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Sightsong

自縄自縛日記

2015年9月、ニューヨーク(1) メトロ

2015-10-04 10:40:09 | 北米

ようやくNYのメトロにも慣れてきたが、まだ解りにくいことが少なくない。

深夜、路線図を片手にホームで悩んでいたら、親切な男が教えてくれた。スリランカからひとりで来てレストランで働き、家族に仕送りをしているということだった。レストランの値段を訊いてみると、目が飛び出るくらい高かった。

すべて、Leica M4、Summicron 50mmF2、Fuji 400H

●参照
2015年4月、ニューヨーク
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー


グザヴィエ・ドラン『Mommy/マミー』

2015-10-02 00:42:15 | 北米

機内で、グザヴィエ・ドラン『Mommy/マミー』(2015年)を観ることができた。

多動障害の息子を抱えるシングルマザー。周囲には冷ややかな目で見られ、経済的に困窮し、さらに暴れる息子の世話をするうちに、精神的に追い詰められていく。

これは「感動作」などではない。むしろ、共感が難しいかもしれない者たちを描いている。しかし、これを観る者は、かれらが自分自身でありうることを、薄々と、あるいは明らかに意識せざるを得ない。映画はスクエアフォーマットで撮られており、それは息子の視野の狭さや登場人物たちにとっての隘路を象徴しているように思える。そして、それは誰の視野でもある。

「他者に依存せず生き延びること」が、観る者の背中に重くのしかかる。


続・ニューヨークのハンバーガーと麺

2015-10-01 23:44:08 | 北米

NYは物価も高いしあまり落ち着いて食べようという気にもならないのだが、それでも腹は減る。

■ Bareburger

サックス奏者の吉田野乃子さんが教えてくれたハンバーガー店。肉とかチーズとかいろいろ選ぶことができるようなのだが、初心者はとりあえず「Supreme」というものを注文。出てきたものは背が高く、しかも上にオニオンリング(笑)。しかし旨く、ペロッといけた。吉田さんが注文したものは高菜おにぎりに見えた。

NYに何店舗かあり、最近では自由が丘にも出店した模様。

■ Whitmans

イーストヴィレッジのTompkins Square Park近くにある小さな店。前に食べた旨さが忘れられずまた足を運んでしまった。

目当ては「East Villi Cheese Steak」。たくさんの牛肉と玉ねぎが炒められ(微妙に焦げている)、さらにたくさんのチーズが混ぜてある。絶品。次にNYに上陸することがあってもまた吸い込まれるに違いない。

■ Sobakoh

これもイーストヴィレッジにあって、Bareburgerを食べたばかりなのに、吉田さんにもりそばをご馳走になった。これが爽やかでとても旨い。天丼も旨い。そして特筆すべきは蕎麦のアイス。店頭では気持ちのいい御主人がそばを打っている。せっかくなので、翌日、ジャズ評論のシスコ・ブラッドリーさんを誘ってまた来てしまった。

なんでも某アヴァンギャルドサックス奏者や某世界的ピアニストや某ベッドインアーティストも大のお気に入りのお店のようである。

■ Taiwan Pork Chop House(武昌好味道)

チャイナタウンで路地に入ると、そこがアメリカだということを忘れてしまう。空腹に耐えられず入り、「Excellent Pork Chop」を注文したところが高菜だけが載った麺が出てきて、どういうことかと怪しんでいたら、ほどなくして別皿で立派な豚肉。やはりわれわれは麺人類なのでこういうものを食べなければならぬ。

