スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

(財)渋沢栄一記念財団 渋澤健理事

2015-04-28 07:57:00 | レポ

渋沢健氏は日本の資本主義の父といわれる渋沢栄一の5代目子孫。

アメリカ育ちのブローバルな感覚

(テキサス大学卒、UCLA大学MBA経営大学院卒)で話された。

テーマは「論語と算盤を現代に活かすには?」

氏はコモンズ投信㈱の会長であり、シブサワ・アンド・カンパニ―㈱の

代表取締役も務めている。

明治以降の日本近代化社会を振り返ると、30年タームで

破壊と繁栄を繰り返している。そのサイクルでいくとボチボチ繁栄の

サイクルの時期に入ってくる。

渋沢栄一と今注目を浴びているフランスの経営学者

トマ・ピケティ氏の資本論をどちらのほうが幸せか、氏は論じた。

格差社会に対する両者の認識は一致しているがその対応姿勢はかなり違う。

渋沢栄一の有名な言葉「論語(道徳)と算盤(経済)の合致により民間力を高める」

を評価し、ビケティ氏の考えについては否定的だった。

氏は専門用語を多用せず、平易な言葉を用いて話をする。

氏からのメッセージは「渋沢栄一の言葉は多様性に富み

変化の激しい時代に通じる不変の王道があるのではないか。

そこから得られる気づきを共有できれば幸いだ。」

正しい道理の富でなければその富は完全に永遠することができない。

従って論語と算盤という懸け離れたものを一致させる事が

今日のきわめて大切な務めである。

「論語と算盤」とは持続性(サスティビリティ)だ。

常識(コモンセンス)とは「智(wisdom)」、「情(emotion)」、「意(will)」の

三者が権衡を保ち、平等に発達したものだ。

リーダーには「倫理的理解力」が要求される。

HAPPYになるには

①自己実現と成長

②つながりと感謝

③前向きと楽観

④独立とマイペース

埼玉が生んだ偉人渋沢栄一は奥が深い。

今の時代、新ためて学ぶ価値、必要があると感じた。

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その210~

2015-04-27 07:44:54 | 食~イタリアン・フレンチ

フレンチ居酒屋

Bon Tigger(ボン・ティガー)

さいたま市浦和区東仲町12-7

TEL048-678-2662

営業時間 17:00~深夜0:00まで

ランチ 11:30~15:00(LO14:00)

年中無休

近くでうちの建築現場がはじまります。

現場事務所を借りるため、近所で探していた。

このお店の2階を借りることに成った。

そんなこんなで

このお店が妙に気に成り、今度行ってみようと

思ってました。

たまたま、昨日は現場の地鎮祭でしたので

当社の社長、営業部長、そして私の

オッサン3人で行ってみた。

ランチメニュー

なかなかのプライス

夜、来ればこんな料理も楽しめる

店内はこんな感じ

建物は木造のかなり古い建物だが

中をぶちぬいて、1フロアーっぽく

今風にリノベーションされています。

こういうの流行りですよね。

お客さんは女性がほとんど

ただでさえ背広姿のオッサン3人は

目立つのに

まして、浮いた感がある。

12時前に入ったのに

パスタランチはあと2つ

との事。

「どんだけ数量限定やねん!」って

つっこみたくなりました。

よって、3人のうち2人はパスタランチ

あと一人はボンティガーランチをオーダー

 

ドレッシングがかなり

イケてました。

旨い!

スープ

味が丁寧っていう表現でいいのか

これも旨し!

そして、本題のパスタ。

トマトベース、キャベツ人参、ハム?

若干、甘いが

手造り感たっぷりの味がする。

そして

ボンティガーランチ

 

真鯛のポワレと若鶏のなんちゃら

うちの上司のビジュアルからすると

なんとも可愛らしい料理だ。

旨かったけど、ちょっと量が少ない

デザートもついています。

女性に人気があるのも頷ける。

これから、現場は来年3月までですので

何回かは行ってみようと思った。

 

 

 

 


