鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.9月取材旅行「桐生~水道山公園~大間々」 その11

2012-10-16 05:56:36 | Weblog
 店内に入ると売店があって、各種醤油のほか巾着などさまざまな関連商品が売られており、休憩することができる畳敷きのコーナーでは観光客が「しょうゆソフト」を口にしている姿が見られました。

 店内上部の壁に醤油醸造工場の絵が掛けられており、それには「岡宗一郎本店醤油醸造場 群馬県 大間々町」と記されていました。

 絵の左側の通りに面した建物が店舗であって、その奥に醸造工場の棟が幾つも並んでいて、突き出た3本の煙突の先からは黒い煙が出ています。

 店舗の前の大通りには、江戸時代にあったという通り中央の堀はすでになくなっているから、この図は明治10年以後のものと思われる。明治の後半から大正時代にかけての「岡宗一郎本店醸造場」の全図のようです。

 店の方にお聞きすると、この醸造場は今でもそのまま残っているとのこと。

 確かに、売店の奥の方にも建物や蔵のようなものが幾つもあって、相当な奥行きがあるようです。

 醤油の醸造蔵を見学できるということなので、神明神社や高津戸峡、「ながめ公園」などに立ち寄ってから、ここに戻ってきて見学をさせてもらうことにしました。

 「しょうゆソフト」は、始めて食べてみましたが、コクがあってなかなか美味でした。

店の方の話では、原町田に醤油工場が設立されたのは大正8年(1919年)のことであり、群馬─八王子─横浜を結ぶ「絹の道」のルート上の原町田が工場設立の適地として選ばれたようです。

 町田の「にほんいち醤油」のもともとの創業地は、ここ大間々であり、その古い醸造蔵が今でも現役としてそのまま使われていることを知ったのは感動でした。

 店を出たのは12:37。

 白壁の蔵が2つ並ぶ駐車場の右側に、中央に木道がある細い路地があり、その右手の建物の壁には「あかがね街道 大間々宿 河内屋木道 ←創業120年 銭湯千代の湯」と記され、「常夜灯」と「ポンプ井戸」の絵が描かれている看板がありました。

 「河内屋」というのは「岡尚三郎商店」の屋号であるから、「河内屋木道」とは、「河内屋」の「木道」ということ。

 その「木道「の木材は、醤油醸造に使用した巨大桶の板材を利用したものであるようです。

 その風情に惹かれて、その「木道」の奥へと入ってみることにしました。


○参考文献
・『大間々町誌 通史編上巻』(大間々町誌刊行委員会)


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