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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

三宅工芸工房見学

2023-08-22 06:14:16 | 旅 ~京都

太秦近くにある「三宅工芸」さんの工房を見学へ。

京都は昔から西陣をはじめ、着物に携さわる職人さんが大勢、活躍し、日本の呉服文化をになってきた。

三宅さんは伝統工芸の仕事をしている中、わずか7%としかいない「伝統工芸士」で金彩工芸を最高の技術まで家族

で高められている。

塩瀬の帯地に絵を描き、色をつけ、切りとったところに金箔やアワビの内側の螺鈿をはりつけていく。

たいへん細かい作業で、一枚の花嫁衣装ができるのにどれ位の日数がかかるのか~。ため息がでる。

金箔やプラチナ箔、そして宝石のように光り輝く螺鈿を自由自在に貼りつけていく三宅さん御一家のすばらしい技

術、それを日々探求していく職人魂、すごいことです。

ショールームに飾られた打掛は浜崎あゆみが着たとか。

クッション、カベ飾り、どれもこれも目をみはるものばかりすばらしい伝統工芸に日々、新しい技術が上乗せられ

て、花嫁さんたちを輝かせる花嫁衣装ができていく。

すごいものを見学できた。


六道珍皇寺ーⅡ

2023-08-10 06:05:44 | 旅 ~京都

(PART-1   2022-7-25付ブログ参照)


夏のお盆時期、六道珍皇寺を訪れて住職の話を聞けるのは興味深い。

というのは8月7日から10日まで精霊迎えといって祖先を高野槙に迎えて

冥土から自宅に連れて帰る宗教行事が室町時代から行われている寺だからである。

平安前期の開創でその当時、鴨川が今の3倍、4倍の川幅があり、

この六道珍皇寺は今の10倍以上の大きな敷地であったころ、

この寺が亡き人と別れ、亡骸をこれより先の鳥辺山へ送ったことから冥界との境の辻であった。

六道仏が置かれている鴨居。

初めて見た。

薬師如来坐像(平安時代)(重要文化財)

本物は堂に大事に保管。

平安時代の頃の大きな六道珍皇寺の絵図。

曼蛇羅の掛軸

下半分は仏教でいう六道(六種の冥界)を描いている。

上半分は山を登っていく若い時から壮年期

山から下りる老年期を昔の誰にでもわかりやすい絵で表している。

住職はTV「ブラタモリ」に出演したりしたそうで、話が京都の歴史、

仏教、寺の縁起など、熱心に説明してくれて感謝。

冥界のおどろおどろした地獄道などが描かれている。

これを見たら昔の子供たちはどう思っただろう。

小野篁(802-852)

