スミダマンのほのぼの奮戦記

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奈良の旅(その4) 東大寺

2018-01-18 06:24:24 | 旅 ~国内

華厳宗大本山の東大寺の南大門(なんだいもん)。

天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は

鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が再建したもので、

今は無い鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。

正治元年(1199年)に上棟し、建仁3年(1203年)には

門内に安置する仁王像とともに竣工した。

南大門は大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。

南大門に安置されている二体の仁王像(金剛力士像)。

造高8メートルに及ぶこれらの巨像は平成の解体修理の結果、

像内納入文書から、運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が

小仏師多数を率いておよそ2ヶ月で造立したものであることが裏付けられた。

金剛力士は仏教の護法善神(守護神)である矢部の1つで、

開口の阿形(あぎょう)像と口を結んだ吽形(うんちょう)像の

2体を一対としている。それにしても近くで見る仁王像は圧倒的な迫力で

今にも動き出しそうな生々しさを感じる。ひょっとして私的には

巨大な大仏より、この対の仁王像の方が浮世の人の心を

わしづかみにする力があるような気がする。

二月堂、三月堂方面から下りて来た東大寺僧侶(?)

その挙動はとても絵になっていた。

若草山の山麓で金色の鴟尾を輝かせる大仏殿は奈良時代に

聖武天皇が国の平和を願い、人々の力を結集して、

758年(天平宝字2年)に造立した。

創建から2度にわたって焼失、鎌倉時代と江戸時代に再建された。

江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる

槻を檜板で囲い、鉄釘と胴輪で締めて柱とした。

創建時に11間(86m)あったのが7間(57m)となったが現在でも

世界最大級の木造建築だ。(国宝)。毎年大晦日から元旦に

正面唐破風下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から

拝しながら新年を迎えることができる。

大仏殿の正面に建てられた高さ約4.6mの金胴八角燈籠は

奈良時代の東大寺創建当初のもので、国宝に指定されている。

火袋の扉4面には雲の中を駆ける獅子、その間の4面には笛や笙などの

楽器を奏でる天人が、それぞれ菱形格子の透かし地に浮き彫りされている。

これは天平文化の工芸技術の素晴らしさを今に伝えている。

東大寺盧舎那仏は東大寺大仏殿(金堂)の本尊。一般に奈良の大仏と

呼ばれている。(国宝) 聖武天皇の発願で天平17年(745年)に

製作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会

(魂入れの儀式)が行なわれた。創建当時の大仏と大仏殿の

建造には延260万人が工事に関わったとされ、建設費は

現在の価格にすると約4657億と算出された。これは現在建設中の

新国立競技場の倍弱の金額に当たる。

東大寺の大仏殿には、大仏さんの鼻の穴と同じ大きさの柱の穴がある。

この柱の穴をくぐり抜けると無病息災の御利益があると言われている。

思い出作りのためもあるのか、この柱くぐりが人気で

この日もご覧の様に修学旅行の生徒さんで占拠されていた。

奈良公園から東大寺南大門へ向かう門前商店街。

松並木と古民家的土産物店。そこに多くの鹿が鹿せんべいを食べている。

この光景は「This is NARA」といった感じだ。