那珂川河口部にある公園から「ヤマサ水産(株)海の家」の方へ進むと、そこは「那珂湊おさかな市場」で、その前の通りには露店も並び大変な人出。右側(港側)は県営駐車場。「魚の店 新屋」「魚問屋(株)森口水産」といった海産物店や回転寿司の店などが軒を連ねています。
その回転寿司の店の一つ、「市場寿司」に入り、「おおとろ」「うに」「びんちょうまぐろ」「いか」などを注文。いやあ、おいしかったこと。宿代や交通費で浮いたお金をここぞというところに投入する、いわゆる「一点豪華主義」の実践です。といってもお代は2000円ちょっとですみました。
本通り名店街の方(水戸方面)へ進むと、右手に「ギャリーイエローツリー」という茶褐色のレンガ積みの蔵の店。後に、昭和22年(1947年)に漁網等の保管倉庫として造られたものであることを知りました。
本通り名店街に入って右折すると、左手に「茨城県信用組合湊店」のクラシックな建物。歩道脇に設けられた露店には、だるまや門松飾りなど正月の縁起物が並んでいます。
通りを戻って、「ひたちなか市ふるさと懐古館」に向かいました。
この懐古館の建物は、回船問屋(豪商)木内兵七家の土蔵を利用したもの。160年以上前の幕末期に建てられたもので、現在残っている江戸期の土蔵の中でも茨城県最大級の土蔵であるとのこと。「元治甲子(げんじかっし)の乱」(天狗党と諸生派の争乱)で付けられたと伝えられる古い刀傷があるという。
中に入ってみると(無料)、木組みがすばらしい。
展示物は、浮子樽・行灯・糸車・見台(けんだい)・船大工道具・クラシックカメラ・「常陸湊村町内別明細絵図」・湊村大工飛田与七が使用したと伝えられる製図用具・反射炉関係資料(図面・絵図・書籍)・耐火煉瓦の実物など。
説明として面白かったのは、「湊中央一丁目」はかつて「南水主(かこ)町」と言って、水戸藩の御用船を管理していた御水主士たちの居住地であったということ。「御用船」とは藩主の送迎をする船のことで、出帆する時には木琴の伴奏に合わせて「御水主士」たちが舟歌を唄ったという。「御用船」に置かれていた桜材製の扁額(へんがく)〔「君臣丸」などと書いてある〕が展示されていました。
懐古館を出て左折。出た通りをさらに左折。左手に「八長みそ」の古い建物を見て、すぐの通りを左折。その通りの突き当たりに「湊公園」がありました。ここにはかつて「浜御殿」があり、この丘陵は「御殿山」と言われたそうですが、「元治甲子の乱」の激戦地の一つでした。
中には入らず、通りを戻り、2つ目の通りを左折。湊駅に向かいました。
途中、釈迦町の「明石屋 安源七商店」(カレンダー・扇子・うちわを販売)という古い商店を見て、駅に到着したのは11:15。勝田駅行きのディーゼルカーは11:38発であることを確認。
構内を見回してみると、湊鉄道が開業したのは大正2年(1913年)12月25日であることを知りました。また、朝は気付かなかったことですが、市内には「まちかど博物館」があることも知りました。
「まちかど博物館」というのは、町の歴史やお店の昔話・建物の説明などを聞くことが出来るというもので、建物自体が「展示室」で、お店の人は「学芸員」、お店は「ミュージアムショップ」という位置付け。小田原市内の「街かど博物館」を想起しました。
博物館は全部で七つ。
・明石屋安源七商店
・あさ川那珂湊店
・八長味噌醤油工場
・サンデーマンデーショップ(ギャリーイエローツリーのこと)
・那珂湊駅
・稲葉屋菓子店
・稲野辺木工所
そのうち、5ヶ所を今日は見たことになります。「反射炉の鉄砲玉」を売っていた「稲葉屋」さんは、「まちかど博物館」でもあったのです。
掲示されていたプリントには「~舟運で栄えた町「那珂湊」の地域資源をいかした地域活性~」とありました。その取り組みの一つが「まちかど博物館」の整備ということなのです。
11:38に、湊鉄道のディーゼルカーに乗り、那珂湊を跡にしました。
目指すは、日立市の「助川海防城跡」です。
続く
○参考文献
・『江戸時代 人づくり風土記 8 ふるさとの人と知恵 茨城』(農文協)
※「那珂湊」の水運関係の記述は、主にこれに拠りました。
・『茨城県史 近世編』
・『茨城県の歴史散歩』茨城県地域史研究会編(山川出版社)
