『綾瀬市史6 通史編・中世近世』(綾瀬市)によると、厚木村は「県央最大の町場」であり、そこではさまざまなものが売買されていました。紙・水油(菜種油)・酒・味醂(みりん)・着物・布類・足袋・編み笠・抹香・白箸・草鞋・秤(はかり)・瓢箪(ひょうたん)・椎茸・千枚漬・浅草海苔(のり)・団扇(うちわ)・肥料・塩等々。日常生活に必要なあらゆるものが、それぞれの商店で売られていました。厚木村は松原・横町・上町・天王町・仲町・下町によって構成され、その中心街の幕末期のようすは、フェリーチェ・ベアトの写真で知ることができます。『F・ベアト幕末日本写真集』のP31には、「厚木」を写したその写真が掲載されており、「右手の建物に、『江州彦根 生製牛肉漬』『薬種』の文字が読みとれる」と記されています。通りの真ん中に用水路が流れ、その両側に商店が軒を並べています。その解説には、①厚木はかなり重要な町である②横浜から20マイルほど離れたところにある③大きな川(相模川)の右側にある④1本の広い道路に沿ってできた町である⑤生糸の中心地八王子と東海道沿いの藤沢を結ぶ主要道路沿いにあるので,よい店があり、人通りが多い⑥町の目立つ場所に火の見やぐらである高い梯子(はしご)がある⑦茶屋は清潔で居心地がよい⑧大川(相模川)という広い川があって、ときどき増水して数日間渡れなくなり、横浜との交通が遮断されることがある、などといったことが記されています。崋山は大川家で酒を幾右衛門と一緒に飲んでいますが、この酒は厚木で購入されたものであるでしょう。「まち」や幾右衛門などの着物の材料(布)は、厚木で購入されたものであるでしょう。日常雑貨の多くは、やはり厚木で購入されたものであると思われます。長男清吉は厚木まで馬を引いて出掛けていて、戻ってきました。馬に荷物を載せて厚木まで行き、帰りには何かを購入して馬の背に載せて帰ってきたのでしょう。清吉は、ベアトが写した厚木の通りを馬を引いて往来することがたびたびであったはずです。いや、佐藤幾右衛門も、大川清蔵も、その妻「まち」も、その通りを歩き、ものを購入したことがそれほど頻繁ではないがあったはずです。 . . . 本文を読む