年を迎えた東京恵比寿ロータリークラブの協力を得て、

渋谷区が設置したものです。

このアメリカ橋公園の向かい側の歩道は白金方面に向かう「くすのき通り」だ。

この橋のおかげでこの歩道もとてもロマンチックな通りに見えてしまう。

夜はさらに雰囲気がアップしてアツアツのカップルが腕を組んで歩いているのだろう。

 


恵比寿駅周辺のグルメ事情

2022-02-24 06:38:26 | ご近所情報

訳ありで最近、恵比寿エリアに定期的に来てランチをする機会が多くあるが、

改めて駅周辺のグルメ(特にランチ)情報を触れに歩いてみた。

この街はランチをするのが楽しい街だと今、実感している。

恵比寿駅前には、こんなゑびす像がある。

このゑびす像は待ち合わせ場所としても人気になっていて、

とても有名なスポットの1つになっている。

この像は昭和50年に東京恵比寿ライオンズクラブによって作られた。

そもそも恵比寿駅はエビスビールというビール名が駅名になったという珍しい駅だ。

恵比寿駅は渋谷区内の駅では最も南側にあり、JR東日本と東京メトロの駅であります。

この駅ビルにアトレ恵比寿本館(1997年開業)、

追って西口にアトレ恵比寿西館(2016年オープン)ができた。

今やレストラン、カフェ、スーパーなど

一大商業施設が集積して買物に最適なエリアに発展した。

アトレ本館のエスカレーターは圧巻だ。

昇りが2基、下りが1基、3フロアーくらいの高さがある。

ここからJRの改札につながっていて、とても賑わいがある。

どことなく歩いている人もお洒落チックで着ている服を見ていると目の保養になる。

下りのエスカレーターに乗ると思わぬ看板が目に飛び込んできた。

なんと当社のスミダワンに入居しているテナントさん

「千春皮フ科クリニック 広尾院」の見慣れたデザインだ。

美人の渡辺千春理事長の写真もしっかりとあった。

本館6階ダイニングガーデンには中華、イタリアン、

ビヤレストラン、寿司、串かつ、コリアンレストラン、

欧風レストラン、カフェ、タイ料理、うどん・そば、

和食郷土料理、インド料理、牛たん、とんかつなど

あらゆるジャンルのレストランがあり、

この中ですべて完結できるようになっている。

駅を降りて駅沢通りを渡ると一つの商店街に出る。

ここは恵比寿一番会。

ハナショウブの装飾モニュメントが目立つ目印で

「環境にやさしい商店街」を売りにしている。

今でこそビルが立ち並ぶ東京らしい商店街といった風情の

恵比寿一番会ではあるが、かつては屋台街を形成していたという。

アトレ本館を出て西館を左に曲がるとちょっと古びた

恵比寿銀座のゲートがあるこの銀座通りもグルメストリートで

ラーメン店、焼肉店など雑居ビルが続いている。

後日アップするEBISU FOOD HALLの裏手の入口もここにつながっている。

こちらの商店街は駒沢通りに面した「恵比寿駅前通り商店街」。

アーケードになっており、昔のビルと新しいビルが混在している商店街だ。

ここも飲食店が多く、今までに紹介した廻る元祖寿司(番外編368)、

酒彩蕎麦・初代(番外編369)もこの通りだ。

この恵比寿神社は古伝によると景行天皇の時代(約2千年前)、

古代の英雄・日本武尊が東口平定の折にこの恵比寿の地に憩い、

神世七代の中の六天神を祀ったと伝えられている。

戦後、区画整理により記念事業として現在地に社殿を新築し、

これを契機に昭和34年、恵比寿という地名に因んで兵庫県西宮神社より

商売繁盛、縁結びの神であるえびす様を合祀し、社名を恵比寿神社に改めた。

正面の恵比寿神社への脇道もグルメ通りだ。

右側には明日アップする有名ならーめん店「おおぜき中華そば店」、

真向いには明後日アップする「焼肉kintan」など

名店が目白押しに並んでいる。

恵比寿駅前通りの駅近に戦後の闇市のようなタバコ店を発見。

その存在感の強烈さに思わずパチリだ。

そのタバコ店の前が東京メトロ日比谷線の恵比寿駅だ。

駒沢通りの交差点でインパクトのある自転車に乗っている女性を見て

またカメラのシャッターをパチリしてしまった。

この太いタイヤの自転車は今流行っているのだろうか?