嵯峨天皇に仕えた平安初期の公卿。

高身長、武芸に秀いで百人一首にも選ばれた歌人でモテた反面、奇行の多さから隠岐に流されている。

特別な才があったのか、夜になると閣摩庁に勤めて、

閣摩大王にどの冥界に行くかのジャッジに人々の手助けをしたそうだ。

平安時代の死後の考え方が垣間見れて興味深い。

冥土に通じている井戸。

井戸の前の置石には長い長い年月、人々が立っただろうと思わす2つの足跡が深く刻まれている。

黄泉がえりの井戸。

あの世から戻ってくるといわれている井戸。

言わずと知れた閻魔大王像。

一説によると怒り顔は人間をジャッジするためではなく、

人間と同じ苦しみを分かち合うための辛い顔だという云われがあるそうだ。

六道珍皇寺のシンボルの小野篁像。


京都の街あれこれ PART 17

2023-07-22 06:24:05 | 旅 ~京都

以前NHKで報道された解体キングダムで紹介された旧弥栄会館の全面改修工事。

施工は大林組が担当し、京都初進出の帝国ホテルの工事が行なわれているがあまり工程の進捗が進んでいないようにも見える。

本当に難工事のようだ。

計画では3年後の2026年春の開業予定とか。

因みに帝国ホテルブランドとしては東京、上高地、大阪に次ぐ4軒目、1996年の大阪以来30年ぶりの新規開業となる。

京都の街を歩くと他の街ではあまり見ることができない、歌舞伎、京舞、長唄などの日本の古典芸能の会のポスターを多く見かける。

やはり、このポスターからも京都の1200年の都の歴史の重さを感じる。

京都には脈々と日本の文化が生きづいているのをつくづく感じる。

古典芸能とは相対してご当地サッカーJリーグのホームチーム京都パープルサンガのポスターも発見。

キャッチコピーは「超感動」

スポンサーはさすが京都の大企業、京セラ、任天堂、ワコール、堀場製作所、京都銀行などビックカンパニーが名を連ねている。

そういえば京都サンガのホームグランドは2020年に亀岡駅近に新築されたサンガスタジアムby KYOCERAに移った。

いつか京都からトロッコ列車に乗ってサンガスタジアムに行き、浦和レッズVS京都サンガを観戦して帰りは保津川下りで京都に戻るのがスミダマンのささやかな夢だ。

祇園の街を歩くとこのような京都町屋の風景を多く見ることができる。

よく見ると石畳に打ち水がしてある。

これが京都人のおもてなしの心。

素敵ですよネー!

2晩お世話になったザ・セレスティン祇園ホテルの前にひっそり建っている簡易的な2階建ての建物。

この2階から三味線の音色が聞こえてくる。

そうなんです。

ここが現在花街宮川町の仮の歌舞練場に成っている。

現在宮川町の歌舞練場は恵比寿神社の隣りで再開発中の複合施設の中に入る予定だ。

完成は2年後の2025年1月の予定だそうだ。


建仁寺塔頭 両足院

2023-07-20 06:12:06 | 旅 ~京都

京都五山三位の建仁寺は臨済宗の開祖栄西によって1202年に創建された。

栄西の入寂後、その墓所を栄西直系の弟子達によって守塔された寺院を知足院といった。

これが両足院の前身です。

https://ryosokuin.com/

両足院では初夏の特別拝観として6月1日から7月10日まで公開している。

このポスターも外国人を意識してか部分的に英語で書かれている。

この毘沙門天堂は毘沙門天像が祀られている。

毘沙門天とは仏道を歩む修行者を守護する神のひとりで本来はインドの神様です。

両足院の毘沙門天は勝利をもたらす仏像として地元の人々から深い信仰を得ています。

受付とお授け所。

ここでは記念品の売場にもなっている。

実は数日前にアップした志賀内泰弘著の「京都祇園もも吉庵のあまから帖」に書かれている

建仁寺塔頭の満福院のモデルが当院なのか確かめようと思ったが

受付がとても混雑して忙しそうだったので諦めた。

これが両足院の配置図。

主に方丈と書院でできており、どこの塔頭も小ぶりな大きさで拝観するにはちょうど良く、

ゆっくり落ち着いて見ることができる。

入口から方丈に向かう途中にある閼伽井の庭、禅寺の風情を感じます。

両足院は御本尊に阿弥陀如来が鎮座されている。

知足院から両足院に改称となってからも数々の災害を乗り越え、修復と再建を重ね、

現存する方丈は白木屋大村彦太郎の寄進により1850年から数年かけて再建された。

方丈の前庭

右の庭園が亀山。

向こうに見えるのがしおり戸。

書院前庭の鶴亀の庭。

毎年6月下旬から夏にかけて書院前庭の池畔の半夏生(はんげしょう)が

白く化粧を施し美しい庭へと変化する。

ゆえに両足院は「半夏生の寺」と呼ばれている。

書院から見た鶴亀の庭と半夏生。

両足院の僧侶の弟子のひとりである中国の僧が帰国とともに来日し、

饅頭の文化を日本に伝えたとして、

両足院は饅頭の始祖の寺としても有名だ。

半夏生は半化粧とも言われ、開花の頃、

周りの葉っぱが緑から白く色が変化し、水芭蕉の花が咲いたようになる。

そして開花が終わればまた緑に戻る。

半夏生の特性を巧みに取り入れた書院前庭は人の心の有様を観る禅の心を如実に表現している。

鶴亀の庭には手前に水月亭、奥に臨池亭という茶室もある。

両足院は臨済宗で写経や座禅も熱心に取り組んでいる。

今回の旅で訪問した妙心寺、建仁寺の2つの塔頭の特別公開は

偶然にも沙羅双樹の花と半夏生の花、両方とも白い花に魅了された旅であった。

 

