『百年前の東京絵図』の山本松谷の絵(石版画)には東京の街の賑わいが描き出されています。したがって画面には老若男女、和装洋装、またさまざまな職種の人たちが登場します。どれか一枚でも絵を開いてみれば、そこにはさまざまな人々がさまざまな装いのもとに話を交わしたり、あたりを眺めたり、歩いたり、走ったりしています。さまざまな乗り物も描かれています。たとえば「旧京橋の図」(P58~59)。京橋の上には銀座・新橋方面に進んでいる鉄道馬車、日本橋方面に進んでいる箱馬車、相当に重そうな野菜らしき荷を積んだ大八車(鉄製の車輪と心棒)が走っています。橋の下の京橋川にはやはり荷物を積んだ荷船が行き交います。川の両側の通りには問屋街のすさまじいまでの雑踏があり、そして黒漆喰塀土蔵造りの商家と白壁の大きな土蔵が並びます。P48~49の「日本橋新年の景」には、木造の日本橋に馬車鉄道の二本の軌道が敷設され、その日本橋の上を、日の丸の旗を交叉させて銀座・新橋方面に向かって走る2頭曳きの馬車鉄道が描かれています。橋の下の日本橋川にも日の丸を交叉させた初荷の船が浮かんでいます。人力車の連なりが見えるのは、P44~45の「歌舞伎座」。歌舞伎座前の通りには人力車5台が連なって、歌舞伎座の前に今しも到着しようとしています。面白いのはP6~7の「八つ山(やつやま)付近の景」。これは東海道ですが、通りの奥に鉄道馬車が見え、そして手前に通行人と衝突して転倒した自転車とそれに乗った洋装の男が描かれる。広目屋(チンドン屋・「都囃し」)の一団を含む通行人たちが、その事故現場に視線を向けています。明治32,3年頃から東京では自転車が大流行しだしたという。人力車が連なって走る光景は「神田神社男坂を望む」(P67~68)にも描かれています。川に浮かぶおびただしい数の船が描かれた絵は、P120~121の「中洲付近の景」。画面後方の流れが隅田川で、手前が箱崎川。両方の川面には荷物を積載した大小さまざまの船が行き来しています。これを見ると、東京の経済が、河川を利用した流通により、かなりの比重で支えられていた時代があったことを再認識させられます。「解説 記憶の墓標」で、倉本四郎さんが「橋である。橋づくしである。…まるで、橋をぬきにしては、東京は語れないといったあんばいである」としていますが、それほどに江戸・東京は川が多かったのです。 . . . 本文を読む