鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.2月取材旅行「行徳~八幡~鎌ヶ谷」その6

2011-02-26 05:04:25 | Weblog
 市川市東山魁夷記念館は、開館時間は午前10時から午後5時まで。休館日は月曜日と年末年始。入館料は一般500円。

 建物は、東山魁夷の人間性や芸術の方向性に影響を与えた、留学の地ドイツに想を得た八角形の塔のある西洋風の外観であるという。

 1階のエントランスホールには受付と情報コーナーがあり、その左手にはミュージアムショップや多目的室、その奥にカフェレストラン「白馬亭」、右手には1階展示室がありました。

 受付で、「東山魁夷さんの記念館が、どうしてこちらにあるんですか」とお聞きすると、「この近くに東山先生が住まわれていたんですよ」との答えがすぐに返ってきて、「ああ、そうだったんだ」と合点しました。

 1階展示室は、東山魁夷の人生を追体験できる展示コーナーになっていました。意外だったのは、東山魁夷が東京美術学校在学中から戦前を中心に、多くの童画を描いていたことでした。実家の経済状況が厳しいものであったため、その仕送りを断って、『少年倶楽部』や『コドモノクニ』などの当時人気の子ども向け雑誌に挿画を寄稿し、生計を立てていたとのこと。

 しかし太平洋戦争の末期、対戦車攻撃訓練の日々を過ごす中で、風景の美しさに開眼。戦後、一貫して点景を極力排した、「風景」を中心とした絵を描き続けました。

 2階展示室には、日本画をはじめ、スケッチやリトグラフなどの諸作品が展示されていました。メインとして連作「京洛四季」のうち「夏に入る」(紙本彩色・額装、市川市東山魁夷記念館蔵)ほかが展示され、その木版画の制作工程が、版木と合わせて紹介されていました。

 この一連の京都の四季の風景を描いた作品は、川端康成が東山魁夷に対して、「京都を描くのなら今のうちですよ」と言われたのがきっかけになったといったことが書かれていました。制作年代は1964~66年が中心。まもなく高度経済成長期に入り、日本の風景全体が大きく変貌していく時期にあたっています。

 2階展示室から八角形の塔の2階部分にあたる休憩室へと入ると、そこから周辺の景色を見ることができました。

 1階へ下り、ミュージアムショップで、クリアファイルと、開館記念展図録の『東山魁夷の軌跡 東山芸術の原点 今、市川から』を購入。

 多目的室でビデオを鑑賞した後、記念館を出ました(12:57)。

 周辺案内図によると、この記念館の周辺には、中山法華経寺や龍王池、安房神社、旧片桐邸(中山文化村)、清華園(中山文化村)などがあるという。京成中山駅やJR下総中山駅からの道筋を含めて、ゆっくりと歩いてみたいものだと思いました。


 続く


○参考文献
・『東山魁夷の軌跡』(市川市)


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