 


安井金比羅宮-Ⅱ

2023-07-13 06:06:14 | 旅 ~京都

(2022-7-23付ブログ参照)

京都屈指のパワースポットとして知られており、

ご利益がすごいと評判の安井金比羅宮へ昨年に引き続き行ってきた。

昨年は早朝散歩で行ったためお参りしている人がほとんどいなく、

一度日中の混んでいる神社を、そしてお参りしている人達の雰囲気や表情を

じっくり見てみたいという悪趣味な発想で来てみた。

それにしても鳥居の下に「悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所」の横断幕を掛けているとはすごいですね!

長い参道を進めていくと本堂にたどり着いた。

居る居る多くの参拝者が。

しかも圧倒的に若い女性達だ。

コロナもだいぶ治まってきて、一時感染防止のために止められていた手水舎も復活してきた。

通称縁切り神社と言われている当神社は天智天皇の時代に藤原鎌足が

当地に藤原家一門の繁栄を祈願した仏堂を建立し、

藤を植樹して藤寺と号したのがそもそもの始まり。

そして第二次世界大戦後、現在の名称になった。

主祭神は崇徳天皇、大物主神、源頼政だ。

京都最強の縁切り神社のメインイベントは「縁切り縁結び碑」をくぐること。

このために境内には長い長い列ができていた。

確かにこれは時間がかかる。

各人が様々な想いを込めてやるため大変だ。

この縁切り縁結び碑は中央の亀裂をつたって神様のお力が下の穴に注がれ、

穴をくぐりぬけてそのお力をお受けいただくことによって悪縁が切れ良縁に結ばれる。

まず願い事を「形代(かたしろ)」(身代わりのおふだ)にお書きになり、

次に願い事を想いながら碑の中央の円形の穴から表からくぐり抜けて悪縁を切り、

続いて裏からくぐり抜けて良縁を結び、最後に形代を碑に貼る。

男女の縁はもちろんのこと人間関係に関する縁だけでなく、

病気、酒、煙草、賭け事など自分が断ち切りたいと思っている全ての悪縁を切ってくれる神社だ。

なぜかというと主祭神の崇徳天皇は断ち物、縁切りの祈願所として信仰を集め、

大物主神は道開きの神様、開運や商売繫盛の神様だからだ。

縁切り縁結び碑の霊石の上にはご覧のようにおびただしい枚数の形代が貼られて、

その1枚1枚に想いが念じられていると思うと何か恐ろしささえ感じてしまう。

 


妙心寺塔頭 東林院

2023-07-10 06:48:09 | 旅 ~京都

6月、京都で一大イベントがあってまたまた来てしまいました。

そのイベントは後日アップするとして今回の旅で「こんなことが世の中あるんだ!!」という

ウソみたいな出会いがあったこともアップします。

「事実は小説よりも奇なり」

乞うご期待を!!

 

 