駅前ゑびす像の近くにある公衆トイレ。

その目隠しのルーバーがまたお洒落なのでこれもパチリです。

今度は東口方面。

こちらも西口より大きめのビルの1階、いわゆる下駄履きマンションが目に付いたが、

飲食店が並んでランチタイムはそれぞれ行列ができている。

上2枚は先日紹介したスパゲッティの「アンクルトム」の前のビル。

下2枚のビルには大好きな喜多方の「坂内ラーメン」を発見した。

 

 

こうして恵比寿駅周辺をランチタイムにうろうろして飲食店を見ていると

かなりレベルの高い人気店が密集しているのを体感した。

若い人が多いせいか焼肉屋さんの多さが特に目に付いた。

 


新渋谷駅とその周辺

2021-12-03 06:35:40 | ご近所情報

渋谷駅周辺の再開発の進展により、渋谷駅そのものが全く変わってきた。

東横線、副都心線、田園都市線、半蔵門線は地下2階に潜り、

青春時代の想い出の場所「東横ボード」はこの世から消えてしまった。

そんな大変貌を遂げている渋谷駅にスポットライトを当ててみた。

駅の地下構内は真新しく美しいがどことなく空々しい。

広々とした空間は素晴らしいがどうしても人のぬくもりが感じられない。

昔の渋谷駅は生活の一部だったが、今はただのよそ者。

生活から離れた場なので当然といえば当然か。

地下駅構内はご覧のように階高は高く、地下の圧迫感がない。

基本的にコンクリートの打ち放しで幾本もの円柱が空間にインパクトを与えている。

広々した地下駅構内の一角に簡単なカフェコーナーが設けられていた。

この周辺は砂漠の中のオアシスといった感じだ。

この構内を進んでいくと半フロアくらい上がった階段とエスカレーターがある。

若い人が多い渋谷でも圧倒的に人はエスカレーターに乗るのがこれを見てもわかる。

このエスカレーターの先に突然若い女性の長蛇の列、群が出現。

一体なんだ?

壁には若い男性のポートレートがおびただしい数貼られていた。

どうやら人気のアイドルグループかアイドル歌手かわからないが、

若い女性を夢中にさせる男性達らしい。

順番に並んで順次、お気に入りの男の子の前で指を差して写真を撮っていた。

日本はコロナ禍とはいえ平和な国だ。

以前、NHKのブラタモリでやっていたが、渋谷は高低差のある街。

地下鉄・銀座線も渋谷駅では地上2階の駅になってしまう。

左の超高層ビルは渋谷再開発計画の中で一番最初に完成した渋谷ヒカリエ。

右側の迫力ある超高層ビルは比較的最近完成した渋谷スクランブルスクエア。

ここの展望台はすごい。

この渋谷スクランブルスクエアは渋谷エリアでは最も高い地上47階建て。

2019年11月1日に開業した。

この建物のオーナーは東急と東日本旅客鉄道。

今後、中央棟(2027年度予定)と西棟(2027年度予定)の計画もある。

この渋谷ヒカリエは東急文化会館跡地に建設された東急グループの複合商業施設。

東急百貨店や飲食店、事務所のほか、

ミュージカル劇場「東急シアターオーブ」など入居している。

2012年3月に竣工、グッドデザイン賞を受賞している。

(2013-3-25付ブログ参照)

渋谷で進められているおもな再開発プロジェクトは9つある。

そのうち7つのプロジェクトは完成している。

(渋谷スクランブルスクエア東棟、渋谷フクラス、渋谷ソラスタ、

渋谷ストリーム、渋谷ブリッジ、渋谷キャスト、渋谷ヒカリエ。)

あとは前述した渋谷スクランブルスクエアの中央棟・西棟(2027年度予定)、

渋谷駅桜丘口地区(2023年度予定)、渋谷二丁目17地区(2024年度予定)。

この写真で見ると坂の傾斜があまりわからないが、

そこそこの坂の「宮益坂」。

ここもスミダマンの想い出が多くある街だ。

昔の行きつけの店は当然だが今はもうない。

宮益坂と明治通りの交差点近くを走っていった派手な宣伝のトラック。

これは何だ?と、やはり見てしまいますよネ。

渋谷は若者の街、ファッションの街。

その中でこのカップルはとても目立った。

ファッションはお互いにどんな服を着るか事前に連絡しているのか?

