鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.9月取材旅行「桐生~水道山公園~大間々」 その最終回

2012-10-26 05:12:27 | Weblog
 岡直三郎商店に到着したのが13:58。

 醤油醸造蔵を見学する団体がすでに集まっており、その方たちと一緒に奥の醤油醸造蔵にと入っていきました。

 薄暗い蔵内に醤油の仕込み桶がいくつも並んでいました。仕込み桶は最大2.6mの木製大樽。この仕込み蔵で一年余りの歳月をかけて、自然の気候に任せて発酵熟成させるとのこと。つまり「木桶仕込み・天然醸造しょうゆ」であるということです。

びっくりしたのは柱や露出した土壁に白い麹菌がびっしりと付着していること。

 この付着している麹菌が、おいしい醤油醸造の決め手になるとガイドの女性が説明されました。

 古い醸造蔵(仕込み蔵)が現在でもそのまま使われているのは、このびっしりと付着している麹菌こそが、おいしい醤油を生み出すもととなるからです。

 蔵内の壁には大きな温度計が掛けられており、それは23℃を示していました。

 7分ほどの見学時間でしたが、醤油醸造蔵を見学したのは初めてのことでした。

 店を出て大間々駅へと向かいましたが、桐生行の列車はつい数分前に出たばかり。次の桐生行の列車は15:00過ぎで1時間近くもあるので、駅からそう遠くはない「みどり市立大間々図書館」へ行ったところ、土曜日であるというのにたまたま「蔵書点検」期間に重なっていて休館中。

 そこで「本町通り」へと戻り、「三町目常夜灯」近くにあった「大間々街歩きMAP」を見て、それに示してある道順とは逆になるコースで歩いてみることにしました。

 ちなみにこの「MAP」も「『三方良し』の会」が立てたもの。

 先ほど、「河内屋木道」を利用して岡直三郎店の裏側に出て、裏通りから白壁が剥げ落ちた醤油醸造蔵が並ぶ光景を眺めましたが、その裏通りを進み、途中で左折して広い駐車場越しに岡直三郎商店の工場全景を眺めました。

 広くて黒い屋根瓦の向こうに赤レンガ造りの煙突が3本突き出ている光景は、時代を100年ほどさかのぼったような雰囲気を漂わせていました。

 大間々駅へ戻ったのは15:02。

 陸橋を渡って反対ホームに出ると、駅付近の名所案内板があって、その中に「道了尊」というのがありました。

 それによれば、その「道了尊」は「どうりゅうさん」と呼ばれ、子育ての仏様とした親しまれてきたという。

 崋山は「神明宮」に立ち寄った後、崖を下って「はね瀧」に至り、そこから「道了権現」へと向かって、そこの茶店で小憩しています。

 この「道了権現」が「道了尊」であると思われますが、今日たどったコースにおいてはその「道了尊」を見掛けることはありませんでした。

 崋山が立ち寄った「道了権現」とはどういうところであったのか。

 また崋山が高津戸村から登った要害山の頂上はどうなっており、またそこからの眺望はどういうものであったのか。

 それらについては次回の取材旅行に回すことにして、まもなく足尾方面からやってきた「わたらせ渓谷鉄道」に乗って桐生駅へと向かい、そこから駐車場へと歩いて停めてあった車に乗り、急いで帰途につきました。



 終わり



○参考文献
・『大間々町誌通史編上巻』(大間々町誌刊行委員会)
・『蔵の町大間々まち歩きマップ』(企画・制作:群馬県立桐生工業高等学校 平成22年度建設科〔建築コース〕3年)
・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)


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