西洋美術館

2015-04-24 07:41:35 | 建物

西洋美術館は公園内にある西洋の美術作品を専門とする国立の美術館だ

印象派など19世紀から20世紀前半の絵画、彫刻を

中心にした松方コレクションをベースに昭和34年開館した。

今は前庭の彫刻展示エリアは無料で入場できるので本当に久しぶりに入った

この本館は20世紀のフランスの巨匠

ル・コルビュジェの設計。弟子の前川國男、板倉準三

吉阪隆正が実施設計、監理した。

「無限成長建築」というのがコンセプトだ。

オーギュスト・ロダン(1840~1917)作の

「カレーの市民」1888年に完成し世界で

12点しか造らなかった作品。これも松方コレクションだ

あまりにも有名な「考える人(拡大作)」

19世紀を代表するフランスの彫刻家ロダンの作品

ロダンは近代彫刻の父と称されている

この作品は数多く鋳造され、世界中に存在している

この像に来ると、皆、考える人のポーズをとって

記念写真を撮っている。

この中国人の若い

女性も一生懸命像を見ながらポーズを決めていた

ロダンの代表作「地獄の門」

ダンテの神曲に登場する内容、及びそれを

テーマにして製作されたブロンズ像

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の

銘文でよく知られている。深い絶望をあらわす表現として用いられる

地獄の門の構成する群像の1つとして造られた

「考える人」

よく見ると門の外にこの様に小さな像がはみ出て彫られている

きっと深い意味があるのだろう。

1881年頃のロダン作「エヴァ」ブロンズ像

1880年の「アダム」ブロンズ像

ロダンの作品は内面までも浮かびあがらせようとする

情念が息づいている

1909年 ブールデル・エマール・アントワーヌ(1861年~1929年)作の

「弓をひくヘラクレス」

フランスの彫刻家で1893年にロダンのアシスタントになっている。

1888年に最初のベートーベン像を作成した。

緑袖タイルの外観。緑色の小石を全面に貼りつけたもの

現在のは改修したものだ。

打ち放しの壁。型枠の板の年輪が浮き出て

ベニアを使い始める前のコンクリートの打ち放しは味がある

最近でもコストをかけてこのような

型枠材料を使った建物をたまに見る

各辺に7本ずつのコンクリート打ち放しの円柱

西洋美術館の本館はフランス政府を通じて

世界遺産へ登録申請をしている。

 

 


上野東照宮

2015-04-23 07:48:39 | 旅 ~東京

毎年恒例の得意先観桜会に招待され、今年(4月2日)も上野の山に行って来た

丁度、桜が満開になり、最高の花見になった。

人出もご覧の用にものすごい人。今年はニュースでも

報道していたが、外国人が多かったような気がした。

良く見えずらいが、桜の花吹雪

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」

この心は外国人はどう理解するのか。

毎度、お馴染みの「花より団子」の宴会風景

この日は天気も最高だった。

小松官彰仁親王銅像

親王は鳥羽・伏見の戦に征東大将軍として参戦

ついで戊辰戦争にも従軍した。

日本赤十字社の前身、博愛社の総裁として

赤十字活動の発展に貢献した。58歳で没

上野恩賜公園内にある神社「上野東照宮」

の赤い水舎門。ここは寛永4年(1627年)

藤堂虎が虎の敷地内に創建した。

他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけている。

参道は桜の花見客で大変な混みよう。

沢山の屋台が出ていてまるで縁日のようだ。

ここにもYOU(外国人)が大勢いた。

最近、色々な観光地へ行くと外国人が増えたのを肌で感じる

高さ36Mの旧寛永寺の五重塔

寛永16年(1639年)に再建され、重要文化財に指定されている。

上野東照宮の社伝によると、元和2年(1616年)