そんなわけで、熟成肉のステーキをいつになったら食べるのやら。

iphone 5c

●参照
ニューヨークの麺
ニューヨークのハンバーガー、とか


チェルシーのギャラリー村再訪

2015-10-01 07:27:27 | 北米

マンハッタンのチェルシー。今や最先端とばかりは言えないのだろうが、やはり歩くと愉しい。

◆Anton Kern Gallery

マーク・グロッチャン(Mark Grotjahn)の「Painted Sculpture」を展示している。何というか、身体的に痛くなってくる。

ところで、調べてみると、グロッチャンにはこのような村上隆との共作もある(笑)。

◆David Zwirner

ダン・フレイヴィン(Dan Flavin)の「Corners, Barriers and Corridors」を展示している。The Stoneで逢ったデザイナー氏が熱烈に推薦していたものだ。角と隅がぴしりと揃わないと我慢できない潔癖症アート。

同じギャラリーの2階では、ゴードン・マッタ・クラーク(Gordon Matta-Clark)の「Energy & Abstraction」。震える手でみみっちく描かれたエネルギー地図である。

◆josee bienvenu gallery

以前に照屋勇賢の個展を観たギャラリーであり、また覗いてみると、マルコ・マギー(Marco Maggi)の妙な作品が壁にへばりついていた。上のゴードン・マッタ・クラークと同様に、震える弱い人間の世界地図である。凝視すると未来都市のようにも見えてくる。

◆Yossi Milo Gallery

DMをもらって楽しみにしていた展示。マーカス・ブルネッティ(Marcus Brunetti)の「FACADES」は、そのタイトル通り、ヨーロッパにある数々のドゥオーモの正面を大きな写真作品としている。どんなに目を凝らしてみても精細な描写をしてあり、これは肉眼で視る世界とは明らかに異なる。ちょっと気持ちが悪い。ギャラリーの方に訊いてみると、デジタル一眼レフで個々の箇所を精密に撮り、組み合わせたもののようだ。


(部分)

●参照
チェルシーのギャラリー村(2014年7月)
照屋勇賢@josee bienvenu gallery
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー


ハーレム・スタジオ美術館再訪

2015-09-30 23:23:58 | 北米

NYのハーレム・スタジオ美術館を再訪した。コンセプトを定め、しっかりした展示を行っているという印象をまた抱く。

◆スタンリー・ホイットニー「Dance of Orange」

スタンリー・ホイットニーは、「Dance of Orange」というシリーズにおいて、矩形と線により構成された抽象画を展開している。一見似ているようでいてそれぞれ異なり、そこにはダンスとリズムがあるようだ。

面白いことに、ジェームス・ブラウン、ティナ・ターナーなどの歌手をモチーフにした作品がいくつもある。下の作品は、ニーナ・シモンの歌にインスパイアされた「My Name Is Peaches」。

◆ロレイン・オグラディ「Art Is...」

ハーレムにおける「アフリカン・アメリカン・デイ」のとき、ローレン・オグラディは大きな額縁を用意し、街の人々にフレーム内の自分を表現してもらうことを行った。これはつまり、アートを特権階級から取り戻すのと同時に、匿名性・無名性・マスという暴力によりサバルタンと化してしまうことから個別性と名前を取り戻し、異議申し立てをしていることにもなるのだと思った。これは日本の運動においても面白い試みになりうるのではないか。

(なお、この作品群は、MOMA PS1で行われた「ゼロ・トレランス」展でも展示されていた。)

◆ローレン・ハルシーのインスタレーション

ローレン・ハルシーは大がかりなインスタレーションを展示している。マルコムXやキング牧師(ちょうどこの近くに、ふたりの名前を冠した通りがある)が掘られた石板や、ピンク色のごつごつした岩を見ながら歩き進んでいくと、キッチュなジオラマがある。ハーレムに住む者としてのプライドと、強烈なルーツ=アフリカ回帰を示した作品だということができるのだろうか。

●参照
ハーレム・スタジオ美術館(2014年6月)
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
ジーン・バック『A Great Day in Harlem』
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(ロレイン・オグラディ)
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(ハーレムで活動するトイン・オドゥトラ)