・『茨城の史跡は語る』茨城地方史研究会(茨城新聞社)
その回転寿司の店の一つ、「市場寿司」に入り、「おおとろ」「うに」「びんちょうまぐろ」「いか」などを注文。いやあ、おいしかったこと。宿代や交通費で浮いたお金をここぞというところに投入する、いわゆる「一点豪華主義」の実践です。といってもお代は2000円ちょっとですみました。
本通り名店街の方(水戸方面)へ進むと、右手に「ギャリーイエローツリー」という茶褐色のレンガ積みの蔵の店。後に、昭和22年(1947年)に漁網等の保管倉庫として造られたものであることを知りました。
本通り名店街に入って右折すると、左手に「茨城県信用組合湊店」のクラシックな建物。歩道脇に設けられた露店には、だるまや門松飾りなど正月の縁起物が並んでいます。
通りを戻って、「ひたちなか市ふるさと懐古館」に向かいました。
この懐古館の建物は、回船問屋(豪商)木内兵七家の土蔵を利用したもの。160年以上前の幕末期に建てられたもので、現在残っている江戸期の土蔵の中でも茨城県最大級の土蔵であるとのこと。「元治甲子(げんじかっし)の乱」(天狗党と諸生派の争乱)で付けられたと伝えられる古い刀傷があるという。
中に入ってみると(無料)、木組みがすばらしい。
展示物は、浮子樽・行灯・糸車・見台(けんだい)・船大工道具・クラシックカメラ・「常陸湊村町内別明細絵図」・湊村大工飛田与七が使用したと伝えられる製図用具・反射炉関係資料(図面・絵図・書籍)・耐火煉瓦の実物など。
説明として面白かったのは、「湊中央一丁目」はかつて「南水主(かこ)町」と言って、水戸藩の御用船を管理していた御水主士たちの居住地であったということ。「御用船」とは藩主の送迎をする船のことで、出帆する時には木琴の伴奏に合わせて「御水主士」たちが舟歌を唄ったという。「御用船」に置かれていた桜材製の扁額(へんがく)〔「君臣丸」などと書いてある〕が展示されていました。
懐古館を出て左折。出た通りをさらに左折。左手に「八長みそ」の古い建物を見て、すぐの通りを左折。その通りの突き当たりに「湊公園」がありました。ここにはかつて「浜御殿」があり、この丘陵は「御殿山」と言われたそうですが、「元治甲子の乱」の激戦地の一つでした。
中には入らず、通りを戻り、2つ目の通りを左折。湊駅に向かいました。
途中、釈迦町の「明石屋 安源七商店」(カレンダー・扇子・うちわを販売)という古い商店を見て、駅に到着したのは11:15。勝田駅行きのディーゼルカーは11:38発であることを確認。
構内を見回してみると、湊鉄道が開業したのは大正2年(1913年)12月25日であることを知りました。また、朝は気付かなかったことですが、市内には「まちかど博物館」があることも知りました。
「まちかど博物館」というのは、町の歴史やお店の昔話・建物の説明などを聞くことが出来るというもので、建物自体が「展示室」で、お店の人は「学芸員」、お店は「ミュージアムショップ」という位置付け。小田原市内の「街かど博物館」を想起しました。
博物館は全部で七つ。
・明石屋安源七商店
・あさ川那珂湊店
・八長味噌醤油工場
・サンデーマンデーショップ(ギャリーイエローツリーのこと)
・那珂湊駅
・稲葉屋菓子店
・稲野辺木工所
そのうち、5ヶ所を今日は見たことになります。「反射炉の鉄砲玉」を売っていた「稲葉屋」さんは、「まちかど博物館」でもあったのです。
掲示されていたプリントには「~舟運で栄えた町「那珂湊」の地域資源をいかした地域活性~」とありました。その取り組みの一つが「まちかど博物館」の整備ということなのです。
11:38に、湊鉄道のディーゼルカーに乗り、那珂湊を跡にしました。
目指すは、日立市の「助川海防城跡」です。
続く
○参考文献
・『江戸時代 人づくり風土記 8 ふるさとの人と知恵 茨城』(農文協)
※「那珂湊」の水運関係の記述は、主にこれに拠りました。
・『茨城県史 近世編』
・『茨城県の歴史散歩』茨城県地域史研究会編(山川出版社)
・『茨城の史跡は語る』茨城地方史研究会(茨城新聞社)
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