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自縄自縛日記

細田衛士『グッズとバッズの経済学』

2013-03-07 07:32:00 | 環境・自然

細田衛士『グッズとバッズの経済学 循環型社会の基本原理(第2版)』(東洋経済新報社、2012年)を読む。

初版は1999年に出版された。その頃、わたしも廃棄物・リサイクルの調査研究にも足を突っ込んでいたこともあり、興味深く読んだ本である。

当時は、容器包装リサイクル法、家電リサイクル法、食品リサイクル法、建設リサイクル法、自動車リサイクル法という個別製品のリサイクルに関する法制度が整備されていた時期であり、それが現実にどのように適合していくのかというプロセスも、その限界も見ることができ、新鮮でもあった。OECDによるEPR(拡大生産者責任)という概念も、受容されてきていた。(ところで、パリのOECDにおけるEPRの会議に黒子として参加した。そのときの厚生省の担当者が、その後、もろもろの経緯があり、瀬戸内の島の町長になっていることを知り、驚いた。)

本書は、その後12年間の変化を踏まえ、改訂されたものである。改めて読んでも、非常に具体的な事例をもとに解説しており、良書である。

グッズとは従来概念の経済取引でプラスの価値が付けられるモノ、バッズとはマイナスの価値(逆有償)となるもの。古紙のように需給の関係でグッズからバッズに移行するモノもあれば、その逆もありうる。

従って、著者は、経済学の中にもマイナス値のバッズを取り入れるべきだとする。また、グッズとは異なるメカニズムで動くバッズフローを制御するためには、そのためのコストを、グッズフローの中に内部化しなければならないと繰り返し説く。そして、コストを内部化しても、バッズフローを完全に市場に任せてはならず、政府や製造者(技術を持つ者)による全体と個別の制御が必要不可欠とする。

至極真っ当な主張である。しかし、それを現実化することはまた別問題である。

また、特にバッズに関して、情報が共有されず、また制約がないため市場メカニズムが機能せず、折角の技術が「顕在技術」とならず、「潜在技術」にとどまることが多いのだとする議論も、興味深いものだった。

いわゆる廃棄物だけではなく、バッズには、例えば大気に排出されるガスも含まれる。視野を広くすれば、現在の環境政策に関するさまざまな言説に、強弁や的外れなものが多く見られることがよくわかる。