ホイットニー美術館の「America is Hard to See」展

2015-09-29 23:19:33 | 北米

NYのホイットニー美術館が、今年(2015年)になって移転・再オープンした。設計はレンゾ・ピアノである。

移転前も新設工事中も観ていたこともあり、楽しみにしていた。メーリングリストにて送られてくるニュースによれば、8月にマタナ・ロバーツ、9月の頭には小杉武久が演奏しており、近くにあったならどんなにいいだろうかと思った。


今回(2015年9月)


移転前(2014年6月)

このタイミングで開催されていた展覧会は「America is Hard to See」展。社会的にも、政治的にも、人種的にも、そして文化的にも、とてもひとつに括ってとらえることができない「アメリカ」をターゲットにしたものとして、とても興味深い。

いくつか印象的な作品。

ロメア・ビアーデンの「Eastern Barn」。デューク・エリントン『Live at the Whitney』のジャケットに採用された絵である。

言うまでもなくアメリカは移民の国である。これは、オスマン帝国政府によるアルメニア人大虐殺(1915年)によって母親を失ったアーシル・ゴーキーによる作品であり、両親の肖像写真をもとに描かれている。

ベン・シャーンはリトアニアでユダヤ人として生まれ、20世紀初頭にアメリカに移住した。この作品は、1920年にアメリカで死刑に処せられたイタリア人移民をモチーフにしている。かれらはアナーキストではあったが、犯罪自体は冤罪であったとされる。シャーンならではの作品か。

こんなものがあったのか、エドワード・ホッパーによる名作「Nighthawks」の習作。

抽象表現主義のバーネット・ニューマンフランツ・クラインマーク・ロスコの作品が並んでいるのは壮観。そしてニューマンはロシア系移民の子、ロスコはラトビアからの移民。

ジェフ・クーンズナムジュン・パイクという消費社会時代の美術家を同時に観ることができるのも、アメリカならではだ。

2001年の「9・11」後、アメリカ社会はさまざまな方向に変質し、アーティストも突き動かした。ポーランド出身のアレクサンドラ・ミアは、2007年、マンハッタンのギャラリーをプレスルームのように偽装し、「9・11」前のタブロイド紙などをモチーフにした作品を作り出した。

●参照
ホイットニー美術館のジェフ・クーンズ回顧展


ジョイス・キャロル・オーツ『エデン郡物語』

2015-09-21 20:24:22 | 北米

ジョイス・キャロル・オーツ『エデン郡物語』(文化書房博文社、原著1966-72年)を読む。

本書は、ジョイス・キャロル・オーツの初期短編集3冊から、「エデン郡」という架空の地を舞台にした短編小説8作品を集めたものである。

オーツは「北部のフォークナー」と称されることがあったという。確かに、黒人という存在が白人の心にもたらす裂け目や理不尽な運命といった面においてわからなくもない。しかし、フォークナーよりもオーツのほうが遥かに陰湿で、粘着質で、悪意に満ちている。しかも、もう70代後半になるというのに、いまだに、後味の悪い作品を次々に書き続けている。2013年の『Daddy Love』なんて、偏執狂の聖職者が子供をさらい、箱に閉じ込め、精神的に支配するという話である。何のために読んだのかわからない。

この初期の作品も、とても嫌な感覚にまみれている。悪意しか持たない世界が、弱い人間に対し、取り返しのつかない歪みを与える物語ばかりだ。登場人物が正気を保っているのかどうかわからないことも怖い。読者たる自分も、そして誰もが、その狂気と無縁でないと思えてしまうことはもっと怖い。

万年ノーベル文学賞候補のオーツだが、仮に受賞したら、どのように扱われるのか楽しみでならない。

●参照
ジョイス・キャロル・オーツ『Daddy Love』(2013年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』(2013年)
林壮一『マイノリティーの拳』、ジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』(1987年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Solstice』(1985年)


