鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-佐久島~藤川宿~吉田宿-その12

2015-06-18 05:08:11 | Weblog

 「名鉄東部交通バス」の「八ツ面北」バス停を通過して、県道479号を岡崎方面へと歩いていきました。

 矢作古川に架かる橋を越えたのが7:05。

 まもなく「『矢作川用水』のご案内~国営新矢作川用水農業水利事業の取組み~」と記された案内板が現れました。

 それによると現在地は「六ツ美幹線水路」のあるところ。

 矢作川用水は、安定的な通水を確保するためにパイプラインに改修され地中に埋められ、水路の上は遊歩道や通学路などに活用されている、といったことが記されていました。

 「抹茶の里・西尾 また おいでん」の看板を見てしばらく歩くと、「ようこそ岡崎市 ゆっくり走ろう」の看板が現れました。

 西尾市から岡崎市へと入ったわけです。時刻は7:38。

 新幹線の高架を潜り、「奥屋敷」の交差点で右折(8:25)。

 「坂左右町」「下和田町」、「坂左右神社前」交差点、「坂左右町」交差点などを経て、「高須北」交差点に至ったのが8:59。

 ここから県道327号へと入り、「上地町」に入ると、「吉良道」と記された道路標示が現れ、この県道327号が「吉良道」であることを確認することができました。

 この「吉良道」(県道327号)は、「総合学習センター東」で右折し、幅の狭い道になりました。

 途中、「久宮山観音寺由来」と記された石碑があり、馬頭観音の石造物がずらりと並んだところがありました。

 このあたりが「馬頭」というところであるでしょう。

 「327」の道路標示に従って進み、田んぼの中の道を通って、「下北野尻」交差点に出たのが10:32。

 竜泉寺川に架かる「蓑川橋」を渡って、幅の細い道を通り、「愛知県立岡崎東高等学校」の看板を見てしばらく歩き、「吉良道」が東海道に合流する地点に至ったのが10:56でした。

 八ツ面山付近を出発したのが6:30頃であったから、およそ4時間半を要したことになります。

 崋山は、八ツ面山あたりから藤川宿に出るまでに沿道のスケッチを数枚描いており、夕暮れや闇夜を歩いたのでは、それらのスケッチを描くことはできません。

 その日の行程的なものを考えれば、やはり西尾城下で一泊したと考える方が妥当であるように、実際に歩いてみて、思われました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)

・「雲母」「雲母摺り」関係のネット検索

・「近代デジタルライブラリー 参海雑志」



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