スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

古都奈良の一コマ

2018-01-11 06:42:07 | 旅 ~国内

昨年は本当に旅の多い年で11月に行った古都奈良の

旅のブログアップは越年してしまった。

近鉄奈良駅で発見した奈良のゆるキャラ「せんとくん」。

2010年に奈良県で開催された平城遷都1300年記念事業の

公式マスコットキャラクターであったが、2011年より

奈良県のマスコットキャラクターとなった。鹿の角が生えた童子の姿をしている。

発表当初は「気持ち悪い」とか「仏教を侮辱している」等

評判はあまり良くなかったという。

いかにも古い神社仏閣のある奈良。近鉄奈良駅前で托鉢している僧は

街に馴染んで絵になっていた。

ものすごい数の自動販売機が並んでいた。ここは薬師寺の駐車場を出た所。

その理由は修学旅行の学生が一挙に来て、買う為だそうだ。

春日大社の駐車場で見たJTBのツアーバス。

車体全体に忍者と城の絵が描からえている。

いかにも日本有数の観光都市ならではの光景だ。

奈良のシンボルといったら、やはり鹿でしょう。特に奈良公園、

春日大社の一帯には多くの鹿がいる。先日テレビ朝日で

放送された「日本ここに満足」という番組でも奈良の鹿が7位に

ランキングされていた。特に外国人には物珍しく、

皆鹿せんべいをあげていた。

宮廷での公事の時に着用する天平衣装。これは貴族や

宮廷で働く、身分のある女性の衣装だ。男性は身分によって

色が違う様で新王から王一位までは黒紫を着るという。

衣装を見ても奈良時代は中国唐文化を日本で再現している言われている。

斑鳩の里へ向かう途中、通った大和郡山市にある郡山城跡。

当市は江戸時代より武士の副業として始められた金魚の

養殖が大変に盛んで金魚の故郷と言われている。

山形県の庄内金魚と市場を二分する程のシェアを誇っている。

法起寺前で本当に素朴な露店を出して地元のおばさんが

柿、枝豆を売っていた。富有柿一盛で500円(多分8個位ある。)

おばさんが指を指して「あの木から採って来た」と言っていた。

斑鳩の里には柿の木が本当に似合う。

このおばさんの家の隣りがコスモス畑。1月というのに秋の花

コスモスをアップして申し訳ありませんが、柿の木と同じ様に

コスモス畑は法起寺の風景の風物詩に成っているとか。

奈良は京都と比べるとずっと欧米人が少ない気がしたが、

ここ法隆寺で見たこの外人は映画俳優のようにカッコ良かった。

本当に外国人はサングラスがよく似合う。

奈良は修学旅行のメッカ。この時期は比較的少ない方だと思うが

それでも小学生、中学生が団体で来ていた。

この光景を見ると半世紀以上前の自分を思い出してしまう。

法隆寺境内で屋台を出していた店で目に付いたのでパチリ。

長寿の心得、人生は山坂多い旅の道。「気はながく、心はまるく、

腹を立てず、口をつつしめば命はながらえる。」

このフレーズはよく見かけるが、ここのは400円と安い。

奈良ホテル入口の前にある奈良最大級のお土産屋「なら和み館」

日本の心、「和み」の心のおもてなしで奈良の名産物、和雑貨など

「ならもの」を中心に約3000品目のお土産を取り揃えている。

大型駐車場、最大300名利用可能なレストラン、気楽なカフェも完備している。

売れ筋ベスト3 イ、食品 1位くず餅 2位焼ねぎ味噌 3位奈良和ラング

ロ、奈良漬 1位奈良漬みそ 2位奈良漬胡瓜 3位べっぴん奈良漬

ハ、雑貨 1位ふきん 2位はんから 3位新毛筆「古都」

二、地酒 1位春鹿超辛口 2位やたがらす 3位たる爺

奈良ホテルの所に植えられたユズリハ。ユズリハの名は

春に枝先に若葉が出た後、前年の葉がそれに譲る様に

落葉することから、その様子を親が子を育てて家が代々続いていくように

見立てて縁起物とされ、正月の飾りや庭木に使われる。

さいたま市立岸中学校の機関紙の名が「ゆずり葉」と

名付けられた由来が分かった様な気がした。

荒池から見た興福寺の五重塔。荒池の起源は定かではないが

1589年(天正17年)、大和大納言豊臣秀吉が命じて

築造されたと言われている。

近鉄奈良駅すぐにあるにぎやかなアーケード商店街東向商店街。

奈良のお土産が買えるし飲食店も多いのでぶらぶら歩くのに楽しい所だ。

このショッピングアーケードの中にあるお好み焼き、明石焼きの

お店「おかる」。実は約25年位前に学生時代の友人と

明石焼きを食べて、その味が忘れられなかったので、

まだあるか否か確かめたくて覗いてみた。

この様に昔と変わらずに営業していたのが、うれしかった。

奈良の大仏建立に尽力した行基の偉業を称え昭和45年に

近鉄奈良駅前の広場に建てられた行基像。

この広場は「行基広場」と呼ばれ、今も奈良の人達の

待ち合わせをする時の目印として親しまれている。

いわば渋谷駅の忠犬ハチ公像に似ている。

行基(668年~749年 81才)は奈良時代、寺と僧侶に

広く仏法の教えを説き、人々より崇敬された僧。

度々弾圧や禁圧を受けたが、その後大僧正(最高位である

大僧正の位は行基が日本で最初)になった。

東大寺の四聖の一人に数えられている。