マーク・トウェイン『バーレスク風自叙伝』、『ジム・スマイリーの飛び蛙』

2015-09-13 22:02:15 | 北米

マーク・トウェインの短編集を2冊読む。『バーレスク風自叙伝』(旺文社文庫、原著1871-1898年)と、『ジム・スマイリーの飛び蛙』(新潮文庫、原著1862-1898年)。どれも法螺話や与太話の類だが、これが矢鱈と愉快で、とても百年以上前に書かれたものとは思えない。トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンの語り部のイメージだけでとらえていては、この作家の魅力を十分に味わうことができないのだということが、よくわかった。

前者所収の「西部の無法者 ジャック・スレイド」は、凶悪でありながら人間関係の手管を駆使して権力者となった男を描いている。おとぎ話のようでありながら、突き放して笑い飛ばすユーモアがあって、西部劇はこれでなければなと思った次第。だから、クリント・イーストウッド『許されざる者』は根本的に駄作なのだ。

後者所収の「風邪を治すには」や「経済学」は思わず声を出して笑ってしまうほどの騙りの技。「失敗に終わった行軍の個人史」は、南北戦争においてひたすらにミジメな目にあった若者たちの物語。アメリカではベトナム戦争時にも再度読まれたという。今また、戦争のリアル(システムではなく、精神の)を味わうに最適な短編ではないか。

そして「How to Tell a Story」は、前者では「秘伝 上手な話し方のコツ」と、後者では「物語の語り方」という邦題で翻訳されている。大久保博、柴田元幸ともに名翻訳家ではあるが、個人的には、文章がやわらかい柴田訳。いずれにしても、実際に人前で話すコツは得られないのだが。

●参照
マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』


エドガー・アラン・ポー短編集(2) SF&ファンタジー編

2015-09-06 20:36:41 | 北米

巽孝之の新訳によるエドガー・アラン・ポーの第3巻が、新潮文庫から出ている。なんと意表をつく「SF&ファンタジー編」。

とは言っても、ポーの作品にはもとより不思議感が満ちている。ここに収録された作品群も、そこまで異色なものとも思えない。

まわりくどく衒学的な語り口は得意ではないが、いずれも短く、宝石の原石のようなものだ。なかでも「大渦巻の落下」には魅せられた。漁師が、人の想像を遥かに超えた渦巻に巻き込まれるが、中は荒れ狂う外側とは打って変わって静謐な世界であり、しかも、物理学的な法則が支配しているような空間。たとえば、偉大な存在との邂逅を描いた映画『コンタクト』だって、ブラックホール内の時空間を描いた映画『インターステラー』だって、これを源流としていると言ってもいいのではないか。

「灯台」は、ポーの遺作であり、息を呑むような導入部のみが書かれている。解説によれば、ジョイス・キャロル・オーツも、この短編を発展させて「死後のポーまたは灯台」という作品を書いているという(読みたい!)。

前の2冊と同様に翻訳が味わい深く、「じわじわくる」作品群。

●参照
エドガー・アラン・ポー短編集 ゴシック編・ミステリ編


ジョイス・キャロル・オーツ『Solstice』

2015-09-06 15:16:49 | 北米

ジョイス・キャロル・オーツ『Solstice』(Dutton、1985年)を読む。4つの章からなる、離婚した女同士の物語である。NYのStrand Booksで、7.5ドルで買った。

「The Scar」。ペンシルベニア州の郊外に越してきたモニカは、ひとまわり上の画家シェイラと仲良くなる。ふたりともアンドリュー・ワイエスの絵を実体化したような原野の一軒家に住んでいた。シェイラは相当な変わり者で、無礼としか思えない態度でモニカの過去に踏み込んでくる。そして閾値を超えると、モニカの過去の悲しみが迸り出るのだった。感情の封印を、モニカの顔に付いた傷跡(scar)によってほのめかしてゆく表現が見事。

「The Mirror-Ghoul」。離婚した夫が私立探偵を雇って自分を探りまわっているらしいと知り怯えるモニカ。そんな時に、シェイラはモニカを誘う。お互いにわかっていながら偽名を名乗り、バーで知らない男たちと積極的に遊ぶヘンな遊びに興じる遊びだった。もはや、モニカが精神的に依存する存在はシェイラだった。しかし、シェイラは姿をくらまし、モニカの懇願に気付きながらも去っていく(実はモロッコに旅立っていたことがわかる)。モニカは復讐を誓う。

