鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2014.5月取材旅行「さがみ野~小園~海老名」 その8

2014-06-03 05:22:38 | Weblog
地図を見てみると、目久尻川は小園から早川に向かって南流しています。その目久尻川の流域に小園や早川の集落があり、その東側の台地(子之社の南東部)には整然と区画された小園団地が広がり、そして目久尻川西側の丘陵の西側にも整然と区画された団地(国分寺台団地)が広がっています。しかし目久尻川の流域である平地には、そのような整然と区画された団地の広がりはなく、かつての田園風景がまだまだ偲ばれるような気配を、地図上からも感じとることができます。実際に小園地区を走るバス路線(小園のメインルート)に沿って歩いてみると、かつて目久尻川沿いに広がっていたという田んぼはすでに見ることはできませんが、道の西側には畑が広がっており、また周囲に丘陵の緑を見ることもでき、かつての静かな農村風景を十分に想像することができ、自分の田舎に帰ってきたようなホッとした気分を味わうことができます。今まで東京からずっと人家やビルの密集地帯を歩いて来たからというわけでもなく、初めて車で訪れた時にもそのような印象を受けた覚えがあります。むかしからの集落で、周囲はともかくも、この目久尻川流域については大規模な開発の手が入ってこなかったからかも知れません。もし鉄道が入ってきていたら、こういうわけにはいかなかったでしょう。早川村の佐藤幾右衛門家(お銀さまが生まれたところ)があったところの近くには東名高速道路が走っているけれども、高速道路であるから大規模な近辺の開発は免れたのでしょう。崋山の歩いた道筋はほぼそのまま残っており、伊勢山の古東海道から地蔵堂前を経て「お銀さま」のお墓のある公園近くまで、崋山の息遣いを感じながら歩くことができました。大山街道を歩いた時には、なかなか味わえなかった感覚でした。 . . . 本文を読む