Sightsong

自縄自縛日記

井上剛『その街のこども 劇場版』

2013-03-24 23:14:48 | 関西

井上剛『その街のこども 劇場版』(2010年)を観る。

NHKで放送されたヴァージョンを再編集して劇場公開された作品。テレビドラマ版以来3年ぶりに観たわけだが、また沁み入るような気持ちにさせられてしまった。

1995年1月17日早朝、阪神・淡路大震災。そのときに小中学生だったふたりが、15年目のその日に、神戸で出逢う。異なる体験を抱えるふたりは、何故か、真夜中に神戸の街を延々と歩くことになる。

渡辺あやの練られた脚本が良いことに加えて、大友良英の音楽、まるでホームヴィデオのようにアンビエント性を摂り込んだ撮影、それに主演ふたりの演技(森山未來、佐藤江梨子)が出色。やっぱり名作ではないか。

阪神・淡路大震災から15年目、後で振り返ってみると、東日本大震災の1年前。映画では、15年間という時間により、実際に消えたもの、記憶のなかで薄くなったもの、別の形で熟したものが、提示されていた。

いまは、東日本大震災から丸3年。出鱈目な政策を見るにつけ怒りを覚える。まだ美しく包むべきではない。

●参照
テレビドラマ版『その街のこども』
テレビドラマ版『クライマーズ・ハイ』(井上剛演出)


ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』

2013-03-24 18:39:09 | ヨーロッパ

ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)を観る。

ミシェル・フーコーを中心としたチームによる事件の分析書(>> リンク)を、原作としている。

とは言え、フーコー作品の映画化と言うことはできない。フーコーらは、19世紀に起きた肉親殺人事件の歴史的な位置付けや、それを語る言説を分析したのであって、事件はフーコーが創作したものではない。

1835年、フランス北西部ノルマンディー。ここで、ピエール・リヴィエールは、自分の母親、妹、弟を鉈で惨殺した。愛する父親が、ずっと母親に酷い目にあわされ続けていたことに耐えかね、神のお告げだという正当化を付しての犯罪であった。妹は母に同調し、幼い弟はそのふたりを愛していたからだという理由で、殺害の対象になった。

映画は、その過程をじっくりと追う。いかに父親に正義があろうとも、社会も権力も無理解、あるいは無力であった。そして、捕えられたピエールについて、昔から残虐だった、対人恐怖を持っていた、狂っていた、という証言が、村人たちからなされた。

フーコーの分析は、まさにその語られ方を相対的なものとして見たものだった。従って、ピエールの犯罪についての物語形成過程や、そこにおける権力行使のあり方を、映画がいかに示そうとも、それは言説のパラレルワールドのひとつに過ぎない。要は、単なる殺人事件の映画だということだ。ピエールが無教育だったにも関わらず、また、まともでないという裁判物語の中にはめこまれたにも関わらず、長文のロジカルな供述書を綴ったという異常さも、さして触れられることはない。フランスの閉鎖的で歪んだ田舎街の雰囲気は示されているものの、これではとても傑作とは言い難い。

この映画の俳優は、ほとんどがロケ地の農村の村人(素人)であったという。30年後、映画の助監督をつとめたニコラ・フィリベールが、その村を再訪し、映画に出演した人びとのその後を撮った『かつて、ノルマンディーで』という映画がある。まだ観ていないが、そちらの方にこそ興味がある。

●参照
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』


セシル・テイラー初期作品群

2013-03-24 11:57:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

セシル・テイラーによる1950年代後半から60年代初頭までの作品群が、『Seven Classic Albums』(Real Gone Jazz)という4枚組CDとしてまとめられている。7枚分のアルバムが収録されて12ドルとは強烈に安い。

聴いたことがあるものもそうでないものもあるが、こうして順番に聴くことができることは嬉しい。

『Jazz Advance』(1956年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)
Steve Lacy (ss)

『At Newport』(1958年)
Cecil Taylor (p)
Steve Lacy (ss)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)

『Looking Ahead』(1959年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)
Earl Griffith (vib)

『Stereo Drive (Hard Driving Jazz)』(1959年)
Cecil Taylor (p)
Kenny Dorham (tp)
John Coltrane (ts)
Chuck Israels (b)
Louis Hayes (ds)

『Love for Sale』(1959年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)
Bill Barron (ts)
Ted Curson (tp)

『The World of Cecil Taylor』(1960年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Denis Charles (ds)
Archie Shepp (ts)

『New York City R&B (With Buell Neidlinger)』(1961年)
Cecil Taylor (p)
Buell Neidlinger (b)
Archie Shepp (ts)
Clark Terry (tp)
Steve Lacy (ss)
Roswell Rudd (tb)
Charles Davies (bs)
Denis Charles (ds)
Billy Higgins (ds)

Bonus Tracks
Gil Evans『Into the Hot』(1962年)
Cecil Taylor (p)
Jimmy Lyons (as)
Archie Shepp (ts)
Henry Grimes (b)
Sunny Murray (ds)
Ted Curson (tp)
Roswell Rudd (tb)