危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を

作ってほしいと藤堂虎と天海に遺言された

現在の社殿は家光が改築し、平成21年~平成25年まで

修復工事が行われた。

平成26年から公開されている。拝観料は500円

本殿の前の唐門。周りを囲んでいる透塀は有名だ

ここ上野東照宮は、家康、吉宗、慶喜を祀っている。

そして意外なことに、広島市内に落とされた原爆により

家々が炎に包まれたその火種を境内に

大事に保存してあるとの事。

重要文化財の50基の銅燈籠

諸国の大名が奉納。特に紀伊、水戸、尾張の

御三家は2基ずつ寄進した。

戊辰戦争、関東大震災でも焼失せず、第二次世界大戦でも

不発弾のみで今日まで残った

尚、この銅燈籠は、神事、法会を執行するときの

浄火を目的とするもので照明用具ではない。

上野の山の夜桜。人混みは夜まで続き

大変な人出だった。

桜の種類は沢山あるが、やはり染井吉野が

一番だと思う。


浦和エリア旨い店シリーズ ~その209~

2015-04-22 07:42:53 | 食~ラーメン・中華

ラーメンショップ

場所  さいたま市桜区栄和4-23-3

TEL 048-855-8016

定休日  月曜日 

埼大通りを通ると、時々客が順番を待っている店、

駐車場が入りづらいが、いつか入りたいと思った店。

店は油汚れていて、古い壁に貼ってあるメニューも油で年代もの

聞くとこの場所で30年営業しているという、大将1人と

若い女性定員2人、愛想がいい、カウンター10席、テーブル2席、小上がり4席。

メニューは、醤油、味噌、塩の組合せ、券売機がなく

張り紙のみ、壁にびっしり貼ってある。

店員さんが、注文に来たので、醤油のネギラーメンと言ったら

普通盛りでいいですか?というので、いつもの習慣で大盛を注文。

麺は50年の歴史のある、川崎市の大橋製麺所から仕入れている。

乾麺、木箱とはめずらしい。

しばらくして着丼、え!すごいおごい大盛(+100円)、どんぶりの大きさが違う。

声が聞こえたのか、中盛り(+50円)もあるんですよと若い店員さん。

大将も笑っている。メニューをもっとしっかり見るんだった。

背脂が浮いているギドギド系、まずはスープ、豚骨、醤油系、意外と

さっぱりしていて旨い、麺は黄色の中太の少しちぢれた麺、モッチリ感があって

歯応えがある。具はタレとゴマ油で炒めた長めのネギ、チャーシュー

味玉1/2、モヤシ、ひき肉、うまくマッチングしている。

どんぶりは間口が広くて食べやすい、普通と大盛との大きさがよくわかる

大盛をどうするか?残してはまずいと思い、麺を口に運ぶ

一生懸命食べる。なかなか減らない。何とか食べ終わった。

消化がいいのか、夕方6時頃にはお腹がすいて来た。

カウンターには、おろしにんにく、豆板醤、紅しょうが、ニラととうがらしの

漬物が置いてあるが、食べるのに一杯で、余裕がなかった。

今後、普通盛りで、味をいろいろ楽しんでみよう。

余韻が残る味でした。

     

                            以上


さくら草

2015-04-20 07:40:40 | 自然

浦和駅の改札を出た正面にご覧の用に人集りができていた。

一体なんだろうと思い見に行ってみた。

それは鉢植えのさくら草を陳列した棚であった。

このさくら草は園芸品種で埼玉さくらそう会の方々の作品で30鉢あった。

さくら草は日本では北海道、本州、九州で育ち

毎年3月から4月にかけて桜に似たかわいい花を咲かせる。

さいたま市桜区にある「田島ヶ原さくら草自生地」は

国の特別天然記念物に指定されており、とても貴重な場所だ。

埼玉県の花、さいたま市の花「さくら草」は、この田島ヶ原の

さくら草に因んで決められた。

目についた作品を4つアップしてみた。

 

『重遊の宴』

『伊達男』

『乙女の祈』

『独り舞台』

この様に作者が思いを込めたのだろう

全作品に名がつけてあった。

「さくら草まつり ’15」のポスター。

残念ながらメインイベントは終わってしまったが

3月27日(金)~4月26日(日)まで田島ヶ原

サクラソウ自生地を守る会によるボランティアガイドが

田島ヶ原で実施されている。


浦和旨い店シリーズ ~その208~

2015-04-18 08:01:14 | 食~そば・うどん

ももや

住所  さいたま市浦和区仲町1-10-9

TEL  048-822-6012

定休日  日 祝日

営業時間 11:00~15:00

うなぎ「山崎屋」の隣の駐車場の奥に、ひっそりと

「生そば ももや」の看板

店内は古びているが、内装はよく落ち着いた空間

壁には浦和山岳連盟のカレンダー、絵もスタジオ・ジブリ風の

山男の絵が3つ、趣味がいい。店内はテーブル席のみ。

木のテーブルと椅子の温かみを感じる。2人×10卓、

4人×2卓、28席。かなり年配の男性が調理、かなりのおばさん2名の計3人

聞くと有限会社にしたのが昭和28年、62年以上前から営業

店主は2代目。BGMは無いので静か。

これは期待できると思いきや

メニューはいたってシンプル、温かいそばと、冷たいそばのみ。

アルコール、つまみ無し。

迷わず、もりの大盛550円+100円、つれのA氏は

かき揚げもりの大盛850円+100円

そばはいたって普通、色は白く、機械打ちで、こしは無い

のどごしもいまいち、特徴はない。そばつゆは甘め、丸い味がある。

外観は老舗風ですが、中身は町の大衆そば屋さん。

 

