Sightsong

自縄自縛日記

崎山多美『月や、あらん』

2013-03-31 22:52:17 | 沖縄

崎山多美『月や、あらん』(なんよう文庫、2012年)を読む。

本書に収められている小説は、「月や、あらん」と、「水上揺籃」の2編。

「月や、あらん」では、沖縄の3人だけの出版社を牽引してきた女友達の編集者が、忽然とどこかへ去ってしまい、主人公はその謎の遺産をもとに苦悶、迷宮から逃れられなくなってしまう。その遺産とは、沖縄の地から、そして朝鮮出身の元従軍慰安婦から発せられる肉声であった。しかし、元従軍慰安婦の老婆は、狂人であった。

怨念のような老婆の声、女友達がテープに残した声は、虚実がないまぜとなり、ほとんど理解不可能。そのカオスの中で、主人公は、どうやら声なき声がうずまく彼岸とつながってしまったのだった。

この肉体性と感覚とを、過激に何か大きな塊へと練りこんでいく手腕。はじめて笙野頼子を読んだときの衝撃を思い出した。

「水上揺籃」は、かつて演劇の場に身を置いた女性が、そのときの恋人に呼び寄せられ、あるシマへと赴く物語。ここでも、声がキーとして扱われている。聞こえるはずが聞こえない声、得体が知れず聞こえる声。どこまでが白昼夢でどこまでが現実か、どこまでがリアルな感覚でどこまでがヴァーチャルな感覚か、やはり、カオスが訪れる。見事。


ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』

2013-03-31 20:35:15 | 中東・アフリカ

ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』(2011年)のDVDを入手した。

パナヒは、2010年、イランの現在のアフマディネジャド政権に拘束され、20年間映画を作ってはならないとの命令をくだされた。

インタビューを受けてはならない、映画をつくってはならない、脚本を書いてはならない。ならば、以前に書いた脚本を読み、演じるのならよいだろう?―――というわけで、軟禁されている自宅内で、映画のコンセプトを説明し、朝食を食べ、ペットのイグアナ(!)と遊び、携帯で食べ物の調達や自らの減刑に向けた働きかけなどの連絡を行ったり。

ときおり無力感や焦燥感をのぞかせるものの、パナヒは笑みさえも浮かべ、泰然としている。その挙句に、この「映画ではない」、ひきこもりの映画である。それはひたすらにユーモラスである。

パナヒ、恐るべし。わたしもくだらぬことで鬱々としている場合ではないね(関係ないが)。

映画のなかで、パナヒは、作ろうとしてイラン当局の許可が下りなかった映画のコンセプトについて語る。最初は、イラン・イラク戦争の最終日、故郷に帰る人びとを描く映画。次に、街の大学に行きたいのを阻止するために、若い女性が狭い部屋に拘束されるという映画。

パナヒは映画のことしか語らないが、2009年のイラン大統領選において、対抗馬のムサビ候補を応援した咎もあった(選挙自体は不正だったと評価されている)。その上にイランの現実を国内・国外に示す映画を作ろうとするパナヒは、アフマディネジャドにとって気に入らない存在であったのだろう。同様に、イランの映画作家バフマン・ゴバディも、イランに帰国できないでいる。

ところで、ヴィジェイ・アイヤー+マイク・ラッド『In What Language?』(PI Recordings、2003年)という、パナヒをめぐる事件を契機に吹き込まれたアルバムがある。

Vijay Iyer (p, key, electronics, all compositions)
Mike Ladd (voice, electronics, all lyrics)
Latasha N. Mevada Diggs (voice, electronics)
Allison Easter (voice)
Ajay Naidu (voice)
Ambrose Akinmusire (tp)
Rudresh Mahanthappa (as)
Dana Leong (cello, tb, flh)
Liberty Ellman (g)
Stephan Crump (b)
Trevor Holder (ds)

一言でいえば、ジャズ、ヒップホップ、ポエトリー・リーディングの融合セッションである。

「In What Language?」とは何か。ジャファール・パナヒは、2001年の春、香港の映画祭への出席後、ニューヨークのJFK国際空港でブエノスアイレス行きの便に乗り換えようとしていたところ、特段の理由なく拘束され、手錠をかけられ、香港に送り返された。パナヒは、乗客たちに、こう説明したかったのだという。「わたしは泥棒ではない!わたしは人殺しではない!・・・わたしはただのイラン人、映画作家だ。しかし、これを言うには、何語で?」