臨済宗妙心寺の塔頭の1つの東林院。

通常は非公開だが年3回、1月の「小豆粥で新春祝う会」、6月の「沙羅の花を愛でる会」、

10月の「梵燈のあかりを親しむ会」は特別公開している。

今回ちょうど6月12日から6月27日の特別公開にあたり、愛でる会に行ってきた。

東林院は通称「沙羅双樹の寺」とも呼ばれ樹齢300年のナツツバキ(沙羅双樹)の銘木で知られている。

その沙羅の花特別公開のポスター。

志納金は抹茶付きで1,600円だ。

東林院は享禄4年(1531年)室町幕府の最後の管領、

細川氏網が養父細川高国(三友院殿)の菩提を弔うために建立した。

その後弘治2年(1556年)細川高国の孫である山名豊国が開祖となり、

寺基を妙心寺内に移して再興した。

以来細川氏菩提寺や山名氏の菩提寺となった。

本尊は観音菩薩。

緋毛氈のところで抹茶と和菓子を楽しむことができる。

和菓子は沙羅の花に似せてか白と黄のそのイメージそのものであった。

ご覧のように限られた特別公開の日程(この日は5日目)のため、

多くの人がその風情を味わいに来ていた。

特に女性が多く、皆ほとんど無言で何かを感じているのでしょう。

この仏縁深き花のものとで静かに座って自分を見つめ"生きる"ことについて考える。

お庭には数十本の沙羅の木があり沙羅双樹の花は

朝に花を咲かせその日のうちに落ちてしまう一日花と言われている。

この花は釈迦が入滅した時に傍らに立てていた木のことを指す。

「形あるものは必ずこわれて行く。形美しきもの永遠に保てず。」

お釈迦さまは「今日なすべきことを明日に延ばさず、

確かにしていくことが良き一日を生きる道である」とお教えになっております。

沙羅の花は一日だけの生命を悲しんでいるのではなく、

与えられた一日だけの生命を精一杯咲きつくしています。

人間の生命はいつかは限りが来ます。

そこから「生かされている人生をどう生きるか。今日を無駄にはできない」

つまり「今は今しかない。二度とめぐり来ない今日一日を大切に、悔いなき人生を送らねば…」

という気持ちがわいてこないでしょうか。

東林院は平成8年の「そうだ京都、行こう」に取り上げられました。

キャッチコピーは「京都には人の世とはと語りかける花があります。」

そして平家物語の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」が今、やっとわかりました。

他にも3つの特別公開にちなんだポスターが掛けられていました。

この若者はカメラのレンズ、ファインダーを通して哲学者になっていました。

御朱印帳を書く住職、現住職の西川玄房は精進料理の研究家としても著名だ。

花園にある禅寺ここ妙心寺は46もの塔頭を有し19.5haの広大な敷地がある

京都一大きな寺で京都市民は「西の御所」と呼んでいる。

創建は暦応5年(1342年)花園法皇が関山慧玄(無相大師)を開山として離宮萩原殿を改めて

寺としたのが当寺の起こり。

多くの塔頭の中で赤紅枝垂桜で有名な「退蔵院」(2022-4-27付ブログ参照)は素晴らしいお寺だ。

 

 

 


京都の街あれこれ PART16

2023-06-24 06:40:32 | 旅 ~京都

次の予定まで少し時間があったので平安神宮前の岡崎公園で行われていた「平安楽市」に寄ってみた。

この市は毎月1回不定期で行われているもので「いい古都たくさん、京の手づくり市」と称して

なかなか良い品物を展示提供しているのがいくつかのブースを見てわかった。

今年3月に行った北野天満宮の天神市とはちょっと違う

趣味人が手作りのものを売っている魅力的な楽市だった。

残念ながら時間が無く後ろ髪を引かれる思いで次の場所へ移動した。

https://kamigamo-tedukuriichi.com/

平安神宮前で見たこの2人の女性、本当の舞妓ちゃん(?)

着物の着付け方、歩き方、なんとなく本物っぽくないので気になってパチリしてしまった。

失礼!

