鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.冬の常陸茨城・取材旅行「那珂湊~日立助川 その2」

2008-01-10 06:04:27 | Weblog
 那珂川の川べりに出ると右手に駐車場があって、そこに10名ほどの釣り客がいたので近寄って川をのぞいてみると、そこには魚の大群が乱舞していました。次々と魚を釣り上げている母子の、お母さんの方に魚の名前を聞いてみると、それは「ボラ」でした。

 「何回かここに来ているけれど、こんなにいっぱいいるのは初めて」

 ということでした。「エサ」はつけなくてもよく、針だけで釣れるという。

 子ども(小学校4年生くらい)の方に

 「エサをつけてるの」

 と聞くと、

 「ゴカイを使ってる」

 とのこと。

 しかしエサをつけていないお母さんの方がいっぱい釣っているようでした。

 そばの釣り客に、

 「ボラはおいしいんですか」

 と聞くと、

 「そんなにおいしいというわけではないよ」

 「どうやって食べるんですか」

 「塩焼きにするよ」

 「そんなにたくさん食べきれないでしょう」

 「余ったら近所にお裾分けするよ」

 ということでした。

 駐車場の左側の通りに面したところに古い建物があるのに気付きました。「くさ餅」・「すあま」・「黒潮まんじゅう」・「きんつば」とある。「稲葉屋」という老舗(しにせ)の和菓子屋さんでした。

 入って店の若女将(わかおかみ)さんに伺うと、創業は明治20年(1887年)。建物もその当時からのもの。ちょうど創業120年の歴史あるお店でした。

 女将さんの話によると、かつて川べり(駐車場のある辺りか)には市場があって、舟が川(那珂川)を行き来し大変な賑わいだったとのこと。

 おそらくこの「稲葉屋」の建っている道筋には、いくつも同じような造りのいろいろなお店が軒を連ねていたのでしょう。「稲葉屋」はかつての河岸場の繁栄の名残りを留めている貴重な「歴史的建造物」と言えます。

 店内にはおいしそうな和菓子とともに、「反射炉の鉄砲玉」という黒飴が売られていました。

 原料について伺うと、「沖縄の黒砂糖を使っています」とのこと。

 壁の上のところには、「第十九回全国菓子大博覧会 はんしゃろの鉄砲玉 金賞」、「第二十一回全国菓子大博覧会 はんしゃろの鉄砲玉 名誉金賞」という表彰状が額に入れられて飾られています。

 原料は、三温糖・玉砂糖・黒糖・ざらめなどを使用し、水飴はほんの少ししか使っていないとのこと。鉄砲玉は一個一個手作りで、一日200袋ほどしか作らないとも。

 和菓子をいくつか購入し、また「反射炉の鉄砲玉」をお土産として買いました。

 店内に掲示されていた『茨城新聞』1998.5.3の記事によると、那珂湊は水戸藩内で最も栄えていた商業地。回船問屋が軒を連ねていました。反射炉建造に棟梁として活躍した飛田与七は苗字帯刀(みょうじたいとう)を許され、その子孫は今でも「御大工(おだいく)さん」と呼ばれているとのことですが、六代目の宮大工の方は先年(1998年以前)亡くなったという。また反射炉周辺には、瓦釜場・細工所・大砲方や役人詰所などの付属建物が密集していたらしい。

 8:28、「稲葉屋」を出る。

 前の道を港の方へ向かって進むと、左手に立派な寺と墓地が見える。

 道を左折して門前に出ると、その寺は新義真言宗智山派の「戒珠山華蔵院」。本山は京都の智積院(ちしゃくいん)。江戸氏や佐竹時代からの歴史を持つ相当に古い寺院のようです。

 寺誌の碑の文によると、天保13年(1842年)に寺社大廃合に遭って40有余もあった寺門はことごとく廃絶。元治元年(1864年)の「天狗諸生の乱」の時にも殿堂はことごとく焼失してしまったとのこと。

 梵鐘はよほど古いものらしく、鎌倉・室町時代の特徴を備えた優品だという。

 天保年間に大原山の満福寺から(もとは美和村の城国寺にあった)大砲鋳造のために那珂湊に運ばれたものの鋳(い)つぶされずに現在に至ったのだという。戦火にも遭わずに残ったということになります。

 このお寺の広い境内に、立派なお墓が林立・密集し、圧倒されるほど。那珂湊の人々のかつての財力を見せ付けられるような墓地でした。

 もとの通りに戻って、港方面に進むと「海門橋」の下を潜る。

 左手に「天日しらす干し」の店。

 右手前方に那珂川河口が見え、河口部分が波しぶきを上げています。

 その河口部に公園があったので、ベンチに座って休憩をとりました(9:30)。

 左手には、港と「ヤマサ水産(株)海の駅」と書かれた大きな倉庫のような建物が見えます。河口に面した駐車場には釣り客が数人立っています。


 続く


○参考文献
・『茨城県史 近世編』
・『茨城県の歴史』(山川出版社)
・『藤田東湖』(吉川弘文館)


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