鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

佐渡市小木町宿根木(しゅくねぎ)-その1

2019-01-13 07:10:50 | Weblog

 

 宿根木(しゅくねぎ)の北東、十王坂の上から集落を俯瞰(ふかん)しました。

 これがかつて造船業と廻船業で賑わった集落。

 廻船業を営む商人や、船大工など造船業に関わる人々が住み、「北前船」が盛んであった頃には大変栄えた集落でした。

 特筆すべきは、私も訪れるまではよく知らなかったのですが、大型弁財船である「北前船」をはじめとして造船業が盛んな集落であったこと。

 つまり船大工が多数住む集落であったことです。

 この中に、蘭学者柴田収蔵の生家、最古の家屋である角(かど)家、廻船主石塚市三郎家(浜上〈はまじょう〉)、やはり廻船主清九郎家、同佐藤伊左衛門家(穴口〈あなぐち〉)、船大工職人の家である金子家などが所在しています。

 JR東日本の広告で、吉永小百合さんの写真で有名になった「三角家〈さんかくや〉」や、村の鎮守である白山神社、時宗の古刹(こさつ)称光寺などは、画面左外側に所在しています。

 画面向こう(南方向)に見えるのは日本海。

 集落を流れる称光寺川はその日本海に臨む入り江に流れ込み、その流れ込むところは「大浜」と呼ばれる浜辺であり、そこが宿根木の造船場でした。

 入り江は船が碇泊するところでもあり、尾道産出の御影石で造られた「船つなぎ石」が今でも複数残っています。

 バス待合所のところで説明してくれた地元の方の話によると、入り江向こうの日本海では魚が獲れないため、宿根木の湊は漁港ではなかったということです。

 漁港でないゆえに、明治以後に漁港として整備されることはなく、昔のままの海岸が今でも残っているとのことでした。

 民家と同じ瓦屋根と板壁の外観であるため目立ちませんが、この画面の中には各家の土蔵が10以上も存在しています。

 多数の土蔵の存在は、この集落のかつての繁栄と蓄積された富(財力)をうかがわせるものです。

〇参考文献

・「宿根木 歴史的な町並み探訪マップ」

                                            続く

 



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