鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2014.6月取材旅行「海老名~河原口~厚木~愛甲石田」 その5

2014-06-29 06:20:26 | Weblog
河原口の渡し場から相模川を渡った崋山は、その相模川についてどう記しているだろうか。「相模川をわたる。此(この)川大凡(およそ)三四丁もありぬらん。清流巴(ともえ)をなして下る。香魚甚多。」 さらに崋山は相模川の舟運について詳しく記しています。その部分は次の通り。「厚木ノ盛ナル所以ハ、唯相模川船路便ヲナスト、旅客ノ達路トナリ。河ハ相ノ須賀浦、柳嶌ニ達シ、津久井、丹沢諸山ヨリ炭薪ヲ出ス。皆此地ノ豪商買取テ須賀ヘ出ス。須賀ヨリ海舶ニ載、都ニ達ス。塩ト干鰯(ほしか)トハ、相海ハ言ニ不及(およばず)、総房諸州ヨリ此地ヘ至売販、又是ヲ信甲ノ山中ニ致故、塩魚、炭薪ヲ以最上利トナス。此余、海運ノ便ヲ以、布帛金鉄ヨリ以下諸物、常用ノ具ニ至ルマデ、一モカクルモノナシ。是運送ノ便ヲ以テ也。」 相模川の水運と江戸等とを結ぶ海運についてきわめて要領よくまとめています。厚木の繁栄は、相模川による水上交通と陸上交通の要路に位置するからだとしています。津久井地方や丹沢の山々で生産された炭や薪が、この地の豪商の買い取るところとなり、相模川の河口部にある須賀湊や柳島湊へと運ばれ、そこから江戸へと運ばれていること。塩や干鰯(ほしか)が相模湾はもちろんのこと、房総の諸州からも運ばれてきていること。また織物類や鉄などの金属類、さまざまな日用品などが海運や水運で運ばれてくるので厚木では何でも手に入ること。とりわけ信州や甲州にも運ばれていく塩魚や、丹沢や津久井地方などで生産される炭や薪は、い利益を上げている物品である、といったことを、崋山はしっかりと指摘しています。 . . . 本文を読む