今の若者にそんな野暮なことあるはずないよネ。

緊急事態宣言明けの渋谷スクランブル交差点。

外国人は成田・羽田に着くと最初に行くのが、この交差点らしい。

これを見るとだいぶ人出が戻ってきたようだ。

(10月3日(日)午後2時40分頃)

 

 


MIYASHITA PARK (宮下公園)

2021-12-02 06:33:54 | ご近所情報

あの宮下公園が新しく生まれ変わりました。

2020年7月より順次リニューアルオープン。

渋谷の新たなランドマークが誕生した。

コンセプトは「卵とキャラメルが出会ってプリンが生まれた。

出会って愛。組み合せって未来かも。

公園の下にハイブランド。

ハイブランドの横に飲み屋横丁。

ホテルも珈琲屋もレコードショップもギャラリーも、

混ざってくっついたらどうなるんだろう。

ごちゃっと自由に。

ここは公園のASHITA。

その全部があたらしくなったMIYASHITA PARK。

ニンゲンも風も花も鳥もどうぞいらしてください。」

まるでポエムだ。

事業主体は渋谷区と三井不動産。

プロジェクトアーチテクトとして日建設計。

施工は竹中工務店が担当し、2018年4月着工、2020年4月に竣工した。

西口方面から宮下公園東口方面に抜ける地下道。

ここは青春の想い出の地でよく歩いたものだ。

この地下道は昔のほろ苦い時代から未来に通じるタイムトンネルみたいに映っていた。

MIYASHITA PARKは全長約330m。

低層複合施設で北街区と南街区の間をブリッジで結んでいる。

風通しのいい開放的な空間でショッピング、食べ歩き、スポーツに夜遊びまで、

ここはまるで渋谷の真ん中に開かれた4階建ての公園、ダイバーシティ街、

渋谷に誕生した新たなカルチャースポットだ。

個性豊かな約90のお店が出店。

異なるカルチャーが混ざり合い、触発し合い、

次世代のカルチャーを発信している渋谷の新しいストリート。

東京そして世界。

世界がもっと面白くなる。

そしてミヤシタパークの商業施設は緑の天蓋で包まれ、

自然と風と緑を感じられる設計になっている。

MIYASHITA PARK

ミヤシタパークのショッピングモールを進んでいくと人だかりのある所があった。

どうやらレンタルスタジオで、ガラス越しに中を見ることができる。

そこでは若いというか元気な子供達がリズム感よく踊る練習をしていた。

いわゆるヒップホップ系で思わずDVDのボタンを押してしまうほど刺激的であった。

ごみ箱も分別で色分けしてかわいらしい。

洒落ている。

そして今や生活に必須のスマホ。

その充電レンタルできる器具も設置してあった。

こちらはフードホール。

ここには6つの店が入店している。

そしてガラス張りの食堂。

店名はストレートに筋肉食堂。

どんなメニューがあるのか気になる。

そしていよいよ最大の特色、屋上ガーデンとスポーツ施設のモールが屋上に広がり、

街全体を4階建ての公園に見立て、

どこにいても公園の心地のよさを感じられる空間となっている。

所々に置いてあるベンチもパイプと金網で作られたモダンなデザイン。

これも全体の空気に溶け込んで空間の良きアクセントになっている。

この屋上の階段も広々とスペースを取り、ゆとりの空間造りに貢献している。

一番北側に見える高層ビルはホテル「シークエンス ミヤシタ パーク」だ。

屋上スペースの真ん中にはしっかりスターバックスコーヒーが店を構えていた。

緊急事態宣言明けの久し振りの都内。

しかも若者が集まるエキサイティングな場所。

今の若者のスタイルを見るには絶好な時と思い、

気になる光景にシャッターを押してしまった。

屋上の北側では「SHIBUYA YOICHI」というイベントをやっていた。

ここでは古着や小物など市場的な雰囲気で販売をしていた。

建物の外周には棚とともにどこまでも続く

長テーブルと椅子がある休憩エリアがあり、

疲れた時はここで気楽に休むことができる。

グッドアイデアだと思う。

上から見た渋谷の街の風景。

この道路の上の方は宮益坂だ。

今度は屋上南サイドエリアのご紹介をしましょう。

この施設は今人気のボルダリングウォール。

こちらのコーナーは環境省とデザイナーのエリさんが設けた

「サスティナブル ファッション」。

ファッションの在り方をアップデートして、

次世代の環境につなげようとのイベントらしい。

こちらも東京オリンピック競技でスポットライトが当たったスケートボードのパーク。

スケボーのインストラクターが付いて子供に教えている姿が感動的であった。

こちらの平面図が屋上の配置案内図。

そもそも宮下公園は戦後間もない頃に誕生。

昭和39年の東京オリンピック開催に向け空中公園として再整備された。

この施設の建物が老朽化が進んだこと、2020年の東京オリンピック開催に合わせて、

また渋谷全体の再開発が進み出したことから「宮下公園からミヤシタパークへ」

リニューアルされることになった。

屋上から1階に降りてくると、また全く別の世界が待っていた。

ここは24時間営業の新たなグルメスポット「渋谷横丁」。

全長100mの敷地には素材の専門店からバル、純喫茶まで19店舗が軒を連ね、

古き良き日本文化の横丁を再現したような雰囲気を楽しむことができる。

このエリアの本当にすごいところは、この渋谷横丁の渋谷駅サイドに

本物の「のんべい横丁」が今でもあること。

昭和のレトロな横丁にタイムスリップしたような超アナログな世界が待っている。

スミダマンの学生時代はこんな所を金も無いのに徘徊したことを懐かしく思い出す。

 

