鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

津波と桜 その1

2012-03-14 06:14:34 | Weblog
 東日本大震災の被災地において、これからどのような「まちづくり」がそれぞれの地域の人々によって行政を巻き込んだ形でなされていくか、私は今のところ見当がつきません。

 巨大津波によって瓦礫と化した土地が、瓦礫がひとまずそこから撤去され、いくつかの建物が残骸となって残るだけの更地になってしまったところに、これからどのような景観が生み出されていくのか、5年後、10年後、あるいは20年後、そこはどのようになっているのか、被災地の多くの人々がそのことに関心を持っているように、私もそのことに強い関心を持っています。

 巨大津波が引いた後、被災地は膨大な瓦礫で覆われていました。

 「瓦礫」という言葉には、何か違和感を感じるものがあります。

 というのは、その「瓦礫」はついしばらく前までは人々の日常の暮らしの中にあったものだからです。家も工場も事務所も学校も商店も、そして車も漁船もそうだし、その中にあったあらゆるものが人々の暮らしとともにあったものでした。

 その「瓦礫」の中には、巨大津波にのみ込まれて亡くなってしまった人たちもいたのです。

 その人たちも、その直前までは、「瓦礫」と化した「もの」とともにごく日常的な生活を送っていたはずです。

 つまり「瓦礫」とはいうけれども、その「瓦礫」と化したものは、そこに住んでいた人々が日々の営みを繰り返す中で造り上げ利用してきたものであり、いわば「さまざまな歴史の記憶(想い出といってもいい)の詰まった景観」を構成していたものだということです。

 それもほんの直前までそうであったということは、自然災害とは言え、「不条理」に死んでいった人々の無念の気持ち(あるいはそのことを無念なことだと思う生き残った人々の気持ち)が、その「瓦礫」には染み込んでいるのではないか、と私には思われます。

 しかし、その瓦礫をそのままにしておいては、復興も復旧もままならない。「無念の気持ち」を抱きつつも、瓦礫を撤去せざるを得ず、確かに1年の経過と取り組みの中で、被災地の膨大な瓦礫の多くはひとまずそこから撤去され、広大な更地が生み出されました。

 その膨大な瓦礫の処理が、被災地だけではきわめて困難であり、他の都道府県の自治体にその処理の協力要請が出されたものの、その処理が一向に進捗しないという深刻な状況があることは、ひとまず置いておいて、更地となった地域を含む被災地における復興・復旧がこれからスピーディーに進められなければ、過疎と少子高齢化が深刻な被災地(被災地だけでなく全国津々浦々にそういう地域はあるのですが)は、さらに深刻な状況となっていくことでしょう。

 私は今まで取材旅行で「みちあるき」や「まちあるき」を重ねていく中で、「景観」や「風景」といったテーマや、「まちづくり」というテーマに強い関心を持つようになりましたが、それにともなってそれに関する本にもしばしば目を通すようになりました。

 特に、田村明さんの『まちづくりの実践』や、広井良典さんの『創造的福祉社会』、原研哉さんの『日本のデザイン』からは、多くの刺激や考えるヒントを与えられました。

 原さんは、「復興のグランドデザインには、「無数の知の成果を受け入れる巨大なパラボラアンテナのような仕組み」こそが相応しく、それは「中央集権的な上意下達ではなく、多種多様なアイデアの受容に最大の力点を置く仕組み」であるとしています。

 そして「被災地の人々はその提案を必ずしも受け入れる必要はない。しかし現実に追われる日々の中では考えつかない画期的な着想を手にする機会は飛躍的に増えるはずだ」とも記しています。

 また田村さんは、『まちづくりの実践』の中で、次のように記しています。

 「どんな地域も世界にも開かれており、閉鎖的で封建的な社会に閉じ籠もっていることはできない。閉鎖的な社会に留まるならば、村の若者は未練なく出ていって帰ってこないだろうし、他の地域とも交流しなければ衰退するばかりだ。『まちづくり』は、自由で個性的で主体性ある人々の協働によって行われる。主体的な市民と協働の意識を育ててゆく『まちづくり』が必要なことは、農村でも都会でも同じだ。」

 また広井さんは次のように言う。

 「大都市圏─地方都市─農村地域」といった各地域は、それぞれが固有の問題・課題とともに独自の「資源」・“魅力”をもっており、一元的な座標軸の中で優劣を言えるものではな」く、それは「単一の方向への『成長』によってすべて物事を解決しようとするのではなく、各地域の固有の資源や価値、伝統、文化などを再発見し生かしていく中で様々な生活の充足を得るという方向」であり、それは実は「経済成長という方向の決まった路線の上を走ることよりも、ある意味でははるかに『創造的』と言いうるのではないだろうか」と。

 「パラボラアンテナのような仕組み」の中で集まってきたアイデアの中から、被災地の人々が、各地域の資源や価値、伝統や文化が生かされるものを選び取り、主体的に「まちづくり」を行っていくことが復興の基本である、ということがそれらの発言から浮かび上がってきます。

 やや前置きが長くなってしまいましたが、今まで取材旅行を通して「みちあるき」「まちあるき」を継続し、これからもそれをライフワークの一つとして継続していこうと思っている私の、今までの経験や知見から、東日本大震災の復興に向けての一つのささやかな私案(アイデア)を紹介したい。

 それは、先日の、あの一人の漁師の取り組みの映像を見て、一気に触発されまとまったものです。


 続く


○参考文献
・『日本のデザイン─美意識がつくる未来』原研哉(岩波新書/岩波書店)
・『まちづくりの実践』田村明(岩波新書/岩波書店)
・『創造的福祉社会─「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』広井良典(ちくま新書/筑摩書房)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