                               以上


浦和文教ギャラリー

2015-04-17 07:38:04 | ご近所情報

浦和駅東口と西口の高架下工事用仮囲いに

「浦和みらいギャラリー」と称して「文教ギャラリー」

(東口)とみらいの巨匠ギャラリー(西口)展が始まった

特に東口エリアは旧浦和の主だった所の新旧写真が展示してある

とっても良い企画と思い、全ての

写真をスミダマンのブログでも紹介します。

文教ギャラリー1の全容と市民が立ちまって見ている光景

じっと立ち止まって見入っている人は年配者が多い

きっと若いころの自分に古い写真を通して思いを

馳せているのだろう。

中には親子、祖父母と孫と思われる人が

一生懸命説明している姿はなんともほほ笑ましい

古くから浦和に住んでいる人にとってはここが故郷だ

昭和58年の旧浦和駅東口駅舎とアップが昭和37年の旧浦和駅東口駅前広場

東口は昭和5年に開設され、平成17年に解体されるまで

大きな変化はなかった場所だ

因みに当社は東口開設の2年後に浦和支店を開設した

明治23年と明治42年の旧浦和駅停車場

浦和駅は明治16年の日本鉄道上野~熊谷間の

仮営業開始とともに王子・上尾間の駅として設置された

昭和37年、38年頃浦和駅西口駅舎と駅前広場

駅広の真ん中にあった「平和の像」は、今南浦和駅東口広場にある

とても懐かしいモニュメントだ

そして開業100周年を迎えた昭和58年の浦和駅

下は昭和55年の市街地改造事業。これで伊勢丹、コルソがオープンした

明治22年から現在の浦和ロイヤルパインズホテルの地にあった浦和町庁舎

昭和46年まで使用されていた

昭和9年(下のアップ写真)昭和32年の埼玉県庁舎

明治3年に県庁舎は現在の場所に置かれた

昭和23年、放火により庁舎の大部分が焼け

移転問題がおきた。

昭和33年の浦和市消防本部、消防署

昭和23年、消防組織が警察組織から独立した

昭和33年の旧浦和警察署。犬の鼻の様に

出っ張ったバスが懐かしい

昭和9年頃の旧埼玉会館。皇太子(後の昭和天皇)

の御成婚を記念して大正15年に建築された洋風の公会堂

現在の埼玉会館は前川國男設計により

昭和41年に竣工した。建築的にこの会館は

大変評価の高い建物と言われている。

東京文化会館も前川國男の設計だ。

昭和16年頃の高砂小学校(浦和第一国民学校)

ルーツは明治4年玉蔵院に開かれた浦和郷学校

その後、浦和第壱番小学、浦和尋常高等小学校、そして昭和22年の

教育改革によって高砂小学校になった

校庭の大いちょう、昭和60年当社施工による

高砂門と瓦屋根の白壁の真砂塀はシンボルだ

大正10年頃の県立浦和高等女学院。今は通称

浦和一女と呼ばれて、県内の女子教育の中核を担っている

この周辺は浦和の高級住宅街。この写真を見ると

周りが田んぼでビックリだ

調神社の社名である「調」は「貢」の意であり

貢物を納めるための倉が古代建てられたことに由来すると言われている。

毎年12月12日に行われる「十二日まち」は明治時代から

続く伝統の大歳の市

玉蔵院(2014-10-6付参照)