吉田山の吉田神社を下りるとそこは日本の二大大学、西日本の雄、

京都大学のシンボル時計台のあるキャンパスだ。

あいにくこの時から雨脚が強くなり傘をさしての見学となってしまった。

この日は土曜日ということもあってキャンパス内は人気が無くガランとして早々に立ち去った。

スミダマンの個人的見解を述べると日本の代表する真の大学は京都大学だ。

東京大学は国家的使命を負うまさに官の大学だが、

京都大学は国家中枢の地東京とも距離的に離れ、

自由に何かの縛りも無く学問に向かい合える真のアカデミムズがある。

結果多くのノーベル賞受賞者も輩出し、個性的な文化人も生まれている。

そんな将来のリーダーが見たいとキャンパス内を見たが学生は誰もおらず

その空気を吸うことをできずとても残念であった。

いかにも京都らしい風情がある二寧坂(二年坂)の風景。

この通りには清水焼などを扱う古美術品やギャラリー、

また京都スイーツが堪能できる喫茶、甘味処が多く軒を連ねる。

京都みやげにピッタリなお香や八ツ橋などを販売しているお店もたくさんあり、

清水寺参拝の帰りに立ち寄るのもおすすめ。

風情ある町家を眺めながらの食べ歩きも楽しいもの。

その中でもこの町屋の建物はなんとスターバックスコーヒーだ。

昔入ったことがあるが、スタバでもこんな雰囲気の店は世界広しといえどもここだけと聞いた。

ご二寧坂の途中に今まで見なかった立派で大きな塀と建物を発見。

この建物はなに?

2019年10月30日にオープンしたラグジュアリーゲストハウス「パークハイアット京都」だった。

9室のスイートルームを含む70室の客室があり、

東山の丘で京の雅とパークのエレガンスが融合した雰囲気がこの写真からも伝わってくる。

ちなみに幕末の頃、桂小五郎、井上馨、久坂玄端らが集まり会合を開いたと伝わる

料亭「山荘京大和」とのユニークなコラボの形をとっている。

前回うっかりお参りをし忘れた京都五山のNo2、相国寺にある

藤原定家と足利義政と伊藤若冲のお墓。

時代を超えてその時代の巨頭3名が並んでいるお墓を見ると日本の大きな歴史の流れを感じてしまう。

伊藤若冲の本当のお墓は石峰寺にあるが

このお墓は50代の若冲が生前墓を相国寺に決めその銘文を大典禅師に頼んだ。

この3人のお墓のすぐそばには禁門変で殉難した長州藩士の戦亡霊塔があった。

まるでこのわずかの広さの中に日本の歴史が展開しているような不思議な時が流れていた。

寺町通りにある一千年の歴史を持つ革堂行願寺。

蓮の花が美しい西国第19番礼所の寺院だ。

西国三十三所で唯一の尼寺で本尊真言は「おんばざらたらまきりくそわか」。

境内には都七福神のひとつである寿老神が祀られている。

最後に八坂神社西楼門石段下で見た着物とも洋服ともつかないユニークなファッションに

身を包んだ若い女性の後ろ姿がとても気になって…。

番傘がまたいいですネー。

京都は保守と革新が入り混ざったものがとても似合っている。

 

 