「"Holiday"」。シェイラがいない喪失感。唐突に帰ってくるシェイラ。もうモニカの感情は元通りではない。

「The Labyrinth」。シェイラはやはり唐突に、着飾ってのホームパーティーを開く。モニカの精神は高揚と落胆との連続によって痛めつけられ、体調を崩し、げっそりとやせ細ってゆく。

最近の作品にもみられるように、オーツは心の痛いところ、触ってほしくないところを、容赦なく、しかも執拗に突き続ける。文章の塊は次第に短く細切れになってゆき、地獄への加速感がすさまじい。モニカが救急車で運ばれる間、シェイラはこともあろうに、次のようにモニカに囁くのだ。「"--- we'll be friends for a long, long time," she says, "---unless one of us dies."」 相互の管理下という無間地獄に陥ったふたりの女の物語である。

●参照
ジョイス・キャロル・オーツ『Daddy Love』(2013年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』(2013年)
林壮一『マイノリティーの拳』、ジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』(1987年)


四方田犬彦『ニューヨークより不思議』

2015-08-01 08:29:19 | 北米

四方田犬彦『ニューヨークより不思議』(河出文庫、1987、2015年)を読む。

Stranger than New York なものは Strangers in New York。かつては「人種の坩堝」などと表現された地だが、実際のところ、それは決してメルティング・ポットなどではない。世界のあちこちから集まった者たちはニューヨークという物語に回収されることはないのだということが、このエッセイを読んでいると実感できる。スノッブ先生によるスノビズムが溢れた記録、とても面白い。

著者は1987年と今年の2005年にニューヨークに滞在し、流れてくる文化を単に受容するのではなく、探索と交遊によって新たな視点を獲得した。その対象は、韓国や台湾や中国や日本から来た、あるいは、キューバから亡命してきたアーティストたちであった。名を残した人もそうでない人もいる。オーネット・コールマン、ドン・チェリー、ラシッド・アリのようなジャズのアイコンたちも登場する。

今年、グッゲンハイム美術館では河原温の大規模な回顧展が開かれた。わたしはこのコンセプチュアル・アートの大家について過去の人だとしか思われず足も運ばなかったのだが、ここに書いてある河原温のどうしようもない過激さを読んでいると、そんな表層的な判断をしていないで、かれの生涯をかけた執念を多少なりとも受け止めに行くべきであったかと反省する。すべてのstranger はstrange なものなのだ。

マンハッタンは不思議な街である。基本的に丁目 street と番街 avenue とによって整然と分割され、まず道に迷うことはない(エドガー・アラン・ポーが住んだ家を訪ねて200丁目を超えると、空気の薄さに眩暈がするのではないかと思ったとするくだりには笑った)。だが、後からやってきた者たちによるそのような隠蔽は、いまだ、綻びを残している。碁盤目のなかで奇妙に通りが交錯するアスター・プレイスは異なる先住民どうしが交流する場であり、碁盤目を斜めに突っ切るブロードウェイは先住民の道路であった。ブロードウェイの南端かつマンハッタン島の南端にある公園ボウリング・グリーンに面して、国立アメリカ・インディアン博物館が建てられたのも偶然ではないのだろう。

●参照
四方田犬彦『マルクスの三つの顔』
四方田犬彦・晏[女尼]編『ポスト満洲映画論』
四方田犬彦『ソウルの風景』
四方田犬彦『星とともに走る』
亀井俊介『ニューヨーク』
上岡伸雄『ニューヨークを読む』
千住博、野地秩嘉『ニューヨーク美術案内』
鎌田遵『ネイティブ・アメリカン』
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー
チャーリー・パーカーが住んだ家
アンディ・ウォーホルのファクトリー跡
2015年4月、ニューヨーク
「ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記」 
ニューヨークの麺
ニューヨークのハンバーガー、とか