アフマディネジャド大統領が反米色を強硬に打ち出していることもあり、米国も、パナヒへの抑圧を政治利用している。あれず・ふぁくれじゃはにさんのブログによると、オバマ大統領は、2011年に、パナヒの名前も挙げてメッセージを世界に発信していた。しかし、ブッシュ政権とはいえ、「9・11」前の米国にしてこの有様だった。

もはや世界は点と点でもピラミッドでもありえない。このアルバムは、空港という多世界の結節点において、さまざまな声を噴き出させている。コルカタ。トリニダード。コートジボアール(象牙海岸)。ムンバイ。イエメン。世界銀行。シエラレオネ。歌詞カードを読んでも頭では理解できず、体感するほかない言葉の洪水が詰め込まれている。

ヴィジェイ・アイヤーの硬質なピアノは全体を効果的に引き締めており、リバティ・エルマンのギターは相変わらずスタイリッシュである。そして、ルドレシュ・マハンサッパのアルトサックスによるソロに耳を奪われる。マハンサッパはまだ40歳そこそこのプレイヤーで、イタリア生まれ、米国育ち。スティーヴ・コールマンを思わせることも多々ある。


『カーター大統領の“ソーラーパネル”を追って』 30年以上前の「選ばれなかった道」

2013-03-31 14:36:55 | 環境・自然

NHK「BS世界のドキュメンタリー」枠で放送された、『カーター大統領の“ソーラーパネル”を追って』(スイスAtelier Hemauer / Keller 制作、2011年)を観る。

ジミー・カーター米大統領(任期1977-81年)。1979年に、再生可能エネルギーの推進策を協力に打ち出す。その背景には、同年のイラン革命、第二次石油ショック、ソ連のアフガニスタン侵攻により、中東への石油依存を解消しなければならないという脅威があった。また、やはり1979年にはスリーマイル島事故が起こり、カーター政権は、なおさら、化石燃料依存を問題視した。

そのシンボルとして宣伝したのが、ホワイトハウスの屋根に取り付けた太陽熱温水器だった(もちろん、PVどころか、現在の太陽熱発電とは異なる、初歩的なエネルギー転換装置である)。度重なる国民への呼びかけにもよらず、その息苦しさが国民の人気を失うことになり、大量消費と発展を「強いアメリカ」の象徴として掲げるレーガンに大統領の座を明け渡すこととなった。まさに、原題にあるように、再生可能エネルギー推進は「選ばれなかった道」なのだった。

そして、太陽熱温水器は1986年に撤去され、メーン州の大学の倉庫にひっそりと保管された。番組は、それが、最終的に「選ばれなかった道」の象徴として、スミソニアン博物館に引き取られるところまでを追っている。

この悲劇について、ダニエル・ヤーギン『探求』(>> リンク)がシニカルに表現している。

「温かみのない口調、悲観主義、道義の悪化と犠牲を強調する言葉、恒常的な品不足の予想―――こうしたことが、非常に複雑な遺産を残した。数十年後、ホワイトハウスのとなりの旧大統領府ビルのなかを歩いていた上級エネルギー顧問が、つぶやいた。「この廊下は、いまだにジミー・カーターのカーディガンの亡霊が出没するんだ」」

なんだか、最近の民主党から自民党への政権再交代の悲劇をみるようだ。もちろん、今では、ミニ・レーガンなど登場すべきではない。そういえば、レーガンも「レーガノミクス」を標榜していた(奇妙に重なって見えてしまうのは嫌なことだ)。番組には、太陽熱温水器の新聞記事を書いた記者が登場し、やはりシニカルに言ってのける―――「モーゼの十戒には、11番目に、<アメリカ人は燃料を我慢せず使わなければならない>と書いてあったんだよ」と。

番組では、カーターが、その追い詰められたようなテレビ演説において、省エネ推進を訴えかけるため、「You know we can do it.」と表現している場面がある。そうか、オバマ大統領の「Yes, we can」は、後ろ向きから前向きへの戦略転換だったのか。

再生可能エネルギーに関しては、もちろん、状況が今と30年前とでは大きく異なる。ダニエル・ヤーギン『探求』では、1981年にエクソンが太陽熱ビジネスをコスト性の問題から売却し、他の大手企業も同調したことが書かれている。今は違う。

このようなドキュメンタリーを、スミソニアン博物館の収蔵同様に、「選ばれなかった道」の教訓を示すものとして、どこかで広く上映してほしい。

●参照
ダニエル・ヤーギン『探求』
小野善康『エネルギー転換の経済効果』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』