スミダマンのほのぼの奮戦記

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奈良の旅(その1) 薬師寺

2018-01-13 06:46:17 | 旅 ~国内

法相宗大本山薬師寺は天武天皇により発願(680年)、

持統天皇によって本尊開眼(697年)、更に文武天皇の御代に至り、

飛鳥の地において堂宇の完成を見た。その後平城遷都(710年)に

伴い現在地に移されたものです。

当時は南都七大寺の1つとして、その大伽藍は我国随一の壮美を誇った。

すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、

なかでも裳階を施した金堂や塔のただずまいの美しさは

「龍宮造り」と呼ばれて、人々の目を奪った。

爾来1300年を経、この間、幾多の災害を受け特に享禄元年(1528年)の

兵火では、東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰した。

昭和42年高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願された。

失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし、お写経勧進によって

金堂西塔、中門、回廊、更には平成15年3月に大講堂が復興され、

白鳳伽藍の輪奐美として蘇った。平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されている。

1984年に再建された中門に安置されている像。おそらくこの像も

新しいものだろうが、色鮮やかで、何か強く訴えるものを感じる。

西塔は享禄元年に兵火で焼失し、昭和56年4月に453年ぶりに

創建当初の白鳳様式をもって復興された。華麗な西塔が長年の風雪に

耐えた東塔と並び立つさまは、大変印象的な光景といえる。

1976年に再建された金堂は薬師寺縁起によると、二重二閣、

五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階をつけた美しい堂で

龍宮造りと呼ばれている。薬師寺の白鳳伽藍は、金堂を初めとして

東塔の意匠ですべて統一されている。又、「堂内の荘厳は美をつくし

燈火が無くても金色に光り輝いた」と伝えられている。

この金堂に安置されている薬師寺の本尊、「薬師三尊(国宝白鳳時代)。

薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩、

あわせて薬師三尊という。薬師如来は、東方浄瑠璃浄土の教主で、

またの名を医王如来とも言う、私達の身と心の病気を救ってくれる仏様だ。

脇侍の日光・月光両菩薩は、動きのある美しい姿で、理想的な写実美を

完成した仏様と言われている。あたかも今造られたかのような美しい

姿は世界でも最高峰の仏像と仰がれている。そういえば中学校の

修学旅行の時、旧金堂のこの薬師三尊の説明をその当時管主になる前の

高田好胤からおもしろおかしく聞き、その姿に感動、感銘したのを

昨日の様に思い出した。又数年前東京国立博物館で日光月光菩薩が

大好きで見に行ったこともあったっけ。

薬師如来の台座(国宝)にはその当時の東西文化交流を知る上で

貴重なものが描かれており、奈良がシルクロードの終点であったと

言われる所以はここにある。即ち、ギリシャの葡萄唐草文様、

ペルシャの蓮華文様、インドから伝わったと言われている力神(蕃人)の裸像

中国の四方四神(東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武)の

彫刻など世界の文様が集約されている。

2003年に再建された大講堂。正面41M、奥行20M、高さ17Mあり

伽藍最大の建造物。講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で

これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためだ。

そういえば、さいたま市の合併が決まった頃、薬師寺に来て、

屋根瓦を寄付したことを思い出した。その瓦の裏にはまだ正式に

合併していないのに、住所を「さいたま市」と書いたっけ。

大講堂の本尊は弥勤三尊像(重文白鳳時代)後堂にはこの仏足石・

仏足跡歌碑(国宝・天平時代)が安置されている。仏足石は礼拝対象としての

仏陀(釈迦)の足跡を刻んだ石で、天平勝宝5年(753年)の作と知られている。

現在、寺に残る建築物のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの

「東塔」(国宝)は残念ながら解体修理中で全く見ることができない。

完成予定は平成32年6月頃。それまではアーネス・フェノロサが

「凍える音楽」と表現したとかしなかったとかいわれた美しい東塔の姿は

見ることができない。東塔は各層に裳階をつけているため六重に見えるが

三重の塔。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり

その中には、24体の飛天が透かし彫刻されている。

最近話題になったのが、昨年5月に落慶したこの食堂(じきどう)。

食堂は僧侶が斎食をするための建物で、約300人の僧侶が一同に会する規模だ。

堂内には田渕俊夫画伯により描かれた食堂御本尊

「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、全長約50メートルに渡る壁画

「仏教伝来の道と薬師寺」が奉納されている。残念ながら、堂内は

一切撮影禁止の為、ブログで紹介ができない。

玄奘三蔵院伽藍に向かっての道と三蔵院から白鳳伽藍を見た写真。

途中にはお写経道場がある。高田好胤管主により強く勧められた

お写経勧進。お経は一文字書写するごとに仏様を一躰刻むのと同じ

高徳があると言われている。自らの手に筆をとり、お経を書写する浄業によって

慈悲の心が育まれ、心の喜びとなるこの結縁を勧めている。

ご納経料 般若心経1巻2000円。

1991年(平成3年)に建てられた玄奘三蔵院伽藍大唐西城壁画殿。

中央の玄奘塔は、法相宗始祖・玄奘三蔵のご頂骨を真身舎利として

奉安し須弥壇には玄奘三蔵訳経像をお祀りしている。

大唐西城壁画殿は、平山郁夫画伯が30年の歳月をかけ完成させた

玄奘三蔵求法の精神を描いた壁画を絵身舎利としてお祀りしている。

薬師寺の大伽藍の一部には白鳳文化を感じさせる古い土塀がある。

戦前から約40年管主を務めた橋本凝胤以前の時代と

高田好胤管主以降4代の管主の時代については人様々な意見があり

賛否は分かれると思う。私は仏ごころが現代でも生き続けて、人々の

生きる力になる高田好胤の考えが好きだ。現在、副執事長を務めている

大谷徹奘さんとはもう長いご縁を頂いている。

私にとって薬師寺は特別なものを感じる寺である。