2015年4月、ニューヨーク

2015-04-12 23:32:02 | 北米

すべて、ライカM4、Summicron 50mmF2.0、Fuji 400H

●参照
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー


ニューヨークの麺

2015-04-06 05:30:35 | 北米

ニューヨークに到着したら雪が降っていた。想定外に寒かった。もっとも冬の寒さはこんなものではなかったようだが。

もう、ラーメン屋を探すしかないのだ。と一度決めたら、麺ばっかり。やはり『美味しんぼ』での栗田さんの説のように、アジア人は本能的に麺に向かう。

■ 一風堂

最近アメリカ進出が大きな話題になっている。日本だけの話かと思ったら寒空の下この行列。東京で何度も食べたので入らないが、味は同じなのかな。

 

■  Nam Son (ベトナム料理)

もう寒くて寒くて汁麺ならばと思い、チャイナタウンのベトナム料理屋に入った。

普通のフォー・ボー。ハノイで食べるより牛肉の量が多い。旨かったがライヴに遅れそうになった。

■ Wok 88(アジア料理、アッパーイースト)

Udonという名の焼うどん。ちょっと油っぽかったが懐かしい感じの味。

そういえば、汁もののうどん屋はあるのかな。剛腕投手の伊良部がアメリカのどこかで経営していたのは、うどん屋ではなかったか。

■ Naruto Ramen(アッパーイースト)

前を通りがかるたびに人が順番待ちをしていた。

黄色くコシのある麺に鶏ガラのスープ(みんなチキンブロスと呼ぶ)。普通に旨い日本のラーメンである。半熟卵にもう少し熟練が欲しいが、それは望みすぎか。チャーシューが厚い。

つい餃子まで付けてしまった。向こう側でタレを入れてくれるので、待っている間に、自分で醤油と酢とラー油をブレンドする楽しみはない。

店員はアラーム付きできびきびと麺をゆでたり餃子を焼いたりしている。

 

■ Yasha Ramen(アッパーウェスト)

デューク・エリントン通りの近くにある。豚骨味(ポークブロス)、頼むとすぐに出てきた。細麺が柔らかいのはこちらの嗜好に合わせているのだろうか。今後は「バリカタ」とか流行ったりして。

■ Dassara Ramen(ブルックリン)

カタカナで「ダツサラ」とか書かれている。脱サラした方が始めたのかどうか不明だが、ちょっと独創的だった。

「デリラーメン」なるものを注文すると、チキンブロス(ブロスと書くと昔スワローズにいた投手を思い出してしまう)のスープに、セロリ、グリルした牛肉、さらにマッシュポテトの団子(これは合わないと思う)。麺が柔らかすぎたが好みによるだろう。やはり課題は半熟卵の作り方か。今後ニューヨークに進出するラーメン店は、バッチリした半熟卵を供すると差別化できるに違いない。

大相撲湯呑で水を飲んでいると不思議な気分。

■ Meijin Ramen(アッパーイースト)

牛骨スープ(ビーフブロス)の麺を注文したところ、予想以上にテイストが牛牛していた。ついでにミニカレーを付けた。

せっかく旨いのに、入りにくい雰囲気のせいか客が少なかった。

■ Ivan Ramen(ロウワーイースト)

あの有名店アイバンラーメンである(日本で食べたことがないので違いがわからない)。完全にバーの作りで、奥に個室まであり、みんな酒を飲んでいる。夜中にラーメンだけ食べるのは申し訳ない感じ。

塩ラーメンを食べた。チキンブロスと魚介系のダブルスープで、わたし的には嬉しい。もう少し熱ければよかった。やはり半熟卵が(以下略)。

■ Gong(タイ料理)(アッパーイースト)

