6月21日(土)パルコ10階コムナーレ内
浦和コミュニティセンターで「Jリーグの理念を実現する市民の会」主催による
サッカートークイベントが開催された。
この「市民の会」は地域密着をうたう「Jリーグ百年構想」にある
サッカーに限らず、市民の誰もがスポーツを楽しめる環境を地域に実現し
市民の健康や教育、福祉に取り組んでいく
街づくり活動を行う団体だ
「さいたまサッカー100年コト語り ~次代に伝えたい歴史と伝統~」
というタイトルで県立浦和高校のサッカー黄金期を築いた
ジャーナリスト轡田隆史氏とテレビ朝日の「ニュースステーション」サブキャスターの
小宮悦子氏がパネリストを務めた
司会はNACKファイブの人気番組
「WARMING UP MUSIC」のパーソナリティー大野勢太郎氏
例のビロードの声で
進められた
W杯ブラジル大会で日本代表がギリシャ代表と引き分けた後だけに
この事から話が始まり予定の一時間をはるかに越え
アディショナルタイムと表現していたが
一時間半位熱い熱いトークが続いた
まず、1815年イングランドで始まったフットボールの歴史のはなし
最初はルールもなく
手も使って川の中でもやっていた
1863年ロンドンにクラブチームが発足し、サッカーとラグビーが分かれた
1873年横浜で英国人が日本初のサッカーをクラブチームで始めた
国際試合は昭和2年フィリピンに3:1で初勝利
埼玉では浦中(今の浦和高)の伝説の人
松沢氏(後の埼玉サッカー協会初代会長)が
ミャンマー人にサッカーを教えてもらいスタート。
1937年さいたま師範が神戸一中に勝ち全国
制覇を成し遂げた。
その後浦和高、浦和西高、浦和市立高
浦和南高、武南高校と埼玉の輝かしい
サッカーの歴史が続いた。
これが現在の浦和レッズ、大宮アルディージャ
につながっていることを熱く語った。
(貴重な写真をみながら)
轡田氏の青春時代のサッカーは裸足にハチマキ。
ボールはよくパンクした。ニューボールが出て来た時は
本当にうれしかった。
広島で浦和高が全国制覇した時は
列車で25時間、米、砂糖などを持参した。
早大の全盛時代、轡田氏がパスし川渕氏
(元日本サッカー協会会長)がシュートして点を入れた。
その川渕氏とJリーグができた時、日本代表が
W杯の決勝戦に出られるようになるには
何年かかるか?議論したと言う。両氏の
結論は50年後。だからあと30年はかかる。
だから今はまだ出発点。
W杯ブラジル大会、日本中で一緒に
一喜一憂。それでいいじゃないかと
78歳のおじいちゃんはそう思うと言っていた。
小宮悦チャンは浦和サポを自認。
県立川越女子高校を卒業。一時 北浦和に
暮らしていた。浦和高校卒の久米宏氏
(元テレビ朝日 ニュースステーションのメインキャスター)
とサブキャスターを務めている時 日本代表vs北朝鮮戦の
コメントを轡田氏(ニュースステーションのコメンテーター)に求めた。
当初は50秒、コメント時間を用意していたが
番組が追せ追せで時間が無くなり
一言だけお願いしますと言ったところ、氏は
「転ぶな!走れ!」悦チャン曰く
「コメントの一番の傑作だった」と懐かしがっていた。
終盤二人が語ったことは「サッカーは人生
に似ている。人生に失敗(転ぶ)はある。
失敗を恐れてはいけない。メンバー、チームで
励ましあい、いち早く立ち上がる、未来に続けていく。
そして歴史をかみしめて、人生のロスタイムを大事にしよう」と
語ったのが印象的だった。