鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-佐久島~藤川宿~吉田宿-その10

2015-06-16 05:57:45 | Weblog

 ここから八ツ面山に向かうには、名鉄西尾線の上横須賀駅方面へ戻るのは遠回りであるので、華蔵寺前から県道318号をたどって八ツ面山方面へ向かうことに。

 右手にクリーンセンターを見て岡山を越えると、まもなく橋にぶつかりました。

 川の名前は矢作古川(やはぎふるかわ)、橋の名前は献上田橋。欄干は俵が積み重ねられた形になった珍しいもの。

 川幅は広くはありませんが、水量はたっぷりとした川。

 かつては船の往き来があったように思われる河川でした。下流は三河湾に注ぎ込んでいます。

 しばらく歩くと「六万石くるりんバス案内」が記されたバス停が現れ、現在のバス停が「宅野島」であることがわかります。

 バス停としては、「西尾口駅」や「市民病院」の手前に、「八ツ面」や「八ツ面住宅前」というバス停の名前が載っています。

 「八ツ面」は、名鉄西尾線の「西尾口駅」の近くにあるということになります。

 「こやけのおうだんほどうきょう」を渡る時に、橋上から北方向を眺めてみると、「八ツ面山」らしき丘陵のような山が見えました。

 華蔵寺のある岡山からはかなり離れています。

 また矢崎川河口部から藤川宿へと続く「吉良道」からもかなり西へ離れています。

 「今川町」から県道319号を北進し、「丁田」、「徳次町」などの交差点を過ぎ、「八ツ面南」交差点に至ったのが16:56。

 「村社 式内 久麻久神社二座」と刻まれた標柱や石鳥居を確認した後に、その「八ツ面南」交差点から西方向に進み、名鉄西尾線の「西尾口駅」に到着したのが17:14でした。

 名鉄蒲郡線の吉良吉田駅で下車し、矢崎川の河口部に出て、それから川に沿って遡上し、吉良道を辿って、途中で横須賀畷に入り、華蔵寺を参観。華蔵寺を出て、八ツ面山に至るという行程でしたが、吉田橋あたりを出発したのが13:00頃であったから、そこから4時間ほどはかかったことになります。

 吉田湊に正午頃上陸したとしても、崋山一行が八ツ面山に至った頃にはすでに午後5時は過ぎていたと考えられ、ここからさらに東海道藤川宿までは相当な距離があることを考えると、崋山一行はこの「平坂街道」を西へ進んで、西尾城下に入って泊まったのではないかという推測が成り立ってきます。

 私は実際に歩いてみる前、崋山一行は吉良吉田から吉良道を通って、途中で華蔵寺や八ツ面山に立ち寄り、そこから東海道藤川宿へと向かって、藤川宿に宿泊したのではないかと思っていましたが、実際に歩いてみるとそれはかなり無理なことであり、西尾城下に入って泊まってから、翌朝、東海道藤川宿へと向かったと考えた方が妥当であると思うようになりました。

 「八面」のスケッチの次に、芸妓を三人スケッチした絵が出て来ますが、これは藤川宿でも吉田宿(現在の豊橋)でもなく、西尾城下におけるものではないかという推測が成り立ってきます。

 

 続く

 

〇参考文献

・「近代デジタルライブラリー 参海雑志」



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