こじゃれたタイ料理屋。タイであろうとどこであろうと、わたしはいつもパッタイを食べる。タイ料理であれば必ずあり、まずい味にはなりようがないからだ。当然、予想通り旨かった。

■ Momofuku Ramen(イーストヴィレッジ)

やややわらかめの麺に、ほぐしチャーシューに、角煮。近所にあったらしょっちゅう通う味だろうね。やはり順番待ちが多かった。温泉卵がユニークだがやはり半熟卵のほうが(以下略)。

■ Ramen-ya(グリニッジヴィレッジ)

グレッグ・ハッチンソンのライヴがソールドアウトで入れず、ふて腐れてラーメン。去年もここにあったっけ?

すべて豚骨ベースの塩や醤油や味噌(と、日本人の店員さんが教えてくれた)。この界隈のライヴハウスに行くときにはぜひ。

●参照
ニューヨークのハンバーガー、とか
ラーメンは国境を超える(笑)
旨い札幌(2)(すみれ)
「らーめん西や」とレニー・ニーハウス
今田敬一の眼(五丈原)
北海道版画協会「版・継承と刷新」、杉山留美子(えぞっ子、雪あかり)
「屯ちん」のラーメンとカップ麺
「東京の沖縄料理店」と蒲田の「和鉄」
海原修平写真展『新博物図鑑』(凪)
海原修平写真展『遠い記憶 上海』(凪)
「ますたに」のラーメンとカップ麺
博多の「濃麻呂」と、「一風堂」のカップ麺
恵比寿の「香月」
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(ひごもんず)
18年ぶりくらいの「荻窪の味 三ちゃん」
沖縄そば(2)
沖縄そばのラーメン化
伊丹十三『タンポポ』、ロバート・アラン・アッカーマン『ラーメンガール』
旨いジャカルタ その4(カレーラーメン)
旨いハノイ(「フォー24」)
ミャンマーの麺
韓国冷麺
上海の麺と小籠包(とリニア)
北京の炸醤麺、梅蘭芳
中国の麺世界 『誰も知らない中国拉麺之路』


アレハンドロ・G・イニャリトゥ『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

2015-03-29 14:54:30 | 北米

飛行機のプログラムで、アレハンドロ・G・イニャリトゥ『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年)を観る。

ジャズファン的には、アントニオ・サンチェスのドラムスが目玉ということになる。もちろんそれは興奮するほどカッコ良いものなのだが、それは置いておいても面白い。プライドが高く、短期で、やることなすことうまくいかない男(マイケル・キートン)に共感必至。映画に登場する誰もが弱く、ちょっと優しい言葉をもらえただけで救われるということにも、やられてしまう。


ウィレム・デ・クーニング展@ブリヂストン美術館

2015-01-12 21:20:54 | 北米

会期末になってしまい、慌てて、ブリヂストン美術館に足を運び、ウィレム・デ・クーニング展を観る。

オランダ生まれだが、アメリカに渡って活動し、抽象表現主義の代表的な画家のひとりだとされる。

わたし自身がはじめてデ・クーニングのことを意識した直後に亡くなってしまい(1997年)、ちょうど東京都現代美術館で開かれていた「20世紀絵画の新大陸 ニューヨーク・スクール」展において、絵の横のプレートに没年が書き込んでなかったことを覚えている。そのときの印象は、「汚い」に尽きた。

今日の印象もさほどは変わらない。ただ、たまたま隣にいた女性二人組が、絵を指さして「このピンク色なんか綺麗」とコメントしていたのが聞こえた。実はそれにも共感する。女性の裸体、しかも美醜も何もあったものではない抽象化を経た色の塊である。脂肪のようにも見える。リアルを遥かに通過したリアルであるようにも見える。汚くて同時に綺麗、このような画家は他にはいなかった。

ところで、常設展でふと思ったこと。

●ザオ・ウーキーは、ターナーを意識したことがあっただろうか。
●ゲルハルト・リヒターが、白髪一雄(とくに「観音普陀落浄土」)を観たことはあっただろうか。