鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.冬の取材旅行「銚子~牛堀~関宿・境」  銚子その1

2010-12-30 05:42:41 | Weblog
 東関東自動車道を潮来ICで下り、利根川を渡って犬吠埼手前の君ヶ浜の駐車場に到着したのは6:20頃。さっそく犬吠埼灯台へと海岸べりを歩いていきました。君ヶ浜から見ると犬吠埼灯台は切り立った断崖の上にあり、浜からは崖下より階段を上がっていきます。背後を見ると長い砂浜には白波が音を立てて打ち寄せています。

 犬吠埼灯台の立つ崖上は広い台地になっており、まだ薄明だというのに駐車場には車が多数停まっており、崖上の遊歩道を歩いている人がいます。合宿か何かの高校生らししい集団もいる。犬吠埼灯台真下の遊歩道に人が集まっているのは、そこから太平洋の大海原上に展開するはずの日の出を見るため。しかし、その水平線上には残念ながら雲が群がっています。

 私も、まず犬吠埼を目指した理由は、そこからの日の出のようすを見るためでした。日の出の前後の荘厳な光景の推移に感動を覚え、それから旅先で日の出を見るようになったのは、渡辺崋山の取材で渥美半島伊良湖岬(いらこみさき)へ行って以来のこと。その恋路ケ浜(こいじがはま)から見た日の出の一部始終は圧巻でした。

 人が多いことと、水平線上に雲が群がっていることから、犬吠埼灯台より遊歩道を君ケ浜へと下り、その君ヶ浜沿いの遊歩道を歩いて日の出の時間を待つことに。上空はまったくすっきりと晴れ上がっているというのに、犬吠埼の先端からやや左手の、太陽が差し昇ってくるであろうあたりが、密集する雲で覆われています。しかし遊歩道には、そこからが撮影ポイントなのか、三脚にカメラを据えて日の出を待ち構えている人がいます。

 君ヶ浜の遊歩道を海鹿島(あしかじま)方面へとしばらく歩き、戻ってくる途中、群がる雲の中にオレンジ色の光が見えてきたのは6:57でした。日の出の時刻はとっくに過ぎていますが、水平線上に出た旭日(あさひ)の朱色が、群がる雲の合い間から漏れ出てきたのです。やがてその明るいオレンジ色の帯は、まるで下方に広がるカーテンのようになって水平線に突き刺さっていき、その幅と輝きを増していきます。帯ははじめは大小七つほど。それがやがて幾つにも分かれて左右へと広がっていく。

 その光の帯が幾つも並ぶ雲の上から、白い閃光を放射させて太陽が出てきたのが7:13。その右手には、犬吠埼の切り立った崖とその上にすっくと立つ灯台が黒いシルエットで浮かび上がっています。

 手前の波が打ち寄せる砂浜から太陽直下の水平線上まで、海面には銀色の光の帯が現れました。その光の帯の上に、白銀の閃光と化した太陽が赫々と差し昇っていきます。この情景が7:20頃まで続きました。

 通りかかったおじさんによると、この犬吠埼でも、水平線上に雲がまったくない状態で日の出を見ることができるのは珍しいことだということでしたが、雲がある状態での、今朝のような日の出の景観もたいへん見応えのあるものでした。

 君ヶ浜には、「日本一早い初日の出のまち銚子」のモニュメントがありました。それによると、ここ犬吠埼では、毎年午前6時46分に初日の出を見ることができ、銚子は、離島や山頂を除けば、日本一早く初日の出を迎えることができるまちであるとのこと。

 すっかりあたりが明るくなってから、君ヶ浜しおさい公園の潮害防備保安林を突き抜け、朱色の古いブロック塀を左手に見て、銚子電鉄の踏切を越え、出た通り(県道244)を左折。「ちばこうバス」の停留所がありましたが、それは犬吠や外川(とかわ)方面が行先でした。

 「犬吠埼入口」交差点のところで左折してしばらく進むと、左手にあったのが銚子電鉄の「犬吠駅」。赤白ツートンとこげ茶色の電車が屋外展示されていました。

 「銚子へようこそ」と記された看板には、次のように記されていました。

 「魚のまち、醤油のまち、しおさいのまち銚子へようこそ。銚子の魅力は、豪快な海岸線の美しさ、空気のおいしさ、夏涼しく冬暖かいこと。そして、全国屈指の銚子漁港に水揚げされた新鮮なお魚が食べられることです。水郷筑波国定公園内にある銚子半島一帯の海岸線は、犬吠埼の岬、君ヶ浜の砂浜、屏風ヶ浦の断崖絶壁など変化に富んでおり、昔から文人、墨客、歌人、俳人らの来遊が多く、いろいろな文学碑が残されています。銚子は、山頂や離島を除き、日本で一番早く初日の出を拝める『初日の出のまち』であり、三方を水に囲まれ、水平線により地球の丸さを実感できる『地球の丸く見えるまち』です。」

 「魚のまち、醤油のまち、しおさいのまち銚子」に来遊した人には、渡辺崋山(登)や竹久夢二も含まれています。

 「しおさいの郷 銚子観光案内板」で、銚子市内および界隈の地理を確認した後、通りを突っ切り、「GRANDHOTEL ISOYA」の看板を右手に見て、海岸へと続く階段を下りていきました。


 続く


○参考文献
・『渡辺崋山 優しい旅びと』芳賀徹(朝日選書/朝日新聞社)



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