大徳寺塔頭 興臨院

2023-06-21 06:01:10 | 旅 ~京都

興臨院は大徳寺勅使門に向かって左側にあって、東向きに表門を構えている。

今回の時期は新型コロナ感染の規制もだいぶ緩和され、

国際観光都市京都にはまた多くの外国人観光客が戻ってきた。

大徳寺の塔頭は基本的に一般公開はされていない。

大徳寺の体質が保守的なためである故。

その中で、ここ興臨院は3月11日(土)~6月18日(日)まで春の特別公開を行っていた。

このお知らせ看板の下の方には外国人向けの英語案内が貼られているのが印象的だ。

この表門(重文)は平唐門。

桧皮葺の優美な姿をしている。

構造は一間一戸で二本の門柱の頭が高く出て、蟇股を左右から挟んでいる。

この表門は大徳寺山内でも有数の古い門である。

当院は足利時代後柏原天皇の太永年中(1520年代)能登の守護畠山左衛門佐義総によって建立され、

以後畠山家の菩提寺となっている。

畠山氏は足利幕府管領の畠山基国を中興とする後裔で、

義総の法号興臨院殿伝翁徳胤大居土から寺名が付けられた。

その後畠山家が没落。

天正9年(1581年)前田利家公により本堂屋根の修復が行われ、

以後、前田家の菩提寺となった。

本堂(重文)は方丈形式、一重入母屋造。

建築様式は室町時代の特長をよく表している。

また、内部も簡素で素朴なさほど寺院の建築らしくなく、

現在の日本の民家住宅へ移る過渡期のものといえる。

方丈前庭は方丈の解体修理完成に際して資料を基に昭和の小堀遠州と称えられた

中根金作によって復元されたもの。

この庭は昔中国の寒山・捨得が生活していた天台山の国清寺の石橋を模し、

大石松をあしらって理想的な蓬莱の世界を表現している。

名を涵虚亭と号し、蘇東坡の詩から名付けられた茶室。

古田織部好みの四帖台目に隅板を加えたもの。

前述したように当院は加賀前田家の菩提寺となっている。

この掛軸も加賀百万石前田家の祖、前田利家の肖像画だ。

 

 

 


大徳寺本堂特別拝観

2023-06-20 06:01:55 | 旅 ~京都

今回の旅の第一の目的は葵祭を御所で見ること。

次にこの大徳寺本坊がなんと358年振りに特別公開(4月27日~6月4日)されるのでこの歴史的公開を拝観することであった。

この大徳寺勅使門は慶長年間(1596年・1614年)の建造(重要文化財)

もとは御所の南門で後水尾天皇より拝領し、1640年(寛永17年)に移築されたものと伝えられている。

大徳寺は鎌倉末期、宗峰妙超(大燈国師)が紫草の繁る洛北の野原に大徳という小庵を開創した。

厳しい宗風をもった宗峰の学徳は次第に世に知られ、この小庵は花園・後醍醐両天皇の帰依をうけ勅願所となり、嘉暦元年(1326年)の法堂完成と同時に臨済宗大徳寺派の大本山とい龍宝山大徳寺と命名された。

前述した様に大徳寺本坊伽藍の特別公開は4月27日(木)~6月4日(日)迄なんと358年振りに行なわれた。

拝観料は大人2000円。

20分毎に約20名づつのグループ拝観でガイドさん付きのツアー形式

所要時間は約40分だ。

公開内容は三門「金毛閣」(重要文化財)外観のみ仏殿(重要文化財)、法堂狩野探幽筆天井画「雲龍図」(重要文化財)、唐門(国宝)

金毛閣と呼ばれるこの三門は、大徳寺最古の建造物の一つ。

応仁の乱で焼失後、大徳寺中興の祖、一休弾師の参徒で連歌師宗長の寄進により、一階を創建。

60年後、千利休によって現在の二階二層門となった。

この楼上に草鞋履きの利休木像を置いたことから豊臣秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の因といわれている。

まさに歴史的な三門の門が今回の公開で開かれ利休木造の下をくぐる体験ができた。

(ここでこの公開は撮影禁止ということがわかった)

(大徳寺 栞 より)

開山大燈国師三百年遠諱の際、江月和尚の観化により小田原城主稲葉正勝・正則父子の寄進によって

再建されたこの法堂は当時の唐様の遺構として貴重な建物である天井には狩野探幽斎筆になる龍が踊る。

大徳寺の仏殿は1665年(寛文5年)京の豪商那波常有(なわじょうゆう)の寄進によって建造された。(重要文化財)

今回の特別公開の大きな見どころはこの仏殿。

再建以来358年目にして初公開された。

本尊の釈迦如来座像は方広寺にかつて存在した大仏の10分の1サイズの像と言われている。

特別公開最後のこの国宝唐門はここだけ撮影が許された。

桃山の三唐門(豊国神社、西本願寺)の一つに数えられる壮麗な門は1日中眺めても飽きないことから「日暮門」の異名を持っている。

  