『Jazz Advance』(1956年)、『At Newport』(1958年)、『Looking Ahead』(1959年)、『Love for Sale』(1959年)の50年代後半の作品群は、同じメンバーでのピアノトリオに、曲によって管やヴァイブが参加する編成である。あらためて意外に思えることは、以前は随分過激に感じたテイラーのピアノが、まだまだモダンジャズのバウンダリー内にあったということだ。しかし、スティーヴ・レイシーは、既にその音色や節回しにおいて自分の個性を確立しているように感じる。

その流れのなかにあって、『Stereo Drive (Hard Driving Jazz)』(1959年)だけは異色のメンバー構成(ヴァージョンによってアルバムのタイトルが異なった)。何しろ、ジョン・コルトレーンケニー・ドーハムをフロントに据えている。これが面白いかというとそうでもない。個人的にコルトレーンのサックスが好きでないこともあるが、まだテイラー前史であり、異種格闘技のような緊張感は生まれていないのである。

ところが、『The World of Cecil Taylor』(1960年)になると、明らかに潮目が変わる。見掛け上は、単に、若きアーチー・シェップが参加するだけのことである。シェップの野獣性のようなものが、化学反応を起こしたのだろうか。テイラーのピアノは、独自の繰り返しと発散を行う。

『New York City R&B (With Buell Neidlinger)』(1961年)は、大編成であること以上に何ということもないセッションだが、もはや、こちらの耳は、テイラーと、シェップと、レイシーを聴きだすことに悦びを覚えている。「昔はよかったね」の演奏がミスマッチで笑える。

そして、ギル・エヴァンスがアルバム半分だけ名義貸しをした『Into the Hot』(1962年)では、シェップに加え、ジミー・ライオンズが参加する。そうか、後年の傑作群におけるテイラー音楽のにおいは、ジミー・ライオンズのアルトサックスによるものでもあったのか。

●参照
ドミニク・デュヴァル+セシル・テイラー『The Last Dance』(2003年)
セシル・テイラー『The Tree of Life』(1991年)
セシル・テイラー『In Florescence』(1989年)
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年)
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)(1981年)
セシル・テイラー『Dark to Themselves』(1976年)、『Aの第2幕』(1969年)


石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集

2013-03-24 00:05:00 | スポーツ

第3回のWBCでは、日本は準決勝でプエルトリコに敗れ、そのプエルトリコを圧倒したドミニカが優勝した。

前回同様に、面白く、興奮させられた大会だった。ちょっとした驚きは、オランダ代表チームの主力が、カリブ海のオランダ領キュラソー島出身のバレンティン(スワローズ)やアンドリュー・ジョーンズ(今年からゴールデンイーグルス)であったことだ。つまり、強豪チームは、米国や日本・台湾・韓国(早々に敗退はしたが)などを除けば、ラティーノのチームなのだった。かつて世界一の称号を欲しいままにしたキューバに2回も土をつけたオランダは、欧州のチームであるというには無理がある。

以前から「やる気」を問われている米国は、今回も途中で姿を消した。ひょっとすると、MLBは間違いなく「世界最高の野球リーグ」ではあっても、もはや、それに対する貢献は米国人が中心だとは言いきれなくなっているのかもしれない。何しろ、WBCのMVPは、ヤンキースの4番を張るドミニカ人・カノーである。 

石原豊一『ベースボール労働移民 メジャーリーグから「野球不毛の地」まで』(河出ブックス、2013年)を読むと、時代は確実に変わっているのだという思いを強くする。

独自進化を遂げたキューバは別として、このルポと分析を通じて明らかに見えてくるものは、野球という装置による<帝国>の世界的ネットワークが着実に構築されてきていることだ。ドミニカも、プエルトリコも、はたまたコロンビアやパナマも、自国内で完結する野球産業はもはや持ちえず、MLBへの<労働力貯水池>として、MLBに包摂されている。メキシコリーグは独自性を持つという意味で少し異なるものの、もとよりMLBの一部と化している。それらの間では、競技レベルの差による労働移民の越境がなされているのである。

著者によれば、アジアの野球も、その構造に組み込まれてしまっている。明らかに、日本のNPBを頂点とするピラミッド構造があり、それはさらにMLBのピラミッドとリンクしているというわけだ。ひとつの曲がり角は、野茂英雄が海を渡った1995年だった。勿論、先にカリブ海地域がMLBのピラミッドにビルトインされたのは、そこが米国の政治的な裏庭だったからである。そして、最近では、中国にも、米国によって野球装置が据え付けられつつあるという。

成程ね、と、複雑なダイナミクスを垣間見たような気にさせられる。少なくとも、WBCで米国が敗れ、MLBを支えているドミニカや日本がナショナリズムを高揚させることは、MLBという資本システムにとって、悪い話ではないわけである。

ところで、『Number』誌(文藝春秋)のWBC特集号が発売されたので、いそいそと買って読んだ。

何だか、また、台湾戦での井端のヒットやオランダ戦での打線爆発など、興奮が蘇ってきてしまう。やはり采配批判がなされているが、4強となって日本野球の存在感を示すことができたのだから、良しとすべきである。

次はまた4年後か・・・。

●参照
WBCの不在に気付く来年の春
平出隆『ベースボールの詩学』、愛甲猛『球界の野良犬』(米国の野球ルーツ捏造)
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』(かつての移民による野球)
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集(事前のメンバー予想との違いが面白い) 
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集
『Number』の「決選秘話。」特集
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』
『Number』の野茂特集