駅から東仲町商店街を過ぎた所にある

「文教ギャラリー2」

ここも人が立ち止まって懐かしそうに写真を見ていた

昭和27年、昭和39年、昭和49年の旧中山道

浦和宿から浦和町、浦和市の時代を経て

現在の浦和区に至る

昭和48年から始まった歩行者天国が今から思うと懐かしい。

昭和33年頃のさくら草通り。

通りには浦和郵便局があり

一時は郵便局通りと呼ばれていた

昭和56年から市民公募で「さくら草通り」と

命名され歩行者専用道路となった

昭和37年頃の日の出通り。以前は東口大通り

第一ガード通りとも呼ばれていた。

この写真は前地3丁目付近(今でもある渡辺酒店のある交差点)から

浦和駅方面を写したもの

よく見ると三輪自動車が走っている。

昭和40年頃の国道浦和越谷線

浦和家具センターあったナー

昭和56年当時の旭通り

スーパー十字屋、古くから住んでいる人は知っていると思います

大正10年頃の浦和地方裁判所。今は常盤公園に成っている

江戸時代初期は御殿と呼ばれ、徳川家康、秀忠の鷹狩の際の休憩所だった

明治26年、この地に浦和地裁が開設された

赤レンガ門柱跡は当時の名残

昭和42年空から見た浦和競馬場

初開催は昭和23年

よく見ると当社の場所がわかる

藤右衛門川が真ん中に流れているが遊水地はまだない

大型台風が来るとよく洪水になったものだ

昭和57年頃の駒場競技場

昭和42年、埼玉国体の際に整備され

Jリーグ開催を機に改装され

21500人収容の駒場スタジアムとなった。


浦和エリア旨い店シリーズ ~その207~

2015-04-16 07:46:20 | 食~ラーメン・中華

麺屋  稀水 大門店

緑区 大門1746-10

TEL 11:00~24:30

駐車場 多い

以前そば屋さんだった所にH27年2月にオープンした新しいラーメン屋さん

足立区に本店があり、大門店が2店目

大きく3つのゾーン(カウンターコーナー、2つのボックスコーナー)

に分かれている大型店

以前のそば屋時代の名残り囲炉裏コーナーをそのまま

使っている。

BGMはジャズでイイ感じだ

ランチメニュー。ギョーザが3ヶで100円(+税)

これはビックリする程安い。焦がしニンニクラーメンの

黒ラーメンが売りらしい。

あとは辛目のメニュー

旨辛胡麻ラーメン、大辛ラーメンがある。

メニューもかなり豊富だ

麺も、極太ちぢれ低伽水麺。完熟細ちぢれ麺

手もみ平打多加水麺の3種類から選べる

最近のラーメン専門店は色々と創意工夫して

お客様をおもてなししようという姿勢を感じる

黒ラーメン醤油の細麺 760円+税

ギョーザもオーダーしたが写真を撮り忘れてしまった。

ちょっと小振りのフックラしたギョーザ。結構いけましたヨ

胡麻入りの岩塩、手もみ平打多加水麺。680円+税

この麺はみずみずしいのどごしが特徴だ

この店で一番感心したのは、この黒の器

全体がまんまるでなく、うねっていて変形のどんぶりだ

ずい分どんぶりに凝ったなーという印象だ

この写真でわかるかなー?

ちょっと気に成ったのは、パート、アルバイトさん

募集の中に美味しいラーメンを作る人と書いてあったこと。

この店も2店舗とはいえ

マニュアル調理のチェーン化を目指しているのか?


鎌倉の花木

2015-04-14 08:10:42 | 自然

円覚寺境内で実に綺麗で見事に咲いていた

「マンサク」の花

早春に咲くことから「まず咲く」「まんずさく」が

東北地方で訛ったものと言われている

ソメイヨシノの古木桜が満開

通る人が異口同音に「頑張って咲いて偉いわネ」と言っていた

円覚寺開基廟の所に咲いていた木蓮

昭和8年4月魯迅より寄贈された

歴史的な樹木だ

明月院境内で咲いていた日向水木

禅宗の寺によく似合う素朴な樹木だ

方丈の隣に植えられた北山杉

この木を見ると京都にいる様な気にさせる名木だ

明月院が通称「あじさい寺」と言われるぐらい

有名な紫陽花(アジサイ)

3月末頃は咲くにはまだ早く、6月から7月に花を咲かせる

この一枚はめ明月院のパンフレットから拝借

やはり明月院のけ境内片隅にひっそり咲いていたかわいらしい花

年配の女性が花の名前を聞いていたが

残念ながら忘れた。

たぶんクリスマスローズの一種だろう。

明月院の右側に鬱蒼と茂った竹林

2枚目は逆光の中、モノトーンな竹林が上手に撮れたと思う。

建長寺の参道沿いに咲いている桜

外国人を中心に皆、足を止めてシャッターを切っていた。

建長寺の一大伽藍の中で、圧倒的な存在感を示していた栢槇

かながわの名木百選、鎌倉市指定保存樹木に選ばれている

樹齢約760年と言われているが今でも樹齢は旺盛だ。