 

 


谷中墓地

2021-10-27 06:19:19 | ご近所情報

JR日暮里駅から徒歩6分のところにある谷中墓地(旧称)は

東京都台東区谷中7丁目にある都立の霊園です。

面積は約10ha、およそ7,000基のお墓があります。

開園は明治7年(1874年)9月1日。

谷中墓地と称される区域には天王寺墓地と寛永寺墓地も含まれている。

墓地の通りには大木に育った桜並木から成り、桜の季節には花見客で賑わう。

特に中央園路は通称「さくら通り」とも呼ばれ、

園路を覆う桜の枝に花が咲くとまるで桜のトンネルのようになるという。

谷中墓地にはこのような古色蒼然とした墓が点在して多く見られる。

ここには徳川家御三卿、即ち田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家の墓地がある。

この2つの墓石にも徳川の家紋・三ツ葉葵があり、

徳川家の墓と思われるが、誰のだかわからない。

こちらは前述の御三卿の一つ、一橋徳川家の墓群。

一橋家は江戸幕府8代将軍・吉宗の四男宗尹を家祖とし、

徳川将軍家に後嗣がないときは御三家の他の2家とともに後嗣を出す資格を有した。

家名の由来となった屋敷、一橋邸は江戸城一橋門内、

現在の千代田区大手町1丁目4番地付近にあった。

一橋家は独立した別個の家ではなく、将軍家(徳川宗家)の家族として認識されていた。

この鳥居があるお墓は明治大学創立者・岸本辰雄法学博士の墓だ。

氏は鳥取藩の出身で明治9年に選ばれてパリ大学に留学。

帰国後、明治14年に宮城浩蔵、矢代操とともに明治大学の前身・明治法律学校を創立した。

俳優、声優、歌手、コメディアン、元NHKアナウンサーの森繫久彌氏のお墓。

氏は大正2年5月4日生まれで早稲田大学卒。

ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」、映画「社長シリーズ」などで活躍。

平成21年11月10日、96歳で没。

国民栄誉賞、文化勲章を受章した。

日本画家・杉山寧のお墓。

文化功労者、文化勲章を受章。

作家・三島由紀夫の岳父。

徳川慶喜墓所前の通り。

谷中墓地には前述したさくら通りという大きな通り以外に、

ぎんなん通り、ひょうたん横丁など、かわいらしい通り名が付けられている。

谷中基地にはブロック毎に番地があるので、比較的わかりやすい。

ここの霊園事務所では「谷中霊園案内図」が無料でいただけるらしい。

地図と著名人墓碑の一覧が載っているので便利だとか。

この霊園事務所前にも古い墓石が並んだ一群があり、

とても気になって事務所の方に尋ねたところ、

幕末の老中・備後福山藩主・阿部正弘と歴代の藩主(初代から10代まで)の墓所だとか。

谷中墓地の鉄道近くの御隠殿坂付近。

今回、渋沢栄一と徳川慶喜の足跡を訪ねて王子飛鳥山からここ谷中墓地に来て、

改めてその時代に思いを馳せることができたが、

墓マイラーとして谷中墓地に眠っている

300名ともいわれている著名人のお墓も巡ろうと思った。

しかし、かなりの疲労でそれは次回へとした。

ここで参考に谷中墓地に眠っている著名な方々を記してみます。

鳩山一郎一族、三木武吉、横山大観、佐々木信綱、横綱・柏戸剛、

宮城道雄、穂積重樹、重遠(渋沢栄一関係)、長谷川一夫、川上音二郎、鏑木清方、

そして伊達宗城(宇和島藩主)ほか、多くの各藩主。

御隠殿坂をさらに下っていくとJR京浜東北線、高崎線、宇都宮線、山手線の線路に出る。

その一帯はなぜかクリスチャンのお墓が多い。

この辺りは電車からよく見えるところだ。

遠くに見えるのが東京スカイツリー。

蛇足だが、谷中墓地の入口の所に時代の先端を行っている自動販売機を発見。

なんと新型コロナウイルスPCR検査キットだ。

新価格で4,800円だ。

売り主はレイクタウンたけのこ耳鼻咽喉科と書かれている。

なぜこんな所にこんなものが?

谷中墓地から帰路・日暮里駅へ向かう途中、都内の大動脈の鉄道を渡る歩道橋に、

ご覧のように多くの鉄道マニアのカメラマンがカメラを構えていた。

たぶんこの日、この時間に彼らにとって貴重な電車が通るのを待ち構えているのだろう。