鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.冬の取材旅行「銚子~牛堀~関宿・境」 銚子その2

2010-12-31 06:57:12 | Weblog
 階段を下って海岸沿いの遊歩道に出たのが7:53。左手には犬吠埼とその上に白く立つ犬吠埼灯台が見えます。君ヶ浜からは犬吠埼を隔ててちょうど反対側に位置するところから灯台を眺めていることになります。

 この海岸べりの遊歩道をたどって灯台方面へ戻ることにしました。途中トンネルを潜りますが、その前後の遊歩道の上に時折り強い波しぶきが打ち寄せるので、その間隙をぬって小走りにその箇所を通り抜けました。灯台へと上がって行く階段から背後を振り返ると、遊歩道べりには白い波が渦巻いています。波が強い時には、ちょっと歩くには危険な遊歩道。ここから見える白いホテルが建つ突端は、長崎鼻というらしい。

 階段の途中に、「国指定天然記念物 犬吠埼の白亜紀浅海堆積物(はくあきせんかいたいせきぶつ)」という案内板があり、この犬吠埼灯台下周辺の砂岩は、中生代白亜紀の今から約1億2000万年前に堆積した地層と考えられているという。当時このあたりが浅い海であったことを示す、「リップルマーク」や「ハンモック状斜交層理(しゃこうそうり)」、「生痕(せいこん)化石」(海底に残されたゴカイなどの生物の活動痕の化石)が見られ、またアンモナイトやトリゴニア(三角貝)の化石や植物の化石も見られるとのこと。

 白亜紀には浅い海であったところが隆起して、強い波に浸食されたことによって、堆積物が現れたものであるようです。

 階段を上がりきると、台地上に、先ほどとは違って朝日に白く輝く灯台やそのまわりの施設が現れました。透明な青空を背景にすがすがしいまでの白さです。その灯台の海側の遊歩道をふたたび歩いて、展開する大海原を眺めながら君ヶ浜へと下り、駐車場に停めてある車に戻ったのが8:15。

 そこから銚子市内の「銚子市公正図書館」へと向かいました。

 この「銚子市公正図書館」は、インターネットで調べた図書館ですが、よくある「市民図書館」とか「市立図書館」、あるいは「中央図書館」といった名前ではなく、「公正図書館」というのが不思議で何かいわれがあるように思われました。といって私設図書館ではなく、おそらく銚子市で唯一の大きな公立図書館であるらしい。

 銚子市街に入って、その「銚子市公正図書館」の前の駐車場に車を停めたのが8:30。車から外に出ると、独特の香りが漂っており、すぐにこれは醤油の香りだということに気付きました。車から下りたとたんに、「ああ、ここは醤油の町なんだ」ということを実感しました。

 公正図書館の開館まではまだ30分ほどあり、近辺を歩いてみることに。公正図書館は比較的新しい建物のようですが、その駐車場の脇に、「婦人会館跡」の碑と、「公正商業学校記念の碑」が並んで建っていました。どうもこの「公正商業学校」というのが、「公正図書館」の名前の由来であるようです。

 表通りへ出ると、その表通りに面して、コンクリート製のレトロな建築が建っていました。上げ下ろし式の縦長窓が並ぶ2階建て。入口の円柱の上部の意匠や2階屋根部分の意匠などを見ても、かなり凝ったデザインで、遊び心や余裕がそのデザインに感じられます。パッと見た感じでは、戦前、昭和初年の建築のように思われました。入口正面には「銚子市公正市民館 銚子市公正図書館」とあり、これがかつての「銚子市公正図書館」が入っていた建物であったことがわかります。

 その入口の左横には胸像があり、その左手に「濱口梧洞の銅像」と刻まれた碑が建っています。つまりこの胸像は「濱口梧洞」の胸像であったわけですが、その胸像の土台に「濱口梧洞翁の寿像に銘す」という銘板がはめ込まれており、そこには次のように記されていました。

 「ヤマサ醤油十代の業種濱口梧洞翁夙(つと)に社会教育の緊要なるを覚(さと)り大正十三年財団法人公正会を結び新に講堂図書館夜学校等を設立し捨据経営廿八年民風大に革る昭和廿三年図らずも文物一新の機に会し市は之を譲受け運営する事となれり茲(つと)に開館三十周年を記念し翁の達識と実践の精神を寿像に刻み永く後世に伝へんとす 昭和三十二年二月 銚子市」
 ※ふりがなは、鮎川

 もとは浜口梧洞が興した「財団法人公正会」の講堂・図書館・夜学校(教育機関)であったところを、戦後、銚子市が譲り受けるものとなったということであるようです。

 そのレトロな建物は、現在は図書館としては使われておらず、やや通りから入ったところのかつて婦人会館があったところが、現在の「銚子市公正図書館」として、「公正」という名前を記念して残す形で使われていることがわかりました。

 通りを渡ろうとすると、その「銚子市公正市民館」の真向かいにあるのが「ヤマサ」の工場であり、その工場から醤油の香りが漂っているのだということを知りました。「濱口梧洞」の胸像は、その「ヤマサ」の工場を向いて立っていたのです。


 続く


○参考文献
・『渡辺崋山集 第1巻』小澤耕一・芳賀登監修(日本図書センター)
・『渡辺崋山 優しい旅びと』芳賀徹(朝日選書)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