大徳寺は多くの名僧(一休禅師、沢庵和尚など)を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院だ。

境内には本坊の中心伽藍のほかに24ヶ寺を超える塔頭寺院が立ち並び近世寺院の雰囲気を残こしている。


寺町通り名店巡り

2023-06-19 06:27:18 | 旅 ~京都

2022-12-10寺町通りブラ散策、2022-12-13京漆器象彦 参照

御池通り(二条通り)から丸太通りを南北に通る寺町通りは

古い木造の日本家屋が並び趣きがある町並みが続く。

昨年に続き、また寺町通りにある名店を訪ねてみた。

一保堂茶舗京都本店は1717年(享保2年)創業の日本茶専門店。

屋号の由来は山階宮家から賜ったもので「茶一つを保つ」の意。

茶の加工と販売を主な事業とし、デパートなどの販路以外に茶道の家へ茶を納めている。

品揃えは茶の他に茶器も扱われている。

抹茶は表千家と裏千家好みの双方をそろえられている。

近年は京都市と協力したイベントも手掛けている。

https://www.ippodo-tea.co.jp/

お茶売り場の隣りには喫茶室「嘉木」がある。

お茶とお菓子を味わいながらほっとひと息。

銘柄や淹れ方によって味わいが変化する日本茶で常時14のメニューが用意されている。

抹茶の薄茶(ふんわりとした口当たり)、濃茶(とろりとしたペースト状)。

玉露は3種で「天下一」はなんと2,200円もする。

煎茶も3種、番茶はほうじ茶と玄米茶がある(全て和菓子付き)。

お茶は急須で3煎楽しむことができ、1煎目はスタッフがお淹れしてくれる。

一保堂から数軒下るとクッキー、ロシアンケーキなどで有名な西洋菓子舗「村上開進堂」がある。

当店は創業1907年(明治40年)で京都最古の洋菓子店。

このレトロな洋風建築は昭和初期に建てられたもの。

一歩店内に足を踏み入れると、そこは和洋折衷の昭和モダンの世界。

当時から変わらないショーケースや大理石の柱、タイル張りの床など

「タイムスリップできる空間」と老若男女から人気を集めている。

奥には自宅をリノベーションして2017年にオープンしたカフェもある。

ここのクッキー缶は予約制でたいへん人気があるため注文から数ヶ月待ちだとか。

昨年に続き今回もご覧のように定休日。

スミダマンにとっては縁がない店なのか?!

ある老舗有名店のおすすめで日本最古の御香調達所「薫玉堂」を訪ねてみた。

当店は創業文禄3年(1594年)本願寺出入りの薬種商として創業。

以来、この地に於いて420年以上に亘り香りを誂えてきた。

大地の恵みを受けて育った植物には人を優しく癒し元気つける力が秘められていると言われている。

香老舗ならではの調香へのこだわりを大切にしながらも、

現代の生活に寄り添った香りの在り方を提案している。

https://www.kungyokudo.co.jp/

御茶道具、書画、骨董、美術道具などを誠実に買い取りをしている古美術の「都屋」さん。

この古色蒼然とした建物がすごい。

一民家の家で象の彫刻が飾られているのにはビックリだ。

こんな古美術商、骨董商、アンティークショップが約28軒ほど、この通りに並んでいる。

まさに寺町美術通りと言われる所似だ。

スミダマンのブログで度々紹介をしてきた京都でのパンのパイオニア「進々堂」の寺町店。

進々堂は大正2年(1913年)京都に創業したベーカリーで京都市内に12店舗をかまえている。

寺町店はレストラン(モーニング、ランチ)、イートイン、ショップがあり、

ゆっくりしたスペースで美味しいパンが召し上がれる。

進々堂の願いはお客様の命の糧となる混じりけのないパンをつくりたい、

パンのある心豊かな生活をお客様と分かち合いたいだそうだ。

https://www.shinshindo.jp/

昨年秋に快くトイレをお借りしたホテル「THE SCREEN」。

あまり大きくないホテルだが、中に入ると素敵な空気が流れ、ホスピタリティも素晴らしい。

とても印象深い、記憶に残るホテルだった。

きっと京都にはこのようなホテルがまだまだいくつもあるのだろう。

 

 

他にも2022年12月13日アップした京漆器の名店「象彦」さん。

天保年間創業の蒸し寿司で有名な「末廣」もこの通りにある。